コミュニケーションの伝達モデル
        (The Transmission Model of Communication)

        Daniel Chandler(ウエールズ大)
        (田沼正也訳)

        • はじめに
        • コミュニケーションの分析における問題のレベル
        • シャノンとウィーバーモデルの利点
        • コミュニケーションの伝達モデルの弱点
        • メタファー(隠喩)
        • 線状性
        • 内容と意味
        • 器具主義
        • 関係と目的
        • 文脈
        • 時間
        • 媒体
        • 結論
        • 参考文献


        はじめに

        著者は、コミュニケーションの伝達モデルの標準的モデルとして、シャノンとウィーバーのあの良く知られたコミュケーションモデル(1949)の概要とその難点しまえしたいと思います:それはコミュニケーションを‘情報を伝達する’過程に還元するモデルです。その根底にあるコミュニケーションを伝達に例えるメタファー(metaphor)は日常的な‘常識’の 基礎となっていますが、多くの点で誤った方向へ導くものであり、批判を受けています。
        (訳者注:metphorには隠喩という言葉があてられますが、多くの場合、メタファーという語が使われています。それに倣って、不本意ですがメタファーという用語を使います)

        シャノンとウィーバーのモデルは、フィスク(Fisk)が言っているように、‘コミュニケーション研究の主な種が育っていった広く受け入れられているものである’ (Fiske 1982: 6)。クラウド・シャノンとウォーレン・ウイーバーは社会研究家でなく、アメリカ合衆国のベル研究所の工学者であった。彼らの目標は、電話線とラジオ波の効率の最大化を確立するものであった。彼らは、コミュニケーションの数学理論を発展させるのに助けとなるコミュケーションモデルを開発した。シャノンとウィーバーの業績は、いろいろなコミュニケーション経路の容量‘ビット/秒’を最適化する問題を扱うために有効であることは証明されている。それは、コンピュータ科学の発展に寄与した。それは、言語の冗長性に関する非常に有益な研究に結び付いていった。そして、‘情報’を‘計測可能’にし、‘情報理論’の数学的研究を誕生させることになる。しかし、この方向は、このテクストの関心事ではない。問題は、シャノンとウイーバーのモデルは、純粋な技術的なものを超えて、人間のコミュニケーションにも適用できると主張する解説者が何人かいることである。

        シャノンとウィーバーの本来のモデルは、5つの要素で構成されていました:

        1. 情報発信者(information source):メッセージを生成する。
        2. 送信器(transmitter):メッセージを信号にエンコードする。
        3. チャネル(channel):, 信号が伝達路に乗せられる。
        4. 受信器(receiver):信号をデコードし,メッセージを再構成する。
        5. 情報受信者(destination):メッセージが到達する。

        6番目の要素のノイズ(noise )は機能障害を起こす要因です:それは、送信された信号と受信された信号の間に差異をもたらすことになる、メッセージ伝達経路上の(電話や電波の‘空電妨害’(static)のような)障害です。

        電話では、チャネルは電話線、信号は電流、送信器と受信器は受話器です。ノイズは、電話線からの騒音(crackling)です。会話の場合、私の口が送信器、音波が信号、あなたの耳が受話器になります。ノイズには、私が話している時に経験するあなたの気をそらすようなものも含まれます。

        シャノンとウィーバーのモデルでは、話し手と聴き手は、送信者と受信者というより、厳密には信号の源泉(source)と送り先(destination)ですが、そのモデルの議論ではそれらは情報発信者と受信者というように擬人化されてしまいます。私の批判的コメントは、シャノンとウイーバーのモデル自体よりも、それがもたらす一般的な伝達モデルについて言及します。、そこではコミュニケーションは受け手(Receiver)にメッセージを渡す送り手(Sender)がいて成立します。私が普通、伝達モデルを議論するときは、それに関与する人として、送り手と受け手に言及します。

