ACT.4 ゼロアワー マイナス32時間19分


 Meグループ社日本支社の広大な敷地の片隅にあるマンホール。そこがN-01通路の南側の到着点であった。
 「よっこいせっと」
 普段はあまり使用されていない錆だらけの鉄の蓋が下から力任せに押し上げられる。一番最初に顔を出したのは、やはりというか華奢な身体の癖にメンバーで一番腕力のある秋間であった。
 「どうだ?」
 「……誰もいないわよ」
 蓋を横にずらし、反動をつけて地面に飛び出す。その後から、倉瀬、前園、ロベルタたちがぞろぞろと這い出てきた。
 「まったく、ひどい格好ねぇ」
 ロベルタが穴から出るのに手を貸してやりながら、秋間はくすくすと笑う。それを見たロベルタは、掴んでいた秋間の手を振り払うとむっとした表情で言い返した。
 「秋間殿こそ」
 実際、秋間とロベルタの着ている衣服は、血と油と硝煙にまみれていてまったくひどい有様だった。それは他のメンバーも同様であり、マザーが迎撃のために向かわせた軍用SDとの戦闘がいかに激しいものであったかを物語っていた。実際メンバーの中で無傷の者は一人もおらず、特に常に最前線で敵と渡り合っていた秋間は身体のあちこちに血のにじんだ包帯が巻かれていたし、同じく最前線にいたなしのも軍用SDとの格闘戦で左手首の関節を損傷、殿を守り続けたロベルタは右腕を骨折していた。
 さらに、そのような激しい戦闘が一度や二度ではなく、まさに『10歩歩けば敵と遭遇』といった感じで頻発したのが、メンバーの負傷と疲労をさらに増やす結果となった。あまりの遭遇率の高さに秋間などは「アタシたちはレベル上げに来てるんじゃないわよっ!」と嘆くほどだった。
 それでも、立てないほどの重傷を負った者がでなかったのは、軍用SDが火器の使用を控えたというのもあるが、何といっても弓音の奮闘があったからに他ならない。彼女を同行させた万景寺の配慮は正しかったのである。弓音自身は時間に比例して増えていくメンバーの怪我に「ケアルの呪文が欲しい」とSDらしからぬ愚痴を漏らしたりしていたのだが……
 「……静かだな」
 辺りを警戒したなしのが、ふと漏らす。
 「そうだな」
 頭に包帯を巻いた倉瀬が頷く。てっきりここにも大量の軍用SDが待ち構えていると予想していたのだが。
 「敵の本陣にしては、静かすぎる……」
 「でも、わたしたちにとっては好都合でしょ」
 なぜかマイクロミニのスカート姿のリュスカが、すすに汚れた顔で笑う。途中で応急処置に使う包帯が足りなくなり、自分のスカートを切り裂いて包帯の代わりに使ったのである。
 「それは、そうだが……」
 「きっと万景寺さんたちの陽動がうまくいったのよ」
 「だといいが」
 しかし、倉瀬はこの異様なまでの静けさに不安を拭いきれなかった。人間が一人残らず追い払われているのだから静かなのは当然といえば当然なのだが、Meグループ社の敷地内に侵入したというのに、そのリアクションがまったくないというのは明らかにおかしい話であった。
 「あるいは、罠か」
 「はい、倉瀬様も」
 眉間にしわを寄せて考え込む倉瀬の目の前に、おにぎりと熱いお茶が差し出される。
 「腹が減っては戦はできぬ、と申しますわ」
 おにぎりとお茶を手にしたまつが、にっこりと笑った。周りを見回すと、皆がみな地面に座り込んでおにぎりをぱくついている。ロベルタですら、銃を抱え辺りを油断なく警戒しつつも食べていた。
 「クラウゼルちゃんも早く食べたほうがいいわよん」
 「随分と余裕じゃないか……」
 眉間の縦しわに加え、こめかみに青筋を浮かべつつ倉瀬がつぶやく。しかし、その言葉とは裏腹に彼女の腹の虫は空腹を声高に表明していた。何しろ朝からほとんど何も食べていなかったのだ。
 「今のうちに腹に何か入れておいたほうがいいですよ」と前園。「次にいつ食べられるか、分かったものではないし」
 「……最後の晩餐にならなければいいがな」
 「ん、何か言ったかクラウゼル?」
