6章では、テクストは記号がある規則にしたがって結び付けられている統語体であることまたその関係つまり統語はいろいろな分野のテクストの中に見出されることを示しました。統語分析はテクストの‘表面的な構造’を研究するものです。
一方テクストの分析では、テクストの意味するところを見出すことも必要です。その分析では、テクストの中の記号の価値(意味)を探り、それからテクストの意味するところまた意図するものを明らかにしていきます。ソシュールが言っている様に、ある記号の価値は、その記号が属する範疇の他の記号との差異により決定されます。記号が属する集合つまり範列を明らかにし、それをもとにテクストの意味を探る試みを範列分析と言います。7章では、範列という考えを紹介します。
7章は、『初心者のための記号論』の「範列分析」に対応します。
7.1 記号の価値を決めるのは範列である
(1)記号の範列とは
読みたい本を借りるため、6kmほど離れた図書館に行くことになりました。図書館へ行くには電車、バス、自動車、自転車を利用でき、私はそのときの天候、体調、気分によってそのどれかを選択します。我々はなにかの決定を行うときまた何かを表現するとき、直線的に一つのをものごとを決めるよりは、複数の代替可能な手段、使うことのできる材料を思い浮かべ、その中から実行可能なものを選びます。つまり、我々は知識を、ある視点から集合にくくり、その中の要素を一つ選び、考えや行動を決めていくという習性があるようです。
文でも、同じような操作が行えます。以下は、『言語学(第2版)』からの引用です。文は、統語体(文の構造)を変えずに、単語を変え意味を変更できます。
このようにある統語体において、統語体の型を変えることなく特定の単語を別の単語で置き換えて別の統語体を作る操作を、言語学では置換と呼んでいます。また‘厚い’と‘薄い'、‘本'と‘雑誌'はそれぞれある範列(パラダイムparadigm)に属するといいます。
記号論ではその考えを拡張し、テクストの中である記号に着目した場合、その文脈の中で置き換えることができる記号の集合体を範列と呼びます。図7.1の交通手段は、(私の意識の中で)範列を形成し、比較の対象になります。しかし、一つの記号は一つの範列にのみ所属するのではなく、いろいろな範列に所属することになります。例えば、自転車はその種別(シティサイクル、マウンテンバイク、折りたたみ自転車、‥‥)に着目すると、種類という他の範列に属することになります。ちなみに、ソシュールはある記号は他の記号との関係で価値が生ずるということで、連合という用語を使いました。
(2)記号の価値の母体にとなる範列
ソシュール流の記号論では、記号の価値は絶対的なものではなく、相対的つまり他の記号との差異で決まることが強調されます。たとえば、図6.1の交通手段では、それぞれの図書館までの所要時間が比較され、また費用が重視されるかも知れませんが、それも範列の要素の間の差異により評価されます。また、温度の摂氏という単位も0℃からの差(差異)で表しています。『ソシュールの思想』に記載されている例ですが、{犬、野犬、山犬、狼}は一つの範列を形成し、もし狼という言葉がなければ犬という単語は狼をも指すことになります。
以上は、あまり良い例ではないかもしれませんが、記号は必ずある集合に属し、その集合の他の要素との差異により、価値が決定されるということをなんとなくでも分かってもらえればと思います。
差異をキーワードにすると、範列の重要性が理解できます。差異が生じるためには比較の対象となる記号が必要であり、そのためには視点が共通する複数の記号の集合が必要となりますがそれが範列です。つまり、範列は記号の価値を生み出す母体となります。
(3)記号の価値を決めるのはそこにない記号
交通信号機の青・黄・赤が全て点灯していたら、自動車の運転者はどうしていいのか分かりません。‘進め’の場合は、青だけ点灯しているつまり黄と赤が消えています。つまり、黄と赤がそこにないことにより、青の存在価値が出てきます。
他のテクストにおいても同様です。範列の例として引用した‘厚い本を読む’において、‘厚い’という単語はそこにない‘薄い’という単語があってこそ、価値(意味)を持ってきます。このように、我々はテクストを読むときまたそれを作成するとき、その中に出てくる記号を、その記号が属する範列または集合とその中で記号の占める位置を(意識的また無意識のうちに)考慮しながら記号の意味を解読しまた記号を選択しています。
範列分析は、テクストの中に出てくる記号がどのような範列の中にありまたその中でその記号の占める位置を明示し、テクストの意味またテクスト作成者の意図を明らかにしていきます。
(4)範列分析の例
Jean-Marie Flochは、いまやパーソナル・コンピュータMACとともに携帯型デジタル音楽プレーヤIPODのメーカとしてよく知られているアップル社のロゴとサーバーおよび業務用ソフトの老舗であり‘BIG BLUE'の愛称で知られるIBM社のロゴを比較し、アップル社のロゴが表そうとしているものを分析しています(IBM社とアップル社はコンピュータ・メーカという範列に属しています)。以下は、『初心者のための記号論』からの引用です。
