ACT.5 接触 〜カウントダウン

 再び新桜花総合病院。
 「なんだか緊張するなぁ…」
 父との久しぶりの再会を控えて、希は緊張の面持ちで病院の廊下を歩いていた。横を歩いているゆ〜にぃが、怪訝な表情をうかべる。
 「あたしは親なんていないから分からないんだけど…人間ていうのは父親と会うときには緊張するものなの?」
 「ん…普通はそんなことないけど…」ちょっと苦笑しながら、希。「ボクは家出してきているからさ…やっぱりちょっと、顔をあわせにくいよ」
 「ふーん」
 ゆ〜にぃが頭の後ろで両手を組む。
 「だったら無理にお見舞いにいかなくてもよかったんじゃないの?」
 「…ゆ〜にぃちゃん…」
 「だって、別に義務でもないわけなんだし…もともともう二度と父親に会わないつもりで家出してきたんじゃないの?」
 「でも、一応家族だから…」
 「だったらなんでその大切な家族を捨てて家出なんかしてきたのさ。希ちゃんってさ、言ってることとやっている事が矛盾してるよ」
 「……」
 希は反論できず、言葉を失ってしまった。
 たしかにSDであるゆ〜にぃの目から見れば、希の行動はさぞかし矛盾に満ちていることだろう。家族を捨てて家出をしてきたはずなのに、いざ父親が病気になったらもとの娘に戻って見舞いだ看病だと言っているのだ。皮肉な見方をすれば、都合のいいときにだけ『いい子』になっていると取れなくもない。
 しかし、先のゆ〜にぃの発言は、希に対する皮肉にしてはいささか棘が多かった。いかに肉親の情という概念が理解できないSDとはいえ、マスターに対する態度としてはあまりに度が過ぎている。
 (…最近、様子がおかしいな…)
 妹のゆかりの件を知った時から、二人の間柄がいまひとつうまくいかず、ギクシャクしているように感じている希だった。しかし、その原因がどこにあるのか、さっぱり分からない。
 (…一度きちんと話す必要があるよね…)
 ため息をつく希。今はとにかく、父親との面会だ。
 しかし、希とゆ〜にぃが父親のいる病室の前までやってくると、そこには先客がいた。
 「なんとかお会いすることはできませんかねぇ?」
 「申し訳ありませんが、面会謝絶となっておりますので」
 ナースドロイド相手に困り果てた表情をしているのは、四十代のスーツ姿の男。父親の知り合いだろうか。右腕には見舞いの花束を持っている。
 「んー…どこかで見たことあるような…」
 首をひねる希の腕を、ゆ〜にぃが肘で突付いた。
 「新桜花市長の門間三郎(もんま・さぶろう)だよ」
 「え、ええー!」
 希が驚きの声をあげる。
 門間三郎。任期満了に伴う前回の市長選挙で、無党派の新人ながら、並み居る対立候補に圧倒的な得票差をつけて市長となった彼は、持ち前の人懐こさと人の良さで新桜花市民に絶大な人気と支持を誇っている。それだけではない。政治家としての腕もたしかなもので、先進実験都市である新桜花市の行政を、いままでなんの問題もなくこなしてきていた。
 「…でも、なんでその門間市長がお父様のところに…?」
 「多分、例の再開発計画と関係があるんじゃない?」
 「…なるほど…」
 新桜花駅前商店街の再開発計画は、表向きは市の主導で進められていることになっている。商店会の会長である希の父親と門間市長に接点があってもおかしくはない。
 やがて、門間は諦めたように首を振ると、その場を離れていった。どうやら父親に会うのを諦めたらしい。希はナースドロイドを捕まえ、父親に面会できないか聞いてみた。
 「残念ながら面会謝絶なんですよ」
 「…ボク、深大寺の娘なんだけど、家族も面会禁止なんですか?」
 「もうしわけありません…」
 ナースドロイドは頭を下げる。
 「お父様はそんなに具合がわるいのですか…?」
 心配そうな表情で希が尋ねる。父親が入院したのは過労だと聞いていたのだが、もしかしたら後の検査で重大な病気でも見つかったのだろうか。
 「それが…」しかし、ナースドロイドは苦笑を浮かべながら、「深大寺さんは血圧がちょっと高めなだけで、他は特に問題はないんです。むしろピンピンしているというか…」