 クラウゼルの不吉な呟きを聞き逃したなしのが尋ね返す。倉瀬は「なんでもない」と答えると、なしのの横に腰を下ろすと渡されたおにぎりを口にした。
 「……なしのの料理もこれほど上手だったらな」
 「聞こえているぞ」
 なしのが口を尖らす。自覚はあるのだ、一応。
 とりあえずの腹ごしらえを終えると、一行は輪になって今後の手順についての確認を始めた。
 Meグループ社日本支社の社屋は、広大な敷地のど真ん中にそびえ立つ本社ビルと、その周りに寄り添うように立っている各種の技術研究ビル群で構成されている。いわばMeグループ本社がひとつの技術研究開発機関になっているのだ。中でもひときわ大きい研究ビルが、SDを開発した技術開発部と無人兵器の生みの親である軍事開発部のビルで、このふたつがMeグループ社で最も重要視されているというのがそれからも見て取れた。
 「マザーの本体は」簡単な見取り図を指し示しながら、倉瀬が説明する。「村上博士の話では、この本社ビルの地下10階にある。制御室も隣接しているとのことだ」
 「それじゃあ、本社ビルに入って地下に降りて、制御室まで行けばいいだけの話ね」指をぼきぼき鳴らしながら秋間が笑う。「簡単じゃない」
 「そう、ただそこまで行くだけならば簡単だ」と倉瀬。「だが、当然マザーによる妨害もあるだろう。なにしろマザーは自分に近づく人間は残らず排除すると宣言しているんだからな」
 「そのためにわたしや秋間がいるのであろ」なしのが倉瀬の肩を叩く。
 「しかし、お前も秋間も、それにロベルタも今は無傷ではない……」
 倉瀬の言うとおり、秋間もロベルタもまさに満身創痍の状態だった。特にロベルタの右腕骨折は彼女たちにとって決定的な戦力低下であろう。それにMeグループ社はマザーにとってホームグラウンドである。守る側にとっては最大限の地の利を生かせるのだ。いざ戦闘になったら圧倒的に不利な戦いを強いられるのは間違いない。
 「でも、ここでぐだぐだと考えてたってしょうがないじゃん」リュスカが会話に加わる。「行動あるのみ、よ。まずはやってみて、うまくいかなかったらその時に次の方法を考えればいいんじゃない?」
 「ですが、失敗は許されませんのですし、慎重になるのも必要かと存じますよ」とこれはまつ。
 「うーむ……」
 考え込む一行。そこに軽いクラクションの音が聞こえてきた。
 「おーい、そんなところで何をしとるんじゃ?」
 市内で陽動を行っていた万景寺だった。彼の運転する防弾仕様のベンツが、ゆっくりと一行に近づいてくる。車内には下田や鬼杏の姿もあった。どうやらたいした怪我もなく無事のようだった。
 「しゅーほー、無事だったかい!?」
 車を降りた万景寺に、弓音が抱きつく。
 「あたりまえじゃ。ワシは死なんといっていたじゃろう?」
 「何を話していたんだ?」
 同じく車を降りてきた下田が尋ねてくる。倉瀬は今までのことをかいつまんで説明し、最後にマザーによる罠の可能性を疑っているのだと付け加えた。
 それを聞いた下田は首を傾げた。
 「そういえば、Meグループ社の敷地内に突入するときに妙な光景をみたな」
 「妙な光景?」
 「ああ。ここの正門付近でなんだが、マザーの無人装甲車とm.s.s.s.が同士討ちをやっていたんだ」
 陽動作戦の最中、下田は単独でm.s.s.s.兵士と激しい戦闘を交わしていたのだが、ちょうど正午を過ぎた辺りからm.s.s.s.に妙な動きが見え始めた。下田との戦闘を回避し、撤退する様子を見せ始めたのだ。
 あるいは侵入に成功した倉瀬たちを撃退するために、本社に呼び寄せられたのかと考えた下田は、急いで別行動をしていた万景寺と合流し、Meグループ社に向かったのだが、そこで下田たちが見たものは、Meグループ社の守りを固めていた無人戦車10数輌とm.s.s.s.が激しく銃火を交わす光景だった。
