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最近、パソコンを立ち上げるヒマがなく、すぐにお返事できない事が多いのですが、ご了承ください。
更新:2003. 2.23
私がこの形の車に最初に出会ったのは小学生の時で、晴海のモーターショウに展示されていた、アパル356スピードスターというポルシェ356のレプリカ(複製)でした。それ以来、これが自分の一番好きな車となり、いつか乗りたいと思っていました。
昭和57年に免許を取ってさっそく356スピードスターの中古の価格を調べると450万円、インターメカニカのレプリカも450万円で、当時のトヨタの初代ソアラと同じ値段で、高くてとても買えませんでした。その後、この車の日本での人気が急上昇して、カリフォルニアからの本物の中古もずいぶん入ってきたのですが、時はバブルの絶頂期。本物の中古の値段も600万円以上にはね上がり、手に入れることは夢のまた夢となってしまいました。※注記1
会社勤めも10年になり、多少財布にも余裕が出てきた時に、FLAT4さんでレプリカが255万円という広告を発見(たしか「Tipo」という雑誌だったと思う)。夢が実現できるかもしれない!と思ったとたん、衝動買いしてしまいました。(現在、FLAT4さんでは扱っていない模様)
私は一応エンジニアの端くれですが、エンジンを分解したことなどありませんし、整備もできません。外車も買ったことがありません。こんな私がこういった「むずかしそうな車」と、どの様につきあってきたかをこのホームページに載せました。こんな車がほしいという人に、このホームページが役立てば幸いです。
※注記1:
356に関する知識がある程度あって、信頼できるショップが近くにあれば、床が抜けてる程ボロボロな本物の356クーペを100万円前後で購入し、150万円位でボディのフル・レストアすると、安いレプリカの新車を購入したと同程度の出資で済むこともあるみたいです。
こういった年代物の安い本物は、修理等で純正でないパーツが取り付いている例が多いですが、その辺を割り切ることができれば、安価で本物の356ライフが楽しめます。逆に安いレプリカの方が、場合によっては手間がかかるかもしれません。
ただ、希少な車となってしまったので、希望にかなう車を探すこと自体が大変ですよね。特にAタイプのSpeedsterとなると、日本で手に入れることは絶望的かも。
更新:2003. 6. 8
カリフォルニアの「Vintage Speedster」というキットカー・メーカーが組み立てた、PORSCHE 356A Speedsterのレプリカです。空冷VWビートルのシャシー、エンジンを使い、ショートホイルベース化、補強をしたあとに、グラスファイバー製のボディを上からかぶせて作ります。自動車雑誌の記事の中には、本物のポルシェは、年代物なのでシャシーがガタガタな車が多く、乗って楽しむならレプリカの方が良いと書かれている程、その価値が認められている様です。※注記2
ベルギーのアパル、オートトレーディング・ルフト・ジャパンなど、レプリカメーカーはかなり多くあるみたいです。あの光岡自動車でも昔作ってました。その中でもダントツで造りの良いインターメカニカ製の356A CONVERTIBLE Dが欲しかったのですが、当時は身の回りの車に詳しい人に聞いても、たまに雑誌に載る356やレプリカの特集を見ても、どこで購入できるのかをなかなか知ることができませんでした。(最近はそういった情報を教えてくれる親切なホームページがあり、うらやましい限りです)
さて、群馬県伊勢崎近くに356レプリカを広く扱っている「CAR HOUSE」さんという空冷VWショップを知り、3番目位に造りが良いと言われるこの車を購入しました。ちなみに2番目は、アルマゾルという金沢の「ブロードビーンズ」製のものですが、現在は生産終了しています。
私は初めて出会ったアパル356を、長い間それがポルシェのレプリカだとは知らずにそのスタイルに惹かれていました。また、私は特にポルシェ・ブランドに対する強いあこがれを持っている訳ではなく、356A以外のタイプについてはそれ程良く知りません。ですから後にそれがレプリカだと知っても、本物に対する強いこだわりの気持ちが生まれなかったのかもしれません。今でも本物の356B,CとレプリカのAのどれかを選べと言われたら、私は迷わずレプリカを選びたい程Aタイプの356のスタイルを気に入ってます。(A,B,Cタイプの区別等は、参考書コーナーの「WORLD CAR GUIDE 1 PORSCHE」等を参考にしてください)
※注記2:
私の感想としては、いくら年代物でガタガタでも、やはり本物のボディの方が、安いレプリカよりも作りがしっかりしている感じです。そういった意味では、本物はイイなと思ってしまいます。
ただ、本物のあまりの故障の多さに嫌気がさした日本人オーナーの働きかけが、インターメカニカ製レプリカ誕生のきっかけになったというウワサもあります。
乗って楽しむという意味では、ポルシェのリアサスペンションを移植したインターメカニカや、一部の車両で等速ジョイントを採用したアルマゾルは、走りが良いみたいです。
また、インターメカニカは、その出来映えや品質、オプション類(A/Tもあります)の充実度合いからレプリカの中でも別格とされています。(値段も新車で600万と、かなり程度の良いクーペの本物並ですが...)
