01
少し戸惑いがちに息を吐きながら、少女はそっと、両手でスカートをたくし上げた。
さびた鉄骨の隙間から滴り落ちてくる雨のしずくは、地面なのか床なのか、土なのか埃なのか、薄汚れたそれの上で鈍く弾け、音もなく消える。
しずくが描いた小さな軌跡の先には、赤いランドセルが横たわっていた。帰るのが遅くなったらお兄ちゃんたちが心配するかな、と心では思ったが、少女は下校途中にひとりの青年に呼び止められ、そして今、促されるままにスカートをめくっている。
住宅街の西の端にたたずむ閉鎖された工場は、弱く、だが確実に街を灰色に沈める雨に包まれ、かすかな雨音とそれすら体の一部であるかのような静けさの中にあった。天井近くのくすんだ窓から入り込んでくる光は脆く、工場の隅々までその手は届かない。薄暗さはただ、静かな雰囲気を更に煽るだけだった。
鉄条網でかたく囲われてはいるものの、昼間は子供たちの遊び場、夜はたまり場になるその場所も、雨の日の夕刻には束の間の安らぎを手に入れられるのか、人の影さえもまるで無かった。中に入ってはいけない、と学校から言われている古びた工場跡地――男の子たちが忍び込んでいるのは知っていたが、少女自身ここに入るのは初めてだった。言いつけを破っている、それはとてもいけない事に感じながらも、胸は少し躍った。
「これくらいで、いいですか?」
少女は、腹までスカートをたくし上げ、手を止めた。
目の前にひざまずいた青年に下着をさらすよりも、先刻のキスの感触がまだ口に残っているように思えて、少女は淡い恥ずかしさに捕らわれる。
ハッピーエンドの象徴。
キスより先を少女はまだよく知らない。その先が描かれたお話も漫画も、少女は読んだことが無かったし、持っている友達もいなかった。知識としてあるのは、友達から伝え聞くたわいもない話と、小学生向けの雑誌で目にした性についての記事くらいだった。
「もう少し……恋人になるための事をしようか」
「キスだけではダメなのですか?」
「ダメじゃないけど、もう少し君に触りたいな」
そうやって、言われるままに少女はスカートをめくった。
無防備になった太ももに冷たい空気が触れ、少女はわずかに腕の皮膚を泡立たせた。
「そうだね、少しそのままでいて」
青年の薄茶色の髪と、その下にある端整で優しそうな顔を見下ろしながら、どこかの国の王子さまみたいだ、と少女はぼんやりと思う。いつも兄たちで目にする同じ制服を着てはいるものの、声や動きは彼等よりずっと柔らかく洗練されていて、接しているだけでほんのりと頬が熱くなるのを少女は覚えた。何よりとてもいい匂いがする。反して首からさげたペンダントの先には銀の髑髏が輝き、両目のくぼみが黒く不気味に落ちていた。
突然に、青年の指先が少女の下腹部に触れる。伸びてきた腕には太いアナログの時計がはめられていた。青年の指先にへその下を撫でられると、少女はくすぐったさに声をあげたくなった。
「くすぐったい?」
「はい……」
見上げる青年の優しげな笑顔に、少女はスカートをきつく握りしめ、頬を赤らめる。にわかに胸が高鳴った。不思議なくらいドキドキするので、少女は自分でもわけが分からなくなった。
ふたたび青年は下腹部をそっと撫でると、少女の股の間へと指をすべらせる。下着ごしに感じる青年の指の感触に、少女は小さく眉をひそめ、戸惑った。ひどく変な感じがするのだ。今まで体験した事のないおかしな感じがする。少し怖いような、くすぐったいだけのような、おしっこがしたくなるような。
股の間で青年の指先が儚く動くたびに、その感覚は腹の奥からわき出して、少女は軽く唇を噛み、静かに我慢するしか出来なかった。
「……知ってる? 女の人はここで男を受け入れるんだ。気持ちなんてどこにあっても、ちゃんと受け入れられるように出来てる」
「少し……知ってます」
キスのその先、子供が生まれること、一番好きな人とすること、多分裸で。それだけの知識でも恥ずかしい部分を触られているという淡い認識は少女にもあった。だが認識はあるものの、くすぐったいような指の刺激に、少女はどうしたらいいのかまるで分からない。息もうまく出来ないので、口を噤むしかなかった。頬は熱を帯びるばかりで、心臓は高鳴るばかりだった。
「受け入れられるように出来ていても、心が伴わなければ、虚しいだけなのに……ね?」
静けさにすら消え入りそうなつぶやきが少女の耳に触れた直後、青年の指先がそっと少女から離れる。そして顔を上げて、薄く笑った青年の悲しそうな瞳に、少女はたくし上げたままのスカートを強く握りしめた。そんな顔しないで欲しいのに、と小さく思った。
「いつかもっと大きく……そうだな、高校生くらいになったら、本当に恋人になってくれると嬉しいな。それまで待っているから」
「ずっと……ですか?」
「ずっとです」
もう一度、青年の指が少女の下腹部に触れる。そしてへその下を撫でるように小さく動いた指先と体温を、少女は心地よく思った。誰かに、それはきっと物語に出てくる王子さまのような人に触られるのは気持ちいい、と少女は漠然と思った。
「本当に?」
「本当です、やく……」
恐らくそれは、ほんの一瞬の出来事だったのだ、と少女は後になって思う。静けさの中に突如、ドロと染み込んできた低く鈍い音と共に、青年は笑みを浮かべたまま、ゆっくりと崩れていった。雨のしずくのように小さく、けれども妙にあたたかなものが少女の左の頬に触れる。少女はスカートから手を放し、前のめりに倒れ込んでくる青年から咄嗟に避けると、指先で頬を拭った。