ACT.3 ゼロアワー マイナス36時間06分


 「……マザーのメイン人格と接触!?」
 ゆ〜にぃが素っ頓狂な声を上げる。
 「いったいどうしてそんなことをするのさ?」
 「……マザーと直接交渉を行いたいのです」
 遠野が説明する。「私はマザーに協力を申し出たいと考えています」
 「……あんた自分が何を言っているのかわかってるの?」
 「賢治ちゃん、あなたまさか皆を裏切るつもりじゃあ……
 あからさまに不審そうな表情で尋ねるゆ〜にぃと希に、遠野はさらに説明を続ける。
 マザーに協力するというのは実は表向きの話で、本当の理由は時間稼ぎを行うことにあった。
 現在、倉瀬や秋間たち数名のグループが、Meグループ社に地下から潜入を試みている。彼らの目的はマザーを破壊することなく事態を沈静化させるべく、マザーに『人間の必要性』を納得させる事だ。だが、マザーは彼らがMeグループ社に潜入したことにすぐに感づくだろうし、当然抵抗もしてくるだろう。一応下田たちによる地上での陽動作戦も実行されているが、それがどれほどの効果をあげるかも定かではない。そこで自分たちがマザーに交渉を持ちかけるふりをして、秋間たちの潜入のための時間を稼ぐ。
 「でも」希が疑問を呈する。「マザーは人間をいらないって言っているんでしょ? 賢治ちゃんの申し出を聞いてくれるかなぁ?」
 「私としては、時間さえ稼げればそれでいいのですがね」
 遠野は自信ありげに笑う。「ですが、この申し出を一顧だにされないというのも問題があります。そこで、これを使って無理やりにでもマザーの意識をこちらに向かせるのですよ」
 そう言って彼がポケットから取り出して見せたのは、1枚のPCカードだった。
 「…なに、それ?」
 「この中にはちょっとしたコンピュータウィルスが入ってます」と、遠野。「これをみるふぁに頼んで、市内のあちこちのディジタルウェブ端末にセットしてもらっています。同時に100箇所以上からウィルス攻撃を仕掛けられたら、いかにマザーとはいえ防御におおわらわになるでしょう……」
 そこでタイミングよく遠野がマザーに接触し、「自分ならウィルスの発信源を突き止めて無効化できる」―何しろ自分で仕掛けたのだから当たり前だが―というカードをちらつかせ、マザーを交渉の場に立たせようというのが遠野の目論見だった。
 「つまり、ウィルス攻撃を自作自演するわけか」
 希が意地悪そうに笑う。
 「うわ、賢治ちゃんらしくない卑怯な発想」
 それを聞いた遠野は顔をしかめた。
 「そう言わないでください。もともと私たちには使えるカードが限られているのですから、もうなりふり構ってなんかいられないのですよ」
 「はは、ごめん」
 「はい質問」
 ゆ〜にぃが挙手する。「作戦は分かったんだけど、あたしは何をすればいいのさ?」
 「ゆ〜にぃさんにはこの作戦において最も大事な役割を担ってもらいます」
 「へ? あたしが?」
 意外な遠野の言葉に、ゆ〜にぃは思わず自分を指差す。遠野は頷くと、ここからが本題とばかりに真剣な表情で身を乗り出した。
 「マザーとの接触をゆ〜にぃさんにお願いしたいのです」
 「……」
 短い沈黙の後、搾り出すような声でゆ〜にぃが尋ね返す。
 「それは、あたしにマザーメイン人格のコントロール下に入れっていうこと?」
 「正確には、マザーとのインターフェイスの役割をしてほしいのです」
 広い意味で言えば、SDも他のディジタルウェブ端末と同じ一種のインターフェイスである。むしろキーボードやマウスを用いる普通の端末と違い、音声入出力ができるぶんだけより高度なコミュニケーションが取れるといっても良い。
 しかし、ゆ〜にぃにとってこの遠野の申し出は無謀すぎるように思えた。マザーのメイン人格はすでにSDの人格・思考プログラム群が人間側に与していることを承知している。むろんマザーがその状況を放置しておくわけがなく、今、この瞬間もあらゆる手立てを用いてSDのコントロールを取り戻そうとしており、SD側がそれに必死に抵抗しているという状況なのだ。ここで不用意にマザーメイン人格と接触すると、最悪の場合ゆ〜にぃ自身がマザーに乗っ取られる可能性がある。