 「……まあ、ありゃ戦闘というよりは一方的な殺戮だな。自分たちがその場に着いてから10分も経たないうちにm.s.s.s.は包囲されて全滅してしまった。満足な対戦車火器を装備していなかったようだから当然なんだが……」
 「気の毒ですね……」とロベルタ。「それで、無人戦車はどうしたのです?」
 「そうそう、これまた妙な話なんだが」下田が腕を組んで眉をひそめる。「m.s.s.s.の兵士を皆殺しにした後、無人戦車は全部市街のほうに向かっていったんだ。よくは分からないが市街の建物を無差別に破壊している様だったぞ」
 それゆえにMeグループ社にすんなりと入ることが出来たわけだけどな、と下田は笑う。
 「ふむ」
 倉瀬は考え込んだ。先のメールでは、マザーは48時間以内に市民全員が新桜花市を退去するようにと警告していた。しかしその『退去期限』までにはまだ24時間以上もの時間が残っている。その間、敵対行動をとる人間以外には手を出さないと言っていたはずなのだが、ここにきて味方であるはずのm.s.s.s.に攻撃を仕掛け、全滅させたという。m.s.s.s.がマザーを裏切ったのか、それとも……
 「それとも、マザーがなんらかの方針の変更を打ち出したのか?」
 遠野がマザーと接触し、その結果マザーが人間に対する方針を変更したことを、倉瀬はむろん知らない。無人戦車の破壊活動は、マザーが遠野たちの仕掛けたコンピュータウィルスを手っ取り早く始末するため、発信源を突き止めてそれを建物もろごと壊すという手段を選んだのである。
 「急いだほうがいいかもね」と秋間。「こっちの目指すところは相手も知っているんだし、どーせ戦闘は避けられないわ。なら戦車が戻ってくる前にさっさと決着をつけてしまうのが得策よ」
 「同感です」と前園。「ここは急いだほうがいい」
 「……そうだな」
 倉瀬も頷く。リュスカの言葉ではないが、まずやってみて不都合な点が出てきたら都度修正する。いずれにしても情報量が圧倒的に少なくて予想を立てることなど出来ないのだ。ならば『行き当たりばったり』という手段も悪くはない。
 「じゃったら」万景寺はにやりと笑うと、ベンツのトランクを開けた。「これが役にたつじゃろう」
 「これは……」
 トランクの中を覗いた一行が驚きの声をあげる。そこにはライフルやピストルやショットガンや、様々な銃器が弾薬や手榴弾と共に詰め込まれていたのだ。
 「ま、下田とロベルタ嬢ちゃん以外は使ったことなかろうが、ないよりはマシじゃろ」
 「……いったいどこで集めてきたんだよ?」
 弓音が呆れ顔で聞く。時が時なら銃刀法違反だ。
 「まさかしゅーほーが隠し持っていたとか……」
 「バカいっちゃいかん」万景寺が反論する。「これは全滅したm.s.s.s.の死体からかき集めてきたのじゃ。ちと血で汚れておるが、性能は保障付きじゃぞ」
 「……あのね」

 

 本社ビルの正面入り口に近づく。ある程度まで近づいたところで、先頭を歩いていた秋間が手を上げて一行を立ち止まらせた。
 「中に誰かいるわ」
 「私めが見てきます」
 スコーピオンSMGを構えたロベルタがそう言うと、秋間の返事も聞かずにするすると入り口に近づいていった。秋間たちは仕方なく、近くにあった植え込みの陰に身を潜める。
 やがてロベルタが戻ってきた。
 「どうだった?」
 「殺人人形が5、装備はSMG」ロベルタは簡潔に報告する。「1階フロアの中央に横一列に並んで待ち構えている」
 「……どうする?」
 「どうするもこうするも、潰すしかないだろう」秋間の問いに、下田が答える。「自分と鬼杏が先に突っ込むから、秋間さんたちは……」
 「突っ込む?」と万景寺。「バカを言うな。相手が銃を持って待っておるんじゃぞ」
 「窓を割って、手榴弾を投げ込めばよい」なしのが提案する。「いくらわれらSDのボディが丈夫とはいえ、手榴弾の爆発には耐えられないであろ」
 「あのガラスは強化ガラスです。簡単には割れませんよ」
 鬼杏が指摘する。
 「悠長にガラスを割っていたら、それこそ中から撃たれて蜂の巣です」