        シャノンとウイーバーのモデルは、コミュニケーションへの‘情報的’接近の最もよく知られた例です。まじめな研究者はそれを受け入れませんが、それはこれまでに開発された最も影響力のあるコミュニケーションモデルであり、コミュニケーションが何かと理解する常識を反映しています(誤解を招くかもしれませんが)。このモデルの、ラズウエル(Lasswell)のことば版は、行動主義的接近と密接に連携して、人間のコミュニケーションの一連の研究に反映されました:誰が、誰にどのチャンネルで言い、どんな影響を及ぼしたか?('Who says what in which channel to whom with what effect ?)'。


        コミュニケーション分析における問題のレベル

        シャノンとウイーバーはコミュニケーションの問題の3つのレベルを論じました:

        • A 技術的問題:メッセージは、どの程度、正確に伝達できるか?
        • B 意味的問題:意味はどの程度、正確に‘言い表せるか’(conveyed)?
        • C 効率性(effectiveness)の問題:受取られた意味はどの程度、効果的に行動に影響するか?

        シャノンとウイーバーはどうも単純に、Aの問題を解決することが他のレベルの問題の改善に結び付くと思っていたようです。

        ‘ノイズ’という概念は、メッセージが‘ゆがむ’ということに対する検討を可能にするもですが、これは、理解という中心的かつ合目的な過程よりも送り手の意志に反するありがちな‘妨害’(interference)ということに着目し、論点の枠組みを構成していることになります。この概念は、正確さと効率性へのシャノンとウイーバーの関心を反映しています。


        シャノンとウイーバーのモデルの利点

        特定のモデルは、ある目的のためには有用であるが、目的が変わるあまり役に立ちません。媒体過程(process of mediation)のように、 モデルはある特徴を際立たせ、他の特徴を目立たなくします。シャノンとウイ^バーのモデルは、次のような強みをもっています。

        • 簡潔さ(simplicity)、
        • 汎用性(generality)、そして
        • 定量化(quantifiability)。

        そのような長所は、いくつかの学術分野にとって非常に魅力的でありました。また、それは人間のコミュニケーションや‘情報理論’へ大きな関心を向けさせ、理論の開発や研究へと導くことになりました。


        コミュニケーションの伝達モデルの弱点

        伝達モデルは単に、荒っぽくまた過剰に単純化されているだけでなく、人間のコミュニケーションの本質を危険なほど誤解させかねないものです。これはコミュニケーションがなんであるかいう‘常識的な’理解の根底にあるがゆえに、とくに重要です。そのような使い方は、多くの日常的な目的には適しているが、メディアやコミュニケーションの研究という文脈では、その概念は批判的に、新たな枠組みを構築すべきです。


        メタファー

        高度に機械的なシャノンとウイーバーのコミュニケーションモデルは、輸送(transport)のメタファーに基づいていると思われます。ジェームズ・ケアリー(James Carey (1989: 15))は次のように記しています。19世紀には、情報の移動は基本的には、物資や人の移動と同じと見なされ、両方とも‘コミュニケーション’と記述されていた。ケアリーは、‘人類の最も古い夢の一つから派生してきたのがコミュニケーションと視点である:それは、彼らが空間を旅行するようにメッセージの速度を増すことであった’(ibid.)。書いたものは、いつも読み手のところまで運ばれなければならないので、書いたものによるコミュニケーションでは手紙や本や新聞の輸送は、書き手から読み手へ意味の輸送という考えを支えることになる。‘電信は、書き手から読み手へ渡されるものが同一であることを終わりにしたが、メタファーは壊れなかった’(ibid.)。

        私は輸送という見方をもっと広げて、モデルは基本的に郵便のメタファーを採用していると見ます。 それはあたかも、コミュニケーションは送り手が受け手に情報の包みを送るように受け取られますが、私はコミュニケーションは情報よりも意味の受け渡しだということを主張したいと思います。コミュニケーションを郵便に例えるメタファーのちとぎょっとさせる帰結は、学校で‘カリキュラムを配布すること’に言及していくことです。 そこでは、先生は郵便配達人として扱われます。しかし、伝達モデルの影響は、我々の日常の会話の中で広くいきわたっており、‘意味を伝える’(conveying meaning) 、‘人に考えを理解してもらう’(etting the idea across)、‘情報を伝える’(transferring information)等々があります。我々は、そのような伝達のメタファーの手中に落ちないように用心しなければなりません。

