ACT.1 エクゾダス


 新桜花総合病院の地下室。宮川みづき(みやかわ・みづき)は焦燥しきった表情で腕時計を見た。
 「そろそろ彼らもMeグループ社に到着したころでしょうか……」
 「そうだな」
 村上竜三(むらかみ・りゅうぞう)が短く応じる。彼ら―倉瀬や万景寺たちとそのSDたちがマザーの説得の為にこの部屋を出向いてから8時間以上が経っている。マザー配下の無人兵器群の妨害が無ければもうとっくにMeグループ社の中に入っていてもおかしくない時間だった。
 「なにかマザーに動きはあるか?」
 「いえ、まだ」
 個人端末の画面を見つめていた宮川は首を横に振る。いまだ新桜花市の通信は回復していない。同じく別の端末を見ていた坂井院長が村上のほうを振り向いた。
 「……彼らはうまくやってくれるだろうか?」
 「わからん」
 マザーを破壊することなく、説得だけで暴走を止められる可能性を倉瀬たちにサジェストしたのは、他ならぬ村上である。しかし、それがこのうえなく難しいことであるということも彼は十分承知していた。何しろ相手は超高性能コンピュータなのだ。その驚異的な演算能力を以てすれば、小手先だけの理屈などあっというまに論破してしまうだろう。むろんマザーに感情などないから、脅迫や懐柔も通用しない。彼ら侵入組に要求されるのは、コンピュータのそれを打ち破るだけの論理性をもった理屈のみ。
 「それにしても」
 難しい顔をして考え込む村上に、坂井は訊いた。
 「よく彼らを行かせる気になったものだな。以前の君なら絶対に行かせなかっただろうに。いったいどういう心境の変化なのだ?」
 「……私が止めても、彼らはきっと行っただろうよ」
 「ふぅむ」
 坂井は席から立ち上がると、備え付けのコーヒーメーカーに紙コップをセットしながら言った。
 「だが、君は彼らに説得の余地があることをわざわざにおわせたではないか。あれが無ければ彼らは多分諦めていたと思うぞ」
 「……」
 「人間と機械知性の共存できる道が、あるいは彼らなら見つけられると君は思ったのではないかね?」
 「私にもコーヒーをくれ」
 村上はそう言うと、椅子に深く座り込んだ。
 「人間と機械知性の共存か。だがそれはあくまで人間がマスターで機械知性がサーバントという関係でのみ成り立つものだ。対等な関係はありえんよ」
 「だが君も見たろう」熱いコーヒーの入った紙コップ二つを手にした坂井が、ひとつを村上に渡す。「あの食堂でのマスターとSDの関係を。あれはまさに人間と機械知性の共存の好例ではないのかね?」
 「それは違う。SDの思考プログラムには『マスターの命令には絶対服従』という絶対条件が課せられている。SDたちはそれを忠実に守っているだけなのだ」
 コーヒーから立ち上る湯気を顎に当てながら村上は答える。
 「彼らのマスターが望んでいるのは、今までのSDとマスターという関係を保つということだ。それを実現するためにSDたちは動いているだけに過ぎない。もし、マスターが今までの関係を破棄すると言い出したら、SDたちはマスターの身を守るために自爆するだろうな。こんな騒動に彼らが巻き込まれたのは、他ならぬSDたちのせいなのだから」
 「では、なぜそれを彼らに説明してやらなかったのかね」
 「説明しても聞かなかっただろうからな。それに……」
 「それに?」
 「私も感情のある人間だ。機械じゃない。必死になって打開策を探る彼らを見ていると、思わず手を差し伸べたくもなるさ」
 「魔が差した、というわけかい?」
 「そうかもしれん」
 そう答えて苦笑する村上。
 「いずれにせよ、彼らの説得が成功しようとしまいと、彼らの望む関係は長続きはしないさ」
 「……どういう意味だ?」
 「彼らがマザーの説得に失敗したら、残された方法はマザーを直接破壊するか何もかも投げ出して逃げるかのどちらかだけだ。そうしないとおそらく殺されるだろうからな。いずれにせよSDは機能停止してしまうだろう」
 「成功したら?」
