記号論は流行おくれだと言われていますが、理論体系の価値は流行で決まるものでしょうか。理工学系統でも理論のはやり廃りは日常茶飯事です。たとえば、ファジィー理論や知識工学などのように、一時学会で盛んに取り上げられ、論文も山のように書かれましたが、今は取り上げられることが少ない理論など珍しくありません。
しかし、実用上有効な手法や理論は、あまり話題になりませんが活用されています。例えば、フィードバック制御やシーケンス制御の理論などは、制御装置の設計に不可欠な理論です。学会や大学は、記号と同じく差異に価値があるシステムなので、そこで取り上げる理論や技術が変化していくのは避けられませんが、その中からその分野の基盤となっていく理論や技術が残っていきます(少数ですが)。
では、記号論はどうでしょうか。私は残すべき理論であり、表現とその意味の関係を探求する記号論は、怪しげな情報が氾濫する現代や近未来ではますますその重要性を増してくると思っています。理工学系特に情報に携わる人には、表面的にでも記号論に触れて欲しいと願っています。課題は、実際の問題にどのように適用していくかの方法論を確立することだと思いますが、記号論の専門家には期待できそうもありません。
私は、ウエールズ大のダニエル・チャンドラー教授(Daniel Chandler)のオンライン・テキスト『Semiotics for Biginners』を読んで、体系的で非常に良い本だと思い、翻訳しホームページに掲載しました(ちなみにチャンドラーはメディア論を専門としています)。しかし、このテキストはエンジニアにとっては敷居が高いのではないかと感じ、そこへの入門ノートを書いてきましたが、1年間でやっと形を整えることができました。
ただ、このノートは誰を想定して作ったのかと自問自答してみると、自分自身だったということに気が付きました。多分、このノートは独りよがりに満ちていると思いますが、もし読んでくれた人がいましたら、『初心者のための記号論』に挑戦してみて下さい。
(2008年6月)