ACT.5 メイドのココロ


 そして、3年の月日が流れた。






 新桜花市を見下ろす丘の上。小さな墓の前にゆ〜にぃはいた。墓には花束が添えられている。
 「希ちゃん……」
 墓に向かって話し掛けるゆ〜にぃ。「しばらくこれなくてごめんね。ちょっと訓練で忙しかったんだ」
 ゆ〜にぃの服装は、野戦用戦闘服という以前の彼女からは想像もつかないものだった。彼女の今の肩書きは、陸上自衛隊第88機械化混成普通科連隊本部管理中隊長。数百人もの部下を束ねる指揮官である。
 「でも、もう大丈夫だよ。今度の作戦が終わったら、もうずっとこの街にいられるから」
 かつてのマスター、希のことを思い出すと、今でも涙が流れてくる。今から3年前、彼女を手にかけたのはマザーに操られていた自分だったのだから。
 希の想い人だった遠野はゆ〜にぃを責めなかった。他の人間もSDもそうだった。事実そうなのかもしれないが、それでもゆ〜にぃは、自分自身を許すことがどうしても出来なかった。マザーの支配から逃れることの出来なかった自分の不甲斐なさが、希を死なせてしまったのだと、今でもそう思っていた。
 このような悲しみは、二度と繰り返してはならない。
 だから、自衛隊内に新たにSDと人間の混成部隊が発足すると聞いたとき、ゆ〜にぃは迷わずそのメンバーに志願したのだ。
 やがて、部下の一人がやってきて敬礼する。
 「中隊長殿、お時間であります」
 「……わかった」
 ゆ〜にぃは袖で涙をぬぐうと、墓の前から立ち上がった。部下の後について、墓地の外に止めてあるジープに向かう。
 ふと、足をとめて振り向くゆ〜にぃ。
 「それじゃ、行って来るね」
 「いかがされましたか?」
 振り向いた部下が怪訝な顔をする。ゆ〜にぃは「なんでもない」と答えると、ジープの方に向かって大股で歩き始めた。


 あれから、世界は一変した。
 世間に公表された新桜花市の動乱とその経緯は、世界中の人々を震撼させた。
 自律式の高性能コンピュータの叛乱―それは人間が今まで一度も体験したことのなかった出来事である。まったく未知の、しかも人間の存在を脅かす敵の出現に、人々は恐怖した。
 むろんMeグループ社は世論からの激しい糾弾をあび、崩壊の危機に陥った。そして、現在世界中に20基以上あるマザー型ハイパーバイオコンピュータを、すべて運用停止、あるいは解体撤去すべきだという声が上がった。世論は世界中に広がり、各国の政府もそれに同調した。人間の国家相手ならともかく、降伏も和平交渉の余地もない、どちらかが滅びるまで決着のつかない人工知能相手の戦争など、どこの国も真っ平だったのだ。
 しかし、それがかえって裏目に出た。
 Meグループ社の崩壊の危機を回避し、さらに自己の安全を守るために、世界中のマザーたちが一斉に人間に叛旗を翻したのだ。
 世界はたちまち大混乱に陥った。なにしろ海外の反乱マザー群は、日本のマザーと違い秘密裡に事を動かそうとしなかったのだ。人間は都市及び企業システムには無用無益の存在であるばかりか、システムに害なす危険な存在である―それはかつて日本のマザーが人間を排除する理由としてあげたものと一字一句違わないものだった―という見解のもと、マザーたちは大量の無人兵器群を動かし、世界中の主要都市に容赦のない痛打を与えた。
  叛乱はやがて人間対コンピュータの全面戦争の様相を呈してきた。北米やオーストラリア、ヨーロッパ諸国などの叛乱は、人間側の軍事力が強大であったこともあって比較的短期間で鎮圧することが出来たが、問題はアジア・アフリカ諸国だった。特にアフリカ戦線は完全に泥沼化の様相を呈し、多数の犠牲者が軍民問わず出ている悲惨な状況になっていた。
 そんな中、唯一叛乱に加担しなかった日本のマザーが、日本政府に対し反乱鎮圧の協力を申し込んできたのである。


