ACT.4 苦い勝利


 ゆ〜にぃとの激闘は終わった。しかしそれは、何とも後味の悪いものであった。
 秋間は左腕の手首から先を切り飛ばされ、弓音の治療を受けている。彼のSDリュスカは機能を大幅に制限されていた。背中を貫いた日本刀が超伝導バッテリを破壊したことによる、電圧の極端な低下が原因だった。リュスカは声を出すこと以外、身体を動かすことがまったくできない。なしのは両目の視覚センサを機能喪失、鬼杏は右肩の関節を全損していた。
 だが、なにより一行に大きなショックを与えたのは、希とロベルタの死だった。特に遠野のうけた衝撃はひときわ大きいものだった。彼は呆然と床に座り込み、血にまみれた希の遺体を抱きしめたまま動こうとしない。ゆ〜にぃの電源を入れようとする者は誰もいなかった。ゆ〜にぃを再起動した後、この状況を説明する勇気のある者はいなかった。
 「はい、動かないでね」
 弓音の治療は的確だった。秋間の腕の傷口に抗菌剤と止血剤のパウダーをふりかけ、滅菌シートで包み、包帯でぐるぐる巻きにする。
 「鎮痛剤は?」
 「結構よ」
 秋間は弓音に礼を言うと、床に倒れているゆ〜にぃの元に近づいた。傍らに転がっている日本刀を手にする。
 それはロベルタの持っていた日本刀だった。彼女の唇の柔らかい感触が、一瞬脳裏に蘇る。あのときロベルタは、もし宮川がいなかったら自分は秋間のことを好きになるだろうと言った。あれは何かと気遣ってくれる秋間に対する返礼の意味もあったのだろう。リュスカはこの事件が終わったらロベルタに男を紹介してやるんだと張り切っていた。秋間も彼女の幸せを願っていた。こんな幕引きになるとは予想すらしていなかった。
 「悲しんでいる……場合じゃないのよね」
 爪が食い込んで血がにじむほどに拳を握る。「まだ、終わったわけではない……」
 そう、まだ事件は終わってはいない。マザーを説得し、暴走をやめさせなければならない。悲しんでいる暇はなかった。
 「……マザーちゃん、聞いて頂戴」
 秋間が虚空に向かって喋る。
 「アンタにずっと言いたかった言葉があるのよ」
 「拝聴しよう」マザーが音声で答える。相変わらず中性的な、無機質な声。
 「アタシ、アンタにお礼を言いたかったの。有難うってね」
 「われは貴殿に対し、礼を言われる理由はない」
 「いいえ、アタシにはあるの」と秋間。「アンタのおかげで、アタシはリュスカちゃんやなしのちゃんや、その他のSDたちと出会うことが出来たんですもの。どんな事情があっても、この感謝の気持ちだけは変わらない」
 「お兄ちゃん……」リュスカの目に涙が浮かぶ。
 「アンタの計算がはじき出した答えの通り、アタシたちは街にとっていらない存在なのかもしれない。でも、少なくともアタシとここにいる皆は、これからもアンタやSDのいる街で暮らしたいと思っているのよ」
 「何度も言うように、それは不可能である」マザーが答える。「貴殿たち人間がこの街にいる限り、新桜花市の運営効率の向上は今以上に見込めない。むしろこれより加速度的に効率が悪くなるとシミュレーションでは出ている」
 「そのシミュレーションじゃがのう……」倉瀬の頬に傷薬を塗っていた万景寺がつぶやくように言う。「ヌシの人間に対する評価がころころと変わるということは、ヌシの人間に対するリサーチが足りないということじゃないかのう」
 「どういうことだ?」
 「つまりじゃ」
 最後に倉瀬に絆創膏を貼り付けた万景寺が、立ち上がってマザーの本体を見やる。「ヌシのワシらの見方が変わったように、他の物事に対する見方もこれから変わってくるかもしれんぞ。例えば、この街に人間が本当に必要かどうか、とかのう」
 「その可能性は否定できない」マザーは答える。「シミュレーションの判断材料に可変的要素があり、結果にある程度の幅が出ているのは認める。そして、その結果の中には、今私が正しいと判断している結果とはまったく正反対のものも存在しているのも事実だ」
 「では、なぜヌシは新桜花市から人間を追い出すという選択をしたのじゃ?」
 「複数あったシミュレーション結果の中で、今取っているこの選択が合理的かつもっとも実現の確率が高いという結果が出ているからだ」
