2.1 モデリングについて‥‥ちょっとわき道かもしれませんが
記号論を用いて、記号または記号の集合であるテクストを分析することを、ここでは記号論的分析(semiotic analysis)と呼びます。analysisは分析・解析と訳されますが、我々エンジニアにとっても馴染みのある言葉です。この分析・解析について少し考えてみたいと思います。
物質として存在するもの(気体、液体、固体)であれば、何らかの測定装置を用いて分析できることが多いと思います。一番身近なのは、我々の健康診断であり、いろいろな分析装置が使われます。では形状や成分構成などでそのもの自体を分析できないもの(例えば、巨大建造物のように、大きすぎて全体がそれ自体の分析が難しいもの)やこの世に存在しないものの分析はどのようにするのでしょう。
まず考えられるのは、分析の対象に特性(形状、成分など)が似ておりさらにいろいろな実験や測定ができるアナログ・モデル(相似モデル)を作ることです。ある装置に大きな事故が起こったとき、その一部分を模擬する小さな装置を作り、事故を再現し原因を探す実験をよくテレビで放映していますが、これはアナログ・モデルです。
もう一つは、デジタル・モデルを作成する方法です。この場合は、対象を図表や数式や言語など、別の媒体で表現することになります。通常、このデジタル・モデルをベースにして、コンピュータ上で解析することになります。私は、デジタル・モデルの作成過程つまりモデリングに興味を持っていますので、もう少し、これについて検討してみたいと思います。
[例 題]
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[モデリング:第1ステップ] モデリングをするためには、いろいろな方法が考えられます。まず湯沸しポットを分解してみてその構造を調べて見ることが考えられます。しかし、ここでは、それによく似たものを観察し、モデルを作ってみます。湯沸しポットと同じ目的をもつものが、図2.3のレンジと薬缶と写真に写っていない私です。これで、お湯を沸かすプロセスを考えてみます。水を入れた薬缶をコンロをのヒータ(ガス式、電気式)の上に乗せ、ヒータをオンにします。それにより、水の温度が上がってきます。写真には写っていませんが、私は薬缶の水が沸騰してきたら、スイッチを切ります。これから、湯沸しポットの温度制御に必要な次のような構成要素が見出されます。まずが水が入っている本体です。つぎに、それを熱するヒータです。電気式ヒータですので、ヒータを動作させるための電圧調整装置も必要です。私は、水の温度計と制御装置の役割を果たします。つまり、温度計と制御装置も必要になります。これらの構成要素を原因と結果を考えながら結んでいくことにより、湯沸しポットの温度制御系の概略モデルを作ることができます。
この概略モデルの第1の要点は、それがタンク、ヒータ、制御系および電圧調整装置という抽象的なモデル要素から構成されることです(ここでは、それを実体と呼びます)。第2はそれらのモデル要素は独立に存在するのではなく、情報によって図のように結ばれていることです。モデル要素は抽象的なものなので、物質的なポットは、製品ごとにその大きさが変わりますが、容量が変わっても共通的に使えます。そのようにモデリングするためには、当然、伝熱の知識またはタンクの動的な熱収支モデルに関する知識が、ある程度必要となってきます。
[モデリング:第2ステップ] ここまでくれば、各モデル要素ごとに動的な熱収支を定式化することにより、下の図のようなブロック線図を導くことが可能となります。要素の具体的な内容(微分方程式)は省略しますが、モデル要素毎に伝達関数(入力と出力の関係)を決定できれば、制御系解析ソフトを用いるなりまた自作の微分方程式解析ソフトにより、ポットのお湯の温度の時間的変化を定量的に評価できます。
[例題終わり]
教科書では、通常、概略モデルが与えられ、それをどのように解析していくか、その理論的方法を解説していきます。しかし、私が実務の中でモデリングを行った経験では、解析対象からこの概説モデルを作成するところがなかなか難しいようです。特に、その対象に対して、第3者的な立場にあるかまたはその対象に深く関与していても、モデリングの経験が浅い場合、概略モデルの作成がより難しくなります。その難しさの一つは、分析対象からモデル要素を作り出すところにあると思っています。