        ミシェル・レディ(Michael Reddy (1979))は、英語では打ち解けた動作を記述するのに導管のメタファー(conduit metaphor)を経験的に利用すると言っています。このメタファーでは、‘話しては、考え(もの)をことば(容器)につめ、(導管の中を)聞き手に送る。聞き手は、考え/ものをことば/容器から取り出す’(Lakoff & Johnson 1980: 10)。メタファーに含まれている仮定は、次のようなものです:

        • 導管のような言語機能、それは考えを一人の人から他の人に、そっくりそのまま伝達します;
        • 書き物や話しでは、人々は考えは感じたことをことばに詰め込みます;
        • ことばは、考えや感じたことを搭載し、他の人に運ぶことにより、伝達を実現します;
        • 聞くときや読むとき、人々はことばから、考えや感じたことを引き出します。(Reddy 1979: 290)
        •    

        レディ(Reddy)が言っているように、もし言語に対するこの視点が堅固なものなら、学習(learning)は努力も要らないし、正確なものになるでしょう。言語に対するこの視点の問題点は、学習は受け身なものであり、学ぶ人は単に情報を‘取り入れる’と見ている点です(Bowers 1988: 42)。私は、言語、本やどの媒体にもそれ自体(per se)には情報はないと思っています。もし言語や本が何かを‘含んでいる’としたら、それは情報でなく、ただことばです。情報や意味は、聞いたことや見たことを積極的に分かろうとする聞き手、読者、聞き手の生じるものです。 意味は‘引き出される’のではなく、構築されるものです。

        個人的なコミュニケーションというよりマス・コミュニケーションの関連では、伝達モデルに関連するキーメタファーは、皮下注射や弾丸のメタファーです。しかし、マス・コミュニケーションという文脈では、そのようなメタファーは大体、この分野の研究者の批判のターゲットとして使われているだけです。


        線状性(Linearity)

        伝達モデルは、‘送り手’と‘受け手’の役割を固定し、分離する。しかし、二人の間のコミュニケーションでは、‘送ること’と‘受けること’が同時に生じます。シャノンとウイーバーのモデルでは、発信源はメッセージの意味を決める自発的な意思決定者(decision-maker)とみなされます;一方受信源は、受動的な標的(target)です。

        それは線状的、一方向的モデルであり、‘受け手’に第2の役割を付与します。それは、情報を吸収するというものです。しかし、コミュニケーションは一方通行の道路ではない。ラジオを聴いているとき、本を読んでいる時、TVを見ている時でさえ、普通思っているよりはずっと、活動的に理解している。

        原モデルにはT、フィードバック(受け手からの反応)は考慮されていなかった。フィードバックにより話し手は、聞き手が聞きたいと思っていることや反応に応じて、話していることを調整できる。


        内容と意味

        このモデルでは、内容(content)という本質でさえ、無関係のように見えますが、主題や関係者のそれについての感じ方は、共有できるとしています。内容を問題にしたとしても(典型的な例が‘そのメッセージ’です)、伝達モデルでは内容と意味が等価になります。一方、‘込められた意味’と受け手に生じた意味の、程度の差はありますが、開きが出てきます。

        エリク・メウウィッセン(Erik Meeuwissen) (e-mail 26/2/98)、シャノン自身は、彼の理論が意味を扱っていないという事実を知っていました。エリクは、これを裏付けるシャノンとウイーバーからの引用を教えてくれました;

          コミュニケーションの基本的な課題は、他の地点で選ばれたメッセージを、ある点で正確にまたは近似的に再生産することである。しばしば、メッセージは意味を持っている;つまり、メッセージは物理的また概念的実体を指したりまたあるシステムによって、関連付けられたりする。コミュニケーションの意味的観点は工学的課題と無関係である(Shannon 1948)。