2項対立は、視覚的イメージにおいてでさえ辿ることができる。Jean-Marie Flochは二つの主要なコンピュータ会社である、IBMとアップルのロゴを比較、対比させ、下に列挙した一連の連合した2項対立に基づき、その差異を明らかにしている(Floch 2000,41)。その対比には、非常に明確な対比が含まれている。大体のところ、IBMのより確立されたもの(組織)のイメージに対して、アップルのロゴは素朴さを印象付けるべく決められているように思われる。
| IBM社 | アップル社 | |
| 構造 | 反復 | 反復でない |
| 破線 | 連結線 | |
| 色 | 単色的 | 多色的 |
| 冷たい | 暖かい | |
| 形状 | 中身 ('太い') | 輪郭 |
| まっすぐ | 曲がっている | |
アップルの生産部門の前の責任者の次のような言葉が引用されている。‘我々のロゴは大いなる神秘である:それは楽しみと知識の象徴であり、部分的に食べられた虹の色が表示されているが、普通の順序ではない。これ以上ぴったりのロゴは望めないだろう:楽しみ、知識、希望そして無秩序’(Floch 2000,54)。明らかに、かじられたりんごはエデンの園の知恵の木の物語と、IBMと東海岸とニューヨークという‘ビッグアップル’との関連を示している。幻覚的(サイケデリック)に混合された虹(緑、黄色、オレンジ、赤、紫、青)は1960年代の西海岸のヒッピーの時代を表し、それが理想主義と‘自分自身のことをなせ’を連想させる。このように、IBMのロゴとの2項対立を表現しているにも拘らず、多色のアップルのロゴはIBMのロゴの‘白と黒’の(またはむしろ単色的な)直線性に反映されている二元主義の否定を表そうとしている。競合会社は明確に異なる個性(アイデンティティ)を確立する必要があり、そのような個性はロゴに反映される。この例は読者を、他の競合会社の視覚的な個性(アイデンティティ)を比較してみようという気にさせるかもしれない。 (引用終わり)
7.2 範列の生成には2項対立(二項対立)が有効である
(1)範列分析に必要なのは知識の体系化
上の例のアップル社のロゴマークの範列分析をする場合、まずそれと比較するものが必要となります。比較するには、できるだけ差のあるものが望ましいので、上のケースでは伝統のあるIBM社のロゴマークを取り上げています。つまり、範列として、コンピュータ関連会社という集合(その中にはマイクロ・ソフト社、サン・マイクロシステムズ社などが含まれるかもしれません)が分析者の意識の中にあり、その中から適切なものを選んだと想像できます。
範列分析ではテクストの中の記号から、範列および範列に含まれるがテクストには存在しない記号を想定し、その記号が選ばれた理由を探ってゆくことことになります。つまり、分析者の中にある関連する知識つまり記号群を取り出し、それらをある軸に沿って秩序化つまり体系化していくことになります。
そのためには、共通した性質をもつ要素の集合を作ることつまりものごとの分類をまず行うことになりますが、池田清彦『分類という思想』や柳田俊一のホームページ『肩のこらないページ』の下位ディレクトリー‘カテゴリーについて’にあるように、分類は本来的に存在するものでなくあくまで我々が行う(また行わなければならい)恣意的な操作です。自然現象や社会現象の中の分類は、秩序はその中に本質的に存在するものを見つけ出すのではなく、我々が作り出したものであるというのが、構造主義の立場です(工学技術で作り出すものは、我々が作り出した人工物であるというのと、この主張は似ていませんか)。
(2)知識の体系化に有効な2項対立(二項対立binary opposition)
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我々は、勝ち/負け、好き/嫌い、速い/遅い、明るい/暗い、長い/短いなどのように対立する2つの言葉でものごとを評価また判断することが多いと思います。このように、評価軸を相反する2つの項目で表すことを2項対立(二項対立)、この世界のいろいろな事象を2項対立に区分できるとする考えを二元論といいます。 二元論は我々に深く根付いている習性で、野球やサッカーなどのスポーツを見る最大の楽しみは応援しているチームの勝ち/負けであり、また映画やテレビのドラマを見ていても、登場人物を正義/悪という2項対立で区分します。2項対立について、『初心者のための記号論』に分かりやすい説明がありましたので、以下に引用します。
このように2項対立は人間だけでなく、単純なものなら動物にも見られるものであり、私の家の愛犬「なつ」も、自分のテリトリーの内/外、身内/他人は明確に区別しています。
