ACT.3 幕間 #2

 晩御飯のメニューはカレーライスと決まった。
 「……と、いうより、今ここにある材料で作れるのがそれしかなかったのです……」
 「しかも肉なしか……」
 メニュー決定会議を終えてからの、みるふぁ(みるふぁ)遠野賢治(とおの・けんじ)の会話である。この地下施設にはかなりの大人数の食事を賄える厨房が備え付けてあったのだが、問題は施設ではなくそこにあった食材だった。
 「……なんだか、冷蔵庫の方から異臭がするぞ」
 厨房に入るなりなしのが怪訝な顔をする。後ろに続いて入ってきた村上が、妙に自慢げにいった。
 「そりゃそうだ。半年ちかくこの冷蔵庫はほったらかしにしておいたからな」
 「……中に食材が入ったままでか?」
 「無論!」
 どうやら設備が立派でも使いこなす人間がいなかったようだった。案の定、冷蔵庫の中身は相当悲惨なことになっており、その中からかろうじて使えそうな材料をかき集めた上で検討した結果、先のメニューに決定したというのがことの次第である。
 「……ところで、私たちがマザーと対立することを知った彼女たちはもっと落ち込むと思っていたが、意外に元気なんだなぁ」
 包丁をもって食材に挑もうとして倉瀬に必死に止められているなしのを眺めながら、村上はひとりごちた。
 「いや、そうでもあるまい」
 後ろから万景寺が言う。
 「きっとSDたちも不安で不安でたまらないのでないかのう。だから、無理にはしゃいでいる様にワシには見える」
 弓音にしろ他のSDにしろ、今しがた村上の話は相当にショックだろう。なにしろ、自分のマスターと敵対するやもしれない存在だと言われたのだから。マザーは人間を不要と考えて行動しているらしいが、彼女たちは違う。彼女たちSDにはマスターという人間が絶対に必要だ―
 村上は、そんな風に語る万景寺をちらりと見た。
 「……万景寺さん、あなたの言いたいことは理解できるが、彼女たちSDを擬人化してみるのはいささか危険です」
 「ワシはそうは思っておらん。あれは、弓音たちはワシやヌシと同じ『ココロ』を持っておる。必ず共に信頼し合える良きパートナーとなってくれるじゃろうて」
 「……」
 「そう、SDたちは『道具』ではないのじゃ……」
 万景寺の最後の言葉は、自分自身に言い聞かせているように村上には思えた。
 さて、肝心の料理であるが、SDの相馬を含む男どもは料理などほとんど出来ず、砂糖と塩を間違えるようななしのとカレーを作るとなぜか『カレーのような代物』になってしまう鬼杏とに厨房を任すわけにもいかず、倉瀬は何事かを考え込んでおり上の空、伊吹は包丁を持つ事を相馬に強く止められ、ゆかりといえば「……レトルトのカレーなら出来ますが」と言いだす始末。唯一の家事サポートタイプであるまつはここにきてバッテリー切れで充電中であり、ロベルタは「彼女の作る料理は野戦料理……というより戦闘糧食ですよ」という宮川のチクリで全員一致で調理班から外れることになってしまった。そんなわけで、カレーを作るのは、弓音とリュスカ、みるふぁとゆ〜にぃ(ゆーにぃ)の4人となった。
 「さあ、皆様がんばって美味しいカレーを作りましょうねぇ」
 「おう、合点だ!」
 「お兄ちゃん、腕によりをかけるから楽しみにしていてね」
 「……」
 「ゆ〜にぃちゃん?」
 妙に元気の無いゆ〜にぃの様子に気づき、みるふぁが心配そうに彼女の顔をのぞきこむ。
 「あ、いや、何でもないよ」皆の視線に気がついたゆ〜にぃが、無理に笑顔を作る。「それじゃあ作ろうか!」
 「そうですね……」
 4人がそれぞれ持ち場に着き作業を始める。みるふぁは材料の下ごしらえをしながら、ちょっと離れた場所にいるゆ〜にぃの方を見やった。ゆ〜にぃは機械的に人参に包丁を入れながら、時折ため息をついている。
 「……どうしたのでしょうかねぇ……」
 いつもと違う彼女の様子に、みるふぁは首を傾げた。
 一方、暇を持て余している待機組の方は―
 「なあ、相馬とやら。なぜヌシはマスターに包丁を持たせるのを止めさせたのじゃ」
 「それはですね……」
 「ふむふむ」
 「私のアレより太くて長いものを手にして欲しくなかったからですよ」
 「おおお!」
 男どもからどよめきが挙がる。
 「そ、その状況を詳しく話すのじゃ」
 「それではですね……」
 「そなたたち何を話しておるくぅあーッ!!」
