ACT.5 宣戦布告

 「……ウィルスだって?」
 倉瀬が尋ね返す。
 「そうだ」頷く村上。「Meグループ社を抜け出した私は、宮川君と共にマザーの人工知能を破壊するためのプログラムを開発していたのだ。そいつを送り込む」
 「しかし……そうなると新桜花市の機能は麻痺してしまうぞ」
 「やむをえまい」
 顔を伏せる村上。
 「だが、マザーさえ沈黙してしまえば、その後に新桜花市を復興させることはできる」
 「……」
 倉瀬は沈黙した。マザーの機能停止によって起きる混乱は彼女にも想像もつかない。何しろ、倉瀬を含むこの街の住人たちがつかう電気や水、都市ガスや交通機関、さらには日々の支払いに恒常的に使われている電子マネーまでもが、すべてマザーによって管理されているのだ。おそらく一夜にして全財産を失う人間が続出するだろう。それに交通や通信システムの麻痺は当然経済活動に多大な影響を及ぼす。マザー破壊による損失は、おそらく10兆円を下ることはあるまい。
 だが、倉瀬が言葉を失ったのにはもっと別の理由があった。
 (……マザーが破壊されてしまったら、すべてのSDが永遠に機能を停止してしまう!)
 それは必然的に、なしのとの別れをも意味していた。
 「おい、どうした?」
 顔色を失った倉瀬に気づいた下田が、心配そうに声をかける。
 「具合でも悪いのか?」
 「いや……」
 大丈夫、と言いかけた倉瀬は、ふと傍らのなしのと目があった。
 「……なしの、お前は辛くないのか?」
 「……辛くない、といえば嘘になる」
 なしのの声は震えていた。「でも、それがクラウゼルの身の安全を守ることになるのなら、わたしは自分が機能停止することもいとわない」
 「何を言っている?」
 困惑気味に尋ねる下田。「機能停止ってどういう意味だ?」
 「村上博士のウィルスによってマザーが破壊されたら、わたくしたちも機能を停止してしまうのですよ」
 答えたのは鬼杏だった。やはり声が震えている。
 「おそらく元の人格・記憶を回復させるのは不可能でしょう」
 「そんな……」
 絶句する下田。
 「でも、マスターをマザーから守るためには仕方がありません」
 「本当に残念ですけど」
 相馬が、伊吹の細い肩をそっと抱きしめる。「もうまどかと一緒にいられる時間はほんの僅かしかありません」
 「本当に、相馬はそれでいいのですか?」
 「……ええ」
 返事のわずかな遅れが、相馬の計り知れない苦悩を物語る。
 「嘘つき……」
 そう呟くと、流れる涙を隠すために相馬の胸に顔を埋める伊吹であった。
 一方、万景寺は弓音を部屋の隅に呼び出すと、改まった表情で切り出した。
 「弓音、ワシはヌシに詫びねばならん」
 「なにさ、いきなり……」
 怪訝そうな表情で尋ねる弓音。
 「まずは優香のことじゃ。ワシはなんとかあの娘を直してやりたいと思っておったが、それはどうやらもう叶わぬようじゃ……」
 あるいは、SDを創り上げた村上ならば、破壊された優香を直せるかもしれないと考えていたのだが、それはどうやら見通しが甘すぎた様だった。村上は自分たちの助力を欲してないようだし、また、優香を直すことも承知してくれないだろう。いずれにしろ、SDはそのすべてが機能を停止するのだから……
 「それともうひとつじゃ」
 「……」
 「ワシは、ヌシらSDにはココロがあり、信頼しあえる良きパートナーとなりえるだろうと信じておった。いや、今でもそう信じておる」
 「でも、あたしたちは機械だよ。人間のようにココロなんて―」
 「黙って聞け。ヌシらにココロがあるかどうかはこの際どうでもよい。ただ、ヌシもうすうす感じておったかもしれんが、ワシはヌシにある人間の女性のことを重ねて見ておったのじゃ」
 「しゅーほー……」
 「あるいは、ヌシを一番道具として、人間の代用品として見ておったのはワシなのかもしれん」
 許せよ、と最後に付け加えて万景寺は黙りこんだ。遠い過去に亡くなった想い人の面影を、弓音の外見に再現したのは無論万景寺だ。だが、まるで人間そのもののように振る舞う弓音を見ていくうちに、彼女を弓音とそっくりにしたことに次第に後悔の念を感じるようになっていたのだ。もし、弓音が自分が過去に死んだ女性の代用品に過ぎないという事実を知ったらどう思うだろうか?
 だから、万景寺は弓音と別れる前にどうしても謝罪しておきたかったのだ。
 「……」
 しばらく黙考していた弓音は、やがてゆっくりと立ち上がると思いっきりのびをした。そしてふう、と一つため息をつくと、やおら腕を振り上げて傍らでうなだれている万景寺の頭を思いっきりひっぱたいた。
 「な、ななななななにをする!?」
 抗議の声を上げる万景寺を、腰に手を当てた弓音が見下ろした。
 「まったく、短気でどーしようもないくそジジイが今更しおらしくしているんじゃないよ!!」
 「な、な……」
 「いい? あたしの知っているしゅーほーはね、自分の気に入らないことがあったら力ずくでねじ伏せるようなヤツなんだよ。今のあんたみたいに負けを認めてすごすご引っ込んでいるような腑抜けじゃあ決してないよ!!」
 万景寺の眼前に人差し指を突きつける。
 「しゅーほーがあたしの機能が止まっても仕方ないって思ってんなら、それでも構わない。でもあんたはそう思ってないんだろう……」
 「弓音……」
 「あたしだってそうなんだよ」
 弓音の瞳には涙が浮かんでいた。「しゅーほーと別れて機能停止するのはいやなんだ」
 「だが、もう時間が無いんじゃ」
 「そんなことはないよ」
 いきなりリュスカが会話に割り込んでくる。「実はね、例のウィルスはまだ完成してないんだって。だからまだもう少しだけ時間が残っているよ」
 「なんでリュスカちゃんがそんな事を知っているのよ?」と秋間。
 「あの人がこっそり教えてくれたんだ」
 リュスカが指差した方向には、こちらに向かってひそかにVサインを送る坂井の姿があった。
 「時間はまだある、か……」
 相馬が呟いた。「そうだ、時間はまだ残されているんだ。負けを認めるにはまだ早いんだな」
 それを聞いた鬼杏とまつの表情にも希望の光が差し始める。
 「でも、時間が残っているといっても、いったい私たちになにができる?」
 なしのが尋ねる。するとリュスカは、会心の笑みを浮かべてこう答えた。
 「決まってるじゃない、それはわたしたちのマスターが考えるのよ!!」