2項対立をベースにした分析の良い例として、リチャード・E・ニスベットの『木をみる西洋人 森をみる東洋人』があります。これは西洋人と、中国人を中心とした東洋人の考え方や認識方法の違いを個/全体、実体/関係という2項対立をベースに分析したものです。内容は勿論優れていますが、2項対立をベースにした分析の応用法という視点を入れて読むと、更に興味がまします。
映画やTVドラマでも、2項対立は多用されています。男性/女性、体制/反体制、正義/悪‥‥であり、時にはそれらが複数結び付けられます。例えば、体制・正義/反体制・悪の図式は時代劇で多用されます。少し、注意を払っていれば、すぐ見つかりますので、2項対立を用いて範列分析を行ってみてください。
いろいろな分野で見られる多くの2項対立を掲載したホームページもありますので、2項対立に興味のある人は参考にしてください。
(3)工学でも使われている2項対立
コンピュータでは2進数(binary number)が使われます。2項対立はbinary oppositionですので、当然、両者には共通点があります。2進数のそれぞれの桁は1または0で、そこに1があるかないかつまり1の有/無という2項対立に他なりません。4桁の2進数つまり4ビットは0〜15の16個の数値を表せますが、それは各桁を1つの2項対立と考えれば、4つの2項対立つまり4つの評価項目の組合せを表していると見ることもできます。
例えば、ある機能をもつソフトウエアを入手使用とした場合、次のような4桁の2進数を用いれば、いろいろな評価が可能です。
ここで、‘1101’はちょっと使い勝手を我慢すれば、目的とするフリーソフトを入手できるということになります。複数の項目つまり多軸の評価を行う場合にも、2進数は便利に表現方法として使えます。
私の専門である制御でも、多くの二項対立を見出すことができます。そのいくつかを以下に示します。
(4)重み付けされる2項対立
『初心者のための記号論』で強調されていることの一つは、2項対立の2つの項はほとんどの場合、等価ではなく重み付けされいるということです。2項対立(A項)/(B項)では、A項はこの分野の主流を占め通常は意識されない無標の項、B項は主流から外れた有標の項ととらえれます。
例えば、一般家庭の上水道の状態を通水/断水で表現した場合を考えてみましょう。蛇口から水が出る通水の状態は当たり前であり、それを意識することはありません。しかし、地震や道路工事中の事故などにより、断水になればたちまち困りますので、断水という言葉を聞いたり、TVで見たりすると、強く意識します。つまり、断水という言葉は有標と考えることができます。
最近、いろいろな国で女性が大統領や首相に選ばれています。いままで、大統領や首相はほとんど男性でしたので、女性大統領や女性首相というニュースは有標なものとして捉えられます。
パーソナル・コンピュータのような工業製品においては、正常に動作することが当たり前であり通常意識されない無標の項ですが、いったん動作が不良になるとその不便さが際立って認識されます。つまり、異常状態は有標の項になります。製品を設計・製造する場合にも、どうしても正常状態を(暗黙のうちに)前提として性能の最適化にむかいがちです。しかし、いったん立ち止まり、正常/異常などの2項対立で評価軸を見出し、それに基づき性能、耐久性、信頼性などを評価、特に有標項を意識した設計、製造、検査を行うようにすれば、製品事故も減るのではと期待しています。
7.3 知識を体系化/非体系化という2項対立(二項対立)で考えてみる
(1)知識の体系化の例としての図書の十進分類表
図書館に行った時、何万冊もの本が雑然と並んでいたらどうなるでしょう。とても、読みたいと思っている本を見つけ出すことはできないでしょう。そのために図書館では、分類体系を設定し、それに従って書棚に本を並べていきます。そのように本はある体系に従って並べられているからこそ、読みたい本の属する領域を知っているかまたは端末から書名で検索し書棚の位置を知ることにより、本を探すことができます。
本の分類体系が考えられたのは比較的新しく、1876年にデューイによって十進分類表が創案されました。本の分類法に関しては、慶応義塾大学文学部 上田修一教授のホームページの『分類法の将来』でいろいろな分類法とその問題点が詳しく検討されています。それを参考にして、知識の体系化の例として、最大の源泉である図書の分類体系を取り上げてみました。
日本十進分類法は、多くの図書館で用いられている資料の分類法で、社団法人日本図書協会で作成されています。1928年に森清により発表され、1995年新訂9版が刊行されています。
分類には、0-9の数字が用いられます。もっとも大きな一次区分を「類」、次の二次区分を「綱」、三次区分を「目」とよび、3桁の数字(一次区分・二次区分・三次区分)で表します(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)、日本十進分類法』より)。類と目をだ7.1表に示します。
