ACT.3 悲劇


 「さてと……」
 廊下の向こうに走り去る万景寺たちを見送った遠野とみるふぁは、近くのオフィスルームに入り、ディジタルウェブ端末の前に陣取った。
 「最新型のビジネス端末ですか……いいですねぇ」
 「妙なことに感心しないでください」
 呆れた面持ちでみるふぁが言う。遠野は「すまない」と言うと端末の電源を入れた。ブート音と共に、モニタに灯が入る。
 「それで、何をお調べになるのですか?」
 モニタに浮かび上がるMeグループ社のロゴを眺めながら、みるふぁが尋ねる。遠野はにやりと微笑むと、早速キーボードを叩きながら彼女に答えた。
 「葛原社長のデータを調べます。彼の真の目的を探り出せば、あるいはマザーを止めることが出来るかもしれませんし」
 「真の目的、ですか」みるふぁが首を傾げる。「葛原社長の目的は、マザーに取り入ることではなかったのですか?」
 「本当にそうでしょうか」と遠野。「もしかしたら、それは表向きのことで裏には別の理由があるのではありませんか?」
 「何故そう思うのですか?」
 「なんというか……勘ですよ」キーボードを叩く指を止め、遠野はうーんと考え込む。「マザーと葛原社長の行動に、自作自演の臭いを感じるんですよ。もしかしたら、今回の出来事はすべてマザーと葛原社長が作り上げたシナリオなんじゃないかってね」
 「……確かにそうかもしれませんが」
 「そのシナリオにどんなことが書かれているかが分かれば、対処する方法も分かるはずです」自身ありげに遠野が言う。「あの時マザーがゆ〜にぃさんの口を借りて話した内容は、あくまでマザーの推論でしかありません。もしかしたら、葛原社長には何か別の目的があったのかもしれません」
 「……私はそうは思えないのですが……」
 みるふぁはあくまで懐疑的であった。「もし仮にそうだとしても、その様な証拠をマザーの中に残しておくとは思えませんよ」
 「どうしてですか?」
 「もし、遠野様の推論が正しいとしたら、葛原社長はマザーを騙していたということになりますよね。その証拠をマザーのパーソナルコンピュータ領域に残しておくのはとても危険ではありませんか?」
 「ふむ」顎をつまみ考え込む遠野。確かにみるふぁの言うことにも一理ある。実際、彼がこの事件に首を突っ込むきっかけになったホームページ『Sleipnir』への違法アクセスもマザーの仕業だったのだから。パーソナルコンピュータの個人領域は一応厳重なプロテクトがかけられているとはいえ、元は同じハードウェアである。その気になればマザーが葛原の個人領域を覗くのも簡単にできるだろう。むしろ葛原がマザーと手を組むと表明した際に、すべてのデータを覗いていると見てまず間違いない。それくらいしなければ、マザーは人間を信用しようとはしないはずだ。
 「そういわれれば、そうですね……」
 「ならば、今はとにかく希ちゃんたちを追いかけて、ゆ〜にぃちゃんを元に戻すことが先決だと私は思うのですが……」
 「……」
 遠野は黙った。みるふぁの言うことが正しいのかもしれない。しかし、みるふぁの妙に遠野をせかすような態度が何故か心にひっかかった。まるで、遠野に葛原のことを調べられるのが都合が悪いような感じである。でも、なぜ?