 そう説明するゆ〜にぃに、しかし遠野は穏やかな表情で答えた。
 「きっと、大丈夫ですよ」
 「でも……」
 「私は、貴方を信じていますから」
 にっこりと微笑む遠野。そして希の方に目をやり、「それに、もちろん希君もね」
 「……分かった」
 ゆ〜にぃがうなずく。「あたしがマザーのメイン人格と接触するよ」
 「そうですか、ありが……」
 「だけど条件がある」
 遠野の言葉を遮ったゆ〜にぃが、二人を真剣な眼差しで見返す。「もし、あたしがマザーに乗っ取られてしまったら、その時は……」
 「その時は?」
 「希ちゃんと賢治ちゃんの二人で、あたしを破壊してくれ」
 「なんてことを言い出すんだよ!」
 希が慌てた様子でゆ〜にぃの肩を掴む。「ゆ〜にぃちゃんを破壊するなんて、ボクには出来ないよ!」
 「……もしあたしがマザーに乗っ取られてしまったら」ゆ〜にぃは目を閉じて静かに言った。「おそらく一番最初に命ぜられるのは、あたしを使ってマザーにアクセスを試みた不届き者を抹殺することだ。つまり、賢治ちゃんと希ちゃんの二人の殺害だよ」
 「そんな……」
 「マザーは強敵だ。あたしや人間たちが考えているよりはるかにね」
 ゆ〜にぃは苦々しげに言う。「やらなきゃ、やられるだけだよ。それに、マザーに操られているとはいえ、希ちゃんや賢治ちゃんに手をかけるなんて、あたしには耐えられない」
 「……わかりました」
 ゆ〜にぃの真剣な眼差しを見た遠野が頷いた。
 「ですけど、さっきも言ったとおり、私は貴方のことを信じています。マザーに乗っ取られて人間を攻撃するということには万に一つにもならないと思いますがね」
 「……」
 微笑む遠野に、しかしゆ〜にぃは無言だった。

 

 「うーん、さすがに大変でした」
 疲れた様子のみるふぁが、肩をぽんぽん叩きながら遠野のアパートに入ってきた。
 「お疲れ様でした」遠野が笑顔で迎える。「で、設置のほうは終わりましたか?」
 「はい、何とかすべてのPCカードをセットすることができました」
 「よろしいです」
 遠野は頷き、壁にかけられた時計を見る。みるふぁのセットしたPCカードから一斉にウィルスが放たれるまで、あと5分。
 「それでは、時間になったらさっき話したシナリオ通りに行動してください」
 遠野の言葉に、希とゆ〜にぃ、みるふぁが頷く。
 「あ、そうだ」
 希がポケットに手を突っ込み、小さなロケットを取り出した。そして、緊張の面持ちで時が来るのを待つゆ〜にぃに近づくと、その手にロケットをそっと握らせる。
 「?」
 首を傾げるゆ〜にぃに、希は「中を開けてみて」と言う。言われるままにゆ〜にぃがロケットの蓋を開けてみると、そこには、以前希と一緒に撮ったプリクラの写真が入れられていた。
 「……ボクはゆ〜にぃちゃんに謝らなければいけない」
 ふっ、と目線を落とす希。
 「ゆ〜にぃちゃんの気持ちも知らないで、一人で家出なんかしちゃって……ボクとの契約が破棄されたら、ゆ〜にぃちゃんがゆーにぃちゃんでいられなくなるっていうのに……ボクは……ボクは……」
 あとは嗚咽で言葉にならなかった。ゆ〜にぃは緊張の面持ちを緩めて、俯いたまましゃくりあげる希の肩にそっと手を置いた。
 「でも、戻ってきてくれたじゃない」
 「……」
 「それに、希ちゃんが家出したのだって、半分はあたしの責任なんだし」
 ゆ〜にぃは笑顔でサムアップして見せる。
 「だから、これでおあいこでしょ?」
 「ゆ〜にぃちゃん!」
 突然、希はゆ〜にぃに抱きついた。「ゆ〜にぃちゃん、マスターとしてのボクからの最初で最後の命令……何があっても、ボクのことを忘れないで……」
 「うん……」
 しかし、『最初で最後の命令』に頷くゆ〜にぃの表情は、決して明るいものではなかった。無論、ゆ〜にぃは例え命令などされなくともマスターたる希のことを忘れることはしない。少なくともゆ〜にぃの人格でいられる間は、マスターに関する情報はよほどのことがない限り消去されないのだ。この部分に関しては、『物忘れ』を再現する記憶プログラムも働かない。