| 類 | 綱 | 備考 |
|---|---|---|
| 0類 総記 | 000 総記 010 図書館・図書館学 020 図書・書誌学 030 百科事典 040 一般論文集・一般講演集 050 逐次刊行物(・年鑑) 060 (学会・)団体(・研究調査機関) 070 ジャーナリズム・新聞 080 叢書・全集・選集 090 貴重書・郷土資料・その他特別コレクション | 007 情報科学 007.35 情報産業 007.637 図形処理ソフトウエア |
| 1類 哲学 | 100 哲学 110 哲学各論 120 東洋思想 130 西洋思想 140 心理学 150 倫理学・道徳 160 宗教 170 神道 180 仏教 190 キリスト教 | 155 国体論・詔勅 156 武士道 164.31 ギリシャ神話 |
| 2類 歴史 | 200 歴史 210 日本史 220 アジア・東洋史 230 ヨーロッパ史・西洋史 240 アフリカ史 250 北アメリカ史 260 南アメリカ史 270 オセアニア史・両極地方史 280 伝記 290 貴重書・郷土資料・その他特別コレクション | 210.027 古銭学 225.97 モルジブ |
| 3類 社会科学 | 300 社会科学 310 政治 320 法律 330 経済 340 財政 350 統計 360 社会 370 教育 380 風俗・習慣・民俗学・民族学 390 国防・軍事 | |
| 4類 自然科学 | 400 自然科学 410 数学 420 物理学 430 化学 440 天文学・宇宙科学 450 地球科学・地学 460 生物化学・動物学 470 植物学 480 動物学 590 薬学 | |
| 5類 技術・工学・工業 | 500 技術・工学(・工業) 510 建設工学・土木工学 520 建築学 530 機械工学・原子力工学 540 電気工学・電子工学 550 海洋工学・船舶工学 560 金属工学・鉱山工学 570 化学工業 580 製造工業 590 家政学・生活科学 | 537.25 電気自動車 |
| 6類 産業 | 600 産業 610 農業 620 園芸 630 蚕糸業 640 畜産業 650 林業 660 水産業 670 商業 680 運輸・交通 690 通信事業 | 646.9 みつばち・昆虫 699.39 アナウンサー ? インターネット |
| 7類 芸術 | 700 芸術・美術 710 彫刻 720 絵画 730 版画 740 写真 750 工芸 760 音楽 770 演劇 780 スポーツ・体育 790 諸芸・娯楽 | 798 室内娯楽 798.5 テレビゲーム |
| 8類 言語 | 800 言語 810 日本語 820 中国語 830 英語 840 ドイツ語 870 フランス語 860 スペイン語 870 イタリア語 880 ロシア語 890 その他の諸言語 | 869 ポルトガル語 891 ギリシャ語 892 ラテン語 ‥‥‥‥ |
| 9類 文学 | 900 文学 910 日本文学 920 中国文学 930 英文学・米文学 940 ドイツ文学 970 フランス文学 960 スペイン文学 970 イタリア文学 980 ロシア文学 990 その他の諸文学 | 991 ギリシャ文学 992 ラテン文学 ‥‥‥‥ |
表7.1に綱まで長々と記載したのは、体系化の利点と問題点を知って欲しかったからです。上の表から、次のような体系化の利点と問題点が読み取れます。
(A) 体系化の利点
(2)知識の非体系化の例としてのウエブ検索
知識が整然と体系化されている図書館の対極にあるのが、図7.6に示すウエブ上の知識です。ウェブの利用者にとっては、最初、どんなホームページがインターネット上にあるか分かりません。GoogleやYahooなどの検索エンジンを使って、キーワード検索することにより、キーワードを含むホームページのリストを入手できます。このとき初めて、インターネット上のホームページ群が姿を見せることになります。図7.6は利用者から見たウエブ上で知識を獲得するための機構ですが、ウエブは利用者にとってはまったく体系化されていない(非体系化の)データベースです。

このように、インターネット上に存在する体系化されていない膨大なホームページ群から、キーワードにより関連するホームページを探索することは、高速な全文検索技術が実用化されたことにより実現されたものです。皮相的な見方ですが、これにより知識の体系化の責任と権限が、管理者から利用者に移されたといえます。つまり、検索エンジンを活かせるかどうかは、利用者の能力にかかっているといえます(有用な知識つまり良質なホームページがインターネット上に存在していることが前提となります)。図書館とインターネットは、管理/自由という2項対立で考えることもできます。
A 非体系化の利点
知識の非体系化の最大の利点は、その柔軟性にあります。