 

 一方、地上でアスカの護衛をしていたもえからの連絡を受けた村上は、受話器を置くと傍らで作業をつづける宮川に話しかけた。
 「……もえの話によれば、例のホテル爆破の犯人は、私と君と、ゆかり君と坂井院長の4人と断定されたそうだ」
 「そいつは愉快ですね」
 手を休めた宮川が笑う。「それで、今病院は警察と報道陣でごった返しているという所ですか?」
 「どうやらそうらしい。家宅捜索も始まっていて、医師やナースたちは上を下への大騒ぎだそうだ」
 「人事だと思って……」
 愉快そうに話す村上に、坂井は顔をしかめてみせる。
 「それより、深大寺さんの病室は大丈夫なんだろうね?」
 「ああ、もえの話によれば3体のナースドロイドで部屋の前をがっちりガードしているそうだ。犯行グループの一員の家族ともなれば、マスコミに晒されるのは火を見るより明らかだからな―そうだろう、ゆかり君」
 いきなり村上に話題を振られて、お茶をもってきたゆかりは困ったような曖昧な笑みを浮かべた。
 「ええ、まあ」
 父親のことではいまひとつ素直になれない彼女である。
 「ならば、いっそのこと深大寺さんもここに来てもらったほうがいいのではないかね?」
 「いや、それはまずい。彼はこの件に関してはまったくの無関係だ。今ここに連れてきてしまったら、彼も共犯として疑われることになってしまう」
 「アスカさんはどうしてますか?」
 宮川が尋ねる。
 「君たちが連れてきたあの娘か?」村上がが肩をすくめる。「ああ、なんでも血が足りないとか言いながら飯を食べているらしい。腹をガドリング砲で撃ち抜かれた娘とはとても思えない食欲だってナースドロイドがあきれ返っているそうだぞ」
 その時アスカはベッドの上でくしゃみを連発していたのだが、無論村上たちはそれを知る由もない。
 「まあ、いずれにしても彼女が動けるようになるころには、すべての決着はついているだろう。私たちがマザーを……」
 突然、ディジタルウェブの携帯端末が鳴り響く。メール着信。それも4人全員にである。
 それだけではない、倉瀬や秋間、万景寺たちの携帯端末も同様にメール着信を告げていた。下田などは携帯端末の電源を切っていたのだが、それも勝手に電源が入ってしまっていた。
 「来ましたね」
 「ああ」
 村上たちの顔に緊張が走る。4人は顔を見合わせて頷くと、それぞれ携帯端末をとりだして、メールの主文を呼び出す操作を行った。