概略モデルの作成方法を抽象的に表すと下の図のようになります。つまり、分析対象を構成する物質的な実体や物質的ではないですが明示的に示されている実体からモデル要素をまず見出します。それには、いろいろな方法があると思いますが、機能的に似ておりその内容をよく知っている別のもの見つけ、それと比較してモデル要素を決定していくのも一つの方法だと思います(比喩つまり例えを用いることです)。見出したモデル要素を関連付けることにより、概略モデルを作成していきます。実体という言葉を辞書で調べると“@実際に指摘することのできるような具体的な形をそなえたもの、Aいろいろな形をとって現れるものの底にある、本質的なもの”とあります。つまり、対象の表面からモデル作成者が@の実体を切り取り、その中に潜むAの本質的なものつまり意味を取り出し、それをモデル要素としてモデルの中に組み込んでいくことになります。これには、対象を構成している物質的な実体についての知識だけでなく、それの挙動や特性などに関する普遍的な知識つまり(ちょっとこじつけですが)意味を捉えていくことが必要となります。物質的なものまたそれをイメージできる対象ならば、対象を構成する実体と意味の関係を具体的に考えられるのですが、情報、業務・生産プロセス、組織といったなかなか見えにくい分野では、モデリングのハードルはより高くなります。
解析対象の中の要素はモデル作成者が見出すものであり、それはモデル作成者にとって表現とも考えられます。表現とその意味の関係を探求する記号論は、モデリングということと共通性がありまた役立つのではないかと私は感じています。
2.2 記号論的分析ではなにをおこなうか
(1)記号論的分析のめざすものは構造、コード
記号論的分析では、分析対象である記号またはテクストという表現が作ろうとしている意味を明らかにしようとします。もっと分かりにくいかもしれませんが、表現が作り出す世界の構造を記号論を使って分析しようとします。たとえば、ビルディングは外観しか見えませんが、その外形からビルディングを支えている鉄骨構造やその強度を推定するようなものであるといえるかもしれません。
構造という考え方については、生成文法の入門書に“構造というのは「大きな単位を作っている小さな単位の並び方を決めている規則」が分かるように表したもの”という説明がありました。記号論的分析は、大きな単位であるテクストからそれを構成している小さな単位である記号を同定し、記号と記号の結び付きまた記号の働きを規定する規則つまりコードを明らかにしていきます。つまり、テクストの構造を同定することが記号論分析の目的と言えます。
ここで、テクストは1。1の記号の例で示したように、我々を取り巻く現実世界(自然現象、社会現象)、新聞やテレビのニュース、ドキュメンタリー映画や写真、インターネット上の情報世界、文学、詩、映画またTVドラマなどで描く虚構の世界、エンジニアが取り組む人工的世界の中で、我々が何かを表していると思うもの全てを含むことになります。
言葉は、我々にもっとも強い影響をもつ記号ですが、それは言語学の対象であり、記号論ではそれを用いて作られたものを対象にします。一方、言語学で用いられているいろいろな考えは、言語学モデルとして、記号論ではよく使います。
(2)記号論的分析の進め方
『初心者のための記号論』の演習での手順をもとに、記号論的分析のフローチャートを作成してみました。記号論の内容を読む時に、その位置付けに役立てばと思っています。記号論的分析、特に社会的な分野のテクストの分析にあたっては、次のような性悪説的なことが前提になっているようなので、頭に入れておいて下さい。
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2.3 エンジニアはどんなところで記号論につまずくか
記号論は、エンジニアにとっても役に立つことをいろいろ含んでいますが、記号論の本を読んでいくのは辛抱が要ります。我々はエンジニアとして教育されて来ましたので、工学特有の考え方が身に染み付いており、記号論の言葉や考え方がピンと来ないことが一番の理由ではないかと思っています。それらの本の基盤となっている考えで、私が戸惑ったことについて書いてみたいと思います。
(1)世界は物質世界だけでない
記号論に関係した本では、工学ではあまりお目にかからない世界という言葉がやたらと出てきます。当たり前の言葉だよと言われるかもしれませんが、気になったので新明解国語辞典(三省堂)で調べてみましたら、二つの意味が書いてありました。
| 新明解の定義 | このノートで呼び方 | 特徴 |
|---|---|---|
| @人間が住んでいたり、行って見たりすることが できる全てのところ |
物質世界 | 連続 |
| Aそのものとその同類で形作っている、なんらかの 秩序があると考えられる集まり | 認識世界 | 離散 |
@はものが実在するせかいであり、普通、我々が想定している世界です。このノートでは物質世界と呼ぶことにします。この物質世界の特徴の一つは、空間的にも、時間的にも連続であることです。つまり、連続世界です