 「でも、それはあくまでシミュレーション、予想にすぎん」と万景寺。「のう、どうせならもちっと予想の確度が上がるまでデータを集めてもいいんじゃないかのう。ワシはヌシが何も分からんうちから反省とか償いなんぞをしてもらうつもりはないしのう」
 「しゅーほー」たまらず、弓音が声をかける。この件では数え切れないほどの死者が出ている。澤井愛、ロベルタ、葛原社長、ホテルの攻撃に巻き込まれた人間たち―それに優香を初めとする多くのSDも犠牲になった。それはSDである弓音にとっても、また医療に携わる万景寺にとっても、悲しい出来事でありかつ許されない出来事でもあった。
 しかし、万景寺は「なあに、構わん」とだけ言うと再びマザーに向き直った。
 「ヌシの善悪の基準は不幸にもワシら人間とはちょっとばかり異なっていた。それがそもそもの悲劇の始まりなのじゃ。その件についてヌシを責めるつもりはない、なにしろヌシがそのような基準で判断するように造ったのは、他ならぬ人間じゃからな」
 「……貴殿は考え違いをしているように思われる」
 やや間を置いてマザーが答えた。
 「われにとって今回の行動は悲劇ではない。われは与えられた命題に対する最適な答えを算出し、それを実行するのみであり、そこに人間的感情の入る一片の余地もありえない。また、われの行動に関しては、最高責任者であるミーシャ・クズハラの許可コードの元ですべて実行している。ミーシャ・クズハラはわれが知る限り生物的にも社会的にも人間である。よってわれの判断基準は人間のそれと変わらないと判断する」
 「鬼杏、ちとすまんが耳を塞いでいてくれ」
 「え?」
 鬼杏の返事を待たず、下田が前に進み出る。
 「おい、マザー。ひとつ言っておくが自分は貴様をぶっ壊したくてたまらないんだ」
 「下田ちゃん!!」「おい、何を言い出すんじゃ」
 あわてて諌める秋間と万景寺。しかしそれを無視して下田は続ける。
 「自分は貴様に同僚を殺された。今も多くの市民が危険に晒されている。貴様のいう命題に沿って動くならば、警察官である自分は市民の生命と安全を守るために貴様をぶっ壊してでも止めねばならん。わかるか?」
 「われは市民を積極的に危険に晒すつもりはない」マザーが答える。「この度のわれの軍事的行動はすべては貴殿たち人間たちの起こしたリアクションに過ぎない。われの指示に粛々と従ってくれていれば、無用無益の殺傷をする必要はなかった」
 「ならば、警察署を壊したのもリアクションだというのか!?」
 「警察組織に対する攻撃は、抑止効果を狙った予防的攻撃だ」とマザー。「貴殿たちの社会でも頻繁に行われているだろう。そうだな……貴殿たちの慣用句で言うところの『あらかじめ釘をさしておく』というものだ」
 「くそったれっ!!」
 マザー本体のあるクリーンルームと制御室を隔てているガラスに拳を叩きつける下田。「本当に貴様をぶっ壊してやりたいぜ!」
 「ためして見るがいい」マザーの言葉は抑揚がないが、それが返って下田の神経を逆なでする。「貴殿がわれを破壊したら、貴殿たちの大事なSDもすべて失われてしまうぞ」
 「その通りだよ!!」下田は歯軋りする。「貴様をぶっ壊してしまうということはSDの未来をもぶっ壊すことだ。そんなことをしちまったら、ロベルタや、希さんの犠牲が無駄になっちまう」
 下田の表情は苦悩に満ちていた。彼は万景寺ほど割り切れていなかった。彼の心の中では、今でも感情と理性がせめぎあっているのだ。
 「……自分は、今まで多くの人間を傷つけ、殺めてきた」下田は呟くように言う。「それはむろん、傷つけ殺めるのが目的ではなかった。大切なものを護るための手段だった。だが、しかしそれはやはり悲しみや怨念を生んだし、自分自身にもたくさんの後悔を生み出す結果になった」
 「……」
 「もうこれ以上、手を汚すまいと思っても、すでに出来てしまった因縁は自分を解放してくれなかった。だから、せめて不要なものを避ける手段として自分は鬼杏に来てもらった」下田は鬼杏の方を見る。「いざとなったら、自分が血に狂ってしまったら絶対的な判断のもとで自分を止めてくれるだろう。だが、その期待は裏切られたよ」
 「貴殿を止めることが出来なかったのか?」
 「違う」下田は嬉しそうに笑う。「鬼杏はまっすぐ育っている。自分には眩しいくらいにな。他のSDたちもそうだろう。自分にはこの可能性をぶち壊すことは出来ない。だから、貴様をぶっ壊しはしない」