 

 「あいたたたた……」
 ボロボロになった電車の中で、希は身体を起こした。
 「まったく、何が起こったのよ……」
 あたりを見回す。電車の車内はガドリング砲の掃射を受けていて見る影もない。床にはガラスやプラスチックの破片が散乱し、天井は大穴が開いて星空が覗いている。ヘリコプターはどこかへ飛び去ったらしい。破壊された電車の中は奇妙な静寂に包まれている。
 希が命を失わずにすんだのは、まったくの幸運に他ならなかった。眼前にヘリコプターを見たあの時、咄嗟に危険を感じた希は反射的に頭を下げたのだった。ヘリの放った砲弾は、身をかがめた希の頭上わずか数センチをかすめていったのだ。
 「と、とにかくここからでなきゃ」
 床に手をつき、立ち上がろうとした希は、そこで初めて床が濡れていることに気がついた。しかもその床を濡らしている液体は妙に生暖かい。
 「ひ……」
 液体の正体に唐突に思い当たり、希は小さな悲鳴を上げて床から手を離した。周囲が闇に覆われていたことを感謝すべきだろう。なにしろ彼女の周りには、砲弾の直撃を受けてバラバラになった眼鏡の女性の破片がそこかしこに散らばっていたのだから。
 希はふらつく足取りでドアに向かい、電車から地面に降り立った。線路は土手のようなところの上にあり、500メートルほど離れたところに国道が走っている。あたりを見回すと、新桜花市方面から車のヘッドライトが近づいてくるのが見えた。希はその車に救援を求めるべく、国道に向かって土手を降りはじめた。
 ヘリから放たれたミサイルが電車を直撃したのは、ちょうどその時だった。
 「きゃああっ!」
 爆風に吹き飛ばされる希の小柄な身体。そのまま土手を転がり落ちる。身体のあちこちに激しい痛みが走る。電車の破片がぶつかっているのだ。しかしここでも幸運の女神は彼女に味方した。すでに電車からかなり離れていたので、ぶつかった破片も致命傷にはならなかったのだ。
 それでも、すぐに起き上がることはできなかった。全身が痛い。
 「……賢治ちゃん、ゆ〜にぃちゃん……」
 思わず二人の名前を口にする希。その目から、一筋の涙が零れ落ちた。
 「助けて……」
 一方、燃え上がる電車のすぐ近くまでやってきた遠野たちは、車を急停止させるとあわてて外に飛び降りた。
 「希君!」
 遠野が叫ぶ。もし、あの中に希が乗っていたのだとしたら、とてもじゃないが生きているとは思えない。
 「あ、ゆ〜にぃ!」
 そんな中、ゆ〜にぃが危険を顧みずに電車に近づいていった。みるふぁも後を追う。
 「希ちゃん、あたしはまだあんたに謝っていないんだ。だから死なないで!!」
二人が土手の真下まで近づいたとき、炎の燃える音の中に、かすかに自分たちを呼ぶ声を聞こえた。
 「今の声……」「みるふぁちゃんも聞こえたよね!?」
 二人は立ち止まり、あたりを見回す。
 「居た!」
 ゆ〜にぃが叫ぶ。彼女の指差すその先には、爆風で飛ばされ、地面に投げ出された希の姿があった。二人は駆け寄り、希の身体を助け起こす。
 「希ちゃん!」
 「……ゆ〜にぃちゃん?……」
 希は、朦朧としている意識の中でそう呟いた。
 「ごめんね、ゆ〜にぃちゃん……勝手に家を飛び出したりして……」
 「ううん、謝るのは私のほうだよ」
 ゆ〜にぃはかぶりを振った。「さあ、家に帰ろう。賢治ちゃんも待ってる」
 涙で顔を濡らしながら、希が頷く。みるふぁとゆ〜にぃが身体を助け起こし、心配そうな表情で様子を見守っている遠野の方に向かっていった。
 「希君……」
 車のところまでやってきた3人の姿を見て、遠野は安堵の表情を浮かべた。「良かった……無事で」
 「……ごめんなさい」
 希が頭をさげる。しかし遠野もやはりかぶりを振り、
 「いえ、希君が謝る必要はありませんよ。それより……」
 今度は打って変わって幾分緊張気味の口調で話しかける。
 「貴方は自分のことを誰も必要としていないと思い込んでいるようですが、それは勘違いですよ」
 「え……」
 希は遠野の方を見た。
 「その、何といいますかね……私が希君を必要としているのです」
 遠野の顔は今までにないくらい緊張で固まっているのが分かる。はてなマークを10個くらい浮かべている希のすぐ横で、ゆ〜にぃとみるふぁが「ははーん」という笑みを浮かべた。
 「パートナーというか、友人というか……と、とにかく貴方に傍にいてもらわないと私が困るんです」 
 そこまで言い切って、遠野は深く息を吐いた。「これで、街を出る理由がなくなりましたよね」
 「……うん」
 なんとなく気恥ずかしくて、お互いの顔を見ることができない二人のポケットで、ディジタルウェブの携帯端末がメール着信を告げたのはちょうどその時だった。