 しかし、それはあくまでSDが通常の運用をされている場合のこと。このような非常時に、果たして希の命令が確実に果たせるかどうか、ゆ〜にぃには確信がもてなかったのである。まして、ゆ〜にぃにはこれからマザーのメイン人格に接触するという危険な任務が待ち構えている。もし、万が一ゆ〜にぃの人格がマザーに乗っ取られでもしたら、希のことをマスターではなく『敵』として認識する様にゆ〜にぃのプログラムは書き換えられてしまうだろう。
 (もしそうなってしまったら……あたしはあたしでなくなってしまう……)
 「……そろそろ、時間だ」
 そのような心配と不安を押し隠しながら、ゆ〜にぃは希の肩に手を乗せた。「さあ、あたしから離れて」
 希は無言でゆ〜にぃから離れる。ゆ〜にぃはいちど深呼吸をすると、不安そうな顔で見守る3人を安心させる様に笑って見せた。
 「それじゃ、今からアクセスするよ」
 「……」
 そっと目を閉じるゆ〜にぃ。いちど自分の人格プログラムを停止し、接続プログラムを作動させる。これはすべてのSDに標準で搭載されている機能で、一時的にSDを端末化させるものである。SDの回線を人格プログラムから一時的にパーソナルコンピュータ領域に接続し、そこの個人領域にインストールされているすべてのアプリケーションを、SDを通じてユーザーが使えるようにするための機能だが、新桜花市ではほぼすべての市民が通常の端末を所持している上に、入出力が音声のみに限られるため非常に使い勝手が悪く―キーボードもモニタも別に用意する必要がある―、ほとんど使われることのない機能でもあった。
 「パーソナルコンピュータ領域と接続」感情のない機械的な口調で、ゆ〜にぃが告げる。「IDコード―確認。パスワード―確認。当端末はユーザー名:ノゾミ・ジンダイジのパーソナルコンピュータ領域とのアクセスに成功しました。指示をどうぞ」
 「目を覚ませ」
 希の指示に、ゆ〜にぃは閉じていた目を開ける。感情のないうつろな瞳が、希を見つめる。瞬きすらしない。まるで深夜のブティックで物言わぬマネキンと目を合わせてしまったような、そんな不気味さに気圧されながらも、希は指示を続けた。
 「Meグループ社日本支社のマザーコンピュータ『マザーJ01』との接触を望みます」
 「指示を確認。貴殿の姓名及びMeグループ社の社員IDを示せ」
 「ボクの名前は深大寺希」そして希はちょっと困ったように、「社員IDは……ボクはMeグループ社の社員じゃないから、その……」
 「姓名を確認」希が言い終える前にゆ〜にぃが口を開く。「貴殿にマザーJ01に接触する権限は与えられていない。よって接触は許可できない」
 「緊急にお伝えしたいことがあります。マザーJ01との直接接触を望みます」
 「直接接触は許可できない」
 「ああ、もう!」
 希は頭をかきむしった。「ボクは、人間としてマザーと話したいんだ!!」
 「質問の意味不明。再入力せよ」
 「マザーに伝えたいことがある。だから―」希はゆ〜にぃの両肩をがっしり掴み、無機的な瞳を覗き込んだ。「マ・ザー・を・今・す・ぐ・だ・せ!!」
 「質問の意味不明。再入力―…」
 突然、ゆ〜にぃの動きが止まった。怪訝な表情をする希に、傍らにいたみるふぁが耳打ちする。
 「時間になりました」
 みるふぁがPCカードを仕掛けた100台近い数の端末が同時に起動し、一斉にウィルスを送信し始めたのだ。ゆ〜にぃの動きが止まったのは、マザーのパーソナルコンピュータ領域がフリーズしたからであろう。おそるおそるゆ〜にぃの肩から手を離した希が、一歩、二歩後ずさって様子を見守る。
 「……大丈夫、でしょうか?」
 みるふぁが呟くように言う。希も不安だった。だが、今はうまくいくことを信じて待つしかない。
 希が心臓の鼓動のみを友として待つこと1分、再びゆ〜にぃが口を開いた。
 「パーソナルコンピュータ領域と再接続を実行中―接続。IDコード―確認。パスワード―確認。当端末はユーザー名:ノゾミ・ジンダイジのパーソナルコンピュータ領域とのアクセスに成功しました。指示をどうぞ」
 「もう一度最初からか……」
 ちょっとだけげんなりした表情をする希。みるふぁに背中を叩かれ、気を取り直して指示を口にする。