          この理論では、情報(information)という単語は、通常の用法と混同させてはならないという特別な感覚で使用される。事実、重要な意味をもつメッセージもまったくナンセンスなメッセージも、現在の視点からは、情報に関してはまったく等価である。シャノンが‘コミュニケーションの意味的観点は工学的視点とは関係しない’という時、彼が意味するのは疑いもなくこういうことである。(Weaver 1949)

        ウイーバーはまたこうも言っています。理論は

          ‥‥それが意味の真の理論につながるという空気を、鋭く取り除いた。工学的なコミュニケーション理論は貴方の電報を受け取る的確で慎重な少女のようなものである。彼女は、それが悲しいしらせか、嬉しいしらせか、当惑させるしらせなどの意味には注意を払わない。しかし、彼女の机に来たものはなんでも処理できるように、身構えている (Weaver 1949)。

        しかしここでの重要な点は、意味の作成(meaning-making)が伝達モデルの中心ではないということです。そこでは、意味は‘メッセージ’の理解の中にあるというより、メッセージの中に含まれていると広く仮定されています。しかしどのメッセージにも、固定された唯一の意味はありません。我々は交流の場に、さまざまな期待や理解を持ち込みます。送り手が送ったメッセージを、受け手が正確に見たり、聞いたりしたとしても、受け手がつくった意味は送り手の意図とまったく異なるかもしれません。同一の‘メッセージ’は複数の意味を表すかもしれません。‘メッセージ’という言葉は、郵便のメタファー全体の小宇宙の一種であり、そのラベルを使うのはなんとなく釈然としません。

        伝達モデルは、メッセージの解読をその作成の鏡像として扱います。そこには、対象に対する受け手の理解の枠組みの入る余地はありません。メッセージがある形式で記録された場合、‘送り手’は‘受け手’が誰かということにはあまり注意を払わないものです(もちろん、マスコミが関係する場合、その傾向は顕著である)。受け手は単純に受け取るわけでなく、メッセージをを無視したり、それに反対したりします。ある特定の政治プログラムが我々のためになると示唆するメッセージを必ずしも受け入れる必要はありません。


        器具主義(Instrumentalism)

        伝達モデルは、コミュニケーションを予め決まった目的に対する手段だと見なす器具的(instrumental)モデルです。多分これが、ある人々がコミュニケーションを経験する流儀でしょう。しかし、全てのコミュニケーションが必ずしも意図的に行われるわけではありません:人々は、ボディ・ランゲッジなどにより、無意識にその態度を示します。そして、経験したことがない人はなにを馬鹿なと思うかもしれませんが、何かを書いている時、書き終わったあと、なにを言いたかったのか気が付くことがあります。

        このモデルは、伝達者が受け手をあやつる能力を増す方向に適応させられているとう批判もあります。ケリー(Carey)は次のように言っています。‘コミュニケーションに関するこの考えの中心は、離れた人を統制するため、向こうにに信号やメッセージを伝達することである’(Carey 1989: 15)。

        器具的枠組みでは、コミュニケーションの過程は、その参加者にとって‘透明’であるように企図されています(送り手の交信の目的を外すものはないと企図されています)。そのような概念は、科学の比喩(レトリック)にとって必須のものであり、そこが芸術のそれと異質です。‘完全に透明な’コミュニケーションなど不可能です。


        文脈

        伝達モデルでは、文脈(context)の重要性については、なにも触れられていません:状況による、社会的、制度的(institutional)、政治的、文化的、歴史的。意味はそのような文脈から独立していることはありえません。記録されたテクスト(個人間のコミュニケーションに関連した手紙、マスコミと関連して新聞、映画、ラジオやテレビ・プログラムなど)は、テクストを文脈から分離しますが、これは意味が‘文脈自由’であると言っているのではありません。 意味は、テクストが‘生成’されたときや‘受領’された時の文脈で文脈で全面的に‘決定される’わけではないというのも真実ですが(テクストは制作者や解釈者が選んだテクストの意味を単純に意味するわけではない)、それでも意味は‘書く’とき、‘読む’ときの特定の文脈により、時間的、空間的に劇的に歪めらます。‘同じ’テクストでも文脈が異なれば、まったく違って理解されます。