 「それにしてもさあ」
 航空自衛隊千歳基地。秋間は格納庫の前で壁に寄りかかりながら、後頭部の後ろで手を組みひとりごちた。陸上自衛隊の野戦戦闘服姿である。
 「まさかアタシたちがこんなナリしてせんそーに行くなんて、3年前には思いもよらなかったわよねぇ」
 「まあな」
 同じく戦闘服姿の下田が頷く。彼はあの事件の後、警察の職を辞し野門流の師範となって後進の指導につとめていた。あの時、警察官として市民の安全を守るためにマザーを破壊することより、鬼杏の、SDたちの未来を取る方を選んだ彼の、ひとつのけじめのつけ方だった。しかし、その一見平和な日々も、長くは続かなかった。彼は秋間と共に、人間・SD混成部隊の根幹メンバーになることを強く要請されたのだ。
 「ところで、他の連中はどうしたのかしらねぇ」
 「万景寺先生は、弓音さんとともに軍医として派遣部隊に参加するそうだ」
 「うわ、あのジジイもう80歳超えているんでしょ。元気だねぇ……」
 「元気で悪かったの」
 「うわあ!!」
 背後から声をかけられ、秋間が飛び上がる。いつの間にか二人の背後に万景寺が立っていた。トレードマークの白衣姿。横には弓音が控えている。
 「ななななんなのよ。いるならいると言って頂戴」
 「お久しぶりです、万景寺先生」
 下田が握手を求める。それに返しながら、万景寺は下田の身体を見上げ、ニヤリと笑う。
 「それにしても、前にあった時より随分たくましくなったものじゃな」
 「ええ、まあ」
 頭をかく下田。実は別居していた夜宵が戻ってきて、それでフルコンタクト異種格闘技戦一本勝負の夫婦喧嘩が毎夜のように行われているようになったからだとは、とても口にはできない。
 「まあ、護るべきものが増えたということじゃな」夜宵が戻ってきている事を知っている万景寺は含み笑いをしながらいった。「奥さんは大事にしてやれよ」
 「はあ……」
 「ところで、ヌシらのSDたちはどうした?」
 「はあ、あそこです」


 秋間たちから少し離れた場所で、やはり戦闘服姿のリュスカと鬼杏が話しこんでいた。
 「ねえ、鬼杏さん」
 「なんですか?」
 「鬼杏さんって、確かボディーガード型SDだよね?」
 「元々はですけどね。この部隊に志願したときに、トループドロイドへの仕様変更を受けましたよ」
 トループドロイドとは純軍事用に特化したSDのことで、2年前に村上博士のチームによって開発された。現在最も多く量産されているSDの主力タイプである。
 「そーなんだ……でもさ、わたし3年前と同じナイトライフサポート型のまんまなんだよね」
 「それで?」
 「ナイトライフサポート型なのに派遣軍に指名されたということは、もしかして、わたし兵隊さんたちの夜のお相手もしなきゃいけないのかしら?」
 「……いや、それは違うと思いますが……」
 「そうよ、きっとそうだわ。わたしは屈強な兵士たちに無理やりテントに連れ込まれそしてあーんなことや、こーんなことをされるんだわ!!」
 「……あの、もしもし。リュスカさん?」
 「わたしお兄ちゃんにだって裸見せたことなのに、そんなことされたら……そんなことされたら……きゃー、いやーん」
 「……ダメだこりゃ」