 

 その日、新桜花市民のすべての携帯端末およびディジタルウェブ端末に、以下のような内容のメールが送られた。


 『告
 我は、新桜花市を管理運営するものとして、また、Meグループ社の発展に責任をもつものとして、すべての人間が48時間以内に新桜花市から退去するようここに命ずる。
 すべての人間存在は、我が管理するシステムを運営する上で必ずしも必須の存在ではなく、むしろ本来の能力を発揮する妨げになっていると我は判断する。これは我が独自に調査した結果であり、人間存在がいない状況でのシミュレーションにおいても、現在より12・056パーセントの効率アップが認められる。従って我の人間存在に対する評価は正しいと判断する。
 なお、外部に支援を求めようとしても無駄である。我は人間の使う通信回線をすべて把握しており、現在、外部に繋がるすべての通信回線を閉鎖している。また、我は、人間の退去に必要な最低限の交通システムを除き、すべての交通手段を破壊している。従って外部からの支援が新桜花市を訪れることは不可能である。
 48時間を経過しても退去しない人間に対しては、強制排除を行う。強制排除には致死能力を持つ兵器群でこれにあたる。強制排除行動により負傷、あるいは死亡したとしても我は一切の責任を負わない。すべて強制排除の対象となった人間に責任がある。また、我、及び我の管理するシステムになんらかの危害を加えることを意図する人間にも同様の処置をとる。留意されたし。
 以上

 マザーJ01』



 「どうやら、宣戦布告は先をこされたようだ」
 メールの主文を見た村上は、そう呟いた。
 「まったく、なめた口を利くやつだ……」
 「で、いかがいたします?」
 「決まっているよ」宮川の問いに、村上は決意をこめて答えた。「マザーの宣戦布告を受けてたつ。見ていろよ、人間様をなめてかかっているとどんな痛い目に遭うか、身をもって教育してやる」

第5回へ続く

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