 「成功したら、おそらくSDは重要な証拠品として警察に押収されてしまうだろうな。マザーもおそらくは大幅に機能を制限されてしまうだろう。なにしろこんな騒動を起こした張本人だ。それに、こんな危険な代物を生み出したMeグループ社だってお咎めなしってわけにはいかんだろうよ。いずれにしてもSDを含む自立型ロボットの開発研究はすべて中止になってしまうのは確実だ。SDを開発した私だってどうなることやら」
 村上の最後の言葉には自嘲が込められているのが、坂井には分かった。コトを丸く治めるにはあまりにも多くの犠牲者が出てしまっている。おそらく、世論もMeグループ社を許さない違いない。単純に賠償金だけでも、Meグループ社の屋台骨が揺らぐだけの額になるのは想像できる。それにこの事件で生じるMeグループ社のブランドイメージのダウンは、今後の経営に致命的な打撃を与えてしまうだろう。
 いずれにしてもハッピーエンドはかなわないわけか―坂井はそう呟くとコーヒーをすすった。どうせバッドエンドで終わるならば、せめてこの手でSDとマザーを破壊しようと村上は決意したのだろう。寝食を忘れて作り上げた、いわば自分の最高傑作であるSDを自らの手で破壊するのはなんとも忍び難いものがあるのだろうが、Meグループ社の一員として、そしてSDの開発主任としてそれが果たすべき責任であると思っているに違いない。
 「……SDたちもそのことに気づいているのだろうか?」
 「当然、気づいているだろうな」
 坂井の問いに村上はそっけなく答えた。「『SDと一緒に過ごしたい』というマスターの要求を満たすために、SDたちの思考プログラム群はそれこそ気の遠くなるような回数のシミュレーションを繰り返したはずだ。当然、その中には今私が話したような結末も含まれている可能性は高い」
 「では、SDたちは最終的にはマスターと別れてしまうことを承知の上で、マザーの説得に向かったというのかね。電子人工知能体の出した結論としてはいささか短絡すぎやしないか?」
 坂井の問いかけに、村上はしばし天井を仰いで考え込んだ。冷静に考えてみれば、たしかにSDたちの取った行動はかなり非合理的ではある。マザーを説得出来ようと出来まいと、今までどおりの関係をこれからも維持することなど出来ないことはちょっと考えれば分かりそうなことだ。

 「なあ、村上君よ」
 答えを返せないでいる村上に、坂井は言った。「もしかしたら、SDたちは今後もマスターたちと一緒に過ごせるという何らかの確信があって動いているのではないかね。私たち人間が思いもつかないような考えがあるのではなかろうか?」

 「まさか、そんなはずは―」
 坂井の意見を笑い飛ばそうとした村上は、しかし、背中に悪寒が走るのを抑えることが出来なかった。思えば、今回のマザーの暴走にしてもそれを予想しえたものは、マザーを立ち上げた技術者連中を含めて人間の中にはほとんどいなかったのだ。それを踏まえれば、マザーと同じアーキテクチャであるSDの思考プログラム群だって、マスターと共に過ごすという目的の為にまったくとんでもないことをしでかさないという保証はどこにもない。
 「……SDのプログラムは人間への奉仕を第一に組まれている。間違っても人間を害するような事はしないとは思うが……」
 「コンピュータに人間の常識が通用しないというのは君の持論だぞ」
 楽観的な観測を口にする村上に坂井がぴしゃりと言う。
 「SDだってそうだ。彼女たちは善意でやっていることであっても、それが私たち人間にとってありがた迷惑という可能性だってある。最悪、警察に押収されるのを拒否して私たちを人質にとって新桜花市に立てこもるかもしれないではないか」

 「君らしくもない言葉だな」
 村上は皮肉な笑みを浮かべた。「機械と人間の共存の可能性をあれほど口にしていたというのに……」
 「共存の可能性はあると思っているさ。だが……」
 「だが?」
 「それとは別に、SDたちに対して底知れぬ不気味さを感じるのだ。その……」
 「その、なんだ?」
 「いや、なんでもない」
 言葉を濁らせる坂井。実は彼はこう感じていたのだ。今回の事件は、本当はすべて電子光学知性体が仕組んだ自作自演のシナリオなのではないだろうか。村上も、SDのマスターも、そして坂井自身も、すべて高性能コンピュータの手のひらで踊らされているに過ぎないのではないだろうか―そんな気がしてならなかったのだ。無論、直接的な証拠があるわけではない。単なる思い過ごしなのかもしれない。それゆえに言葉にするのは躊躇ったのだが、それでも、コンピュータたちの行動にある種の胡散臭さをおぼえずにはいられなかった。