 「じゃあ、なぜ面会謝絶なんです!?」
 ナースドロイドに詰め寄る希。別に身体に悪いところがないのなら、面会謝絶をする理由はどこにもないだろう。しかも、家出していたとはいえ、希は深大寺の実の娘である。家族ですら面会を断るのであれば、それ相応の説明をしてもらわなければ納得がいかないのは当然である。
 「…申し訳ありません。院長からの指示なんです」
 「院長の指示って…理由も聞かされてないの?」
 「はい」ナースドロイドはうなずく。「今朝突然、院長から直々に指示がありまして。別名あるまでは誰もこの病室に入れてはならないと」
 「そんな…」
 希は絶句した。
 「そういう訳で大変申し訳ございませんが…」
 「いいえ、冗談じゃない!」希は再びナースドロイドに詰め寄った。「これじゃお父様を軟禁しているも当然じゃないか。ちゃんとした説明をしてくれない限りボクはここを絶対離れないからね!」
 「理由はさっきご説明した通り院長の指示で…」
 「そんな理由じゃ納得できない。だったら院長をここに呼んできてよ!!」
 「そんな無茶な…」
 「希ちゃん…」
 それまで黙っていたゆ〜にぃが、希の袖を引っ張った。
 「今日はもう諦めようよ。ナースドロイドも困っているし…」
 「ゆ〜にぃちゃんは黙ってて!」
 希は取り合わない。
 やがて、近くにいた医療スタッフや入院患者が、騒ぎをききつけて3人の周りに集まってくる。その中のひとり、鬼杏が、騒ぎを見かねてナースドロイドと希の間に割って入った。
 「キミには関係のないことだよ!」
 そう言いかけた希は、鬼杏の厳しい表情に思わず口を閉ざした。病的に青白い肌に額に角、八重歯のような牙を持つ鬼杏が、文字通り鬼のような形相でにらんでいるのだ。希でなくともひるむであろう。
 「この病院には、たくさんの患者さんが入院しております」
 鬼杏は金色の瞳で希を見据えながら言った。「このような場所で騒がれますと、他のスタッフや患者さんにご迷惑がかかるのです…分かりますか?」
 「は、はい…」
 がくがくと首を縦に振る希。それを見た鬼杏は、急に相好を崩してうなずいた。
 「よろしい。それでは、なぜこんな場所で騒がれていたのか、理由をお話し願えませんか?」
 希は、自分がこの病室の患者である深大寺の娘であること。お見舞いと看病に来たのだが、面会を断られてしまったこと。面会謝絶の理由を病院側が教えてくれないことを説明し、自分は面会謝絶の理由がはっきりするまでこの場を去るつもりはないと鬼杏に告げた。
 「なるほど…おっしゃることはよく分かりました」
 希の言い分を聞いた鬼杏はうなずいた。
 「貴方の言うことももっともです。ここは院長と面会できるようにわたくしからお願いしておきますので、ここは一旦収めていただきませんが…」
 「…分かってくれればいいんだけど…」
 「それでは、わたくしはこれからお話をつけにまいりますので、貴方がたは下の待合室で待っていてくださいませ」
 「…わかりました。お世話をかけて申し訳ありません」
 希が頭を下げる。鬼杏は笑った。
 「構いませんよ。人間にとって家族はなにより大切なものですから」
 そう言って希たちに一礼すると、鬼杏は慄然とした足取りでその場を去っていった。
 「家族…か」希はつぶやく。「…さて、どうしようか?」
 「あの人の言うとおり、待つしかないでしょうね」
 「あ、ちょっと」
 ゆ〜にぃの返答はそっけないものだった。希の方を見ることなく、一人ですたすたと歩き出す。
 「…いったいどうしたっていうんだよ…」
 一人取り残された希は、ゆ〜にぃの態度の急変に戸惑うばかりだった。

 

 希の直訴を伝えるために、院長室の前までやってきた鬼杏は、ちょうどひとりの少女が院長室に招かれて入っていくのを目撃した。灰銀色の髪の毛になぜか猫耳を生やした、一風変った出で立ちの少女である。入院患者用のガウンを着ているところから、おそらく何らかの病気かケガでこの病院に入院しているのだろう。しかし、見た目は13歳くらいの年端のいかない少女が、院長になんの用なのだろうか?