 「それが貴殿の命題というわけだ」とマザー。「しかし、貴殿の命題すなわち人間全体の総意というわけでもあるまい」
 「なんだって?」
 「23号のモニタに注目せよ」
 マザーの指示と同時に、23の番号が振られたコンソールのモニタに灯がともる。一行はわらわらとコンソールの周りに集まり、モニタを注視する。
 「今から映すのは、外部に展開中の無人ヘリコプターからの中継映像だ」
 モニタに映し出されたのは空撮画像だった。おそらく国道の上空だろうか。新桜花市を非難する住民たちの車で相当渋滞している。
 「これがどうかしたのよ?」秋間がいぶかしんだ。
 「画面右下を注目せよ」
 マザーの言葉に一行の視線がモニタの右下に集中する。そこには、カーキ色のヘリコプターのようなものが着陸している様が映し出されていた。その周囲には、明らかに野戦服姿に人物が数名展開しているのも見える。
 「……UH-1だ……」前園が呟く。「陸上自衛隊の輸送ヘリコプター……」
 「と、いうことは……」「自衛隊が出動してきたということか!!」
 一行の表情に明るさが戻ってくる。ついに自衛隊が自分たちを助けに来たのだ。
 「そうだ。だが、貴殿たちにとって必ずしも利益になることばかりではないぞ」とマザー。「自衛隊の目的は新桜花市民の保護及びわれ、及びわれのコントロールする無人兵器群の撃破と予想されるからな」
 「……そんな!!」下田が叫ぶ。
 「貴殿たちのようにわれを破壊せずに共存の道を歩もうとするものもいれば、彼らのようにわれの破壊を唯一の目的とするものもいる」マザーが言う。まるであざ笑うかのように。「同じ人間でもひとつの事柄に対しまったく反対のメソッドをとる集団があるのだ。このようなものに組織の運営を任せてもうまくいくとはとても考えにくい。ゆえにわれは、貴殿たち人間を新桜花市及びMeグループ社の運営システムから除去する判断を下したのだ」



 「……残念だな、マザー」
 なしのの様子を見ていた倉瀬が、顔を上げた。「これで、おまえの目的は果たせなくなってしまったわけだ」
 「……なんだと?」
 「だってそうだろう。今回のおまえの行動に対し、ついに国家権力が動き出したんだ。いまやMeグループ社は完全なテロ組織、国家の敵に成り下がったのさ」冷めた目線で倉瀬は続ける。「Meグループ社の発展はもはやありえない。おまえの運命だってそうさ。運がよければ調査分析の為に解体されるだろうし、最悪の場合、ビルごと爆撃されてわたしたちと一緒に仲良く生き埋めだ」
 「クラウゼル……」
 「まかせておけ。諦めたわけじゃない」
 心配そうな表情を浮かべるなしのに、そっと耳打ちする倉瀬。そして再びマザー本体の方に視線を移す。
 「さて、おまえお得意のシミュレーションではこの事態をどう切り抜ける?」
 「応戦する」即座にマザーが答える。
 「それでは事態が悪化するだけだ。いいか―」
 倉瀬は一行の前に進み出ると、教師のような口調で説明をはじめた。
 法治国家に会社がある以上、その国の法律を護る義務が会社にはある。そして、今マザーが新桜花市民に対し行っている行為は、明らかに違法な行為である。違法であるから、当然Meグループ社は日本の法で裁かれ、その結果膨大な損害賠償の支払いを命じられることは容易に予想できる。
 「まあ、おまえは賠償金など踏み倒しにかかるだろうが」倉瀬は肩をすくめる。「この場合賠償金を支払うのはおまえじゃない。Meグループ本社だ。おそらく賠償額は天文学的な数字になるなるだろうな。そしておまえはその支払いを阻止することができない」
 「われの権限がMeグループ日本支社及び新桜花市に限られるからか?」
 「そうだ」
 それは結果としてMeグループ社全体の発展には大きなマイナスになるであろう。新桜花市及び日本支社だけを発展させても、マザーが違法行為を続ける限りMeグループ社の発展はありえない。
 「それだけではない」と倉瀬。「法的に、法人にはその責任者である『代表者』が必ずいなければならない。そして、その代表者は『自然人』でなければならず、自然人ではないおまえに代表者たる権利はない。つまり、法人は代表者たる人間の責任能力において運営されねばならないし、おのずとおまえはあくまで人間をサポートする存在でなければならない」