更新:2006.11. 4
1934年に「ドイツの国民の車の製造に関する」構想としてタイプ60(VWビートル)を描いたフェルディナント・ポルシェ博士(1875〜1951)が、1948年にこの車体の一部分を基にポルシェの名を持った最初のスポーツカーを造りました。この車の設計番号がタイプ356とされました。本来レーシングカーとして考案されたものではなかったのに、インスブルグのコースで初勝利を得るなど、そのポテンシャルの高さは驚くに値する程であったそうです。
アルミボディの356が1951年に初出場したルマンでクラス優勝と、それ以降の輝かしい成果で、ポルシェ=高性能スポーツカーメーカーとなっていった様です。
1963年にフランクフルト国際自動車見本市で、皆さんが良く知っている後続の911型が紹介されるまで、60,000台を越える356型が製造されました。
(ポルシェ広報部発行の資料より)
更新:2006.11. 4
初めての外車、初めての古い設計の車とのおつきあいになるので、排気量は1600ccのまま、ニューエンジンを載せました。ブラジル製のエンジンということで、日本に到着してからわざわざエンジンを下ろし、ボルト類を増し締めしてくれました。
雨の多い日本で普段の足としても使える様に、グラスファイバー製のハードトップ仕様も考えましたが、この車は雨の日は乗ってはイケない、普段の足としては使わない、「ただオープンにして不便なドライブを楽しむだけ」と割り切ってソフトトップ(幌)を選びました。材質はビニールと高級に見えるキャンバス地の2種類があり、後者を選びました。色は内装に合わせてタン色にしたかったのですが、汚れが目立ってみっともないらしく黒をすすめられました。ボディ色は、標準色の赤がオレンジ色に見えたので、アウディレッドのオーダーメードしました。内装カーペットのタン色の選択は、排ガス等の汚れでススけてしまった現在を事を考えると黒が良かったなと、ちょっと後悔です。
フロント・サスペンションは、キングピン式だと直進走行中であっても頻繁に修正舵が必要で運転に気を使うらしく、その改善のためにボールジョイントを採用した1967年以降のシャシーを探してもらいました。VWのアルミ・ホイルも使える様に4締式(ホイルの取付ボルトが4本式)にしましたが、逆に5締式のホイル・キャップの方がカッコいいから失敗でした。
以前乗っていたフロント・ドラムブレーキの車は、調整不足による片利きで危険な目に遭ったこともあり、フロントだけはディスクブレーキに変更しました。
VintageSpeedsterの場合この年式辺りから、ヒートエクスチェンジャー(排気管の熱で空気を暖める機構)からの暖房が、足もとから出る様になりました。暖房のON-OFFは上記年式のシャシーから回すバルブ式ではなくレバー式になりました。私は暑いのが極端に苦手なのでクーラーを付けましたが、この車を楽しむには冷房よりも強力な暖房がカギをにぎっている様です。室内の開口部を覆うフルトノカバーは、真ん中で分割して運転席だけ開けられるので、多少寒さをしのげます。手作りのボディと取付金具の寸法が合うよう同時に注文しました。
356のクラッシカルな雰囲気をかもし出すためにフロント・リヤバンパーの「オーバーライダース」を取り付けましたが、排気管の関係でリヤバンパー側は本物と形状が異なる物が付いています。VintageSpeedsterのこの年式にはフロント・ターンランプにBタイプ(牙の様に突き出ている)の本物が用いられていましたが、最近の年式はAタイプ以前の突き出ていないタイプが採用されています。テールランプは古いカレラ風のbeehiveを選択する方もおられますが(ナンバープレート灯の位置も変わります)、当時の私には知識もなく、一般的なteadrop形状からの変更要望は出しませんでした。
以上で、車両本体価格265万円にその他もろもろの全てを含め、合計322万円でした。(平成7年12月時点)
たくさんのお客様のご訪問、ありがとうございます。
ここのホームページが「Porsche Fan 2002.vol.11」(えい出版)という本に紹介されました。
30000人突破
2005年12月17日
20000人突破
2004年 4月27日
10000人突破
2002年12月16日
5000人突破
2002年 2月13日
1000人突破
2001年 3月 9日
新規作成:1999. 5.23