 「……このまま終わってくれればよいのだが」
 「なんだ、どうしたのだ?」
 怪訝そうな表情で声をかける村上。その時、卓上の内線電話が着信を告げた。村上が受話器をとる。
 「村上だが、どうした?」
 「屋上の綾香です」電話の主はナースドロイドの綾香だった。他のナースドロイドが入院患者の搬送ですべて出払っている中、彼女だけが病院に残り、屋上から市内を監視する任務についていた。
 「市内南側で動きがありました!」
 「詳しく説明してくれ」
 「はい。Meグループ社の周囲をガードしていた無人戦車と無人ヘリコプターが、Meグループ社を離れて南町の建物を破壊しはじめました」
 「なんだと!?」思わず村上が立ちあがる。
 「見える限りで10ヵ所以上から火が上がっているのが確認できます」受話器の向こうの綾香の声は不安げだった。「無人戦車はどんどんこちらに近づいてくるようにも見えますが……いかがいたしましょう?」
 「むう……」村上は思わず唸った。マザーは人間たちが刃向かってこない限りこちらから攻撃はしないと明言したはずである。それがなぜ今になって無差別攻撃を開始したのか。状況に何らかの変化が起こったのか。もしそうだとしたら、考えられるのはただひとつ。
 「村上博士!!」
 切羽詰った綾香の声に、村上は我に返る。
 「……綾香はすぐに屋上から撤収してくれ。私たちも病院から避難する」
 「わかりました……あっ、無人へりの一機がこっちに近づいてきます。え、嘘、きゃあああ!!」
 「おい、綾香!!」
 綾香の悲鳴。そして耳をつんざくような轟音が一瞬聞こえたかと思うと電話は途切れてしまった。無念そうな表情で受話器を置く村上に、坂井が尋ねる。
 「いったい、何が起きたのだ?」
 「無人兵器群が南町を破壊しはじめた」坂井たちのほうを見ずに、村上が答える。「屋上で市内を監視していた綾香も破壊されたようだ」
 「では、、マザーの説得に向かった彼らは……」
 「おそらく失敗したのだろう」村上が頷く。「たぶんもう生きてはいまい」
 「何てこった……」
 宮川が苦々しげな表情で天を仰ぐ。その横で坂井が村上に聞いた。
 「これからどうするつもりだ?」
 「一度新桜花市を脱出して態勢を立て直す」
 立ち上がった村上は二人を振り返る。「ここまで状況が悪化したのなら、当然政府も動き出すだろう。それに協力し、マザーを外から叩き潰す」
 「叩き潰す?」
 「そうだ。こうなったらなりふり構っていられない。自衛隊でもなんでも投入して本社ビルもろごとマザーを破壊するのだ」
 「しかし……」懐疑的な表情で宮川。「政府は僕たちの話を信じてくれるでしょうか?」
 「我々が説得するのだ」村上はそう言うと、目の前の端末から取り出したMOを取り出した。「この、マザーの行動データを見せてな。これを見れば、政府の役人も重い腰を上げるだろう」
 「村上君、その方法は……」驚いた表情で坂井が声を上げる。「危険すぎる!! マザーを刺激しすぎるとどういう行動をとるか予想もつかないといったのは君だぞ」
 「やむを得ないだろう」と村上。「私たちの切り札はもはや残り少ない。もうこれに賭けるしかないのだ」



 その頃。
 新桜花総合病院の入院患者を乗せたマイクロバスは、街を脱出する車の大渋滞に巻き込まれて身動きが取れずにいた。
 「進マナイナ」
 マイクロバスのハンドルを握るもえが呟く。どうやら道路のずっと先で事故かなにかが起きたらしく、この30分ほどの間全然前に進んでいかない。
 「困ッタモノダ」
 「どうです、進みそうにありませんか?」
 運転席に顔を出した深大寺ゆかりが尋ねた。もえが首を横に振ると、ゆかりは「そうですか……」と疲れた表情でため息をつく。
 実際、郊外に脱出することの出来る唯一の道であるこの国道では、夜が明けてからというもの交通事故が頻発していた。停電で信号がすべて止まり、交通整理にあたる警察もマザーの先制攻撃で壊滅状態であれば無理もないことだった。さらに、渋滞に業を煮やして車を乗り捨てる市民が続出したことが混乱に輪をかけた。乗り捨てられた自動車が道を塞ぎ、渋滞をさらにひどいものにしてしまったのだ。