 「…まさか、あれが院長の趣味などというのではないでしょうか…?」
 SDである鬼杏は、自分のマスターを含めた人間たちが、どんな意外な趣味や嗜好を持っていたとしてもそれに関して口出しするようなことをするつもりはまったくない。好みなんてのは人によって千差万別だろうし、それに、どんな人間であっても、それに仕えて奉仕し、喜んでもらうのがSDの存在理由なのだから。しかし、その鬼杏にしても、さすがに40を超えた大の大人が、少女、しかも猫耳つきを自室に連れ込むシーンをみすみす看過するわけにはいかなかった。これから少女がどんな目にあうかを思うと不憫でならないし、第一このことが外部の人間に知れたら、この病院の存続に関わる大問題になる。
 「…いざとなったら、わたくしが踏み込んで止めなければ…」
 そんな決意を胸に秘めながら、鬼杏は忍び足で院長室のドアの前まで近づき、息を殺して扉の中の様子を伺うべく耳をそばだてた。
 その不憫な猫耳少女―倉瀬クラウゼル(くらせ・くらうぜる)は、坂井院長の勧めに従ってソファに座ると、慎重に言葉を選んで切り出した。
 「院長にはお忙しいところ申し訳ないと思っている。実は、折り入って尋ねたいことがあるのだが…」
 「私に答えられることなら」コーヒーメーカーでコーヒーを淹れながら、坂井が応じる。「コーヒーは?」
 「ありがとうございます―その前にちょっと確認したいことがある。これから話すことはSDたちには決して聞かれたくない内容なのだ」
 倉瀬の言葉に、坂井の眉がぴくりと動く。
 「だから、院長もこの場で話したことは決して口外しないようお願いしたい」
 「いいでしょう」
 坂井は倉瀬の前にコーヒーの入ったカップを置き、自分は倉瀬の正面のソファに座る。「で、その話とは?」
 「澤井愛(さわい・あい)のことだ」
 倉瀬はそう言うと、自分は探偵で、今、澤井愛が殺された事件について調査していること。調査の過程で、彼女が殺される直前にこの病院を何度か訪れ、院長であるあなたと会っていたことを突き止めたということを説明した上で、彼女がいったいいかなる理由でこの病院を訪れたのかを尋ねた。
 「澤井愛…週間チェリーブロッサムの記者の?」院長が首を傾げる。「あれは轢き逃げ事故ではありませんでしたか?」
 「轢き逃げに見せかけた殺人事件だ」
 倉瀬はきっぱりと言い切った。
 「証拠があるわけではないが、そう判断できる理由はいくつかある」
 「それはどんな理由で?」
 「まず、澤井愛が殺される直前まで取り組んでいた取材内容が、彼女の殺害後にすべて何者かによって奪い去られていたということ。それともうひとつは、先日のホテルの爆発だ」
 「……ほう」
 「警察はガス爆発などと言っているが、そうじゃない。あれはおそらくミサイルか何かによる攻撃だ」
 「ミサイル…ですか?」意表をつきすぎる倉瀬の発言に、さすがに坂井は笑い声をあげた。「何を馬鹿なことを。ここは日本ですよ。内戦のつづくアグジェリアとは違う。ミサイルなんて話はとても信じられませんよ」
 「しかし、私は確かに見たのだ」
 倉瀬はつぶやくように言った。今でもあのときのことを思い出すと、恐怖で手が震えだす。
 「仮に君の言うとおりあのホテルの爆発がミサイル攻撃だとしても」
 院長が逆に尋ねる。「なぜあのホテルが狙われたのです? それが澤井愛の殺害にどんな関係があるというのです?」
 「ミサイル攻撃があった時、あのホテルには、澤井愛と一緒に取材をしていたという男がいた」倉瀬はコーヒーカップに視線を落としながら言った。「私は彼から話を聞くためにそこで落ち合っていたのだ。ミサイル攻撃はその男の口を封じるためだと考えられる」
 「でも、警察の発表では…」
 「逆に考えれば、相手は警察をも黙らせるほどの実力をもった組織ないしは人間ということになる」