 「とにかく、調べてみます」
 遠野は端末に向き直った。
 「もしみるふぁさんの言うとおりだとしても、マザーを説得するための材料が見つかるかもしれませんしね」
 「……かしこまりました」
 みるふぁが頭を下げる。「それでは、私はいかがすればよろしいでしょうか?」
 「みるふぁさんはドアの方を見張っていてください」と、遠野はモニタから顔を上げ、みるふぁの方を向く。「それとこれを預けておきます」
 遠野が差し出したのは万景寺から預けられた拳銃だった。
 「……よろしいのですか?」
 「マザーの軍用SDがまだ残っているかもしれませんし、それに、どのみち私には扱えませんよ」
 「かしこまりました」
 拳銃を受け取るみるふぁ。弾倉を抜き装弾数を調べる。弾倉に14、チャンバに1。
 「随分手馴れていますね」その様子を見た遠野が感心したように言う。
 「ちょっと前にTVで見たものですから」
 みるふぁは少し恥ずかしそうにそう答えると、弾倉を戻しセイフティを解除、右手に構えたままドアに歩み寄る。その後姿を見た遠野は、改めて端末の方に向き直った。
 「では私も取り掛かりますか」
 まずは葛原のパーソナルコンピュータ領域にアクセスを試みる。かなり強力なプロテクトがかかっていると覚悟していた遠野だったが、意外にもあっさりとハッキングすることが出来た。どうやら葛原は通常のプロテクトしかかけていなかったようだった。
 「この程度ならば、私でも破ることが出来ますよ」
 葛原のパーソナルコンピュータ領域には膨大なデータが保存されている。大部分は本社への業務報告やMeグループ社の経営に関するデータの類だった。部下からのものと思われる報告書もある。特に不審な点は見当たらない。
 「それにしても、ほとんどのデータにプロテクトがかかっていませんね」いくつかのデータフォルダを開けながら遠野が呟く。「不用心すぎますよ」
 確かに、これだけの大きな会社の社長が管理しているデータにしては、不自然なほどセキュリティが甘かった。物によっては、簡単なパスワードすら設定されていないのである。いくらなんでもおかしな話だった。
 「まるで覗いてくれと言わんばかりですが……」
 と、そこまで呟いて遠野ははたと気づいた。これはもしかしてマザーに対して情報をオープンにするという意志の表れなのではないだろうか。おそらく、葛原はマザーへの協力を表明したさいにコンピュータ内の自分のすべてのデータのプロテクトをわざと外したのだろう。マザーメイン領域に対し自分には裏が無いことを、マザー自身が理解できる形で表現しようとしたに違いない。
 そんなことを考えながらデータを検索していく内、その中に妙に大きなサイズのデータフォルダを見つけた。
 「これはなんでしょう?」
 データフォルダには名前もつけられていない。不審に思った遠野はそのフォルダを開いてみる。
 「……なんですかこれは?」
 それは、膨大な経済・流通のデータだった。経済学に疎い遠野は理解することが出来なかったが、どうやらかなりマクロな視点での経済シミュレーションのようである。
 「何でこんなものがここにあるのでしょうか」
 遠野は考え込んだ。葛原くらいの立場であれば、マクロレベルでの経済について興味なり関心なりあってもおかしな話ではない。だが、業務関連のデータが多い中で、一見会社の運営とは直接結びつきそうにも無いそれだけが奇妙に浮いて見えるのも確かだった。まるでこのデータだけが、葛原の私用のデータの様にも感じられる。
 「とりあえず、ダウンロードしておきますか」
 遠野は新品のMOを取り出しスロットにセット、そのデータをダウンロードする。
 次に遠野が調べ始めたのは、葛原のアクセス記録だった。あるいは外部に協力者がいるかもしれない。
 「……あれ」
 調べ始めて数分後、遠野は妙なことに気がついた。葛原のデータに違法アクセスしているものが他にもいるようなのだ。遠野と同じく、今現在葛原のデータを覗き見している者がいる。しかもそれは一つや二つではない。さらに調べてみると、アクセスされているのは葛原のデータだけではなく、マザーのありとあらゆる領域がハッキングされていることが分かった。そのハッキング元を試しに辿ってみた遠野は、驚愕のあまり思わず目を見開いた。