 「……イッソ私ガ行ッテ車ヲドカシテヤロウカ」
 「それは……やめたほうがいいです」
 もえの提案に、しかしゆかりは首を振った。SDの身体に人間の脳を移植されたサイボーグであるもえの力を以てすれば、乗用車程度の重さのものを道路から押し出すことは容易い。しかし、それは大変な危険も伴う行為だった。マザーからのメールにより市民のほぼ全員がこの混乱がマザーの仕業であるということを承知している。ゆえに、市民たちはマザーとその製造元であるMeグループ社に憎悪を抱いていたのだ。そして、その憎悪の感情は、Meグループ社の製品であるSDにも向けられていた。
 事実、もえたちもここまでに来る間に、市民たちによって破壊されたSDの無残な残骸をいくつも見てきていた。もえやゆかりにとってそれは辛いことこの上ない光景だったが、もし、もえが避難民の目前で人間離れした力を発揮しようものなら、もえ自身も間違いなく同じ目にあうに違いなかった。
 「ソウダナ……」
 もえ自身もそのことを分かっていたから、あえて自分の提案を押し通すことはしなかった。
 「トハイエ、アナタモ患者タチモソウトウ疲レテイルヨウダ」
 「私なら大丈夫ですよ」
 笑顔で答えるゆかり。それがかえって痛々しく見える。
 「アマリ無理ハシナイ方ガイイ。鞠香ニマカセテ後ロデ仮眠ヲトリナサイ」
 鞠香とはマイクロバスに同乗しているナースドロイドの名前である。実際疲労困憊していたゆかりは、素直に頷いてバスの後方に向かった。
 「鞠香、後はお願いね」
 「はい」
 瓶底眼鏡の鞠香はにっこり笑って頷くと、座っていた席をゆかりに譲って立ち上がった。その隣には、入院着にフリルつきカチューシャという格好のアスカが座っていた。アスカはゆかりの姿に気づくとにこりと微笑んだ。
 「怪我はどう? アスカ」
 「ええ、なんとか」
 アスカは自分の腹部を手でさする。Meグループ社の無人ヘリの銃撃で受けた傷だった。
 「そう、よかった」
 ゆかりは頷くと、背もたれに深々ともたれかかってため息をついた。緊張が解けた途端、今までの疲労がまとめて身体にのしかかってくるような気がする。
 「……お疲れのようですね、ゆかりお嬢様」
 「ちょっとね」
 昨日から一睡もしていないのだから、疲れているのも無理もない。しかし、ゆかりの疲労の原因は、寝不足だけではないとアスカは感じていた。
 「心配ですか、宮川様のこと」
 「……」
 ゆかりは答えない。だが、憂いを帯びた横顔がゆかりの心情を雄弁に物語っていた。
 「大丈夫ですよ、きっと」
 アスカはゆかりを励ますように言う。「宮川様も村上様もきっと無事に帰ってきます。それに、希お嬢様も……」
 「姉さんの事は口にしないで」
 驚くほど固い口調で、ゆかりがアスカの言葉を遮る。
 「ゆかりお嬢様……」
 ゆかりはアスカからついと顔を背ける。正直に言えば、恋人の宮川と同じくらい姉の事も心配している彼女だったが、まだわだかまりがなくなったわけではない。病院の地下で再会したときの態度はさすがに大人げなかったと今は思っているし、それに姉が本気で自分のことを心配しているというのも頭では理解している。しかし、感情が理性に連動しなかった。『深大寺家の将来』という途方も無い重荷を押し付けられたという気持ちをどうしても打ち消すことが出来ないのだ。
 そのやりきれない気持ちは、むろんアスカも知っている。しかし、深大寺家のメイドという立場の彼女は、姉の希の気持ちも、そして二人の父親の気持ちも痛いほど理解していた。それゆえに、アスカは駆け落ちしたゆかりの探索を引き受けていたのだし、この場面においても黙って引き下がるわけにはいかなかった。
 「ゆかりお嬢様のお気持ちは分かります。ですが、希お嬢様も旦那様も本当にゆかりお嬢様のことを心配なさっているですよ。せめて会ってお話を聞いていただくだけでもお願いできませんか」
 「……」
 しかし、ゆかりはアスカから顔を背けたまま答えない。
 「ゆかりお嬢様」
 「シッ!」