 「……」
 「ミサイルを調達・運用できるほどの資金と技術力を持ち、メディアや警察機構をも操作できる力をもつ組織…」
 倉瀬は呟いた。そんな並外れた力を持つ組織は、ひとつしか思い当たらない。
 「Meグループ社…と、君は言いたいのですね」
 坂井の答えに、倉瀬はこくんとうなずいた。
 Meグループ社はミサイルなどの軍用兵器も数多く開発・生産している。当然ながらそれらの運用のノウハウも持っているだろう。それに、澤井がディジタルウェブ端末を使わず、手書きによる取材にこだわったのは、おそらく敵がマザー内のパーソナルコンピュータ領域の情報を自由に閲覧できる立場の人間、あるいは組織だと知っていたからではないだろうか。
 となれば、ディジタルウェブ回線を通じてマザーに接続されているSDも、すべて敵として見なければならない。たぶん、彼女たちの見ているもの、聞いているものはすべて敵に筒抜けになっていると考えられるからだ。だから倉瀬は、この件をSDに聞かせるわけにはいかなかった。なしのにわざわざ別の用事を言いつけ、自分の周辺から離したのもそんな理由からだった。
 (―ディジタルウェブシステムを介するものは、すべて捜査の邪魔になる。それらはすべて排除しなければならない…たとえそれがなしのであっても)
 いざとなったらなしのをも切り捨てる―倉瀬の決意は固かった。他はどうあれ、なしのだけは絶対に倉瀬を裏切らないというのは非現実的な話だし、場合によってはなしの自身が倉瀬の命を狙ってくることもありうる。すでに事件は個人的感情というレベルを遥かに超えた大きさに発展しているのだ。
 「しかし…それは君の推理でしかない」
 坂井は反論した。
 「確たる証拠が必要だ。Meグループ社が黒幕だという明確な証拠がね」
 「…実は、彼らが犯人である証拠を得るためのトラップを仕掛けてある」倉瀬は自信ありげに言った。「おそらく近いうちに、犯人の手先がこの病院に潜入してくるだろう。そうなれば、Meグループ社が犯人であることがはっきりする」
 「なんてことを…」
 さすがに坂井は苦い顔。「ここは病院ですぞ。あなたの他にも患者がいるのだ」
 「分かっている、迷惑はかけない」
 「どうだか…」
 坂井の表情は懐疑的だった。もし倉瀬の言うことがすべて真実だとしたら、相手は次に倉瀬のいるこの病院をミサイル攻撃してくるのではあるまいか?
 「…それで、澤井のことなのだが…」
 「ん、ああ…ちょっとまってくれ」
 部屋の内線が着信を告げる。それに出た坂井は、急に深刻な表情になった。倉瀬が何事かと坂井の様子を見守る。
 「大変申し訳ないが、急患のようだ」
 坂井は受話器を置くと、ソファの倉瀬のほうを向いた。
 「私もこれからすぐに行かなければならない。この件についてはまたあとで話す」
 「しかし…」
 「すまないが、失礼する」
 挨拶もそこそこに、坂井が部屋を飛び出す。あとに取り残された倉瀬は、しばらく呆然とした表情をしていたが、やがてふうとため息をつくと、コーヒーをきれいに飲み干して自分も院長室を出た。
 「とりあえず…病室に戻るか…」
 自分にあてがわれた病室にもどる道すがら、倉瀬は事件について考えた。
 この件に彼女が関わることになったのは、元はといえばMeグループ社からの村上竜三捜索の依頼だった。村上がどんなかたちでこの件に関わっているのか今の時点では分からないが、もし、今までの推理が全部的を得ているとしたら、もっと根本的なところで大きな矛盾が生ずることになる。
 「私はMeグループ社の依頼を受けて村上を捜索している。なのに、Meグループ社のディジタルウェブシステムが捜索の邪魔になっている。それどころか、事件の黒幕はMeグループ社の可能性が高い…」
 倉瀬は実際に口に出して見て、そしてあることに気がついた。