 「相変わらず、元気そうでなによりじゃ」
 あらぬ妄想に顔を赤くしてきゃあきゃあ言っているリュスカと、呆れたように額を押さえている鬼杏を見ながら、万景寺は笑った。
 「そういえば村上博士は今何をやっておるんじゃ?」
 「技術顧問としてMeグループ社からウチの部隊に派遣されてるのよん」
 秋間がそう答えて左手を見せる。「この腕も村上ちゃんが作ってくれたのよ」
 SDのコンポーネントを流用した義手だった。外見も動きも本物と殆ど変わらず、限定的ながら感覚も備えているという優れものだった。
 村上が開発したのはそれだけではなかった。彼がこの3年で開発したものの中で、最も画期的だったのは、衛星通信を使った新ディジタルウェブシステムである。このシステムの開発により、SDは新桜花市の外でも活動が可能になった。そしてその事が、マザーの提案したSD・人間の合同戦闘部隊の創設に大きく寄与したのだった。
 「宮川さんとゆかりさんはどうしているか分かります?」
 弓音が聞いた。彼女はこの3年で姐御肌なところがなくなり、柔らかな笑みを浮かべることが多くなっていた。
 「宮川君は九州のSD工場に出向しているそうだ」下田が答える。「ゆかりさんも一緒らしい。そろそろ式を挙げるんじゃないかな?」
 「そうなんですか」
 「まあ、実家とはかなりすったもんだあったらしいけどな。アスカさんの口ぞえもあって結局親も折れたらしい」」
 「まあ、落ち着くところに落ち着いたというところかのう」万景寺が顎鬚をしごく。
 そこに、一人の女性士官が近づいてきた。それに気づいた下田、秋間が姿勢を正して敬礼をする。
 「ゆ〜にぃ中隊長」
 その女性士官―ゆ〜にぃは敬礼を返す。その様子を見た万景寺が興味深そうに言った。
 「ほほう、派遣部隊の司令官は嬢ちゃんか?」
 「お久しぶりです、万景寺先生」ゆ〜にぃがにっこりと笑う。「お元気でしたか?」
 「うむ、ヌシも元気そうでなによりじゃ」
 万景寺はそう答えると、満足そうに目を細める。3年前、希の死とその原因を告げられた時には、それこそ人格プログラムが崩壊したかと思うほどの激しい落ち込みようだった。しかし、今ではさっきのような笑顔を浮かべるまでになっている。むろん、あの悲劇をゆ〜にぃは忘ることはできないだろうが、それでも、彼女がそれを乗り越えようと頑張っている姿を見るのは、万景寺にとっても嬉しい事だった。
 それはまさに、SDがココロを持っていることの何よりの証拠なのだから。
 「……いよいよ明後日ね」
 「はい」
 ゆ〜にぃの言葉に、秋間と下田が感慨深げに頷く。
 明後日、彼らは陸上自衛隊特別派遣部隊の一員としてこの基地から出発する。部隊の任地はロシア。国連主導の多国籍軍の一員として、モスクワ郊外の無人要塞工場の攻略作戦に参加するのである。
 もともと軍需工場が隣接してあったMeグループ社ロシア支社は、マザーの叛乱後は無人兵器の一大生産拠点と化していた。多数の無人戦車と無人戦闘機に守られた工場内部では、現在も無人兵器群の生産が続けられ、世界各国のマザーのもとに供給されている。まずはここを叩くことが、この戦争に人間が勝つための絶対必須の条件だった。
 今まで防戦一方だった人間側が、ついに反撃に出るのだ。
 「いよいよ反撃開始ってわけね」ボキボキと指を鳴らす秋間。「腕が鳴るわあ」
 「無茶はするなよ」
 「本気でバトるのに無茶も何もないでしょ、下田ちゃん」
 「ワシの仕事を増やすなと言っておるのじゃ」
 「頼もしいわね」
 それを見たゆ〜にぃは微笑む。そして鬼杏とリュスカを呼ぶと、皆の顔を見回して言った。
 「あなたたちに、直々の命令があります。心して聞きなさい」
 「……なんですか、改まった口調で」下田が問いかける。
 「簡単なことです」とゆ〜にぃ。「この作戦、ここにいる6名は必ず生きて帰ってくること。これは最優先かつ最重要命令です。死ぬことは絶対に許しません」
 希のような犠牲者はもう出したくない。そして自分のように悲しい思いを誰にも味わわせたくない―ゆ〜にぃの表情はそう物語っていた。そしてそれは、あの時悲劇の場に居合わせた彼らも同じだった。
 6人は揃って敬礼する。
 「よろしい」
 ゆ〜にぃは満足そうに頷いた。