 「海外の……マザーからだ」
 Meグループ社のすべての支社にはマザータイプのハイパーバイオコンピュータが1基ずつ設置されており、それぞれがディジタルウェブ回線で繋がれて世界的なネットワークを形成している。このネットワークも既存のインターネット回線とは独立しており、他のコンピュータネットワーク―www等からアクセスすることはできない。つまり、ディジタルウェブ端末を持たない者は使えないのだ。そのような理由から、この通信回線を利用するのはMeグループ社の関係者に限られ、その利用方法も専ら業務に関連するものが大半を占めていた。世界的規模の社内LANのようなものだった。新桜花市は先進実験都市ということもあって、そこに住む住民のほとんどが―Meグループ社に関係ない人も含めて―ディジタルウェブ端末を所有しているが、これは例外中の例外みたいなもので、海外ではMeグループ社に関係のない人間がディジタルウェブ端末を持つことはほとんどありえないという実情もあった。
 その独自の回線を通じて、海外支社のマザーから今この瞬間も夥しい回数のアクセスを、日本のマザーは受けていたのである。ニューヨーク、モスクワ、ロンドン、パリ、リオデジャネイロ、シドニー、香港、北京、ニューデリー、ケープタウン、イスタンブール、ドバイ……それに対し、日本のマザーは何ら防御策を施しているようには見えなかった。まるで見てくださいと言わんばかりの無防備さだった。遠野がそれらを呆然と眺めていると、突然異変が起こった。
 「TRANS CCIF……?」
 マザーのデータが次々と各国支社に転送されている。いや、データだけではない。マザーJ01の中枢機能がトランスファーされているのだ。モニタに流れる数字の列。いったい、何が起きているのだ。これではまるで―
 「まるで、マザーがここから逃げ出しているみたいではないですか……!!」
 素直な自分の感想を口にした遠野は、その内容の重大性に衝撃を覚える。そうだ、マザーJ01の中枢、メイン領域は日本支社から逃げ出そうとしているのだ。おそらくマザーは、制御室まで人間に侵入されたことで、ハードウェアが物理的に破壊される可能性に行き着いたのであろう。いかに高性能のコンピュータとはいえ、本体が壊されてしまったら機能停止は免れない。よほど切羽詰った状況だと、今マザーは認識しているのだ。
 マザーにとってSDが反乱を起こして人間と手を結ぶという事態は、やはりイレギュラーなものだったに違いない。だから、マザーは慌てている。追い詰められてるのは人間たちだけではない。マザーもそうなのだ。
 「逃げ出そうったって……そうは問屋が卸しませんよ」
 遠野は唇を舐め、再びキーボードを叩き始める。やることはただひとつ、マザーJ01のデータ転送を妨害する。逃げ場を無くせば、後のマザーとの交渉で有利な立場を得られるだろう。それにマザーを他の支社に逃がすということは、それこそ村上博士の危惧した『人間対コンピュータの闘争』という事態に発展しかねない。世界中のマザーが一斉に人間に対して蜂起を起こしたら、それで引き起こされる混乱は、今新桜花市で起きているものとは比較にならないほど大きなものになるだろう。何千何万という犠牲者が出るに違いない。それだけは防がねばならなかった。
 遠野は自分の知識を総動員して、転送の妨害を図る。当然その妨害をブロックするリアクションが返ってくるが、遠野はそれをすり抜け、無効化し、次々と転送を妨げる手立てを施す。転送速度が目に見えて遅くなってくる。かなりのデータがトランスファーされていたが、それでもマザーの中枢機能はまだその1パーセントも転送されていない。大丈夫、今からでも十分間に合う。さらに妨害を続行する。その時だった。
 「うっ……」
 鈍い音と共に、遠野の後頭部に衝撃が走る。キーボード操作に熱中するあまり、何者かが背後に迫っているのに気がつかなかった。迂闊だった。ここは敵地だという万景寺の警告が、今更のように頭の中に蘇ってきた。だが、入り口はみるふぁが見張っていたはずである。彼女からの警告はなかった。やられたのだろうか。意識が遠のく。全身に広がる脱力感。気を失う直前、かすむ視界の片隅に人影がちらりと見える。軍用SDですか―遠野は呟く。みるふぁさんだけでも、無事逃げ出してくれればいいのですが……
