朝日新聞(2007年12月7日)に次のような記事が載っていました。
9.1 コードを共有しなければコミュニケーションできない
コミュニケーションに用いられる記号としては、話し‘ことば’や書き言葉がその代表的なものですが、そのほかにもいろいろあります。そのひとつが手旗信号です。手旗信号は、一種の文字コードであり、二つの旗の組合せで、文字を表現します。計算機で用いられる文字コードと同じように、アルファベットを伝える世界共通の手旗信号と、‘あいうえお‥‥'を伝える日本独特の手旗信号があります。図9.1はアルファベットを示す信号です。
この手旗信号でコミュニケーションを行うには、発信者も受信者も二つの手旗の組合せの規則を知っている必要があります。二人の間の交信をつかさどる規則がコードです。
池上嘉彦『記号論への招待』に、図9.2のコミュニケーション・モデルが示されています。発信者は伝えたい内容をコードに従って記号化し、メッセージを作成、伝達します。メッセージの受信者は、それを自分が持っているコードを基に解読し、伝達内容を受け取ります。会話などの場合、手旗信号のように発信者と受信者のもつコードが一致しているとは限りませんが(むしろ、受信者と発信者ではその人の環境や経歴で異なることが多い)、ある程度共通部分がないと、コミュニケーションが成立しません。
エンジニアは、計算機ネットワークにおける通信規約や文字コードを思い浮かべるとコードのイメージが具体的になるのではないかと思います。ただし、記号論では我々の思考や認識、また振る舞いや社会を支配するいろいろなコードを対象としますので、必ずしも明文化されていないまたあいまいなところが多いなど戸惑うこともあると思います。しかし、システムの分析においては、要素の組合せを分析をする統語分析や要素の意味を調べる範列分析とともに、システムの挙動を支配するコードを明確にすることがキーとなります。
9.2 我々は、あらゆるところでコードの制約を受けている
(1)codeの日本語訳
コードという言葉は良く使われますが、その意味が明確に定義されているとは言えません。ドイツの言語学者ウヴェ・ぺルクゼンの提唱した、広く使われているがその意味を特定できないプラスチック・ワードの一つです。その輪郭を少しでも明確にするため、新英和大辞典(第5版、研究社)によるcodeの日本語訳を下に引用します。
これからコードは、システムに属する成員が従うべき規約と捉えておけば、そのイメージがつかめるのではないかと思います。ただ、そのコードはすべて明文化されているものではなく往々にして隠されていますので、記号論ではそれを明らかにし、記号が機能する根拠を理解しようとします。
(2)コードの例(その1):交通法規
道路を自動車やバイクで走行する場合、道路交通法により、多くの制限を受けています。交通信号や最高速度の遵守、酒気帯び運転の禁止、運転中の携帯電話の禁止等多くの規則が設けられ、歩行者や運転手の安全を守っています。もし、それらの法規や規則に違反すれば、罰則が与えられます。道路交通法は、我々が従うべき規約を明文化したものあり、コードです。
このように、我々は多くの法律によって、(意識的または無意識のうちに)その行動を規制されまた守られています。
(3)コードの例(その2):ドレスコード
海外旅行のガイドブックの中では、レストランの案内のところで、ドレスコードという言葉を見かけることがあります。ドレスコードはそのレストランでの服装の指定であり、男性ならばジャケットやネクタイなど、ある程度フォーマルのものが求められる場合があります。
このようなドレスコードは、我々の周りにも沢山あります。リクルートスーツ、結婚式や葬儀における服装を見れば、ドレスコードがあることは一目瞭然です。図9.3の神前結婚における新郎・新婦の着物姿もその一例です。ドレスコードの特徴の一つは、殆どの人がその根拠を気にしないことです。
(4)コードの例(その3):サッカー
サッカー解説者の福田正博が、あるテレビ番組で、全日本のフォワードについて、興味深いことを言っていました。
(5)コードの類型
記号の集合であるテクストから、記号の機能を方向付けるコードを見出すためには、視点が必要です。そのためには、コードを分類しておくことつまり類型化が有効です。『初心者のための記号論』で、著者のダニエル・チャンドラー(Daniel Chandler)がコードの類型を提示しています。良い見通しを与えてくれるので、引用します。
9.3 「映画の文法」はコードを理解する上で参考となる
私は映画が好きで、DVDをレンタルし良く見ています。映画は面白いだけでなく、記号論的要素(例えば2項対立(二項対立))が数多く使われており、記号論の勉強にもなります。映画を見るときにはストリーや映像が表現していること(記号内容)を考えながら見ていたのですが、映画に観ている人を引き込むためにはある種の文法つまりコードに従ってそれが制作されていると知り、映画やテレビドラマを見る目が変わりました。