 澤井が殺されたのは、例の猫耳メイドマニアの男が最後の最後になって取材内容をウェブ端末でまとめた直後だった。すなわちこのことがマザーを介して敵に知れてしまったのだろう。その猫耳メイドマニアの死にしても、爆発したあのホテルには何体かのSDがいたというから、それらが自分たちの話を立ち聞きしていたということは十分に考えられる。
 「いずれもディジタルウェブシステムと接触があって初めて殺されている…か」
 それともうひとつ、村上竜三の探索が外部委託されているということだ。Me社くらいの大企業であれば、自前のトラブルシューターくらいは当然用意しているだろう。では、それを利用しないのはなぜか。SDやディジタルウェブ端末の情報を利用するよりは、ずっと簡単に関係者を割り出し、それらを『処理』することができるだろうに。そんなものは初めから存在しないのか、あるいは事件の黒幕にとって利用できないなんらかの理由があるのか…
 「…Me社のトラブルシューターは、SDではないから?」
 倉瀬は慄然とした。もし事件の黒幕が、『ディジタルウェブの情報を利用している』のではなく、『ディジタルウェブの情報しか使用できない』のだとしたら。ディジタルウェブとその端末―SDを含む―に触れたものしか認識できないのだとしたら。結論は、ひとつしか考えられない。
 「つまり、黒幕はハイパーバイオコンピュータ『マザー』だというのか…?」
 突飛な考えだとさすがに倉瀬も感じたが、しかし一笑に付すにはあまりに辻褄が合いすぎていた。マザーは非常に高性能のコンピュータだ。それは、人間以上に人間らしいふるまいをするなしのたちを見ればよく分かる。それほど高度な処理能力を持っているのなら、マザー自体にも擬似人格というべきものが生まれたとしても決しておかしくはないのではないか。なにしろSDたちもそれぞれ擬似人格を有し、自律行動しているのだ。それらを統括するマザー本体がそのような能力を有している、あるいは最初はそのようなプログラムが組み込まれてなかったのだとしても、SDたちの思考プログラムを元に自ら組み上げたという可能性はじゅうぶんすぎるほどありうる。
 「迂闊には動けないな…」
 犯人が人間であればまだしも対処のしようがあるが、相手が高性能コンピュータだとなれば話が変ってくる。しかもその手先とも言うべき端末やSDがそこらじゅうにある環境なのだ。これからの行動は敵国に忍び込んだスパイなみの慎重さが要求されるだろう。
 「もし失敗したら確実に命を失うだろうからな…」
 倉瀬はそう呟くと、次に取るべき行動を慎重に模索しはじめた。

 

 その頃、待合室では希とゆ〜にぃが鬼杏の帰りを待っていた。
 「はい、これ」
 自販機でジュースを買ってきた希が、缶をゆ〜にぃに手渡す。
 「…ありがとう」
 しかし、リアクションが今までと比べてどうにも薄かった。以前の陽気な彼女であれば、それこそ大はしゃぎして希に抱きついて感謝の意を示しただろうに。今は目線をあわせようとすらしない。
 「ねえ、ゆ〜にぃちゃん…」
 ゆ〜にぃの隣に座った希が、低い声で切り出した。プルタブを開けて缶ジュースに口をつけたゆ〜にぃが、目線で返事をする。
 「ゆ〜にぃちゃん、今、何か悩んでいることがある?」
 かなりの時間を置いて、ゆ〜にぃが聞き返した。
 「…どうして、そんなことを聞くの?」
 「なんか…様子がへんだからさ」
 「……」
 ゆ〜にぃは答えない。
 「何か、ボクがいけないことしたのかな? だったら謝るけど…」
 「いけないことをしたと思っているの?」
 「いや…そんなつもりはないけど…」
 二人の間を沈黙が支配する。やがて今度はゆ〜にぃの方から口を開いた。
 「別に、悩みなんてないよ―今のところは」
 「そうかな…でもボクにはわかるんだよ」と、希。「こう、なんというかゆ〜にぃちゃんが何か思い悩んでいることがあるようで…その…」
