Uでは、テクストの記号論的分析を実際に行うための具体的な方法を紹介します。本章は『初心者のための記号論』の‘範列と統語体’と‘統語分析’に対応しています。テクストの構造分析のための二つの手法‘統語分析’と‘範列分析'のうち、第6章では‘統語分析'、第7章で範列分析を取り上げます。
6.1 統語と範列でテクストの構造と意味を探索する
(1)統語体はテクストの構造である
下の図の‘the man cried'は、皆さんも良く知っている英語の5文型のうちの、S(主語)+V(動詞)です。この文型の場合、単語の並び方は{名詞 動詞}の順であり、‘cried the man'のような文は許されておりません。このように、単語の集合体である文では、単語の並び方は文法により規定されており、我々はその言語の文法に従って、文またその集合である文章を話しまた書いています。このように単語が規則に従って並んだものを、統語体(統辞体syntagms)と呼びます。
テクストを統語体として捉えるこの方法を、記号論は、もっと一般的なテクストへと拡張します。つまり、我々が記号またその集合であるテクストとして認識できるものは、その中に記号の連結方法を規定する規則が見出されるはずという視点に立って分析を試みます。
(『初心者のための記号論』にも出てきますが)統語体の分かりやすい例として挙げられるものに料理と服装があります。レストランでの洋食のランチやディナーのコース料理では、図6.2に示すように出される料理の順序はほぼ決まっています。メイン・ディッシュがスープの前に出てくることはありませんよね。つまり、それぞれの料理も一種の記号ですので、コース料理では記号の連結規則つまり文法があるといえます。
言語の分野では、単語のような規則が並んで文のような大きな単位を作っていて、小さな単位の並び方が一定の規則に従っていることが明らかなとき、その大きい単位には構造があると言います。テクストの統語分析、つまりテクスト中に記号の統語体を見出しそれを明文化することは、テクストの構造分析を行っていることになります。
(2)範列はテクストの意味(価値)に影響を与える
図6.1にあるように、主語のmanをboyにまた動詞のcriedをdied、sangに置き換えても文法上問題ありません。文の意味することは当然変わってきますが、manとboyは無関係ではなく、両者とも男性という共通点があります。また、cried、died、sangも人の状態という点では共通性を見出せます。このように、ある視点で共通項をもつ言葉の集合を範列(連想paradigms)といいます。
文法的には、範列に所属する記号はどれでも使うことができますが、どの要素を使うかによって文の意味(価値)が変わってきます。例えば、‘the man cried'と‘the boy cried'ではニュアンスが変わってきます。範列のうちのどの要素を用いたかに、テクスト制作者の意図が込められています。テクストの意味や作成者の意図を探るためには、その単語がどのような範列に属し、どうしてその単語が用いられたかという範列分析が有効です。
記号論では、この範列という考えをもっと広い範囲に適用します。図6.2のコース料理を例にとれば、メイン・デッシュはそれぞれのレストランや季節のよって選択できるものが変わってきますが、大まかに言えば魚料理、鴨料理、牛肉料理、子羊料理などがあり、そのうちのどれを選ぶかは、その人の好みまた価値観を表します。
このような範列という考え方は、いろいろな分野で使えます。例えば、いろいろなスポーツの監督の服装に注目すると、ゲーム中、野球の監督はユニフォーム、サッカーやバスケットの監督は(多くの場合)スーツを着用しています。きっと、理由があるのでしょうね。範列という視点で、自分が興味を持っている分野を見てみると、きっと面白いことが見つけられます。
(3)記号論的分析をまず統語軸と範列軸に沿って行う
テクストがどのような構造をもちまたなにを伝えたいかを把握するには、いろいろな方向から漫然と分析するより、図6.1に示すように統語軸と範列軸に分けて進めるのが効果的に思えます。『初心者のための記号論』では、統語分析と範列分析を次のように位置付けています。
6.2 記号の統語体という考えは言葉の構造がもとになっている
統語体(構造)や範列という考え方はソシュールが始めて提示したものであり、言語がその基になっています。しかし、我々は文法を意識しなくても、言葉を話しまた書くことができますので、文の構造や範列と言われても、明確なイメージが湧きません。ここでは中学校で教えられる国語、英語における文の構造について復習し、次に言語学に大きな影響を与えた生成文法をベースにした文の構造の表記方法について整理しておきたいと思います。
(1)中学校で勉強する日本文の組立て
図6.4および表6.1は、中学2年の国語文法参考書の‘文の組立て’の部分を簡単にまとめてみたものです(ちなみに国語の文法は中学2年のときのみ勉強するようですね、高校の参考書には国語文法の本は見当たりませんでした)。