一方、Aは我々が我々の意識の中で作る世界であり、「インターネットの世界」、「ソフィーの世界」、「藤沢周平の世界」(新聞広告にありました)‥‥のように意識の中に作られる世界です。ここでは勝手に認識世界と呼びます。この世界の特徴は空間的にも時間的にも、離散的なことで、離散世界と言えます。
例を図に示します。上は物質世界、ここは日光ですが男体山も戦場ヶ原という名称は(当然ながら)ついていません。しかし、これを見ると、我々は“日光”、“男体山”、“戦場ヶ原”という言葉を思い浮かべまたそれから東照宮などをイメージするかもしれません。つまり、自分なりの世界を作り上げていきます。小説を読むときや映画を見ているときのことを考えると良いかもしれません。我々は、勝手に主人公を含めた世界を作り上げていきます。
しかし、物質世界と認識世界は分離しているものではなく、我々の身体を通して密接に関係してます。物質世界から認識世界への経路が五感で、認識世界から物質世界への経路は種々の身体の身体の動きです。例えば見ることは視覚によりますし、話すことは発声器官が動いて実現されるものです。
記号論は、Aの認識世界を検討対象とし、それが我々の中にどのように構築されるかを調べる方法を提供します。
(2)ものは記号(言葉)によって作られる
私は、実質がまず存在し、それを指すために記号があると考えていました(感覚的には、いまでもそうです)。多分、多くのエンジニアも、物があってそれを指すために言葉があると考えていると思います。しかしソシュールは、言葉は実質の名称目録ではないと考えました。それは、言語によって、物の区分の仕方が異なってくるという事実に基づいています。よく挙げられる例は、虹は日本語では七色(赤橙黄緑青藍紫)ですが、英語ですが六色(red,orange,yellow,green,blue,purple)だそうです。記号論の本では羊の区分が英国とフランスで異なることを、ソシュールが指摘したことがよく出てきます。物の区分や分類がまずあってそれに記号(言葉)が対応しているのでは、言語によって物の区分が異なることがうまく説明できません。記号論では(ちょっと極端に言えば)、記号(言語)によって物の区分や分類がなされる立場に立ちます。認識世界では、もの(実質ではなく実体です)は記号(言葉)によって作られると言えます。
我々は物質世界にどっぷり浸っていますし、また自然科学では客観的な普遍性が原則でですので、これになかなか納得できないのですが、逆に同一の実質を指しまた区分する記号(言葉)は唯一ではないと考えればなんとなく納得できるかもしれません。例えば、物理でもいろいろな単位が使われていました。温度でも絶対温度(K)、摂氏(℃)、華氏(F)があります。ISO(国際標準化機構:International Organization for Standardization )の単位記号にようやく統一されたのは、記憶に新しいところです(でもまだft.などを用いている国もありますよね)。
また、まだ見つからない星は、我々にとっては存在しませんし、地球はガリレオが「それでも地球は回っている」と言った時、回り始めたのです。
いずれにしても、実質(物質世界)をちょっと棚に上げて記号論の本を読んだ方が、ハードルが低いのは確かだと思います。
(3)記号はシステムを構成する?
記号論や言語の本では、システムという言葉がかなり頻繁に出てきます。例えば、「記号システム(semiotic system)」、「言語は記号のシステムである」‥‥。私は、システム工学者を自任していましたので、システムという言葉に最初は親近感を持ったのでしたが、少し考えると違和感を持つようになりました。
システム工学の立場からは、システムはそれを構成する要素を有機的に結び、要素間の相互作用を介してある機能を実現するというイメージを持っていました。つまり各々の要素は何らかの作用を持っています。しかし、記号や言語は、静的な要素の組合せですので、システムと呼ぶことには抵抗感があります。
そこで、systemを新英和大辞典(研究社)で調べてみました。すると、次のようにいろいろな意味がありました。
「結合する」を意味するギリシャ語を語源とし、「いろいろな要素から構成される統一体」を意味するsystemと1対1対応する日本語の言葉つまり概念はなく、その実現形態にあたる言葉があることが分かります。ソシュールの『一般言語学講義』の解説書では、言葉は体系をなすと書かれていますので、記号の場合もsystemは上の日本語訳のうち体系が対応するのかなと思っています。しかし、このノート(および『初心者のための記号論』)では、システムという言葉を用います。
体系と言われるとなんとなく納得してしまうのですが、しつこく体系を国語辞典で調べてみました。大辞泉(小学館)に載っていた次のような解説が一番ピンと来ました。
これから、このノートの中でシステムという言葉が出てきたら、体系という文脈で捉えてください。