 言葉が続かない。なんといっていいのか分からない。希が聞きたいのは、ゆ〜にぃの悩みの原因が自分にあるのか、それはどうすれば解決するのか…ただそれだけだ。でも、ただそれだけがどうしても口にすることが出来ない。
 「…悩みなんてないよ」ゆ〜にぃは繰り返す。「そう、あたしに悩みなんてないんだ…」
 「でも…」
 ゆ〜にぃは突然立ち上がった。
 「あたしはサーバントドロイドだ。サーバントドロイドの究極の目的は、ユーザーであるマスターに快適な生活を提供することにある」
 「……」
 「そのためにあたしたちは、何の疑問も躊躇いもなくマスターに仕え、マスターの安寧な生活のために奉仕するようにプログラミングされている…」
 「それは、そうかもしれないけど…」
 「ご主人様の言動に不信感を抱き、思い悩むというプログラムは、あたしの中にはないんだ」
 缶を持った手に力をこめる。スチール製の缶はあっけなくつぶれ、こぼれた中身がゆ〜にぃの手をぬらした。
 「……ゆ〜にぃちゃん」
 「しばらく、あたしのことは放っておいて…」
 ゆ〜にぃは希から顔をそらすと、つぶれた缶を放り投げた。それは過たずゴミ箱の中に飛び込む。
 「じゃ…」
 そのまま一度も振り向くことなく、ゆ〜にぃは希のもとを離れていった。希は、それを引き止めることが出来なかった。

 

 患者が、人間のスタッフが、そしてナースドロイドたちが行き交う廊下を、ゆ〜にぃはあてもなく彷徨う。
 喧騒も耳に入らない。時折、廊下を歩く誰かとぶつかることもあったが、ゆ〜にぃは気にも留めなかった。ぶつかられたほうも、ゆ〜にぃの異様な雰囲気に押されて声をかけれないでいたのである。
 希が追いかけてくる様子がない。当然だろうとゆ〜にぃは思う。しょせん自分は機械だ。家族よりは優先順位が低く扱われるのも不思議なことではない。それに、仮に自分のことを追いかけてきてくれたとしても、自分はどのような表情をマスターに見せろというのだろうか。
 「ふん…」
 自嘲を浮かべるゆ〜にぃ。その鼻先に、何かやわらかいものがぶつかった。
 「…あら、ゆ〜にぃちゃん」
 「…みるふぁちゃん?」
 ゆ〜にぃがぶつかったのは、希の同居人のSDみるふぁだった。
 「どうしたのです、こんなところでぼんやりしていて?」
 みるふぁが首を傾げる。彼女は今、マスターの指示でホテルの爆発事件について調査をしていた。とりあえず現場にいた被害者から詳しい状況を聞こうと考え、被害者が搬送されたこの病院まできたところだった。
 「…どうしたのです?」
 ゆ〜にぃの様子がおかしいことに気づき、みるふぁは彼女の顔を覗き込む。その目に涙がいっぱい溜まっていることに気がついたみるふぁは、黙ってハンカチを取り出し、そっとゆ〜にぃの目元をぬぐってやった。
 「ほらほら、泣いているとせっかくのかわいい顔が台無しですよ」
 「……!」
 ゆ〜にぃは何も言わず、みるふぁに抱きついた。
 「あらあら困りましたねぇ…」
 しかし、みるふぁは言葉ほど困った様子も見せず、嗚咽をもらしはじめたゆ〜にぃのピンク色の髪の毛を優しく撫で始めた。

 

 一方、倉瀬は病院のベッドに横になりながら、取材ノートに書かれていたことを頭の中で整理する作業を行っていた。
 猫耳マニア男から入手した取材ノートの内容は、驚くべきものだった。Me社が開発した無人兵器シリーズは、数年前からすでに内戦の続く東欧のアグジェリアでひそかに実戦投入されていたというのだ。