日本語では、テクストをどのように分節していく(一続きのものを、いくつかの単位に分ける)かは図6.4で理解できます。一方、単語がどのように組み合わされて文になっていくかつまり文の統語規則については表6.1のような整理されています。文章を読んで文節の関係を理解し、それから文の意味を考えていくにはこれで差し支えないかもしれませんが、構文規則という点ではちょっと物足りない感じがします。
ちなみに文法の参考書の3/4は品詞の分類、活用またその使い方の説明であり、その中で文の正しい組み立て方を(系統的でないにしても)習得させていくというのが、日本語文法の路線のようです。言語学の参考書を読んで日本語文法の参考書を読むと、町田鍵が『まちがいだらけの日本語文法』で噛み付いているようにちょっと違和感を覚えますが、ソシュールが言っているようにいったん確立したシステムはなかなか変えられないのでしょうね。
| 成 分 | 役 割 | 例 |
|---|---|---|
| 主 語 | 『何が・誰が』などを表す | 鳥が鳴く |
| 術 語 | 『どうする・何だ』などを表す | 鳥が鳴く |
| 修飾語 | 他の分節を詳しく説明する | 白い鳥だ |
| 接続語 | 前後をいろいろな関係でつなぐ | だが、‥‥ |
| 独立語 | 独立して、感動や応答を表す | はい、‥‥ |
(2)中学校で勉強する英語の5文型
中学の英語では、文型(文の型)を、日本語文法よりもう少し明示的に教えます。皆さんも表6.2の5文型は頭に染み込んでいるのではないでしょうか。当然、これで全ての文の形が説明できるわけではありませんので、疑問文、受動態、関係代名詞、接続詞thatを用いた文など、いろいろな変形規則を教えられます。
| 名称 | 具体的な文型 | 例 |
|---|---|---|
| SV(第1文型) | 主語+動詞: ‥‥は〜する | Tom runs very fast (副詞句) |
| SVO(第3文型) | 主語+動詞+目的語:‥‥は−を〜する 目的語になるのは名詞、代名詞または名詞の 働きをする語・句・節である | I like dogs. Judy wants to see a movie.> |
| SVOO(第4文型) | 主語+動詞+間接目的語+直接目的語: ‥‥は(人)に(物)〜する | I gave him the book. Jane told us a story. |
| SVC(第2文型) | 主語+動詞+補語:‥‥は〜である(になる) | She is a student. It's getting dark. |
| SVOC(第5文型) | 主語+動詞+目的語+補語: ‥‥を〜と呼ぶ ‥‥を〜にする | My friend call me Bob. They make me happy. |
(3)生成文法を基にした文の構造の表記方法
日本語文法や英語文法における文型は、使われている文の中から型(タイプ)を見出し、それを分類し名称を付けたものつまり帰納法により導かれたもののように思われます。それはある意味で正統的なアプローチであり、その言語を日常的には使用していない人が言語を習得する上で必要不可欠なものです。我々が英語を勉強していく過程でも、文法は非常に役立ったと記憶しています。
一方、発想を逆転し、文の規則をまず設定し、それを基に文の作り方が理論的に解明できないかと試みたのがノーム・チョムスキーであり、その成果が生成文法です。生成文法はどんどん変化(成長?)していますが、その基本的な考えである標準理論はエンジニアにとっても大変有用ですので、中島文雄の『英語の構造(上・下)』を参照しながら紹介してみたいと思います。
(A)句の導入
英語の5文型を見たとき、ちょっと気になるのは、第3文型(SVO)で主語、動詞、目的語です。主語、目的語は単語の働きを表すのに対して、動詞は品詞の種類を表します。このような混合を避けるため、句という単位を導入します。
上の文で、the manを名詞と同等と同じ役割を持つ句とみなし名詞句(NP)と呼びます。his suitucase on the groundはある動きを表しますので、動詞句(VP)と呼び、さらにVPの中のon the groundは動作の作用する場所ですので前置詞句(PP)と呼びます。
(B) 文の句への展開
このように、まず文SをNPとVPに2分割し、更にNP、VPを2分割していくと、図6.6のように品詞(名詞N、動詞V、冠詞Det、前置詞P)まで、樹木状に分解していくことができます。
(C) 句構造規則
図6.6は、以下のような規則として記述できます。
この句構造規則を用いれば、例に挙げた文と同じ形を持つ文を自由につくりだすことができます。
このような規則はエンジニア特にソフトウエア技術者にとっては、とても馴染みのあるものです。プログラミング言語の構文規則では、同じような表記を使います。チョムスキーの生成文法の成果をうまく利用しているのは、実はエンジニアなのです。