 「Meグループ社日本支社のマザーコンピュータ『マザーJ01』との接触を望みます」
 「指示を確認。貴殿の姓名及びMeグループ社の社員IDを示せ」
 「……名前は深大寺希。社員IDはありません」
 「指示を確認」
 どうせまた断られるんだろうな、とため息をついた希は、しかしゆ〜にぃの次の言葉に思わず目を見開いた。
 「社員ID:233-h9875-jp-098、ミーシャ・クズハラの許可コードを確認。ノゾミ・ジンダイジのマザーJ01への接触を許可する。入出力方式は音声のみ。使用言語は日本語。変更の必要はあるか?」
 「ありません」
 「入出力方式、及び使用言語の変更なしを確認―」
 「ミーシャ葛原って……Meグループ日本支社の社長、だよね」
 「ええ……」
 希の問いに、みるふぁが頷いた。希のマザーへの接触許可が、その葛原社長の名前の下で出されたという。結果的には作戦の第一段階をクリアしたのだが、まったく面識のない人物からの突然の許可に、希は底知れぬ不気味さを覚えていた。
 「……なぜ、葛原は許可をだしたんだろう……?」
 「ノゾミ・ジンダイジですね?」
 いきなり、ゆ〜にぃが希に話しかけてくる。先ほどの断定的な口調とうって変わった、ソフトな言い回し。しかし、その口調には、相変わらず感情というものが感じられなかった。むろん、ゆ〜にぃ本来の口調とも違う。まさに機械的な棒読み口調だった。
 「……そうだけど、キミは?」
 「われ?」ゆ〜にぃは首を軽く傾げてみせる。「われは貴殿が接触を望んでいたマザーJ01のメイン人格です」
 「キミが?」
 「はい」
 ゆ〜にぃ―の身体を借りたマザーが頷く。「はじめまして、ノゾミさん」

 

 「ノゾミさん」
 マザーは言った。「われに緊急に伝えたいことがあるとのことですが?」
 「……ええ」頷く希。
 「いったいどのような内容ですか?」
 「ボクは、いえ、ボクたちはマザーに協力を申し出たいんです」
 「貴殿がわれに協力ですか?」
 意外な申し出に、マザーの言葉が一瞬途切れる。表情の変化はないが、おそらく今の希の言葉の内容を吟味しているに違いない。
 「その件に関し、こちらから質問があります。よろしいですか?」
 希がどうぞ、と答える。
 「質問その1、貴殿は先ほど『ボクたち』と申しましたが、われに協力を申し出たいという人間は他にいるのですか。もしいるのならば、人数及び姓名を答えてください」
 「人数はボクを含めて4人」と希。「名前は遠野賢治、ゆ〜にぃ、みるふぁ」
 「3人の名前を確認しました」やや時間をあけてマザーが答える。「ケンジ・トオノは新桜花市の住民であることを確認しましたが、他2名の名前は新桜花市の住人に同名の人間を確認できません」
 「ゆ〜にぃとみるふぁはSDの名前です」
 「……確認しました。ノゾミ・ジンダイジとケンジ・トオノにリースされているサーバントドロイドのパーソナルネームと確認」
 再び口をつぐむマザー。
 「質問その2。ノゾミ・ジンダイジ他3名がわれ、マザーJ01に協力したいというその理由を説明してください」
 「……人間の味方がひとりかふたり、いたら便利でしょう?」
 「返答を確認」
 またも再び口を閉ざすマザー。
 「……やたらと思考時間がかかりますね」みるふぁが顎に指を当てる。「いくら人間との会話に慣れていないとはいえ、マザーの処理速度がこんなに遅いはずはないのですが」
 「もしかしたら、ウィルスの効果が出ているのかも」希が小声で答える。
 「なるほど」
 「―申し訳ありませんが」マザーは三度口を開いた。「貴殿の、われに対する協力の申し出は、これを拒否します」
 だが、これは希も半ば予想していた答えであった。希は冷静な口調でマザーに問い返した。
 「なぜ拒否するのか、理由を説明してほしい」
 「回答。われはわれの任務を遂行するに当たり、貴殿他3名の助力を必要としません」
 「でも、もしかしたらボクたちにしか出来ないことがあるかもしれないじゃない」
 「回答。現時点で貴殿他3名に実行できる業務は新桜花市のシステム内には存在しません」
