2.1 <食>の文法
<食>(料理)は、記号論と相性が良いらしく、記号論の教科書で良く取り上げられます。五明紀春は栄養学の専門家ですが、記号論(ソシュールの記号学)を用いて、<食>に埋め込まれている文法を発掘しようとしました。五明紀春『<食>の記号学』は、雑誌『言語』(大修館書店)への連載をまとめたものであり、栄養学の門外漢にも分かるように書かれています。その中から、二つのトピックスを紹介したいと思います。(このページでは、著者の敬称は略します)
(1)食べ物の言語モデル
言葉には、2重分節という性質があります。これは、表2.1に例を示してありますが、文は単語に分割され、単語は文字に分割されます。この分割することを、言語学や記号論では分節と称します。(2重分節は話し言葉や日本語でも成立しますが、説明を容易にするため、表4.1では簡単な英文を用いました。)
意味は分節が進むにつれ希薄になり、文字では意味が消えます。この意味のない文字へ分節されることが非常に重要なことです。これにより、意味のない文字を自由に組合わせて、意味のある単語を作ることができ、また単語をある規則(文法)で結合することにより、文つまり意味を自由に創造することができます。これにより、今までにない表現や意味を生み出すことができます。もし、最小単位が単語でありそれがものごとと1対1に対応しているとすれば、新しい単語や文を作る創造性が著しく制限されると思います。
五明紀春『<食>の記号学』では、単語に調理素材(食品)つまりスーパーなどで売られている食品を対応させてみます。すると、文字にはその原料である食品素材、例えば畑で採れる野菜など、を対応させることができます。調理素材を加工しまたそれをレシピまた経験に従って煮る、焼くなどすることにより調理品(料理)ができます。
言語学では、ある目的にそって文を複合したものをテクスト(例えば、小説)といいますが、調理品を組合わせた献立はテクストに対応させることができます。
この議論には、いろいろ意見があろうかとおもいますが、<食>(料理)に、言語モデルを素直に適用できることは、<食>が、記号として分析できる証にもなるのではないでしょうか。
| 言 葉 | <食> | |
|---|---|---|
| 文(特定の意味) | He put the suitcase on the ground | 調理品(料理) |
| 単語(一般的な意味) | he,put,the,‥‥ | 調理素材(食品) |
| 文字(意味なし) | h,e,p,u,t‥‥ | 食品素材(原料) |
(2)<食>という記号の様相
以下は、『<食>の記号学』からの引用です。
記号論には、提示された記号表現から本来の意味とは別の意味を想起させる共示義という概念があります。コピー食品も、図2.2に示すように、共示義によって成立しています。このためには、見た目をかぎりなく本物に似せる必要があるのです。
このような共示がどうして可能になるのでしょう。我々の意識の中で、真の食物の記号表現と記号内容の結びつきが強いためと思います。つまり、視覚映像と味が強く関係付けられているため、コピー食品を見て、食べた時、その形と味から元の食品がすぐに想起されるのではないでしょうか。<食>という記号は、表現と内容の結びつきの強さを表す様相が極めて高いと言えます。
TVの旅行番組、グルメ番組(和食、中華料理、洋食の紹介)では、この<食>の様相の高さを利用します。そのような番組では、いかに良い素材を使っているか、いかにその調理方法を工夫しているか(時間、調味料)を説明し、完成した美味しそうな調理や献立を画面で紹介します。とどめは、それを試食した芸能人による「これは旨い」という太鼓判です。それを見ている我々は、味は当然、実感できませんが、食べたいという気分になります。これは、使われている素材(そのものではないが、それに近いものかもしれませんが)を食べた経験があり、その味覚・食感が自分の身体に染み付いているからです。このようにして、TVから発信される視覚・聴覚記号が、実際に味わうことができないの料理の味覚を共示させることなります。
2.2 <食>の記号化を進めた西洋美術