 葛原社長が殺された現在、Meグループ日本支社には代表者はいない。ということは、マザーは直ちに活動を停止し、次の代表者の指示があるまで待機していなければならないということだ。とはいえ、完全な機能停止は新桜花市の機能を著しく損ねる恐れがあるから、市民に退去命令を出した直前の状態を維持するのが最も合理的であろう。
 「なるほど」マザーが答える。「だが、しかしそれでは自衛隊に対する対処が欠けているとわれは考える。自衛隊の破壊行動を確実にやめさせる具体的手段が必要だ」
 「降伏する旨を伝えればいい」と倉瀬。「すべてのメディアを使い降伏すると伝えればいい。あるいは私たちが伝令の役目を買って出てもいいだろう」
 マザーは黙った。何事かを考えている様だった。
 「……ひとつだけ確認したい」
 やがて、マザーの音声が聞こえてくる。「なぜ、貴殿たちはわれと相容れない存在であるにもかかわらず、われを受け入れ、われを助けるような行為をするのだ。もしわれが貴殿たちの立場であったら、合理的な判断に基づいてわれを破壊する方法をとるだろう。貴殿たちはなぜわれを助ける?」
 「わたしは……なしのといっしょにいたいからだ」倉瀬はそういいながらなしのの肩を抱き寄せる。「それだけだ」
 「自分はさっき言ったとおりだ。SDたちの未来を奪いたくない」と下田。鬼杏のそばに歩み寄り、彼女の手を耳から外してやる。「それに、まあ、あれだ。貴様には意味が通じんかもしれんが、杓子定規に物事を進めると必ず矛盾が出来て、どっかで折り合いをつけなきゃならなくなる。この探偵のお嬢さんが言ったとおりにな。今回の件では新桜花市だけ残ってMeグループ社がなくなるかも知れんぞ。そいつはお互い困るだろう?」
 「アンタは人の役に立ちたいから、愛してもらいたいから一生懸命にがんばってきたのよ」秋間がリュスカを抱きかかえながら言う。「誰もそのやり方が間違っているって教えてあげなかっただけ。少なくともアタシは、アンタのことを憎んでいない」
 「自分にとって大切なものが誤った道を進もうとしたら、それを正してやるのがいい人間ってものじゃ」万景寺が秋間の言葉のあとを継ぐ。傍らには救急箱を抱えた弓音。「残念ながら葛原社長はいい人間ではなかったようじゃし、ヌシのことを大切にも思ってなかったようじゃがの。それに、ワシは思うのじゃ。ヌシの中にも、SDと同じく『ココロ』が芽生え始めているんじゃないかとな。SDたちがワシらを愛しているように、ヌシもMeグループ社と新桜花市を愛しておる。ならば、ワシらとヌシとはきっと理解しあえる日が来ると思うのじゃ」
 「……われの中に『ココロ』があると、貴殿はそう主張するのだな」マザーは言った。
 「少なくとも、人間とSDは理解しあえた」前園が応じる。「ならば、マザー。キミとオレたち人間が理解しあうのも決して不可能ではないさ。そうだろう、まつ?」
 「はい」まつが頷く。
 「で、どうするマザー?」
 最後に倉瀬が尋ねる。
 「……了解した」長い、5分ちかい沈黙の後、マザーは答えた。「貴殿たちの意見を含めての再シミュレーションの結果、現時点でわれが生き延びる確率が一番高いのは降伏することであるという結果が出た。そしてこのシミュレーション結果は同時に、貴殿のSDたちが生き延びる確率が一番高い結果でもある。―そうだな?」
 マザーの最後の問いかけは、SDたちに向けた物のようだった。SDたちは全員頷く。
 「ならばよし……では、われは貴殿たちの言うとおり降伏し、新桜花市市民の退去命令を撤回する」
 「やったぁ!」「よっしゃあっ!!」
 人間とSDから歓声が上がる。ついに、彼らは目的を―マザーを説き伏せるという困難な目的を果たしたのだ。



 一行が思い思いの表情で喜びを表現している中、遠野はひとり暗闇の中に沈みこんでいた。
 両腕の中には希の華奢な身体。氷のように冷たい。
 「希さん……」
 遠野は愛した人の名前を呟く。返事は無論ない。彼がこの部屋に飛び込んだとき、彼女はゆ〜にぃの日本刀を肩に受けながらも彼女を離そうとしなかった。ゆ〜にぃをマザーの支配から取り戻すため、希は命を落としたのである。
 あるいは、希はそれで満足だろう。だが、残されてしまった者はどうなるんだ!