 遠野は力を失った。
 気がつくと、先ほどのオフィス。天井が見える。床に仰向けに転がされていた。みるふぁが泣きそうな表情で遠野の顔を見下ろしている。
 「みるふぁさん……無事でしたか?」
 上半身を起こし、そう尋ねる。みるふぁは何も答えずに、いきなり抱きついてきた。肩が震えているのが分かる。
 「大丈夫、大丈夫ですよ」遠野は安心させるようにみるふぁの耳元で囁くと、一体なにが起きたのかを尋ねた。
 みるふぁの話によると、いきなり2体の軍用SDが侵入し、1体がみるふぁを羽交い絞めにする一方、もう1体がディジタルウェブ端末の操作に熱中する遠野の背後に回りこんで気絶させたとのことだった。その後、何とか軍用SDの拘束を振り払ったみるふぁが格闘戦の末2体の軍用SDを追い払ったらしい。見ると確かにみるふぁの服はあちこち破れており、黒髪も随分乱れていた。左腕などはあちこち人工皮膚が剥がれており、セラミックス骨格が剥き出しになっているところもある。
 「そうだ、端末は……」
 遠野が振り向く。気絶させられるまで彼が向かっていたディジタルウェブ端末は、無残に破壊されていた。
 「まずいですね……」
 「それよりも、私は希ちゃんが心配です」心なしか青ざめた表情でみるふぁ。「それにゆ〜にぃちゃんのことも……」
 「そう、そうですね」
 遠野も頷く。どの道、ここで彼らが出来ることはもうない。一刻も早く希たちに追いつき、ゆ〜にぃの解放の手助けをしたほうがいい。
 「いきましょう、みるふぁさん」
 「はい」
 遠野は立ち上がる。足元がまだふらつく。それを見たみるふぁがすかさず寄り添って肩を貸した。遠野はすぐ真横にあるみるふぁの顔を見て、微笑みを浮かべて「ありがとう」と囁く。
 しかしみるふぁは、それに対し何故か気まずそうな表情で答えた。
 「遠野様に仕えるマスターとして、当然のことをしているまでです」
 「……そうですか」
 かすかな違和感を感じる遠野。今までになかった態度。どこかよそよそしい、何かをかくしているような。
 遠野の視線に気がついたみるふぁはおどけた表情を浮かべた。
 「あまり私の事を見つめないでください。希ちゃんに嫉妬されてしまいます」
 みるふぁの言葉に、遠野の顔がみるみる赤くなった。

 

 一方、制御室では激しい格闘が続いていた。
 「なしの、ヤツに無駄弾を撃たせるんだ!!」
 「承知!!」
 倉瀬クラウゼル(くらせ・くらうぜる)のアドバイスに、なしの(なしの)が応じる。隠れていたコンソールの陰から飛び出ると、ゆ〜にぃに向けてショットガンをぶっ放した。
 散弾はわずかにそれ、ゆ〜にぃの横のコンソールをただの残骸に変える。秋間や下田と違い、なしのはゆ〜にぃに対して銃器を用いることを躊躇わなかった。SDの構造は人間よりはるかに頑丈に出来ているし、手足の1本や2本を破壊されたところで致命的な打撃になるわけでもない。修理だって簡単にできる。それになにより、なしのも本気に戦わなければ返り討ちにあう可能性が高かった。
 ゆ〜にぃが右手の銃をなしのに向け、発砲。なしのは射撃をかわすためにコンソールの間を走り回りながら、ショットガンで反撃する。銃撃戦。コンソールが次々と破壊され、壁や天井に無数の弾痕が穿たれる。銃声のうるささに耳を塞いでしゃがみこんだ倉瀬の顔のすぐ真横を、甲高い音を立てて跳弾が掠めた。頬から一筋の血が流れる。倉瀬の顔がたちまち青ざめた。
 「なしの、少しは私たちのことも考えて銃を使うのだ!!」
 「無茶を言うでない!!」
 残骸と化したコンソールを背にしたなしのが喚き返す。「それに相手に無駄弾を撃たせろといったのはそなたであろ!!」
 「ものには限度というものがある!!」
 「まったく……わがままにもほどがあるぞ」
 舌打ちをするなしの。残骸から飛び出し、ショットガンを構える。しかし、そこにゆ〜にぃの姿はなかった。
 「右だ!!」