映画のコードは、『初心者のための記号論』でも取り上げられています。また、『映画学入門』という映画学に関する優れたブログもあります。映画の文法(映画の言語)はそのトークンである映画を見ながら確認できますので、コードを理解する良い教材と言えます。上に挙げた2つのテクストを基に、映画の文法を簡単に整理してみます。
(1)継続的編集:ハリウッド映画の基本な考え方
映画は、1910〜1920年ごろ初期の映像化された演劇を離れ、我々が見ているような映画に変わっていきます。その中心的な役割を果たしたのが、D.W.グリフィスです。彼が確立した映画文法では、継続的編集(continuous editing)という考え方が基本となっています。
映画を見ているとき、見ている映画が優れているほど、現実を忘れ映画の世界に引き込まれ、そこに没頭し、主人公と一体となった気分を味わいます。逆に、そのような非現実の世界に没頭したいため、映画を見るといえます。継続的編集は、この「観客が映画に没頭している状態を壊さないように映画を進めていく技術」の総称です。
そのためには、観客が映画に没頭できるようにショット(一連の連続した画像)を編集するわけですが、編集していることが分かるようでは、興ざめです。継続的編集は、編集していることを隠し、ショットの流れが自然に思えるような撮影技術を使います。これを見えない編集(invisible editing)と言います。
(2)180°規則
継続的編集を実現するための文法の一つが、180°規則(180°rule)です。これは、図9.5に示すような規則です。主人公のバイクは右から左に走っています。この場合、カメラはバイクの左側にあります。180°規則は、一度、この方向から撮影を始めたら、カメラはバイクの左側になければならないというものです。図にありますように、バイクの右側から撮影すると、スクリーンに映したバイクの移動方向は逆の左から右になり、映画を見ている人に違和感を与えることになります。これでは、映画に没頭している状態が破られることになり、継続編集が守られません。
(3)アイライン・マッチ
図9.6のように、スクリーン上にある人物が現れ、次のカットで屋敷が映されたとします。すると、見ている人は、その人物はその屋敷を見ていると思います。これは、連続した二つの映像を結びつけられずにはいられないという我々の習性を利用した手法でアイライン・マッチ(eyeline match)と呼ばれています。映画やTXドラマを見ているとすぐ気が付きますが、この方法は多用されています。
(4)確定ショット
あるトピックスについて話す場合、まずトピックスの全体像や背景を説明し、それから細部に移っていく手法が用いられます。その逆だと、話しを聴いている人がその話題をなかなか理解できません。論文を書く場合も同様であり、トップダウン的な話の進め方が推奨されています。映画でも同じであり、図9.7のように、まずすこし遠い位置から撮った場面が映し見ている人に主人公の立場を理解して貰い、それから細部に移っていきます。これは確定ショット(establishing shot)と呼ばれます。映画やTXドラマでは、いきなり対象を大写しにすることもありますが、確定ショットも頻繁に使われます。また、逆の手法が意図的に使われることもあります。
(5)モンタージュ技法
我々は、二つの映像を見たとき、その二つを何とか関係付けようとします。これを映画の編集に取り入れたのが、『戦艦ポチョムキン』で名高いセルゲイ・エイゼンシュタイン監督であり、その技法はモンタージュ技法と呼ばれています。モンタージュという言葉はフランス語で組立てという意味であり、複数の異なる部品を組合わせて、部品とは別の機能をもつ製品を作り上げるように、直接的には関係しない画像の連続により、我々の心の中にストーリーを作り上げていくものです。
図9.8のように、ビジネスマンが仕事をしているショットが提示され、次にB1の旅客機が映されると、そのビジネスマンが世界中をグローバルに活躍している姿をイメージするかとしれません。またAからB2のようなショットに移ると、休暇をアクティブに楽しんでいるイメージが浮かびます(?)。
このように、映像の組み合わせにより、我々の中にイメージを作り上げていきます。ここで重要なことは、作り出されるイメージが明示的なものでなく、我々の中のイメージつまり主観的なものであるということです。
これまで、映画制作コードをいくつか示してきましたが、これはTVドラマでも容易に見出すことができます。ぜひ、試みてください。映画やTVドラマの見方が変わってきますよ。
9.4 ものの認識にはバイアスがかかっている