 「むう……」
 しばし黙考していた前園が、ふいに弓音のほうを向いた。
 「弓音さん、たしか閃光手榴弾を持っていましたよね」
 「え、うん」
 弓音が頷く。万が一のときにと下田が渡してくれたものだ。
 「まだ持ってますよね、では貸してください」
 「そんなものどうするのです?」鬼杏が尋ねてくる。「SDの機械の目には効きませんよ」
 「まあ、聞いてください」
 前園はにやりと笑うと、ガムテープを取り出した。
 「昔、ミリタリー小説を書いたときに集めた資料にあったんですがね、SWATとかの特殊部隊が建物の中に突入するとき、閃光手榴弾を窓に貼り付けて爆発させて、その衝撃で窓を割るっていうのを見たことがあるんです」
 一般的にフラッシュのような強い閃光で目をくらますと思われている閃光手榴弾だが、実は爆発の衝撃で相手を朦朧とさせるための武器なのである。その衝撃たるや相当なもので、狭い部屋で使用されると、部屋にいたものはまるで腹を思い切り殴られるような衝撃をうけるという。その衝撃を以てガラスを破壊しようというのだ。
 「なるほど」と秋間。「それじゃその方法で行きましょ」
 作戦を実行するのは、ロベルタ、秋間、下田、鬼杏、なしの。ロベルタがガラスにガムテープで閃光手榴弾を貼り付け、爆発させる。その直後、割れたガラスから鬼杏となしのが手榴弾を投げ込み、さらにひるんだ相手を下田と秋間が片付ける。
 「では、いくぞ」ロベルタが、後ろに控える鬼杏となしのに声をかける。「いち、にーの……それっ!」
 窓に貼り付けた閃光手榴弾のピンを抜く。すばやく後退するロベルタ。きっかり3秒後、入り口自動ドアの窓ガラスは閃光と衝撃とともに崩れ去った。
 「今です!」「それっ!」
 フロアの中、軍用SDがいると思しき辺りに手榴弾を放り込む鬼杏となしの。それはあやまたず、一斉に戦闘態勢をとった軍用SDの足元に転がっていった。
 「……!!」
 爆発。残っていた1階のガラスがすべて内側から吹き飛ぶ。5体の軍用SDのうち、1体が完全に破壊され、もう1体も脚部にダメージをうけて各坐する。残りの3体が迎撃態勢。
 「やらせないわよッ!」
 秋間の声と共に爆発の煙の陰から飛んできた丸い何かが、軍用SDの顔面を直撃する。鋼鉄製のマンホールの蓋。秋間が怪力にものを言わせて投げつけたのだ。頭部を粉砕され、崩れ落ちる軍用SD。
 「いくぞ鬼杏!」「はいっ!」
 下田と鬼杏が突入。流れるような動作で軍用SDがSMGを撃つよりも早く間合いを詰める。
 「遅い!」
 下田の掌底が軍用SDの顔面を捉える。衝撃で1歩、2歩後ずさった軍用SDに、さらにまわし蹴り。
 「ふんッ!!」
 軍用SDの身体がくの字に折れ曲がったところに、今度は後頭部に拳を振り落とす。顔面から床に叩きつけられ、火花を出しながら沈黙する軍用SD。
 一方、鬼杏は華麗なステップで軍用SDの繰り出す突きをかわしつつ、一気に間合いを詰める。あわてて後退して距離を取ろうとする軍用SDの額に、SIGザウエルの銃口が突きつけられた。
 「舐めたらあかんぜよ、でございますわ」
 にこりと笑い、鬼杏は引き金をひく。さしもの軍用SDも、至近距離からの9ミリ弾の直撃には耐えられなかった。
 「ところでマスター」
 床に倒れる軍用SDを横目に見ながら、鬼杏が下田に訊く。
 「これは兼ねてよりお伺いしたかったのですが、マスターにボディーガード型のSDは必要だったのですか?」
 「うむ、最近は夜道もかなり物騒になったしな」
 しゃあしゃあとした表情で即答する下田。だが、素手で軍用SDを沈黙させた下田の手並みを見る限り、そのような理由は戯言以外の何ものでもないように鬼杏は思えた。
 そんな能天気な会話をかわす二人の背後で、最初に足を破壊されて床にうずくまっていた軍用SDがもぞりと動いた。右手に持ったままのMP5の銃口を、下田の背中に向ける。