 部屋の片隅でアダルトな話に盛り上がっていた男どもの頭上に、なしのの鉄拳制裁が炸裂した。頭を押さえてうずくまる男連中を見下すなしのの後ろには、顔を真っ赤にしている伊吹が立っている。
 「まったく、本当に男たちというのは大バカなのだな」
 「……男の助平な心こそが人類の繁栄を支えてきた唯一のものなのじゃ!」
 ようやく立ち直った万景寺がわめき返す。「バカと言うんじゃない!」
 「い、言い切った……」
 こめかみに青筋を浮かべているなしのの袖を、引っ張るものがあった。
 「なんだ、わたしは今忙しい……」
 そう振り向いて言いかけたなしのは、そこに深刻な表情を浮かべた倉瀬が立っていることに気づいて、残りの言葉を飲み込んだ。
 「どうしたクラウゼル。そなたもわたしと共にこの男どもを制裁してくれるのを手伝ってくれるのか?」
 「いや」
 倉瀬はしかし、なしのの軽口には乗ってこなかった。「お前と話がしたい。ちょっといいか?」
 「あ……うん」
 いつもとは違う雰囲気の倉瀬に、なしのは頷く他無かった。 

 

 倉瀬はなしのを人気の無い廊下に連れ出すと、改まった様子で切り出した。
 「これは大事な話なんだ。心して聞いて欲しい」
 「うん……」
 なしのは怪訝そうにうなずく。こんな表情の倉瀬は見たことが無い。
 「なしの、お前に頼みがある」
 「……なんだ?」
 「私がマスターであるということを解除して欲しい」
 なしのは、倉瀬が言っていることの意味がよく分からなかった。
 「……すまない、もう一度言ってくれないか?」
 「だから、私がマスターであるということを解除して欲しいのだ」
 繰り返す倉瀬。はじめは冗談を言っているのかと思ったなしのだが、倉瀬の目が真剣そのものだということに気がつくと、今度は怒りの感情がこみ上げてきた。
 「そなた、わたしを不要だというのか!?」
 「……」
 「確かにわたしは、料理は下手だし洗濯も掃除も苦手だ。それにこんな高飛車な性格だから、一緒にいるだけでいらいらしてくるのはしかたないであろとわたしも思う」
 「……話を聞くんだ」
 「だけど、だからといってこんな時にわたしを捨てることはないであろ。それともクラウゼルは、わたしをマザーの手先だと思って、人間の敵だと思っているのか!?」
 「話を聞けといっている!」
 倉瀬が強い調子で言い返す。なしのはさすがに黙り込んだ。言い過ぎたと感じたのかもしれない。
 「……もし、なしのがなしのとして存在してくれるのであれば、私はお前がそうあれるように尽力したいのだ」
 そんななしのに、倉瀬は語りかけるように話し出した。「私はお前のことは何だかんだいっても気に入っているのだし、何より、お前にはまだまともなアップルパイを作ってもらっていないのだ」
 「……」
 「だけど、博士の話からすればどうやら私はMeグループ社と戦うことになりそうだ。それは多分マザーとの戦いになるだろうし、最悪の場合、お前と刃を交えなければならなくなるかもしれない」
 なしのの顔は、ショックで蒼白になる。それは、彼女にとってもっとも恐ろしい未来図なのだから。
 「……わたしは、そんなことはしない……」
 「私もそうであって欲しいと願っている。だから……」
 倉瀬はそこでいったん言葉を切った。慎重に言葉を選び、再び口を開く。
 「だから、もし私がお前のマスターだからとか、献身プログラムがあるからだとかそういったものではなく、お前自身が自分のココロでこれまでどおりの関係でいたいと思っているなら……私のSDとしてではなく、いち個人として私の傍にいて欲しい」
 なしのは、黙った。フリーズしたかの様に身動きひとつせず、しかし、その蒼色の瞳はじっと倉瀬の顔を捉えている。
 「……それが、クラウゼルの希望なのか?」
 やがて、長いようで短い沈黙の後、なしのが口を開いた。倉瀬は無言でうなずく。
 「わかった。それがマスターの命令ならば、致し方あるまい」
 「……」
 「だが、問題がある」なしのは腕組みをした。「わたしのリース契約を解約するには、所定の書類に署名と捺印、解約理由などを記入してMeグループ社のカスタマーサポートセンターに届けなければならぬ」
 「……は?」
 「一応、ディジタルウェブでも解約は受け付けているが、カスタマーサポートセンターは夕方6時までしか営業していない。今すぐ送ったとしても解約が受理され実行されるのは明日の昼以降であろな」
