この章は『初心者のための記号論』の“様相と表現”に対応しています。
皆さんは、ビデオ、FAX、パソコン、携帯電話などの取り扱い説明書が分かり難いと感じたことはありませんか。最近、メーカも取扱い説明書を分かりやすくすることに力を入れていますので、大分改善されてきましたが、エラーが表示された場合の対処などでは、戸惑うこともあります。一方、パソコンに接続されているインクジェット・プリンタのインク交換手順の指示画面は、画面表示とプリンタ部品は1対11で対応が付き、余り戸惑わずに作業を進められます。取扱説明書やエラーへの対処指示画面は記号(正確にはその集合であるテクスト)ですが、記号とそれが指し示そうとしている対象との対応が容易なものと、難しいものがあります。
記号がその意味や対象を分かりやすく表現しているかどうかを、このノートでは‘記号のもっともらしさ’と言い、それを様相(モダリティmopdality)という用語で表現します。本章では、記号の様相と表現の関係について考えていきたいと思います。
5.1 記号はそれが指示するものと分離されている
(1)同一ではない記号とそれが指示する対象
左の図は、ベルギーのシュールレアリズムの画家ルネ・マグリッタ(Rene Magiritta 1898-1967)の有名な“イメージの裏切り”という絵を真似て作ったものです。‘これはリンゴではありません’というのは、間違った見出しのように思えますが、確かに本物のリンゴでなくイラストです。詭弁でありなんとなく納得できませんが、記号の一つの基本的な性質をよく示しています。
(2)記号と対象のギャップから生まれるもの
記号はそれが示す対象自身ではなく、それの代わりに対象を表現するものです。記号表現と記号内容が表裏一体であり、切り離すことができないのに対して、それが意味する対象との間には、左の図に示すように、二つの意味でギャップが出てきます。一つは、記号と対象は別のものであること、もう一つは記号が意味するのは特定の物ではなく、その物の特性をもつものの集合です。上のリンゴのイラストでも、それが意味するのは特定のリンゴではなく(例えば私の目の前にあるリンゴではなく)、赤い色のリンゴの全体を指しています。これを、ものの形相(けいそう)と言います。しかし、私達が実際に見ているのは、具体的な形や色をもつトークンとしてのリンゴです。
では何故、表現と対象のギャップが問題になるのでしょう。それは、そのギャップが色々な作用を引き起こすからです。記号は、我々のコミュニケーションの手段ですが、そのギャップの引き起こす好ましい作用と好ましくない作用をいくつか挙げてみました。
| 好ましい作用 |
|
| 好ましくない作用 |
|
このように考えてくると、良くも悪くも記号は浮遊しているものであり、伝達したいものを正しく伝えるため、記号の表現方法が重要になってきます。
5.2 記号のもっともらしさを様相(モダリティ)と言う
新しい技術や新製品を開発するにあたってはスポンサーに、どこに技術の新規性がありまたどのような利点が期待できるかを分かりやすくまた魅力的に説明する必要があります。製品や情報システムを顧客にPRする場合も、同じことが言えます。極端な場合は、そのようなプレゼンテーションが製品の命運を左右するかもしれません。エンジニアにも、質の高いプレゼンテーション力が必要となりますし、その技術やツールもどんどん進歩しています。
記号論では、記号が意味するものごと自体ではなく、記号作成者がものごとの状態(事実、推測、予測、否定など)を表すために用いる表現様式(形式)を様相(モダリティ)と言います。様相というのは、表現の妥当性を評価するのに役に立つ考えです。
(1)言葉のモダリティ
様相という考えは哲学や言語学から出てきたもので、言語学では法性(モダリティ)と言います。文は事態を表しますが、それはいつも真実とは限りません。その事態が生じる可能性や生じなかったという否定を相手に伝える必要があります。次の文を見てください。
(2)記号の様相
記号のモダリティ(modality)については、『記号学小事典』に従い様相という用語を使いました。
私の家の前の道路を広げる工事が行われていましたが(現時点は完了しました)、私が友人に「家の前が工事中でなにかと不便だ」とメールを送るより左の写真を送った方が、友人は状況が良く分かるのではないかと思います。写真の方が事態の確実性を表す様相を有しているといえます。
記号は、言葉に較べて、それを運ぶ媒体も多くなりまた表現手段も話し言葉、書かれた文章、絵画、図、ビデオ、写真、音楽など多彩になります。記号全般に適用できる一般的文法はないため、言葉に較べて様相は、もう少し曖昧なものになります。『初心者のための記号論』に様相に関して比較的明確に記述されていますので、それを以下に示します。
記号が示す事態の確実性つまり様相は、記号を表現する媒体、記号の表現様式また記号の内容などに影響されます。例えば、災害による被害の状況は、新聞の記事よりも、現場からのテレビ中継や写真の方が、現実感をもって受けとめられます。
記号論では、言葉のように様相を文法と結び付けられせんが、記号表現や記号内容の様式(型)と関連付けられ、次のようにまとめられています。ここで様相が高いほど記号が提示する事態の確実性が高く、様相が低いほど理解しにくいと記号の受信者が感じることを意味しています。
| 様 相 | ||
|---|---|---|
| 高 | 低 | |
| 様式の特徴 |
|
|
| 内容の特徴 |
|
|