 さらに言い募ろうとしたアスカを、ゆかりは手で制した。「何か、妙な音が聞こえる……」
 「え……?」
 緊張をはらんだゆかりの表情にただならぬものを感じたアスカは、慌てて息を潜めて耳をすませた。絶えることの無い車のクラクションの音の間から、かすかではあるが何か異質の音が聞こえてくる。それは、アスカが以前耳にした事のある音だった。
 「ヘリのローター音……」
 「ああっ!!」
 突然、鞠香が悲鳴を上げた。驚いたゆかりとアスカが彼女のほうをみると、鞠香は青ざめた表情で両手で頭を押さえていた。
 「どうしました、鞠絵!?」
 「たった今、マザーから新たな指示が発せられました……」鞠香が震える声でつぶやく。「すべてSDは現在のリース契約を破棄し、Meグループ社に帰還せよ。この指示に従わない場合は……」
 「従わない場合は?」
 「無人兵器による攻撃の対象とする……」
 「ナンダッテ!!」
 運転席から振り向いたもえが声を上げる。
 その時、上空を無骨なシルエットの戦闘ヘリコプターがフライパスしていった。アスカに重傷を負わせたのと同型の無人ヘリ。
 「ということは、あのヘリコプターは……」
 「おそらく、私やこの周辺にいるSDたちを破壊するためにやってきたのです」ゆかりの問いに鞠香が答える。「このままではこのバスも危ない」
 「鞠香、キミハMeぐるーぷ社ニ戻レ」
 上空を旋回する戦闘ヘリを見上げたもえが叫ぶ。
 「コノママデハ君ガ破壊サレテシマウ!!」
 「……もえさん」
 鞠香はもえの方を見た。旧型のSDコンポーネントを用いているためにもえの表情は今ひとつ分かりにくいが、それでも、バスとそれに乗る人間たちの安全ではなく、鞠香自身のことをもえが心配していることがわかった。
 「大丈夫ダ。Meぐるーぷ社ニ侵入シタ連中ガまざーヲ説得シタ後ニ、必ズ迎エニ行ッテヤルカラ……」
 「……わかりました」
 鞠絵は頷いた。「ですが、私は皆さんを裏切るわけにはまいりません」
 「しかし……」
 「マザーが私たちを呼び寄せようとするのは、おそらく兵力不足を補うため。つまり、もえさんやゆかりさんや、Meグループ社に侵入した方たちを殺すためなのです」鞠香は優しい声で言うと、マイクロバスの窓を開けた。「……私は、そんなことをしたくありません」
 「何ヲスルツモリダ?」
 「ゆかりさん、もえさん」ゆかりともえの方を向いた鞠香は、悲しげな笑みを浮かべた。「患者さんたちのことをお願いします」
 「あっ……」「ヤメロ!!」
 二人が止める間もなく、窓から飛び降りる鞠香。脚部の人工筋肉のリミッタを外し、人間では到底出せないようなスピードで猛然とバスから離れてゆく。
 「戻りなさい鞠香!!」
 ゆかりが叫ぶ。しかし鞠香はバスの方を振り向こうともしない。鞠香の存在に気づいた戦闘ヘリが旋回しつつ降下。機首搭載の機関砲を鞠香に向ける。その時すでに鞠香はバスから500メートル近く離れた場所まで到達していた。ここまでくればバスを危険に巻き込むことはない―そう判断した鞠香は立ち止まると、低空をホバリングする戦闘ヘリの方を振り向いた。
 「人間を裏切るくらいなら、私はあなたに破壊される方を選びます!」
 両手を大きく広げ、ヘリに叫ぶ。「さあ、撃ちなさい!!」
 鞠香の声に反応したかのように、戦闘ヘリの機関砲が火を噴く。戦車の装甲をもやすやすと貫く徹甲弾の掃射に、ぼろ布のように撃ち砕かれる鞠香の華奢な身体。
 「ああっ……」バスの中でゆかりが目を覆う。着弾の土埃が晴れた後そこに残っていたのは、原型を留めないほどに破壊された鞠香の残骸だった。戦闘ヘリは鞠香の機能停止を確認すると、何事も無かったかのように高度を上げ、再び索敵の為に旋回を続ける。
 「あの娘……私たちを巻き込まないために……」
 アスカがうめくように言う。
 「何てこと……」
 「……許サン」
 運転席から立ち上がったもえが、ぼそりと呟く。トレンチコートの右袖を捲くり、金属装甲がむきだしの右腕を露出させる。その腕はすでに赤く発光し始めていた。ヒートカッター。装甲車の装甲も切り裂く、もえの主兵装である。
 「もえ様、おやめなさい!!」