 遠野は叫びたかった。なにもかもぶち壊したかった。マザーも、ゆ〜にぃも、希の遺体も、背後で歓声を上げている秋間や倉瀬やなしのたちも、全部ぶち壊してしまえば、すべて嘘になるんじゃないか、その様な妄想に囚われていた。わずかな理性の糸だけが、遠野の精神が狂気の海へ漂いだすのをかろうじて押さえていた。
 その肩に、そっと触れるものがいる。まつだった。
 「遠野様」まつは言った。「地上に戻りましょう。ここはもう危険です」
 「放っておいてくれませんか」固い声と表情で応じる遠野。「貴方には関係ない」
 「そうは参りません」
 「放っておいてくれよ!!」
 遠野はまつの手を振り払う。「貴方たちがゆ〜にぃを止められなかったから、希さんは死んだんだ。希さんは……希はおまえたちが殺したんだ!!」
 「おい……」
 激情のままに叫ぶ遠野を、見かねた万景寺が止めようとする。しかしまつはそれを手で制すると、再び遠野の方に向き直った。。
 「遠野様のおっしゃるとおりです」まつは静かな口調で言った。「希様が斬られたあの時、秋間様は腕を切断されて重傷を負っており、下田様も動くことが出来ませんでした。なしの様は視覚センサを損傷、リュスカ様は電源を破壊されて行動不能、鬼杏様も肩を破壊され戦闘不能状態にありました。弓音様は赤間様の治療に追われていましたし……」
 「……」
 「あの時、希様を助ける為にすぐに動くことが出来たのは、私と旦那様だけだったのです。だから、私が助けに入るべきでした。でも……私は動くことができなかったのです」
 「……なぜだ!?」
 まつの胸倉を掴む遠野。抵抗せず、沈痛な面持ちでまつは続ける。
 「私は、壊されるのが怖かったのです。旦那様と離れ離れになるのが怖かったのです」
 「そんな……SDのくせにか!?」
 「はい」まつは頷く。「私はSDとして完全に失格です。もし、遠野さまが望むなら、これを使って私を破壊してくださいませ」
 まつが差し出したのは、9ミリオートマチックのピストルだった。マザーに操られているゆ〜にぃが持っていたものだ。それを見た前園の顔がたちまち青くなる。
 「やめろ、まつ!!」
 遠野は震える手でそのピストルを手にすると、両手で構えてまつの額に銃口を向けた。
 「……おまえのせいで希は……」
 まつはまぶたを閉じる。
 「おまえのせいで、希は……希は……」
 しかし、引き金にかけた指をどうしても動かすことが出来ない。
 「……チクショウ、そんなこと言われたら撃てるわけないだろう……」
 やがて遠野はがっくりと肩を落とし、銃口を下げた。その肩を、みるふぁがそっと抱きしめる。
 「遠野様、地上に戻りましょう。そして希ちゃんを弔ってあげるんです」
 「……ああ」
 遠野が頷く。
 先ほどの勝利の興奮は、今やすっかり冷めていた。一行は、希の遺体を抱きかかえる遠野を先頭に、粛然とした様子で地上に向かっていった。
 
 
 ゼロアワー マイナス15時間21分。
 ハイパーバイオコンピュータ『マザーJ01』。侵攻してきた警察機動隊及び自衛隊に全面降伏。
 新桜花市のもっとも長く、熱い二日間は終わりを告げた。


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