 「ちょっと待て!」
 「そういうことで、今すぐにマスター解約はできないんだ。そなたの意向に添えなくて誠に残念だが」
 得意げに語るなしのに、倉瀬は苦い顔をした。これは、どちらかというと倉瀬が使うような論法である。おそらく、ずっと倉瀬の傍にいたなしのが、彼女のやり方をきちんと記憶していたのであろう。『門前の小僧、習わぬ経を読む』のまさに典型であった。
 「そういうわけで、この件に関しては明日の朝以降に聞く」
 なしのはそう言うと、身体を翻した。「わたしはあの連中に制裁を下すのに忙しいのでな」
 「まったく……」
 忌々しい想いでなしのを見送る倉瀬に、声をかける者がいた。
 「……宮川か……驚かせるな」
 「ごめん、ちょっと立ち聞きさせてもらいましたよ」
 宮川は苦笑しながら倉瀬の横に立つ。
 「さっきの話ですが、倉瀬さんはひとつ勘違いをしています」
 「……私が勘違いをしている?」
 「ええ」
 宮川はうなずいた。「あなたはSDを、なしのさんを一人の人間の様に扱おうとしている。ですが、それはなしのさんにとって困惑以外のなにものでもないのです」
 「……」
 「SDは機械であり、機械を動かすのは理屈です。普通の人間であれば、自分の従者としてではなく、友人として傍にいて欲しいということは理解できる。しかし―」
 しかしSDはそうではない。マスターとして登録された人間に仕えるのが、その存在意義なのだ。それ以外にはなにもない。マスター登録を解除するということは、SDの存在意義を否定することであり、マスターでもない人間に誠心誠意仕えるということは彼女たちの思考プログラムでは決して理解できないことなのだ。
 「だが、君もなしののあの態度を見ただろう。どう見ても感情的に振舞っているようにしか見えない」
 倉瀬の反論を、宮川は穏やかに否定した。
 「それは違うのです。なしのさんのあれは、ある状況に対しどのように振舞えばマスターが満足できるのか、というのを過去の経験と他のSDたちからフィードバックされた情報をもとに再現しているにすぎません」
 「私は単に、鏡に向かって舌を出しているだけだというのか?」
 「あなたの真意は、例えマザーが敵となったとしても、なしのさんだけはいつもと変らず、今までどおりの関係でいて欲しいというところにあるのではないですか?」
 「……そうかもしれない」
 「ですが、なしのさんにとっては、マスター契約の解除は今までの関係を清算することに他ならない。人間と違ってその様にプログラムされているのです。だから、なしのさんは倉瀬さんの希望に応えるため、あなたの指示に屁理屈をこねてでも拒否しなければならなかったのです」
 「……」
 しかし、と宮川は思う。通常のSDであればマスター契約解除の指示がマスター本人から出されたら、一も二もなく従うであろう。マスターの指示には絶対服従というのがSDたちの思考プログラムの基本中の基本だからだ。しかし、なしのはそれに対して拒否反応を示したばかりか、理屈を並べて翌朝まで延期という話まで持っていってしまった。絶対服従という観点からすれば、なしのは単に理由があって結論を先延ばししたに過ぎず、倉瀬の言葉を拒絶してはいない。しかし、まさかこの様なリアクションをSDがするとは、宮川も予想外だったのだ。
 (なしのさんと離れたくないという倉瀬さんの欲求を、逆になしのさん自身が倉瀬さんと離れたくないと言うことでうまくコントロールしている……はずなのですが、あんなシーンを見せられると本当にそうなのか信じられなくなってきますね)

 

 一方。
 「……ゆ〜にぃちゃん、ちょっといい?」
 みるふぁは相変わらず心ここにあらずといった風で調理を続けるゆ〜にぃの傍によると、誰にも聞こえないように小さな声で話しかけた。
 「……なに?」
 「最近ちょっと元気がないみたいだけど、どうかしたのかしら?」
 「別に」
 ゆ〜にぃの返答はそっけない。
 「ちょっと超伝導バッテリーが劣化しているだけだよ。今度のメンテで直してもらわなきゃ」
 「嘘」
 とぼけるゆ〜にぃに、しかしみるふぁは毅然とした口調で答えた。「希さんと何かあったのではないですか?」
 希とは、ゆ〜にぃのマスターである深大寺希(じんだいじ・のぞみ)のことである。
 「……」
 「もし良かったら、私にだけ教えてくれませんか?」
 ゆ〜にぃは包丁をまな板に置くと、訥々と語りだした。