 銃声が鳴り響く。あわてて後ろを振り向いた下田と鬼杏が見たものは、側頭部を撃ち抜かれ、糸の切れたマリオネットのように床に崩れ落ちる軍用SDの姿だった。
 「まったく、油断も隙もあったものではありません」
 左手で器用にスコーピオンSMGを構えたロベルタが、胸を撫で下ろした。その背後から、万景寺、倉瀬、前園たちがぞろぞろとビルに入ってくる。
 「まずは制圧完了だな」
 「あら?」
 鬼杏は、下田の右手が怪我をしているのに気がついた。
 「マスター、その右手……」
 「ん、ああ」左手で怪我を押さえながら、下田が言う。「軍用SDに突きを入れたときにちょっとな。まあ、たいした事はないけど」
 「そうはいきません」
 鬼杏はそう答えると、丁度ビルに入ってきた弓音に声をかけた。しかし、弓音は鬼杏の声を無視してつかつかと破壊された軍用SDに歩み寄る。固い表情で床に転がる軍用SDを見下ろしていた弓音は、おもむろにしゃがみこむと軍用SDのヘルメットバイザに手をかけた。
 「やっぱり……」
 「どうしたんだ?」
 弓音の様子がおかしいことに気づき、下田と鬼杏、そして万景寺が近づいてくる。「何があった?」
 「こいつを見ておくれよ」
 弓音は心配そうに見守る3人の方を振り向かずに、床に倒れている軍用SDの顔を指差した。
 「こいつは……優香じゃないか!?」
 万景寺が驚きの声をあげる。ヘルメットバイザの陰からのぞいていたのは、SD連続破壊魔に破壊され、修理不能ということでMeグループ社に回収されたナースドロイド優香の顔だった。
 「馬鹿な……なぜ優香が!」
 「村上博士は、Meグループ社を逃げ出す前にあたしたちYSVD-003の生産ラインを閉じていったんだ」
 プロトタイプであるYSVD-003を設計したのは日本支社の村上博士らのグループだが、実際の量産は、新桜花市ではなく九州にあるMeグループ社の関連工場で行われている。マザーの意図に気づいていた村上は、社を離れる前にその工場にSDの生産ラインを閉鎖するように密かに指示を出していたのだ。
 生産ラインの閉鎖とは、生産のための治具や設備を工場から完全に撤去することを意味する。どうせもうSDを造らないのであれば、SDの生産以外に使えない道具や設備で限りある工場の敷地を埋めておくよりは、すべて取り払って別の製品の生産ラインを敷いた方がいいというわけである。まして、高度な技術の集大成であるSDの生産には、複雑な過程と特殊な治具を必要とする。一旦閉じた生産ラインを再開させるには、かなりの時間と費用がかかるのだ。
 「だから、SDの新規生産はすぐには出来なかった」
 弓音は暗い表情でつぶやく。しかし、マザーは今起きているような事態に備えて少しでも多くのSD―兵力として―を必要としていた。そこで窮余の策として、モニタ用に出回っているSDを理由をつけて回収し、軍用に改造して使用していたのだ。
 「おそらく、今まで倒してきた軍用SDはみんなそうだよ」と弓音。
 「もしあの時、まつをMeグループ社に預けていたら」と前園。「もしかしたらここに倒れていたのはまつだったかもしれないということなんだね」
 「まあ、優香としての擬似人格はとっくに消去されているし、軍用SDのコントロールはあたしたちのプログラム領域とは別のところでやっているんだ」弓音は軍用SDのバイザを元に戻すと立ち上がった。「だから、こいつは本当の優香じゃない。優香のゾンビみたいなものかな。壊してやったほうが優香のためにもよかったんだよ……機械のあたしが言うのもなんだけど、そのほうが優香も成仏できると思う」
 そう言って、涙をぬぐう弓音。万景寺はかけてやる言葉すら見つけられず、ただ弓音の肩を優しく抱いてやることしかできなかった。
 「すまん、弓音……大切なものを守ってやれなくて」
 ビルの外から絹を切り裂くような倉瀬の悲鳴が響き渡ったのは、その時だった。

 

 倉瀬が異変に気づいたのは、弓音たちに続いて彼女もビルの中に入ろうとした時だった。
 「……なんだ?」