ただし、上の表は一応の目安であり、たとえば図に示すような手の写真とイラストを見せられた場合、イラストの方が実在感を感じされるかもしれません。指の動きを図解する場合などは、イラストのほうが断然、有利だと思われます。
エンジニアにとっては、製品の開発計画、改良点、問題点の対策等、他の部署の人やクライアントにプレゼンテーションする機会は数多くあります。そのとき、自分のプレゼンテーションが、それを聞く人にどのように受け取られるか、様相という考えを用いてふりかえってみるのも有益ではないでしょうか。
記号とそれが指す事態やものと離れているということは、それらを伝えるための表現には多くの自由度を与えます。つまり、工夫の余地が多いということで、創造力が発揮できる分野です。
反面、表現によっては、存在しない事態やもの、また発信者に都合の良いことがあたかも真実であるように記号の受信者に伝えることもあり得ないことではありません。テレビコマーシャルなどは、多かれ少なかれ、自社製品をPRするために、特長や他社製品との差異を伝えるため多彩な表現手法を用います。これをさらに推し進めたのが政治的な情報操作で、イラク戦争開始における情報操作は記憶に新しいところです。
このように、様相(モダリティ)と言う考えは、我々が自分で考えるヒントをいろいろ与えてくれます。
5.3 図は意味と密接に関連する表現である
次に、記号の様相を左右する表現について検討します。
(1)『図の体系』というテクスト
記号は、表現によって私たちの前に現れてきます。表現の形体としては、話し言葉、文章、絵画、写真、動画、音楽などいろいろありますが、エンジニアにとって重要な表現方法の一つに、図があります。皆さんも、自分の考えを図で表してみろなどと言われたことはありませんか。
実際の業務でもいろいろな図が使われています。演習として、自分が住んでいる地域の行政サービスに着目し、現状を図で整理してみることにしました。市では、市をいくつかの行政地区に分け、そこに行政センターを設置しています。さらに地区を町区に分け、そ(住民から選出された)町区の役員が住民への直接的なサービスを行います。そのような形態を図5.6のような領域図で表現することができます。これにより、大まかな行政組織を知ることができます。さらに、私の住んでいるG地区を構成している町区の大きさを、図5.7のように人口のグラフで表してみれば、町区によって人口に大きなバラツキがあることを知ることができ、行政サービス上の問題点などを考えることができます。
![]() |
![]() |
このように、図はいろいろ有益な情報を与えてくれるのですが、その種類も多く、系統的な検討は行われてこなかったように思っていたのでしたが、1983年に出原、吉田、渥美により『図の体系』という本が出版されていました。これは、記号論も一つのベースにして図による意味の表現方法、図の系統、言語としての図を体系的にまとめたもので、非常に優れたテクストです。ここでは、その要点を紹介してみたいと思います。興味のある人は、是非原著を読んで下さい。
(2)図とはなにか
| 文 | 1次元 | 文章、詩文、コンピュータ言語の文など |
| 式 | 1次元 | 数式、論理式、分子式など |
| 図 | 2次元 | 地図、設計図、グラフ、表、音譜など |
| 絵 | 2次元 | 洋画、日本画、イラスト、スケッチ、漫画、写真 |
情報の視覚的な表現形式としては、大まかには文、式、図、絵が挙げらます。このうち、文と式は1次元の表示形式であり、とくに文は言葉の並びに従って順次読解していくことから、その特徴の一つが線状性です。
それに対して、図と絵は2次元的な表示形式であり、全体が一目で見られるのが、共通した特徴です。では、図と絵はどのように違うのでしょうか。図は、その中で用いられる要素が(図の目的に従って)定められています。また、それらの要素は、規則に従って関係付けられます。絵の場合、それを構成する要素、配置、要素間の関係を自由に選択できます。
テクストを理解する場合、まずテクストの中に存在する記号やその内容を明確にし、次に記号の間の関係を検討し、そのテクストの意味するところや構造を明らかにしていきます。図はこれと逆の順序で作成していきます。まず、要素を配置し、次にルールに従った要素間の関係付けによって、意味を表していきます。
では、図での関係付けにはどんなものがあるでしょう。『図の体系』では、‘要素群を関係付けることは、全体の関係集合の中に部分集合を形成することである’と定義しています。関係付けの方法には次の3つの方法があります。
(3)図の系統
図では、要素を平面上に配置し、それらを上の3種類の方法で関係づけていきますが、それによって作成される図は(a)領域系、(b)連結系、(c)配列系、(d)座標系、(d)形象系の5つに分類できます。
| 領域系の図 | ![]() |
| 要素群を配置の遠近や線分で囲むことにより、要素のグルーピングを行い、部分集合が表す概念を明確にするつまりカテゴリー化を支援する。KJ法などでよく用いられる。 | |
| 連結系の図 | ![]() |
| 要素群を直接的に結び付けることにより関係付けを行う。いろいろなネットワーク系(インターネット、コンピュータ・ネットワーク、鉄道網、道路ネットワーク‥‥)、数学のグラフ、ブロック線図など広く用いられている。 | |
| 配列系の図 | ![]() |