 主だったものは無人戦車と無人戦闘ヘリコプターであったが、ノートの記載によれば、一度だけ軍用SDが投入されたことがあったという。それはノートに詳細な概念が記載されていたプロトタイプではなく、もっと完成された運用試験タイプだったらしい。稼動用電源を馬鹿食いするヒートカッターやその他の固定武装を一切廃し、そのかわりセンサー系を充実させた機体であったが、いかんせん稼働時間の短さと搭載兵器の貧弱さ―人間の持てるサイズ以上のものは搭載できなかった―から、さほど活躍することもなく短期間で引き上げられている。しかし、実際に軍用SDと戦った反政府軍の兵士は、それを『殺人人形』と呼んで恐れていたとも書かれている。
 一方の無人戦車と無人戦闘ヘリは、すさまじいほどの戦果を挙げていたらしい。無人兵器といっても、前世紀末にアメリカ軍などで採用されたTVカメラを用いた遠隔操作タイプなどではなく、自ら搭載センサで索敵をし、発見した敵の種類と脅威度を見極め、もっとも最適な搭載武装で攻撃を加えるという完全自律制御の自動兵器だった。現在は無人戦術戦闘機の開発が進められており、近い将来、これもアグジェリアにひそかに投入されるだろう―取材ノートにはそう記載されていた。
 「もしこいつらがマザーの手足となって牙をむいてきたら、私はまず助からないだろうな」
 不吉な想像が頭をよぎる。倉瀬は頭を振ってその想像を振り払うと、今度は村上についての記述をもう一度吟味することにした。
 意外なことだが、SDの軍事利用の可能性を提唱したのは、実は村上竜三本人であった。どういう意図でそんなことを言い出したのかは定かではないが、とにかく彼は、生産ラインにあったプロトタイプSDの1台を軍用SDとして改造することを葛原社長に提案し、了解を得ることに成功したという。
 しかし、開発途中にその軍用SDが暴走、開発スタッフに重傷を負わせるという事故が起きてしまう。その後、暴走した機体は廃棄処分となり、軍用SDの開発は本社の軍事部門に移管されることになった。その廃棄処分になった軍用SDの仕様というのが、以前なしのが遭遇したという謎のSDとまったくそっくりだったのだ。
 「まあ…おそらく廃棄と見せかけてそのままひそかに開発を続行したというセンだろうな」
 倉瀬は呟く。それがどうして深大寺ゆかりの護衛をしていたのかは謎だが、まあそれは村上を追っていればおいおい分かってくるだろう…
 「お邪魔しますよ」
 突然の来訪者に、倉瀬の思索は中断された。病室に入ってきたのは、Meグループ社の営業担当で、倉瀬の探偵事務所に実際に仕事を持ち込んできた渡邊克己(わたなべ・かつき)だった。左腕に大きな花束を抱えている。
 「…こんなところになんの御用ですか?」
 黒幕がMe社と考えられる以上、警戒するにこしたことはない。しかし、その緊張を解きほぐすような笑みを浮かべながら、渡邊は倉瀬のベッドに近寄ってきた。
 「いや、倉瀬さんが例のホテルの爆発に巻き込まれたらしいと聞きましてね、お見舞いにあがったんですよ」
 「それはありがとう」
 「それでですね…実は今日ここに来たのはお見舞いだけではないのです」
 渡邊の目に奇妙な光が宿るのが、倉瀬にはわかった。いつでもベッドを飛び出せるよう、身体に力を入れておく。
 「実は、先日の村上竜三捜索の依頼、あれをキャンセルすることになりましてね…」
 「…依頼のキャンセル?」意外な言葉だった。「何か私の捜査に落ち度があったのかな?」
 「とんでもありません」渡邊は大げさに手を振る。「今までの経過報告はすべて読ませていただきましたが、倉瀬さんの仕事ぶりはこちらの予想以上でした…ですが―」
 「?」
 「実は、村上博士の居場所が判明したのです」
 申し訳なさそうに渡邊が説明する。
 「倉瀬さんには大変失礼なのですが、我々も確実に博士を見つけ出すために、倉瀬さん以外にもいくつかの探偵社に博士の捜索を依頼していたのです」
 「当然だろうな」
 「その別の探偵社から、つい先ほど博士発見の報告があったのです」
 「ふうむ…」倉瀬は考え込んだ。事実だろうか?