 新桜花市。ノーススター探偵事務所。
 「メンテナンス終わりましたよ、倉瀬さん」
 端末に向かっていた遠野が振り向いて言った。
 「ああ、ありがとう」
 自分のデスクで執務をしていた倉瀬は、ペンを動かす手を休めて言った。「わざわざ出向いてもらってすまなかった」
 「いいえ、構いませんよ」
 仕事道具をバックにしまいながら遠野は答える。「また何かあったらいつでも連絡ください」
 「ああ、そうさせてもらう―お茶でも飲んでいかないか?」
 「そうですね……」遠野は腕時計をみた。「今日はもう仕事も終わりですし、せっかくですからご馳走になっていきましょうか」
 倉瀬は頷くと、なしのを呼んだ。
 「なんだ、クラウゼル……じゃなかった所長」
 「紅茶を入れてくれ。私と遠野さんの分だ」
 「分かった」
 なしのは頷くと給湯室に消えていった。勧められた応接用のソファに座りながら、遠野が微笑む。
 「なしのさんも相変わらずの性格なのですね」
 「うむ。まあ、あいつもけっこう気に入っているようだからな」
 遠野の正面に座った倉瀬が頷く。その表情はどこか嬉しそうだ。
 「そういえば、君のみるふぁはどうしている?」
 「私の仕事を手伝ってもらっています」と遠野。「今日は別の顧客のところを回っているんですよ」
 「そうか……」
 倉瀬は遠野の様子を伺う。いつもと同じような穏やかな表情には、しかし表情に若干の陰が見えるような感じもする。
 まあ、無理もなかろう―倉瀬はひとりごちた。3年前、彼は目の前で好きな女性を殺された。その時に受けた心の傷は、覆い隠すことは出来ても癒すことは簡単には出来ないだろう。
 「あ、そういえばこの本読みました?」
 遠野がそう言って1冊の本を取り出す。
 「これは?」
 「前園さんの新刊ですよ」と遠野。『メイドのココロ〜Machine-Maid Heart』というタイトルがうたれたその本の帯には、『ココロを持つ機械と人間たちの愛の交流を描いた感動の話題作!!』という文字が書かれている。
 「3年前のあの事件の脚色して、登場人物の名前も変えて書いてあるんですよ」
 「へえ」
 倉瀬はぱらぱらとページをめくる。なるほど、一応フィクションと銘打たれているが、話の流れはまさにあの事件とそっくりそのままだ。武道の達人の警察官、フェミニンな理工系の大学生、やたら過激な医師の老人など、登場人物もアレンジされているものの、誰がモデルかすぐに分かる。
 「倉瀬さんは隠れ趣味がコスプレの美少女探偵になってますよ」
 「この猫耳はコスプレではないぞ」
 憤慨しながらページをめくっていた倉瀬は、あるところで目が止まった。それは、事件に巻き込まれたコンピュータ技師が、恋人をアンドロイドに殺される場面だった。倉瀬の脳裏に、3年前のあの悲劇がフラッシュバックする。
 「君はこの本を読んだのか」
 「ええ」
 「そうか……」
 それは辛いことなのだろうが、彼があの悲劇を乗り越えるためには必要なことなのだろう。
 「……実は、ですね」しばしの沈黙の後、遠野が切り出す。「これはその本に書かれてないことなんですがね、あのときちょっと気になることが起きていたんですよ」
 「?」
 「本社ビルに侵入したとき、私は葛原社長の事を調べようとしてマザーのパーソナルコンピュータ領域にハッキングしていたんですよ」
 「ほう」倉瀬が頷く。
 「その時引き出した葛原の個人データの中にですね、経済のシミュレーションが入っていたんです。それによると、もし今の社会構造のまま経済活動を続けていたら、200年後には資源の枯渇や環境破壊の為に人間社会は崩壊してしまうらしいんですよ」
 「マザーもそんなことを言っていたみたいだな」と倉瀬。
 「まあ、そうなんですけど。問題はここからなんです」遠野はゆっくりと言葉を選びながら続ける。「そのデータをダウンロードした後気づいたのですが、あの時、マザーは他の支社のマザーにデータを転送していたんです」
 「……なんだって?」倉瀬の眉がぴくんと上がる。「日本のマザーの意思でか?」
 「はっきりと分かりませんが、多分そうでしょう」と遠野。「それで、私は転送を妨害しようとしたんですが、その時、2体の軍用SDに気絶させられてしまったんですよ」
 「……それで、その軍用SDはどうなったんだ?」
 「一緒にいたみるふぁさんが追い返したそうです」遠野の声のトーンが下がる。「気になるというのは、そのみるふぁさんが追い返したはずの軍用SDが、事件が終わったあとの調査でも見つからなかったんです」
 「……」
 倉瀬は黙り込んだ。遠野はさらに言葉を続ける。
 「もしかしたら……これも誰かの仕組んだシナリオだったんではないでしょうか? マザーか、葛原社長か……それとも……」」
 「遠野君」倉瀬が遠野の言葉を遮る。「このことは誰かに喋ったか?」
 「いえ」