(D)文の生成システム
上の句構造規則のみでは、実際の文つまりパロールは作り出せません。単語の集合、語彙目録(辞書)がまず必要になります。それから伝えたいことに適した単語が選ばれます。句構造規則と語彙目録により文を作れますが、会話や書かれた文章ではそれが変化したと見なされるものが多数出てきます。例えば、疑問文などは基本的な文が変化したものです。このため、変形規則が必要となります。
人間の中で文が生成される過程を、句構造規則と語彙目録から文の深層構造が作られ、それに変形規則が適用され、実際に発音される文や書かれる文つまりが表層構造が作られるとする図6.7のモデルをチョムスキーは提案しました。
このモデルは、意味を文の構造から分離した文脈自由文法であり言語学的にはいろいろ問題があるようですが、構文規則や変形規則を明文化する標準理論の思想は、エンジニアにとっては、ものの設計手順、製作プロセスさらにソフトウエア・システムを考える際に役に立つのではないかと思っています。
6.3 理工系の論文にも構造が見出される
エンジニアは(おおむね)報告書、論文を書くのが苦手です。私も入社当時、提出した報告書が何を言いたいのか良く分からない、冗長である、論旨が一貫していない、主語が明確でないなど上司から厳しい指導を受けました(今にになってみれば、良い上司に恵まれたと感謝しています)。また、管理職になって部下の報告書を数多く読みましたが、もう少しなんとかならないかとため息をついたこともことも2度や3度ではありません。
1981年に木下是雄の『理科系の作文技術』が出版されとき、それがもっと早かったら、私の苦労も低減されたのにと思ったものです。2000年には43版になっていました。今でも広く読まれている古典です。その中で、文の構造、文章の流れという言葉が出てきます。構造つまり統語体という視点から、『理科系の作文技術』を見てみたいと思います。
(1)理工系論文の必要条件
理工系の報告書(企業の内部報告書、新製品開発計画書、仕様書、学会への投稿論文)は、文学書のように読者の心情(主観)に訴えるものとは違い、情報(事実や状況について人に伝える知識)と意見を読者に伝えるものです。そのような文章を書くためには、以下のことが必要とされます。
(この節で文章、段落、文などの用語が出てきますが、その位置付けは図6.1に従います)
つまり、報告の対象する人に、自分の主張を過不足なく伝えることが報告書を作成する目的となります。
(2)論文の構成
人の心をうつスピーチは、起・承・転・結で話しが展開していくと言われています。報告書のうち、表6.3の理工系の論文の構成もこれと似たものになります。つまり、序論で課題の全体像を、本論でその課題の解決方法、議論の展開で多少視点を変えその解決方法の有効性や適用できる範囲を記述し、結論で論文をまとめます。
この構成は、いろいろな学会の論文に見られますので、理工系の論文には明確な統語規則があると言えます。
| 章 | 項 目 | 内 容 | 論文執筆に際しての注意点 | |
|---|---|---|---|---|
| 題 目 | 論文の主題を一文に凝縮 | 内容が推測できる言葉 | ||
| 抄 録 | 論文の全体像(主題、結論) を一つの段落で記述 | 抄録だけで論文の内容が把握可能 | ||
| 1 | 序 論 | 研究の背景、そのテーマを取り上げた理由、 課題へのアプローチ方法
| 論文の内容が役立つかどうか 読者が判断できる材料の提供 | |
| 2 | 本 論 | 論旨の展開
|
| |
| 3 | 議論の展開 | ・検証実験やシミュレーション ・適用範囲の検討 | ||
| 4 | 結 論 | 論文のまとめ、謝辞 | ||
| 参考文献 | ||||
(3) 文章の構成要素;段落(パラグラフ)
論文の章を構成する文章は、文を羅列しただけは読みにくいものになります。このため、図6.4に示すように、文をいくつか集めある意味を表す段落(パラグラフ)を作り、それを連結し文章を作り上げいきます。文章の構成要素として段落は重要な位置を占めることになりますので、段落が充たすべき条件を以下に整理してみました。
(4)文章の構造
日本語では、単語をつなげ文を作り、文を連結し段落、段落をつなげ文章を作っていきます。では、文や文章の作り方に何らかの規範があるでしょうか。
(a) レゲットの樹
『日本物理学会会誌』21巻(1966年)に、理論物理学者のレゲットが『科学英語の書き方についてのノート−日本の物理学者のために』というエッセイを寄稿しています。これは英語論文執筆のための指針ですが、木下は日本語で論文を書くひとにとっても有用であると、図6.8の視点から文章の組立て方を考えてみることを奨めています。日本人の文章の組み立て方について、レゲットが言っていることの一部を『理科系の作文技術』から引用します。