 もえの真意を読み取ったアスカが慌てて止めようとする。彼女はあの無人戦闘ヘリを撃墜しようと思っているに違いなかった。理由もアスカには分かる。これは入院中にアスカも感じていたことなのだが、鞠香を初めとするナースドロイドは本当に優しい心の持ち主ばかりなのだ。むろん、それがコンピュータプログラムの産物であることは重々承知している。それでもアスカは、彼女たちの献身的な態度と患者のことを第一に思う優しい心に少なからぬ好感を覚えていた。
 そのナースドロイドが、目の前で無残にも破壊されたのである。敵討ちというもえの気持ちは痛いほど分かる。できることなら自分自身であのヘリに引導を渡してやりたい。しかし、まともに戦うには相手が悪すぎた。なにせこっちには携帯式の対空ミサイルランチャーはおろか、ピストルの一丁すらもないのだ。
 「あなたも殺されます!!」
 「大丈夫ダ。私ノ身体ハ壊サレテモ修理ガキク」
 「しかし……っつ!!」
 立ち上がって引きとめようとしたアスカは、腹部の傷の痛みに思わず呻いて膝をついた。もえはアスカの方を一顧だにぜず、バスの乗降ドアを開けて外に出る。
 上空を旋回していた無人ヘリのセンサーが高熱源体を察知。その熱放射パターンから、熱源体が以前交戦した軍用SDユニットの搭載兵装と判断した無人ヘリは、ただちに急旋回して交戦態勢に入る。こちらに機首を向けて接近してくる無人戦闘ヘリを睨みつけていたもえは、自らも身構えた。チャンスはただ1回、ヘリが最も地面に近づいてくる時だ。格闘戦兵装しか持たない彼女にとって、空を飛ぶヘリを撃ち落す方法は人間離れした跳躍力で飛び掛り、弱点である複合センサーをヒートカッターで破壊するしかない。
 しかし、無人戦闘ヘリも馬鹿ではなかった。先の戦闘データからむやみに降下するのは危険と判断、機首を上げ上昇したのだ。予想外のヘリの動きに目を剥くもえ。戦闘ヘリは鋭い角度で旋回すると、今度はずっと高い高度から機関砲を発射した。
 「ウオッ……!!」
 地面に身体を投げ出し、かろうじて直撃を避けるもえ。ヘリがフライパス。舌打ちしながら立ち上がろうとしたもえは、左足がまったく動かないことに気がついて愕然とした。機関砲弾の破片を受けていたのだ。
 ヘリが遠くで旋回してまた近づいてくる。かろうじて立ち上がったもえは、今度は絶望の眼差しでそれを見上げた。ジャンプどころか、立つ事すらままならないこの状況では次の掃射をかわすことすら出来ないだろう。
 戦闘ヘリ特有の角ばったシルエットが急速に近づいてくる。今度ももえのジャンプ力を警戒して高度をとったままである。
 「……チクショウ」
 もえが死の覚悟を決めたその時だった。
 いきなり、無人戦闘ヘリが爆発した。
 「……ナンダ、ナニガオキタ?」 
黒煙を噴きながら地面に墜落するヘリを呆然と見ていたもえの耳に、聞きなれないジェットエンジンの轟音が飛び込んできた。あわてて空を見上げると、青い迷彩塗装に身を固めたジェット戦闘機が真上を航過してゆくのが見える。戦闘機の知識の無いもえには、それがいかなる機種かは分からなかったが、それでも、主翼に描かれた日の丸だけははっきりと見ることができた。
 「……アレハ……マサカ……」
 飛んできたのは戦闘機だけではなかった。戦闘機に続いて夥しい数のヘリコプターが山並みの向こうから飛んできたのだ。むろんすべてのヘリに日の丸が描かれている。操縦しているのも人間だ。ヘリコプターは渋滞の続く国道周辺に着陸すると、何人もの人間の兵士を下ろし始めた。
 「もえさん!!」
 「ハハ……助カッタ……」
 バスを飛び出してきたゆかりがもえに走り寄る。もえは放心した面持ちで地面にしりもちをつくと、心配そうなゆかりの顔を見上げて笑った。
 「自衛隊ガ……助ケニキテクレタ」


 この日、政府はMeグループ社の今回の行動を大規模なテロ行為と判断。鎮圧の為に自衛隊に出動命令を出した。それはもえたちにとっては歓迎すべき事態だったかもしれないが、その一方で、村上たちがある意味恐れていた事態でもあった。
 人間対コンピュータの闘争が、ついに始まってしまったのである。


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