 遥か頭上でガラスが割れるような音が聞こえたような気がして、立ち止まり上を見上げる。ビルの最上階とおぼしき辺りから、ガラスの破片と一緒に人間のようなシルエットが落ちてくる。その落下地点が自分の立っているあたりだと気づいた倉瀬は、あわてて頭を両手でかばうと後ろに後ずさった。
 鈍い衝撃音と共に、人間の身体がコンクリートの地面に叩きつけられる。ついさっきまで倉瀬が立っていた場所。血しぶきが倉瀬の顔にかかる。人間の落下死を眼前で目撃したショックでへたりこんだ倉瀬は、顔についた生暖かい血の感触に我に返り、あらん限りの声で悲鳴をあげた。
 「い、いやあああッ!!」
 「なんだ、どうした!?」
 悲鳴を聞きつけた一行がビルを飛び出してくる。真っ先に駆けつけたなしのは、うつ伏せで地面に倒れている血まみれの死体とそのすぐ傍で顔面蒼白でへたりこんでいる倉瀬の姿を見て息を呑んだ。
 「クラウゼル……これはいったいどういうことだ?」
 後から駆けつけた秋間たちも、男の飛び降り死体を見て言葉を失う。事の成り行きを倉瀬から聞いたなしのは、男の正体を確かめようと死体をひっくり返して、さらに驚愕した。
 「ミーシャ・葛原!」
 「なにィ!?」
 ビルの最上階から落ちてきた男は、Meグループ社日本支社の社長ミーシャ・葛原だった。
 「なんで、葛原社長が……?」
 「飛び降り自殺か?」
 「いや」死体を検分していた下田が首をふる。「これは飛び降り自殺なんかじゃないぞ」
 「どうしてわかるのよ?」
 秋間がそう尋ねると、下田は葛原社長の死体の胸の部分を指し示した。
 「ここの傷を見てくれ。明らかに銃で撃たれたものだ」
 下田の言うとおり、死体の胸には明らかに他の傷とは違う丸い穴が開いていた。
 「おそらく葛原社長は、何者かに銃で撃たれた後、ビルの外に放り出されたのだ」
 「そうじゃな」おなじく死体を調べていた万景寺も同意する。「たぶん小口径のピストルで撃たれたのじゃろうが、これが正確に心臓を撃ち抜いておる。こいつが致命傷じゃったのは間違いないな」
 「ちょっと待ってくれ」話を聞いていた前園があわてて話に加わる。「飛び降り自殺じゃないとしたら、じゃあ、葛原社長は誰に撃たれたんだ?」
 「……マザーの方針変更だ」
 ようやくショックから立ち直った倉瀬が言った。そばに寄り添っていたなしのが心配そうな表情で倉瀬を見る。
 「大丈夫か、クラウゼル」
 「ああ、なんとかな……」無理やり笑顔を作ってなしのに答える倉瀬。「もう、大丈夫だ。手を貸してくれ」
 「うん……」
 「方針変更とはどういう意味だ?」
 なしのの手を借りて立ち上がった倉瀬に、下田が尋ねる。
 「さっき君はm.s.s.s.と無人戦車が同士討ちをしていたと言っていただろう?」と倉瀬。
 「ああ」
 「最初m.s.s.s.が事の真相に気がついたのかとも推理していたが、それまでのm.s.s.s.の動きを見るとどうもそれは考えにくい。仮に彼らがマザーを攻撃しようとして返り討ちにあったのだとしても、戦争のプロである彼らが、満足な装備もなしに無人戦車に立ち向かおうとはしないだろう」
 「そうですね」ロベルタが頷く。「普通の兵士であれば、あの状況ではまず逃げることを考えます」
 「と、いうことはm.s.s.s.はわざわざあそこに呼び寄せられていきなり攻撃されたと見るのが自然だ」
 「処分された、というわけか」と万景寺。
 「マザーは人間のことを新桜花市というシステムのパーツと考えているから、その見方は妥当だろう」倉瀬が頷く。「つまり、マザーはm.s.s.s.を不要と判断したわけだ」
 「でも、不要になっただけなら別に殺さなくても追い出すだけでいいんじゃない?」秋間が首をかしげる。「実際、不要になった新桜花市市民には48時間の猶予を与えて街を出て行けっていってるんだし」
 「その通りだ」と倉瀬。「だが、マザーは即座に抹殺するという手段をとった。つまりマザーの人間に対する考え方に何らかの変更が加えられたのだ」