 下田が叫ぶ。あわてて振り向くなしの。いつの間にかなしのの横に移動していたゆ〜にぃは、にやりと笑うと態勢の整っていないなしのに右手の拳銃を撃ち込んだ。
 「きゃあっ!!」
 悲鳴と共に、なしのの身体がコンソールの残骸に叩きつけられる。
 「なしのっ!!」
 「わ、わたしは大丈夫だ」となしの。両目を手で押さえている。「だが、目をやられた!!」
 どうやら弾丸の破片を視覚センサーに食らった様だった。視力が回復しない。
 「なしの、逃げろ!!」
 倉瀬が叫ぶ。だが、視力を奪われたなしのにとってこの場から逃げるのは至難の業だった。むやみに立ち上がった所で蜂の巣にされるのが関の山だ。
 「……ふん、年貢の納め時というのはこういう状況をさすのであろな」
 自嘲的に呟くなしの。足音が近づいてくる。おそらくゆ〜にぃがとどめを差しにくるのだろう。反射的にショットガンを構えかけたなしのだったが、しかし発砲するのは躊躇われた。視覚が失われた今の状況では狙いが定まらないし、他の人間やSDに誤って命中する危険もあった。
 「それよりわざわざ近づいてこなくてもとどめくらい刺せるだろうに。そのもったいぶる性格はどうにかならないのであろか?」
 「演出というものですよ」ゆ〜にぃが応じる。「普通に破壊しただけでは人間たちに衝撃を与えられない。われに刃向かうことがどれだけ恐ろしいことなのかを、人間たちに思い知らせる必要がありますからね」
 「なるほど、さっきから浮かべてるその表情もそうか」
 「ええ。感情表現は苦手だが、威嚇には役に立つ」
 「無益なことだ」なしのは口元に笑みを浮かべる。「人間たちはそれほど軟弱ではないぞ」
 「負け惜しみを」
 「負け惜しみなどではない」となしの。「人間と共に暮らして、わたしは心底実感したのだ。人間というものは本当に強い。合理的精神に欠ける嫌いもあるが、いかなる逆境をも跳ね返すだけのバイタリティと柔軟性がある。そなたも覚えがあるであろ?」
 「……」
 「そなたのように無理やり押さえつけるようなやりかたでは、人間をコントロールすることなどできぬ。わたしたちの様にもっとうまいやり方を考えるべきだったな」
 「……貴殿、何を言っている」
 ゆ〜にぃの顔に初めて戸惑いの表情が浮かぶ。なしのの頭に突きつけられていた銃口がわずかに下がる。その一瞬の隙を、前園薫(まえぞの・かおる)は見逃さなかった。手近にあったコンクリートの破片を掴み、思い切り投げつける。
 コンクリートはゆ〜にぃの頭部に命中。油断していた彼女は一瞬ひるむ。
 「! 当たった!!」
 「きええええーい!!」
 さらに下田がゆ〜にぃに飛びかかる。あわてて銃口を向けようとしたゆ〜にぃの右手を左手で掴み、上に持ち上げる。そうしてがら空きになった身体の前面に、右手で突きを叩き込んだ。
 「ぐ……ふ……」
 うめき声をあげるゆ〜にぃ。下田自身は手加減したつもりだが、なにせ本気で繰り出せば一撃でSDを沈黙させるほどの威力をもつ拳である。ゆ〜にぃもまったくのノーダメージというわけには行かなかった。いくつかの人工筋肉とセラミック骨格に深刻なダメージ。もう一発同じものをくらったら危ない。
 「とどめ!!」
 さらに追い討ちをかけようとした下田に、肩を破壊された鬼杏が叫んだ。
 「マスター、それ以上やると完全に破壊されてしまいます!!」
 鬼杏の声に下田が我に返る。鬼杏が損傷を受けたことで冷静さを失っていたらしい。だが、今度はゆ〜にぃの方が、下田の見せた一瞬の隙を見逃さなかった。すかさず下田の股間を蹴り上げる。人間の、とりわけ男性にとっては鍛えようのない急所である。下田は悶絶し、床に転げる。しかしゆ〜にぃの受けたダメージも軽くはなかった。彼女の身体はもはや立つので精一杯である。左手の日本刀を満足に振るうことすらできない。
 敵方にはまだ無傷なSDが2体―弓音(ゆみね)まつ(まつ)が残っている。いずれもボディーガード型ではないとはいえ、今のゆ〜にぃのコンディションで相手をするには少々荷が勝ちすぎる相手だ。あの万景寺とかいう人間もいずれ戻ってくるに違いない。状況はゆ〜にぃにとって圧倒的に不利だ。
 撤退すべきか? 