小説などでは、まずいくつかののエピソードから書きはじめ、それをつないで核心に近づいていくというボトムアップの接近法も使われると思います。それに対して、理工系の論文では、核心(主張)にできるだけ直進的に近づくことが求められます。
『理科系の作文技術』に掲載されている例文を引用しておきますので、比較してみてください。
<ある論文の序論:下書き>
<ある論文の序論:木下による改訂版>
(5)記号論から見た学術論文
論文の書き方は情報を読者に効率よく伝える方法論ですが、記号論ではそれががどのような副作用を持つかという視点から論じています。エンジニアにとっては、すんなり納得できない点もあると思いますが、参考のため要点のみ以下に整理してみました。
『初心者のための記号論』では、学術論文にみられる統一性または継ぎ目のない(seamless)文体を次のように論じています。
時々、新聞等で学術論文や報告書の捏造が報じられますが、そのようなことが起こる素地が報告書というものの構造にあります。
6.4 統語体という視点から見た設計の方法論
‘ものづくり’に関連したトピックスがTVでときどき取り上げられます。そのときの映像画面は、ほとんどの場合、ものの製作現場であり設計業務の映像はあまり出てきません。しかし、設計部署は生産部署とともに製造業の核となる部門です。
畑村洋太郎の『設計の方法論』は、設計業務について、製品分野にとらわれず一般的にまた体系的に論じたものですが、記号論の立場からは設計プロセスの統語分析を行っていると見ることができますので、その要点を紹介します。
(1)企業における設計の位置づけ
ある工業製品が単一の部署または単一のグループまたは単一の業務で作られることはめったになく、いくつかの部署の連携により生産が進められます。部署の名称は企業によってさまざまですが、一つの例を図6.9に示します。それぞれの部署は独立しており、次のような業務を行います。
図6.9には部署の出力また部署間をつなぐ媒体が(ちょっと極端に)示してあります。図から、設計部署と生産部署ではそこで扱う対象と出力が異なることがわかります。生産部署は、実質(物理的に存在するもの)つまり部品を加工したり組み立てたりすることにより製品を製作していきます。それに対して、設計は製品を製作するのに必要な全ての情報つまり記号、もう少し厳密には記号表現を制作していきます。
設計部署は記号の生産工場また設計は記号を作成していく業務であり、記号論からも興味深い対象です。
(2)モノ作りにおける設計の流れ

『設計の方法論』の中で図6.11のような興味深い分析が行われています。自動車やパソコンまた生産用ロボットのような工業製品のみでなく、建物、洋服や料理も製品としてとらえ、その設計プロセスを検討し図の下に示すようなモデルが適用できることを示しています。
これから、設計を製品を生産するための情報を創生するための過程と捉えることでき、一般的には、図6.11のような統語体として表すことができることがわかります。
(3)設計の基本工程
モノ作りは基本的には、企画→設計→製作→販売→使用→後対応と進行します。設計は、狭い意味では生産のための情報つくりを指しますが、実際の生産現場では製品の企画から後対応(アフターケア)まで、すべての段階に関与することになります。まさに設計は企業活動の中核であり、そこでの技術力、設計力(人的能力、CAD・CAE・データベースなどの設計支援システム)が製造業の死命を制することになります。
設計の具体的な進め方は分野ごとにことなりますが、自動車やタービンなどの機械系の工業製品については共通性があります。機械設計の流れを図6.12に示します。設計は‘漠然→具体化’、‘全体→詳細’の方向で進められます。
部品図は、製品を構成するすべての部品の形状・寸法を表現したものですが、(原則的には)一品一葉(一葉は一枚)です。自動車のように部品が数万にもおよぶ複雑な工業製品では、設計では膨大な情報が作り出されます。設計部署は、まさに記号の生産工場といえます。
このように膨大な情報を作らなければならないため、設計業務はともすれば遅れがちになりまた図面番号などの情報管理も工夫する必要があります。『設計管理入門』では、設計の管理に必要なことがらが整理されています
繰り返しますが、図6.11、図6.12にように設計業務が製品の分野を横断して整理できたということは、設計過程が統語体としてモデル化できるということです。では、それになにの利点があるのでしょう?
まず、その業務をより発展させようとするとき −たとえば、設計部署だけでなく、図6.9に示す全部署を全体として最適化するサプライ・チェーン・マネージメント(SCM)の構築− 、設計過程のモデルがその基礎となります。またその反対に、問題がおこったとき −たとえば、製品事故や工程遅延− 、どこに問題があるかシステム的に分析するのにも有効です。
皆さんの周囲で問題が生じたとき、その事象や過程の統語分析を行って、図6.11、図6.12のように整理してみることをお奨めします。