 「なら、このことは口外しないほうがいい」倉瀬は真剣な眼差しを遠野に向ける。
 「何故です?」
 「……もしみるふぁに聞かれたら、彼女はたいそう傷つくのではないか?」
 「そうか、そうですね」照れくさそうに笑う遠野。「彼女につむじを曲げられてしまったら私が困ります」
 やがて、なしのの淹れた紅茶を飲み干した遠野が事務所を後にすると、一人ソファに座った倉瀬は考え込んだ。
 (日本のマザーのデータが他のマザーに漏れていたということは、同じハードウェアの中にあるSDたちも当然気づいていたはずだ)
 しかし、なしのをはじめSDたちはそのことに対して一切の言及をしなかった。あの時はそれどころではなかったということも考えられるが、事件が終わったあとなら言ってもいいはずだ。むしろマザーの叛乱の危険性を人間に訴えるためにも、積極的に言及せねばならなかっただろう。
 だが、SDたちはそのことを喋らなかった。
 (故意に見逃したのだろうか……では何故そうした?)
 そうすることでSDか倉瀬たちに何らかの利益があると判断したのか。倉瀬はあの事件の後のことを思い出してみる。Meグループ社は倒産寸前まで追い込まれた。倉瀬たちはかなりの長期間事情聴取を受ける羽目になり、その後もしばらくの間当局の監視下に置かれた。SDたちも証拠品として警察に押収されたが、1ヶ月もしないうちに戻ってきた。後で下田に聞いたところでは、情報をすべて提供する見返りに現在のマスターとの間に残っている契約期間を全うさせてもらうことを要求し、警察とMe社がそれを飲んだらしい。その直後、一連のマザー叛乱が起こった。
 (……特に不自然なところはなかったと思うが……)
 マザー叛乱後、SDと人間の混成部隊が自衛隊内に発足、秋間や下田、万景寺がそれぞれのSDと共にその部隊に参加した。倉瀬となしのにも参加の要請がきたが彼女自身は断った。その代わり、部隊に配属されるSDの思考データの向上の為に、倉瀬になしのの永久貸与権が与えられた。そして、今に至る……
 (いや……まて)
 倉瀬ははたと気づいた。あの事件以来、なしのは常に倉瀬の傍に居続けている。本来ならすでにモニタ契約は切れていて、なしのはMeグループ社に返却されているはずなのだ。それが、3年以上経った今も倉瀬の傍にいる。これからも倉瀬が拒否しない限り離れることはない。今Meグループ社と結ばれているのはそんな契約だ。
 結果的に、倉瀬の最も望む形になっている。
 3年前に宮川が言った言葉を、倉瀬は思い出す。
 「なしのさんは、ある状況に対しどのように振舞えばマスターが満足できるのか、というのを過去の経験と他のSDたちからフィードバックされた情報をもとに再現しているにすぎません」
 倉瀬の望みは、これからもなしのと一緒に過ごすことだった。それはあの場にいたSDマスターたちも同じだった。そして、その望みは『世界中のマザーの叛乱』という事件により期せずして叶うこととなった。でも、ほんとうに『期せずして』叶ったことなのだろうか?
 「どうしたクラウゼル?」深刻な表情で考え込む倉瀬に、なしのが声をかける。「もうすぐTVが始まるぞ。見ないのか」
 「あ、ああ」我に帰った倉瀬がソファを立つ。二人で居間に移動し、テレビの前に座る。
 「多国籍軍自衛隊派遣部隊の壮行会の中継だな」ティーポットから倉瀬のカップに紅茶を注ぎながらなしのが言う。「ゆ〜にぃが司令官で下田や秋間も参加しているらしいな」
 「そうだ」
 テレビの画面では、司令官のゆ〜にぃが、この作戦は人間とSDの尊厳を賭けた戦いであり、それに参加できるのは名誉の極みである、と訓示を述べている。名誉の極み。それは事実かもしれない。しかしこの戦い自体が仕組まれたものであったと秋間や下田たちが知ったら、はたしてどう思うだろうか。そしてその仕組まれた理由の一端が、自分たちにもあるとしたら?
 (いや、やめよう)倉瀬は首を横に振った。単なる憶測でSDたちを疑うのはいいことではない。証拠もないし、今からでは調べようもないだろう。なによりなしのを不信の目で見ることが、倉瀬には不愉快でならない。
 「それに……」
 倉瀬は、画面に映るゆ〜にぃや鬼杏たちの顔を見て「懐かしいな」を連発するなしのの横顔を見つめる。
 「それに、なしのがこうして傍にいてくれるのだからな」
 「ん、どうした?」視線に気づいたなしのが倉瀬を見る。「わたしの顔に何かついているか?」
 「いや」
 倉瀬はあわてて目線を逸らし、なしのの淹れてくれた紅茶の口にした。なしのが間違えて塩でも入れてしまったのか、しょっぱい味が口に広がる。
 「おまえの淹れてくれた紅茶がうまいと思ってな」

『メイドのココロ』ここに完結


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