(1)そこにないものを作り上げる視覚認識
図9.9は印象派創設者のひとりアルフレッド・シスレーの絵ですが、それを見たとき橋は近くに、建物は遠くにあると認識します。この絵は、遠近法で描かれているので、そう見えるのは、当たり前だというかもしれませんが、絵そのものは2次元です。つまり、我々は2次元の絵から、3次元の風景を心の中で作り上げているのです(では、心とはなにかという問題もあるのですが、ここでは議論しません)。
我々は、外部にあるものや現象を正確に見たり聞いたりしていると思いがちです。いや、思ったりもしません。しかし、我々が認識する記号は外部に実在するものや現象を正確に反映したものでなく、我々の主観が作り上げているのだということを知覚に関する認知心理学の研究が示しています。
(2)図(figure)と地(ground)
人間の視覚認識の不思議さを明らかにしたのは、認知心理学の前身であり、1910年代にウエルトハイマー(Wertheimer M.)、ケーラー(Kohler W.)、コフカ(Koffka K.)により創始されたゲシュタルト心理学です。ゲシュタルトは全体を意味し、複数の要素からなる全体としての形は、単に要素の集合でなく全体として一つの意味を持ってくるという、現代のシステム理論や複雑系と共通する考えです。
ある図形を見た場合、光学的な信号は目に一様に入力されるはずなのに、見るものまた見えるものははっきりと見え、それ以外はその背景となります。このはっきりと認識するものを図(figure)、背景となるものを地(ground)といいます。我々は、ものを見た場合、この図と地を区別しますが、それは多分に主観的なものです。
図9.9は、図と地を説明する場合、必ず出てくるイラストなので、どこかで見たことがあるでしょう。二人の女性と壷、どちらに見えますか。見えるほうが図です。
(3)まとまって見える要因:知覚群化
複数の要素がまとまって見える場合、その要素の配置にはある規則があることが、心理学の実験から分かってきました。つまり、視覚によるものの認識には、あるコードが働いているのです。そのコードのうち、代表的なものを以下に示します。
9.5 コードの妥当性には根拠があるのか
60km/hで自動車を運転している時、最高速度50km/hの道路標識を見みれば、速度を落として標識の指示に従います。では、なぜ交通標識という記号の指示に従うのでしょう。それは、それが道路交通法に基づき設置され、違反をすれば罰せられるのを、運転手が知っているからです。
法は我々の行動のあるべき姿を示す規範つまりコードであり、多くの文化的コードと異なりその内容が明文化されています。法学の入門書 −長谷川日出世『法の基礎概念と憲法』− を基に、コードがなぜ効力を発揮し、何処に根拠があるか整理してみたいと思います。
(1)法というコードの役割
人間社会の中で、我々は共同社会を営んでいます。このとき、問題になるのは人間の本能や関する部分です。もし、人間が本能のおもむくままに、あるいはその衝動に駆られるがままに行動したら、人間の社会生活は成立するのでしょうか?
規範やルールを体系化したものが法であり、法というコードの役割は社会の秩序の維持にあります。
法はその役割が明確ですが、他のコードはどうでしょう。映画の文法は、継続的編集を実現するためのルールであり、その役割は映画を見ている人を映画の世界に引き込むという役割をになっています。ではドレス・コードはどうでしょう。レストランという社交の場、地域社会、その人が属している階層の秩序維持に寄与するものと思われるますが、だんだんあいまいになってきます。以前は明確であったものが、単に習慣になっているだけかもしれません。
視覚認識において、ゲシュタルト心理学者によって提示された「まとまって見える要因」になると、その役割は良く分かりませんが、多分、外の世界の秩序を認識するのに必要だったのかもしれません。
このようにコードは、明示されているレベルに大きな幅がありますが、何らかの役割があり、現代に残っているものと考えられます。
(2)コードの特性−法律の二つの特性−
手荷物を電車の中に置き忘れたり、財布を紛失した場合、失くした人に直接または警察を介して戻ってくることもあるし、逆には戻ってこないこともあります。遺失物法第四条には、拾得者の義務が規定されています。
大部分の人はこの規定を守りますが、中には守らない人がいるかもしれません。このように、「そうあるべきこと」を示していますが、それが必ずしも守られない場合もある規範を当為の法則といいます。
これまで挙げてきたコードや9.2の(5)でのコードの類型のうち科学的コードを除いては、当為の法則に従います。コードの第1の特質は、その当為性にあります。 一方、物理法則などの自然科学の法則は、どんな状況でも例外なく成立しますので必然の法則と呼ばれています