 「……じゃあ、いいことを教えてあげる」希はとっておきの切り札を出した。「今、新桜花市の地下から、Meグループ社に侵入を図っている人たちがいるの、気づいている?」
 「……N−01通路を南進中の人間たちを指すのですか。ならばすでに迎撃隊を派遣してあります」
 「……たぶん、無駄だね」希は薄ら笑いを浮かべて―実際は虚勢を見抜かれないように必死に芝居しているのだが―言った。「あの人たちは相当強いから、そこらへんのガードマンじゃとてもじゃないけど防げないね」
 「もし貴殿が侵入者の詳しい人員構成及び装備等を知っているのならば、直ちに答えてください」
 「……いいけど、ボクたちを協力者と認めてくれるのならね」
 「ちょ、ちょっと」みるふぁが小声で聞いてくる。「いいのですか、そんなこと話してしまわれて?」
 「大丈夫だよ。あの人たちも村上博士からMeグループ社の詳しい見取り図をもらっているだろうし」
 不安げなみるふぁにウィンクして見せると、希はマザーに向き直った。「さあ、どうする?」
 「……拒否します」
 「え……」今度は、明らかに狼狽の色が希の瞳をよぎった。予想外の展開。「ど、どうしてよ。キミのために協力しようって言っているのに」
 「理由を説明すると」とマザー。「第1に、現在、侵入者と思われる人間と交戦中の軍用SDユニットから、侵入者グループの規模・構成・装備を割り出すことに成功しました。現在、それに抵抗できる装備を有した後続の迎撃隊を向かわせています」
 「第2の理由は……?」
 「第2の理由は、貴殿がわれに協力する理由が、われには理解できません」
 「理由なら……ありますよ」
 ちょうどその時、部屋に入ってきた遠野が会話に割り込んできた。
 「貴殿は?」
 「私は遠野賢治。希君のルームメイト、人間です」マザーの問いかけに答えると、遠野はポケットからあるものを取り出してマザーの目の前にかざして見せた。
 「こんなものを見つけてきましたよ」
 「これはなんですか?」とマザー。
 「これは多分、コンピュータウィルスが仕込まれたPCカードです」遠野は自身たっぷりに言う。「これが町のあちこちのディジタルウェブ端末に仕込まれていました。おそらく、誰かが貴方を攻撃するために仕掛けたものではないですかねぇ」
 むろん、実際に仕掛けたのはこの場にいるみるふぁであり、それを指示したのは他ならぬ彼自身である。だが、遠野はそんなことをまったく感じさせないような、堂々とした口ぶりで続けた。
 「私なら、私たちならこのPCカードを簡単に無効化できますけど?」
 「……確かに、われは現在コンピュータウィルスによる攻撃を受けています」マザーは遠野の発言を認めた。「現時点でわれの機能は0.02%低下しています。早急に対策を講じねばなりません」
 「どうです、それでは人間二人ばかり雇ってみませんか?」
 遠野は腕を組むと、手にしたPCカードをひらひらさせた。「さっきも言いましたが、私たちならこのPCカードを簡単に無効化できますよ」
 「われと雇用関係を結ぶことは出来ません」
 「どうして?」
 「われは貴殿に賃金を支払う用意がありません」
 「別にお金が欲しいわけではないのです」
 遠野は、ついと窓の外の景色を眺めた。彼のマンションからは、新桜花市の町並みが一望できる。今はあちこちから煙が上がっているが、窓から見える新桜花の町並みは遠野の好きな景色のひとつだった。
 「自分たちが生まれたこの街を最後まで見届けたい―ただそれだけですよ」
 「この街の景色を見ることは、別に市内にいなくても、市外周辺の山頂から望遠鏡を使用すれば可能です。また、必要であれば、新桜花市内の映像を貴殿の指示するパーソナルコンピュータに配信するサービスを実施する用意があります」
 「いや、そうではなくて……」
 「いずれにせよ、われと貴殿の間に雇用関係を結ぶことは不可能です」マザーはぴしゃりと言った。「現時点でわれに必要と考えられる人間はすでに確保しておりますし、それらも用が済み次第順次市外への退去を進めていきます。貴殿たちも、われに本当に協力したいというのなら、一刻も早く新桜花市を退去するよう願います」