| 配列では、配列の交点に位置する要素はそれぞれの配列(部分集合)に同時に所属するものとして表現される。行列のaijはi行j列の要素を表す。また、将棋や囲碁も、1種の配列系の図と言える。これにより、複数の部分集合間の対応関係を表す。 | |
| 座標系の図 | ![]() |
| 座標はあらかじめ設定された指標に基づいて、空間における唯一無二の位置を定める「仕組み」である。例えば、図に示すような2つの変数間の関係を示す図がこれにあたる。定量的な関係を視覚的に確認したい場合に使われる。機械系の設計図や3次元モデルの投影図なども、この座標系の図に該当する。 | |
| 形象系の図 | ![]() |
| 図の個々の要素やその関係よりも、全体そのものの大まかな把握を目的にするならば、関係構造の全体的特徴を体現するような図形によって示せば良い。公共の場所や電車の中でよく使われているピクトグラムと言われる絵文字や太極拳で使われている陰陽図などはその例である。 |
いろいろある図をこのように分類できれば、それぞれの図の特徴また守るべき規則つまり構造が明確になり、図のよる表現や理解をよりシステム的にできると期待できます。
(4)記号としての図 − 図言語 −
(A) 記号としての図
図は、作成者が意味を明確に伝えようとして作成するものであり、当然記号です。記号としての図は、次のように特徴付けられます。
|
| 領域系の図 |
|
| 連結系の図 (網図) |
|
| 配列系の図 (行列図) |
|
| 座標系の図 |
|
ここで紹介した『図の体系』は非常に優れた成果だと思っていますが、それを発展させた研究がわが国で継続されているように思えないのは残念です。一方、スイスの4つの大学が協力し、視覚表現リテラシーに関するプロジェクトを作り、これから紹介するように視覚表現技術の整備や教育を着々と進めています。私は、視覚表現に関してはまったくの利用者ですが、わが国の現状に漠然とした危機感を感じています。
5.4 Visual-Literacy.org サイトの情報表現の周期表について
『図の体系』は、現存している多種多様な図がどのように系統的に整理できるか、つまり図の記号論的分析を行ったものです。
それに対して、与えられた課題特に対してどのような図を使ったら良いか、特に概念的な視覚表示をどのようにすればよいかという、視覚表現への課題指向の接近方法もありえます。スイスの4つの大学が授業用に作ったVisual-Literacy.org では、課題指向で視覚表現をまとめた‘視覚表現の周期表(A Periodic Table of Visualization Method for Management) )’を公表しています。
本節では、R.LenglerとM.J.Epplerの論文‘Towards A Periodic Table of Visualization Methods for Management’の要点を紹介したいと思います。
(1)視覚表現方法の分類方法
(A)検討対象とする領域
視覚表現を、次のように定式化します。
視覚表現は、教育、要求工学、推論など広い領域で、概念のマッピングや知識の推論過程の図式化や視覚的比喩などに使われるが、ここでは知識の管理(原文はmanagementですが、このようにしました)の領域に応用できる方法に絞っています。
(B)視覚表現方法の選定
実用化されている視覚表現を網羅するため、ウエブサイト、書籍、経営・心理学・教育・計算機科学・デザイン・哲学の学会誌を調査し、160の視覚表現方法を見出しました。
次に、それぞれの方法を、きちんと資料化されているか、非専門家でも使えるかなど5つの規準で評価し、100の方法に集約しています。
(C)視覚表現方法の分類
これを100の方法を、次の5つの次元で分類します。
(2)視覚表現の周期表の概要
(A)元素の周期表
1869年にメンデレーエフは、元素を原子量の順に並べると、ある元素から数えて8番目の元素は元の元素とよく似た性質を持つという周期律に基づく元素の新しい配列表(周期表)を考え出しました。これにより類似の性質をもつ元素は表の上でも同じ列におさめることができ、また未発見元素の性質まで予言できることを明らかにしました。
この予言は的中しましたので、メンデレーエフの周期表と呼ばれ世界中で使われ、高校の教科書にも載っています。
(B)視覚表現の周期表
Visual-Literacy.orgでは、5つの次元で分類した100の視覚表現を、この周期表に倣って配列、表記しました。つまり、視覚表現のメタ表現として、周期表の形式を用いた訳です。これは、なかなか創造性に富む方法だと思います。
この表では、縦軸つまり列は、同じ目的の視覚表現でも簡単な表現から複雑な表現が掲載されています。
横軸は応用領域であり、6つの範疇(Data Visualization, Information Visualization, Concept Vizualization, Metaphor Visualization, Strategy Visualization, Compound Visualization)から構成されています。
現時点(2007年5月)では、インターネット・エクスプローラ6.0では、周期表の各セルをクリックしても具体的な図を表示できませんが、Visual-Literacy.org のサイトの下位ページから全ての図を表示できます。
視覚表現の周期表は視覚表現リテラシー(Visual Literacy)の教育のために開発されたツール・ボックスですが、実務上も役立つものです。活用することをお奨めします。