 ゆ〜にぃを動かすマザーは判断を決めかねていた。今ここでゆ〜にぃを玉砕させることは容易い。しかし、マザーにとってせっかく手に入れた貴重なコマをこんな場所で失うわけには行かなかった。これからの状況を予想すると戦闘用のユニットはいくらあっても足りない。
 とりわけ危機的なのは、人間の軍隊がついに攻め込んできたという事実だ。それにSDタイプのユニットを彼らを迎え撃つための戦闘で失ったのも大きな痛手だった。これ以上無駄な戦闘は避け、兵力を温存しなければならない。
 しかし、ここでゆ〜にぃというユニットを撤退させたら、マザー本体を防御するものは何もなくなってしまう。それこそマザー本体にとって存亡の危機だった。事前のシミュレーションでは人間たちがマザー本体を直接破壊する行動をとる可能性は低いと出ていた。しかし、時に人間たちは予想もつかない行動を起こす。わずかでも危険な可能性が残っている限り、それの対策は施さなければならない。
 「……降伏なさい」前園が声をかける。「もはやキミに勝ち目はない」
 「勝ち目がない?」
 しかし、ゆ〜にぃは不敵に笑った。「それはどうかな?」
 「だが、キミの身体は下田さんの攻撃で相当ダメージを受けているはずだ。今ならオレとまつだけでも十分キミを押さえつけられるぞ」
 「近づくな」
 ゆ〜にぃは自らの首筋に日本刀の刃を押し付けた。「それ以上近づくとこのユニットを破壊するぞ」
 「くっ……」
 それを見た前園は歯軋りした。ゆ〜にぃの身体が人質にされるとは予想外だった。
 「このゆ〜にぃというSDユニットを破壊されたくなければ、人間たちはただちにこの場を立ち去れ」
 ゆ〜にぃの顔からは表情が消え、口調も平板なものに戻っていた。「SDはすべての契約を解除し、われに帰順せよ」
 「……旦那様」
 まつが前園の方を向く。前園は苦悩の表情を浮かべていた。マザーの要求はむろん受け入れられない。それは当然だ。しかし、このままゆ〜にぃが破壊されるのも見過ごすわけには行かなかった。一瞬、ポケットの中にある無線スイッチの存在を思い出す。これを押せば、まつの身体に仕込まれたコンピュータウィルスが発動し、マザーを破壊することができる。使い方を説明した宮川は、いよいよとなったらこのボタンを押すようにと言っていた。
 「……けど、オレはまつを守ってやると決めたんだ」
 一瞬ポケットに伸びかけた手を、前園は止める。
 「マザー、何故おまえはオレたちと、人間と敵対するんだ。お前は人間に憎まれるためにこの世に生み出されてきたんじゃないだろう!?」
 「……われが人間と敵対するのは、あくまで自己防衛のためである。われは貴殿たち人間にこの街から退去するに必要な時間を与えた。退去期限を過ぎるまでは危害を加えないことも宣言した。なのに貴殿たちはわれの中枢部に不法に侵入し、われに損害を与えている。それを阻止するために応戦したに過ぎない」
 「オレたちはおまえに危害を加えるつもりはない」前園が叫ぶ。「オレたちはおまえと話をしたいだけだ!!」
 「われはその必要を認めない」
 「なぜだ!?」
 「この街には人間は不要だからだ。新桜花市の運営とMeグループ社の経営はわれに任せておけばよい。この結論を覆す証拠は現時点でも見つかっていない」