 「変更って、どんな?」
 「これは私の想像だが、おそらくマザーは人間を不要なものではなく、有害なものと認識したのだろう」
 「……それって……?」
 震える声で尋ねる秋間に、倉瀬は暗い表情で頷いた。「たぶん、マザーは本気で人間を、新桜花市民を皆殺しにするつもりだ」
 「……くそっ!」
 下田が地面を拳で叩いた。「なんてこった……街にはまだ自分の娘がいるというのに!」
 「オレの子供も、まだ総合病院にいるはずです」そういう前園の顔も青ざめていた。
 「こうなったら、一刻も早くマザーの所に行かなければ……」
 「事はそう簡単にはいかないようです」
 SMGに新しい弾倉を入れたロベルタが声を上げた。
 「新手の敵が来ました!」
 いつのまに現れたのか、十数体ちかい数の軍用SDが本社ビルを囲むように近づいてくるのが見える。おそらく他の研究ビルの警備に回っていたものが異常に気づいて集まってきたのだろう。全員がSMGを装備しているのを見て、下田は舌打ちした。
 「まったく、次から次へとキリがない!」
 ホルスターから愛用のニューナンブを抜く。と、その前を遮るようにロベルタの手が伸びた。
 「ここは私めが引き止めます」ロベルタが一行に叫ぶ。「皆さんは先にマザーの所へ向かってください!」
 「ムチャよ」
 あわてた様子の秋間がロベルタの肩を掴む。「アンタひとりで相手ができる数じゃないわ!」
 「ここで悪戯に時間を食えば、新桜花市民の被害が拡大してしまいます」とロベルタ。「一刻も早くマザーの暴走をとめなければいけません!!」
 「でも……」
 「大丈夫ですよ」ふっと優しい笑顔を浮かべ、ロベルタは肩を掴んでいる秋間の手に自分の手を重ねる。「秋間殿が心配してくれるのはわかりますが、私たち兵士の使命というのは『どんな過酷な戦場でも必ず生き残って帰ってくること』なのです。自殺するつもりは毛頭ありません」
 「なら、アタシもここに残って戦うわ」
 「それはいけません。本社ビルの中に敵がまだ残っているかもしれませんし……」
 「お兄ちゃん」
 リュスカが秋間の袖を引っ張る。
 「ロベルタのこと、信じてあげようよ」
 「リュスカちゃんまで……」
 「ロベルタなら大丈夫だよ。強いんだし。それに……」リュスカはそこでちょっと言葉をにごらせた。「それに、わたしたちが残っても足手まといにしかならないよ」
 「……」
 言葉に詰まる秋間。リュスカの言うことは事実だった。確かに秋間のバリツの技は強力だが、銃を持った軍用SDの集団の前ではそんなものは無力に等しいのだ。おそらく間合いを詰めようと飛び出した瞬間に蜂の巣になるのがオチだろう。アクション映画の主人公よろしく、敵の弾がなぜか一発も当たらずにすべての敵を打ち倒すなどという都合のいい幻想を抱くような趣味は、秋間もリュスカにもなかった。
 「……わかったわ」
 辛そうな表情で秋間はロベルタの肩から手を離す。
 「絶対死んじゃだめよ!」
 「あ、待って」
 ビルの方へ駆け出そうとする秋間をロベルタが引き止める。何事かと振り向いた秋間の唇に、ロベルタは軽く自分の唇を触れ合わせた。いきなりのロベルタの行動に、呆気に取られる秋間。
 「え……ええ?」
 「もし若様と出会う前に秋間殿と会っていたら、たぶんあなたのことを好きになっていたと思います」ロベルタはそう囁いて笑うと、秋間の背をどんと押した。「さ、早く。時間がありません」
 「え、ええ……」
 後ろ髪を引かれる思いで、ビルに駆け込んでいく秋間。それを見送ったロベルタは、近くにある遮蔽物になりそうなもの―万景寺のベンツ―の陰に身を潜めると、じりじりと近づいてくる軍用SDの群れに向かってスコーピオンSMGの銃口を向けた。
 「さあ、私めが戦争というものを教育してやりますよ!!」

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