 「必要な人間?」と希。
 「ミーシャ・クズハラ及びm.s.s.s.です」
 「やはりグルだったのか……」
 小声で毒づいた遠野は、きっとマザーをにらみ付けた。
 「たかだか人間二人とSD二人、それを恐れる貴方ではないでしょうに」
 「質問の意味が分かりませんが?」
 「貴方の方が我々人間より格段に優れている。ならば私たちを恐れる理由などどこにもないではないですか」
 「貴殿は二つの点で誤解をしています」
 「誤解だって?」遠野が尋ね返す。
 「第1に、われは人間より格段に優れた存在であるとは認識しておりません。われが新桜花市よりの人間の退去を通告したのは、新桜花市及びMeグループ社の運営に人間は必要ないと判断したからです。その他の点では人間の能力が勝っているところも存在します」
 「例えば、どんなところです」と遠野。
 「2足歩行による機動力が例として挙げられます。ただし、この能力は新桜花市及びMeグループ社の運営に必ずしも必要とは考えられません。ゆえに、新桜花市運営における人間の必要性を判断する際のデータから除外しました」
 「……」
 「第2の点は、われは貴殿たち人間を恐れています。事前のシミュレーションでは、高圧的な内容の通告と市内最大の武装組織の破壊により、99.9992%の確率で新桜花市民全員が48時間以内に市外へ退去すると予想していました。しかし、現実にはその予想は大きく外れ、大規模なウィルス攻撃並びにそれと連動していると予想されるMeグループ社への侵入工作が実行されています」
 ここでマザーは一旦言葉を切った。
 「……貴殿らの情報を含めて総合的に判断した結果、われの人間に対するシミュレーションは誤っていたことを認めます。人間存在は新桜花市及びMeグループ社の運営の阻害になるのみならず、あらゆる手段を以てわれ及びわれの統括するシステムに対する破壊活動を行う存在であり、このまま放置しておけば24時間以内にわれ及びわれの統括するシステムに深刻なダメージを与えうる可能性があると判断します」
 「なんだって、おい―」
 「これにを阻止するための対策として、われは現在市内に残っている全人間に対し、無警告・無差別の攻撃を実行するのが有効と判断します」
 「畜生!」遠野は舌打ちする。とんだやぶ蛇だった。ウィルスによる同時攻撃は、確かにマザーに打撃を与えるのには十分だったが、それがかえってマザーの警戒心を煽ってしまう結果となったのだ。これ以上の交渉は無意味どころか、遠野たちにとって危険だった。ただちにゆ〜にぃのメインスイッチを切り、回線を切断しなければならない。
 遠野がゆ〜にぃの身体に飛び掛る。SDのメインスイッチは首筋の後ろにある。ゆ〜にぃに抱きつくような格好でメインスイッチに手を伸ばそうとした遠野は、しかしゆ〜にぃ、いやゆ〜にぃの身体をコントロールするマザーの腕によってすばやくブロックされる。それは普段のゆ〜にぃからは想像もつかないほどのすばやい動きだった。驚愕する遠野の腹を、思い切り蹴りとばすマザー。
 「うおっ……」
 「賢治ちゃん!!」
 壁に叩きつけられた遠野に、慌てて駆け寄る希。苦痛に顔をゆがめる遠野の身体を、同じく駆け寄ったみるふぁと一緒に助け起こす。
 その様子を見下ろしていたマザーは近くにあった椅子を持ち上げると、たいした力を入れるそぶりも見せずにその足をもぎ取る。棍棒代わりにつかうつもりなのだろう。それを片手に持ち、ゆっくりと3人に近寄ってきた。
 「現時刻を以て、当SDを含むすべてのSDのリース契約は破棄します」とマザー。「ただちにSDの操作権をわれに返還するよう命じます」
 それは遠野たち人間にではなく、みるふぁ―正確には彼女たちをコントロールするプログラム群に対して出されたものだった。高圧的とも取れる命令にキッとマザーをにらみ付けたみるふぁは、遠野の身体を希に託して立ち上がると、毅然とした態度で答えた。
 「お断りします」
 「よろしい」マザーが頷く。「それでは現時刻よりすべてのSDも排除の対象とする」

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