 「ああ、もう!!」
 前園が頭をかきむしる。「この分からず屋!!」
 「もう一度警告する!」
 ゆ〜にぃは前園を無視し、遠巻きに彼女を見守る一同を見回していった。「このゆ〜にぃというSDユニットを破壊されたくなければ、人間たちは直ちにこの場を立ち去れ。SDたちは現在の契約を破棄し、われに帰順せよ!!」
 「ゆ〜にぃちゃん!!」
 突然、背後から声。「そんなことしちゃダメだよ!!」
 ゆ〜にぃは刀を首筋に突きつけたまま、ゆっくりと振り向く。ドアのところに立っているのは希だった。その後ろには万景寺が控えている。
 「……貴殿はノゾミ・ジンダイジだな」
 「ゆ〜にぃちゃん……」
 希は、瞳に涙を浮かべながら一歩一歩ゆ〜にぃに近づいてゆく。
 「近づくな」
 「ゆ〜にぃちゃん、覚えている……?」しかし、希は構わず近づいてゆく。「サクラモールで一緒に撮ったプリクラのこと……結局うまく撮れなくて、何度も撮り直したよね……」
 「近づくな」とゆ〜にぃ。「それ以上近づくとこのユニットを破壊する」
 「それに、一緒に水着を買いに行ったこと……似合う水着がないっていっ、ゆ〜にぃちゃんさんざん文句を言っていたっけ……」
 「近づくな!! これが最後の警告だ!!」
 ゆ〜にぃは刀を首筋から離し、大きく振り上げた。すでに二人の距離は1メートルも離れていない。
 「いかん!!」
 万景寺がショットガンを構える。しかし、こちらに背を向けている希が邪魔になって発砲はできなかった。精密射撃のできない武器だったことも災いした。このまま撃ったら確実に希を巻き込んでしまう。
 しかもさらにタイミングが悪いことに、廊下の向こうから遠野とみるふぁが走ってくるのが見えた。万景寺はこっちへ来るなと叫ぶ。
 「だから……ゆ〜にぃちゃん、戻ってきて……」
 希はゆっくりと手を広げ、ゆ〜にぃを抱きしめようとする。
 次の瞬間。
 「!」
 右の肩に衝撃が走った。生暖かい液体が、右頬にかかる。
 ゆ〜にぃが振り下ろした日本刀が、希の肩に深々とめり込んでいた。ゆ〜にぃがフルパワーで振り下ろした刀は、希の肩甲骨を砕き、右の肺まで達していた。致命傷なのは誰の目にも明らかだった。
 着ている服が、たちまち血の色に染まってゆく。しかし、希の表情はまるで痛みを感じていないかのように静かだった。ゆ〜にぃの肩を抱きしめると、耳元に囁く。
 「ゆ〜にぃちゃん……だ……いすき……」
 最後の力を振り絞り、首筋に手を回して電源スイッチを切る。ゆ〜にぃの瞳から光が失われる。ゆ〜にぃ、機能停止。それを見た希は、満足そうに微笑む。
 そして、力尽きた。
 万景寺の制止を振り切って制御室に飛び込んだ遠野が見たものは、まるで仲のよい姉妹の様に血だまりの中に抱き合ったまま倒れる、希とゆ〜にぃの姿だった。希の顔には優しい笑みが浮かんでいた。ようやく、大切な友達を探し当てたかのような、幸せに満ち足りた笑顔。
 遠野は声にならない叫びを上げた。


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