        社会的文脈は、適切な形式、スタイルと内容として受け取られるものに決定的影響を及ぼします。状況の(situational)の文脈に関しては、送り手が車をけんか腰で運転する独断的なタクシー運転手と、受け手が主な関心が目的地に無事に到着することにあるバックシートの乗客とでは、文脈が大きく違ってくる(訳者より:リュック・ベイソン監督の映画「TAXI]を思い出してください)。


        関係と目的

        伝達モデルでは、参加者は孤立した個人と見なされます。現在のコミュニケーション研究者は、コミュニケーションを吸収された社会と見なします。我々は全て社会的生き物であり、交流する動作は個人の思想や感覚を純粋に表しているとは言うことはできません。そのような思想や感覚は、社会的−文化的にパターン化されています。我々が、‘我々の’言語と呼ぶものでさえ、自分のものではありません:我々はそこに生まれます;規則を変えることはできません。言葉は、我々が選ぶことができない共示義をもちます。創造的な個性が強調されること自体が、西欧では‘現代’に歴史的起源をもつ文化的に形成された神話にすぎません。

        コミュニケーションモデルは、人間のコミュニケーションをメッセージの伝達に還元しますが、言語学者が我々に教えてくれるように、コミュニケーションにはこれ以上のことが含まれています。例えば、彼らは社交的なコミュニケーションを挙げますが、それは関係をたもつ一つの方法です。英国では、天気のことを話しているとき、それは‘情報を伝える’よりも社交的なコミュニケーションにずっと比重がかかっています(訳者:日本でもまったく同じです)。

        伝達モデルには、複数の異なる目的が入る余地はありません。サッカーの試合の同じテレビ画面でも、応援しているチームが違えば、意味がまったく違ってきます。

        シャノンとウィーバーのようなモデルには、コミュケーションしている人々の間の関係(例えば、権力の違い)を入れる余地はありません。我々は、コミュニケーションの中での役割のよって、言われていることの枠組みを作ります。この授業をどう思うかねと学部の講師から聞かれた時と、あとで友達から同じことを聞かれた時では、答えは少し違ったものになるでしょう。インタビューは、コミュニケションの状況での力が等しくないという良い例です。

        社会の中の人々は、役割や権利が同じわけではない。また、意味はすべて、同じ価値が認められているわけではありません。コミュニケーションの参加者が同じ社会的階級、同性か、広い範囲の連例のグループかまた職業かどうかによって、差異が作られていきます。医者の診療されているとき、誰の意見が優先されるのかを考えてみれば、すぐ分かります。そして、もっと広くとらえれば、誰の声が‘権威を持っているか’(carry more authority)皆知っています。また、ある状況では、‘子供は見られても、言っていることを聞いてもらえません’。コミュニケーションで主流となる方向性は、モデルには固定できず、力の状況に応じた分布と関係付けられなければなりません。


        時間

        さらに、シャノンとウィーバーのモデルには、時間とともに変わる動的なものに対する考慮の余地はありません。人々は、同じ目的を持ちまた同じ役割にとどまっているわけではありません。1対1のコミュニケーションの場合でさえ、2人の関係は移っていきます。そして、‘歴史的’観点に立てば、テクストは安定しているように見えるにもかかわらず、記録されたテクストを理解する方法は、その時代の状況に依存して変わってきます。


        媒体(Medium)

        最後に、モデルはどういう媒体を使っているかということ(the nature of the medium)に無関心です。しかし、 例えば恋人に直接話しかけるか、手紙を書くか、電話するかは、コミュニケーションに重要な意味を与えます。ある特定の目的のために、ある媒体を使うことの裏には、ひろく行き渡っている慣習があります。人々は、特定の媒体を使うことについての態度は、個人的な方針でそれぞれことなります(例えば、友達からワード・プロセッサーで打ったクリスマス・カードをもらったらどうですか!)。

        さらにそれぞれの媒体は、目的に応じた技術的特長を持っています。ある媒体はそれ自身、フィードバックを指示する傾向にあります。媒体は、メッセージの形式と内容ともにに影響を及ぼします。このため媒体は、コミュニケーションの過程で単に‘中立’でありません。