では、法律に違反していることが発覚した場合、どうなるのでしょうか。図9.16の道路標識が設置されている道路でを、それに気付かず、60km/hで走行しているのを警察に検知されれば、速度オーバーで反則金9,000円が課せられます。このように、コードの第2の特質は、それに違反している場合、何らかのペナルティが課せられることにあります。ペナルティといっても、道路交通法における反則金や民事訴訟における損害賠償といった金銭的なものから、サッカーのイエローカードやレッドカード、人間同士のコミュニケーションにおける相互の理解不足までそれぞれのコードによって広い範囲にわたります。
(3)コードの妥当性の根拠−法体系の根拠−
ケルゼンは次のような例をあげています(『法の基礎概念と憲法』より)
9.6 エンジニアもコードから逃れられない
(1)インターネットを構成するコード
インターネットを使えば、電話回線(ADSL)に接続されている私の端末から『初心者のための記号論』の著者ダニエル・チャンドラー(Daniel Chandler)に、メール・アドレスという論理的な識別名称だけを用い、インターネット回線の構成など考えずにメールを送ることができます。また、世界中のホームページの情報を検索エンジンで瞬時に検索できます。このような電子的郵便制度やホームページという世界的な情報開示機構を、郵便事業鰍ニ郵便局鰍ニいう中央集権的な組織を介さず実現できたということにいまさらながら驚きを禁じえません(古いと笑われるかもしれませんが)。
インターネットのイメージを図9.18に示します。ここでネットワークA、B、‥‥は個々の端末が接続されているネットワークで会社や学校のLANやプロバイダーが運営しているネットワークです。ネットワークA、B、‥‥はそれぞれ管理者によって運営されていますが、管理者が責任を持つのは担当するネットワークのみです。インターネットは個々に独立したネットワークの集合体ですが、利用者にその境界を感じさせないつまり一体となったシステムが、なぜ実現されているのでしょうか?
これを実現しているのが表9.1のOSI7層モデルというコードです。これは、さまざなコンピュータ間の間のデータ転送を可能とするため、ファイル転送やメール送信などに必要とされるさまざまな手順を7階層に分割し、それぞれの層の機能は下位の層の機能を用いて実現できるようにしています。我々がCやFortranでプログラムを作成する場合、まず共通的に用いられるfunctionからコーディングし、それを基に上位のプログラムを作成していきます。それと同様の思想でインターネットを実現するもので、この7層モデルというコードがインターネット普及の原動力になったのも、感覚的に納得できます。
一方、このOSIモデルを用いなくとも、コンピュータ間のデータ通信が可能です。例えば、複数層の機能を一つのソフトで実現することも可能です。そういう点では、OSI7層モデルは、当為の法則です。
| 層 | 名称 | 役割 | 例 |
|---|---|---|---|
| (8) | 記号層 | 記号、テクストの表現 | 個々のホームページ、ブログ等 |
| 7 | アプリケーション層 | 個々のアプリケーション | WWW、メール |
| 6 | プレゼンテーション層 | データの表現形式 | HTML |
| 5 | セッション層 | 通信手段 | HTTP |
| 4 | トランスポート層 | End−End間の通信制御 | TCP、UDP |
| 3 | ネットワーク層 | データを送る相手を決め、 最適な経路で送信 | IP |
| 2 | リンク層 | 隣接機器同士の通信を実現 | Ethernet |
| 1 | 物理層 | 物理的な接続、電気信号 | 光ファイバー、電話線 |
(2)エンジニアにとっての当為的コード
OSI7層モデルは、インターネットに接続されるコンピュータに実装されるソフトウエアの開発指針でした。では、コンピュータ関連機器などの電子機器や自動車などさまざまな製造業の製品開発、設計、製造においては、当為的コードは関係してこないのでしょうか。
いえいえ、大いに関連してきます。現在の新製品開発においては、単に新しい性能(その中には、これまでに存在しない製品開発も含まれます)だけでなく、図9.19に示すようにターゲットとする顧客層、形状、安全性、環境要因‥‥など多くの社会的コードを考慮しなければなりません。優れた性能を持ちながら、これらのコードに適合せず、世に出なかった製品も沢山あるに違いありません。
また開発・設計・製造工程でも、ISO9000やISO14001の遵守が求められることが多くなっています。この規定も守るべき指針であり、当為法則です。
このようにエンジニアも、自然法則に基づく数々の必然の法則だけでなく、いろいろな当為の法則に取り巻かれています。