ちょっとユニークな美術の解説書に宮下規久朗『食べる西洋美術史−「最後の晩餐」から読む−』があります。食事や食物の絵は、主に西洋美術に見られ、日本や中国にはほとんどないそうです。ヨーロッパでは、キリスト教の教義を広めるために美術特に絵が利用され、その中で食物は象徴記号として用いられました。
ここでは、『食べる西洋美術史』から、<食>がどのように記号になっていったのか示すトピックスを(本当に)簡単に紹介してみたいと思います。
(1)パンはキリストの肉体、ぶどう酒は血
食事の絵でもっとも有名なものは、いうまでもなくレオナルド・ダ・ビンチの『最後の晩餐』です。これは、1495年から97年にかけてミラノのサンタ・マリア・デレ・グラティエ聖堂の壁面に描いたもので、皆さんも写真等で一度は見たことがあると思います。
これは、キリストが捕縛される前日、エレサレムで12人の弟子と食事をし、ふいに「はっきり言っておくが、あなたがたのうちの1人が私を裏切ろうとしている」と発言し、これを聞いた使徒たちが驚き、慌てる様子を捉えたものです。
ここで話題にしたいのは、キリストの左手の先にあるパンと右手の先にあるグラスに入ったワインです。以下は『食べる西洋美術史』からの引用です。
(2)みんなの楽しみ、中世のお祭り
黒澤明監督の『七人の侍』は、農民が白いご飯を腹一杯食べさせるという条件で、七人の侍(浪人)を雇い、野武士の襲撃から村を守るという物語です。それからも16世紀の戦国時代の一般の人の通常の食事は質素なものだったんだろうなと想像されます。一方、決戦前夜には、酒やいろいろな食べ物が出てきて、士気を高めるというシーンもあります。
ヨーロッパでも、16、、17世紀の中世には、食料はいつも不足してようです。『食べる西洋美術史』に、次のような文章があります。
ピーター・ブリューゲルの『農民の婚宴』は私の好きな絵ですが、上の文章を読むと、見方が少し変わってきます。
(3)絵画の可能性を広げた近世の静物画
19世紀になると、食料が安定的に供給されるようになり、人々は飢饉の恐れから解放されていきます。それとともに、絵画も宗教性や社会階層的な生活観から解放され、食材や花をモチーフにした静物画は造形美を追求するものになります。空腹を充たすまたその食感を楽しむという食材が持つ本来の意味から、ドンドン離れていきます。
以下は、『食べる西洋美術史』からの引用です。
2.3 どこまで進む<食>の記号化
(1)差異によって決まる<食>の価値
記号論では、記号の価値(意味)は絶対的なものでなく、相対的なもので他の記号との差異によって決まると主張します。
<食>(料理)の差異化が、いろいろな方向から進んでいます。その一つが、権威による格付けであり、その代表的なものがミシュランガイドです。グルメにとってのバイブルとなっています。2007年には『ミシュランガイド東京日本語版2008』が発行されました。格付けの「三ツ星」は8店でした。ミシュランガイドが発行されたのは、欧米以外では、日本が初めてであり、日本の<食>のマーケットが如何に大きいかが分かります。このガイドブックの売れ行きも好調で、発売日から4日間で初版12万部がほぼ完売しました。
差異化を進めるもう一つの力は、2.1に書いたマスメディア特にTVです。毎日のように、各地への紀行番組や洋食・和食・中華料理店への訪問番組があります。それらの番組では例外なく、タレントがいかに料理が美味しいか説明し、食べる映像が流されます。近くにそのお店があり、価格もリーズナブルであれば、行ってみようかなという気持ちになります。
<食>関連のメーカも、差異化に必死です。例えば、缶ビールや缶コーヒーでは、最近のメタボリック症候群の防止という社会の文脈に沿って、低カロリー、低糖分の新製品がどんどん、発売されています。
最初の二つの例は、いずれも<食>そのものでなく、情報つまり記号です。また、最後の例は、カロリーの表示によって差異化を図っています。現代は、記号によって、<食>の差異化がどんどん進められていく時代と言えます。
(2)<食>の記号化が進む理由は?
時折、話題になり、一向に解決策が示されない問題の一つに農業に従事する人の割合は年々減り続け、2005年で総就業者の5.5%です。
この2つの数字は、我々がどんどん食材を作る現場から遠ざかりつつあり、食材に対する実感が希薄になっていることを示しています。<食>に対する実感が薄れるにつれ、情報つまり記号に頼るようになるという構造が、垣間見えてきます。