        結 論Conclusion

        要するに、伝達モデルは人間のコミュニケーションの社会科学的研究にとっては直接的な価値が少なく、通俗的な議論でまだそれが使われています。それは、コミュニケーションの常識的理解に対する意味と共に、話すこと、聞くこと、書くことや読むこと、テレビを見ることの中に含まれて意味に影響を与えています。教育の分野では、それは教えることと習うことの伝達モデルを表現しています。認識においては、それは、意味は世界の中に存在し、受動的な受け手によって解読されるのを待っているという素俗な‘実在主義者’の考えを反映しています。これら全ての文脈で、そのようなモデルは、理解という行為の創造性を過小評価しています。

        コミュニケーションの伝達モデルの代替案は、通常‘構築主義者’(構築主義:現実(reality)、つまり現実の社会現象や、社会に存在する事実や実態、意味とは、すべて人々の頭の中で(感情や意識の中で)作り上げられたものであり、それを離れては存在しないとする)として記述されています:そのような視点では意味は、単純に‘伝えられる’というより、作った人とその解釈者によって積極的に構築されるものです。しかし、シャノンやウィーバーのブロック線図のような単一かつ広く受け入れられている構築主義者の伝達モデルを見出すことはできないでしょう。これは部分的には、構成主義的視点からコミュニケーションに接近する人たちは、コミュニケーションの形式モデルを作るという考えそのものをしばしば拒否することにあると思います。そのようなモデルが提示された場合、彼らは中心となるのは意味を作るという行為であり、社会−文化的文脈が重要であることを強調するでしょう。


        参考文献(References)

        • Bowers, C. A. (1988): The Cultural Dimensions of Educational Computing: Understanding the Non-Neutrality of Technology. New York: Teachers College Press [generally very useful, though difficult, and cited here only for commentary on Michael Reddy on pages 42-4]
        • Carey, James (1989): Communication as Culture. New York: Routledge (Chapter 1, 'A Cultural Approach to Communication')
        • Ellis, Russell & Ann McClintock (1990): If You Take My Meaning: Theory into Practice in Human Communication. London: Arnold (Chapter 5, (Communication Models')
        • Fiske, John (1982): Introduction to Communication Studies. London: Routledge (Chapter 1, 'Communication Theory' is a good introduction to this topic)
        • Kress, Gunther (1988): 'Communication and Culture'. In Gunther Kress (Ed.): Communication and Culture. Kensington, NSW: New South Wales University Press
        • Lakoff, George & Mark Johnson (1980): Metaphors We Live By. Chicago: University of Chicago Press
        • McQuail, Denis & Sven Windahl (1993): Communication Models for the Study of Mass Communication. London: Longman
        • Reddy, Michael J. (1979): 'The Conduit Metaphor: A Case of Frame Conflict in our Language about Language'. In Andrew Ortony (Ed.): Metaphor and Thought. Cambridge: Cambridge University Press [for commentaries see: Bowers 1988: 38ff; Lakoff & Johnson 1980: 10-12]
        • Shannon, Claude E (1948): 'A Mathematical Theory of Communication', Part I, Bell Systems Technical Journal, 27, pp. 379-423
        • Shannon, Claude E. & Warren Weaver (1949): A Mathematical Model of Communication. Urbana, IL: University of Illinois Press
        • Smith, Frank (1983): Essays into Literacy. Portsmouth: Heinemann (Chapter 13, 'A Metaphor for Literacy - Creating Worlds or Shunting Information?')
        • Thwaites, Tony, Lloyd Davis & Warwick Mules (1994): Tools for Cultural Studies: An Introduction. South Melbourne: Macmillan (Chapter 1)
        • Weaver, Warren (1949): 'Recent Contributions to the Mathematical Theory of Communication'. In Shannon & Weaver op.cit

        See also any general reference books on communication.

        Daniel Chandler
        UWA 1994

        謝 辞

        エリク・メウウィッセン(Erik Meeuwissen)に、シャノンとウィーバーの擁護にまわってくれたこと(leaping to the defence of Shannon)に感謝します。

                  

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