 「希ちゃんは、あたしのことを必要としていないんだ」
 「どうして?」
 ゆ〜にぃは、希が妹のゆかりや入院した父のことで少なからず悩みを抱いていたこと。そしてそのことを自分に対して一切打ち明けなかったこと。それが、希にとっての自分というのが役に立たない存在なのかと疑わせる原因になったことなどを話し始めた。
 「……あたしは、あたしはマスターの為に役立つなら、なんでもしたい。たとえあたしの身体が破壊されるようなことでも……でも、希ちゃんが、マスターがなにをすれば喜んでくれるのか、全然分からなくなっちゃったんだ……」
 最後のほうは涙声になっていた。みるふぁは最後までゆ〜にぃの話を聞くと、穏やかな陽だまりのような笑顔を浮かべてそっと彼女の肩を抱いた。
 「私も気持ちは分かりますよ。マスターに限らず、人間というのはほんとうに何を考えているのかわからないですからね……」
 そして、ゆ〜にぃの目に浮かんだ涙を、そっと指でぬぐう。
 「でもね、ゆ〜にぃちゃん。希さんが自分の悩みをあなたに打ち明けなかったのは、あなたに心配させないようにするためだったのではないかしら」
 「……」
 「希さんはマスター契約の解除をまだ行っていないのでしょう。だったら心配することはありませんよ。それに希ちゃんだってきっと元気の無いあなたのことを心配しているわ」
 そういわれれば、思い当たる節のあるゆ〜にぃだった。だが、それに対して自分はどのようなリアクションを返していただろうか。拒絶し、話すら聞こうとしなかったのは実は自分ではなかったのか!
 「あたし……希ちゃんに謝らなきゃ!」
 そう呟き、傍らのみるふぁの顔を見る。
 みるふぁは優しく微笑んでうなずいた。
 「ごめん、あたしちょっと用事が出来たから!」
 残りの二人にそう喚くと、ゆ〜にぃはエプロンをはずすのももどかしく厨房を飛び出していった。優しい、暖かい表情でそれを見守るみるふぁに、大根を手にしたリュスカが尋ねる。
 「ねえ、あのコいったいどうしたの?」
 「なんでも急用が出来たそうですよ」
 みるふぁがそう応えて微笑む。訳が分からず、首を傾げるリュスカ。その背中を、みるふぁが軽く押しやる。
 「さあ、あなたのマスターがお腹をすかせて待っていますよ。料理を急ぎましょう」
 「うん」
 リュスカはうなずき、大根を切る作業に戻る。それらを別室でひそかにモニターしていた村上が、難しい顔で傍らの坂井に話しかけた。
 「……まさか、SDどうしでこのような会話が行われるとは、信じられん」
 「確かにな……」
 坂井がうめくようにうなずく。「なしのというSDの感情表現能力にも驚いたが、あの二人はもはや表現能力などという域をはるかに超えている」
 「ああ……」
 村上はモニタに映し出される3人のSDを凝視した。「ある人物が自分が大切な人に嫌われているのではないかと悩み、その悩みを打ち明けられた別の人物が、相談に乗ってやっている……言うだけなら簡単なことだが、それをSDがやったということが私には信じられない」
 「しかし、現実にはそのようなやりとりが行われた」と坂井。「それも我々の目の前でだ。やはりSDの思考プログラムは、相当人間に近づいてきているのではないか?」
 「だが、どんなに近づいても人間そのものにはなれん」村上の口調は幾分強いものだった。「彼女たちはコンピュータで動かされる機械にすぎないのだ。心などあるはずがない」
 「だが、彼女たちは優れた模倣機械でもある」
 やや感情的な村上に対し、坂井は冷静に応じた。「もし彼女たちが人間の感情や心の動きというものを学習し、模倣しうるとするならば、それは機械もココロを持っているということになるのでは―少なくとも表面上はそうなるのではないのかね?」
 「Machine-made Heart(機械仕掛けの心)というわけか……」
 冷笑を浮かべる村上。「ばかばかしい。そんなはずは―」
 「いや、あなたも本音ではそう思っていないのではないか」坂井は静かに言った。「だから、危険を承知で、ここにSDたちを呼んだのではないかね。SD―人工知性体群と、われわれ人間が共存できる道が、あるいは見つかるのではないかと本当は期待しているのではないか?」
 村上は何も答えなかった。

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