 「もちろん、依頼のキャンセル料の他に、今まで掛かった経費などはすべてお支払いいたしますよ」
 営業スマイルを崩さない渡邊に、倉瀬は不信感を抱いた。とうもタイミングがよすぎる。
 実は倉瀬は、なしのに偽の情報をわざと与え、それに対し敵がどのようなリアクションを示すかで敵の正体を見極めようと考えていた。その偽情報とは、前の入院の際に澤井愛の取材ノートを病院に置き忘れてしまったというもの。もしなしのがこれを聞いた上で誰かがノートを奪取しに来たのなら、敵はディジタルウェブを介して情報を得ていることになる。そんなことが出来るのはMeグループ社に他ならないという理屈だ。
 (もしかして、これがその『リアクション』ではないだろうか…)
 「まあ、先を越されたのならば仕方がない。お役に立てなくて申し訳なかった」
 緊張と不信感を押し隠し、頭を下げる。今は彼の真意を探るのが先だ。
 「いえいえ」と渡邊。「ところで、その前にひとつお伺いいたしたいことがあるのですが…」
 「なんなりと」
 「…捜査の途中で、澤井愛の取材ノートを入手したそうですね」
 その台詞で、倉瀬の不信は確信へと変った。渡邊の来訪はまさに倉瀬が事前に想定していたリアクションなのだ!
 「!」
 倉瀬はいきなり枕をつかみ、渡邊の顔面に投げつける。それは渡邊に命中する直前に、無残にも真っ二つに切り裂かれた。花束の中に隠していたサバイバルナイフをすばやく払ったのだ。しかし、その間に出来た一瞬の隙を見逃さず、倉瀬はベッドを飛び降りて裸足のまま廊下に飛び出した。
 「チイッ!」
 舌打ちした渡邊が後を追って廊下に飛び出す。視界の端に倉瀬の姿を認めた渡邊は、人間離れした速さで走り出した。
 「速い!」
 後ろをうかがった倉瀬が驚愕する。と、慣れない裸足で走っていたせいか足がもつれ、倉瀬は廊下に倒れこんだ。足首に痛みが走る。どうやらひねってしまったらしい。
 「うわ…やられる!」
 ナイフをかざした渡邊が急速に迫る。と、そこに両脇からいきなり割り込んできたふたつの影があった。
 「病院でナイフを振り回すなんて…非常識よッ!」
 秋間とロベルタだった。宮川捜索のために病院を訪れていた彼らは、たまたま渡邊に追いかけられている倉瀬を見つけ、すぐさま救援にかけつけたのだ。
 「そおれっ!」
 突き出された渡邊の腕を両手で極め、巴投げの要領で壁に投げ飛ばす。起き上がった秋間は、わざとらしく服のほこりなどを払ってみせ、余裕の表情でロベルタとリュスカに笑ってみせた。
 「日本古来の武術『バリツ』の威力、見てもらえたかしらん」
 「お兄ちゃんかっこいいー!」
 「そんな武術…聞いたことないのですが…」
 「秋間様」「後ろ!」
 あとから追いついてきた伊吹と相馬が警告の叫びを上げる。頭から壁に激突したはずの渡邊が、まるで何事もなかったかのように起き上がってきていたのだ。
 「ヤバ…」
 渡邊がすばやく間合いを詰めより、ナイフを振るう。秋間はかろうじて避けたが、ワインレッドのシャツの胸の部分が大きく切り裂かれた。
 「あん、もう一張羅なのに!」
 「てぇい!」
 後ろに下がった秋間に代わり、ロベルタが日本刀を振るう。渡邊はそれを無造作に左腕で受け止めた。背広の腕が切り裂かれ、普通の人間ではありえない金属光沢の輝きを放つ皮膚が露出する。
 「殺人人形!」それを見たロベルタが目を見張った。「なぜこんなところに…!」
 「でぇい!」
 力任せにロベルタの身体を弾き飛ばす渡邊。ロベルタは悲鳴を上げながら吹き飛ばされる。
 「…こいつ、サーバントドロイドなの!?」
 秋間が叫ぶ。渡邊はにやりと笑うと、床にうずくまったままの倉瀬の方を向いた。
 「殺す!」
 倉瀬が頭を抱えてうずくまる。これまでか。渡邊のナイフが迫る。しかし倉瀬殺害を確信した渡邊の視界に、一瞬だけ青く翻るものが映った。それが、青色の髪の毛だと気づいた瞬間、彼の頬にとんでもない勢いで拳がめり込む。予想外の攻撃。渡邊の長身は派手に回転して床に叩きつけられた。金属はこすれあう嫌な音が廊下に響き渡る。
 おそるおそる倉瀬が顔を上げると、そこには血で汚れたメイド服に身を包んだ青髪の少女が、まるで彼女を守るように立ちはだかっていた。
 「なしの…」
 「クラウゼル、助けに来たぞ」
 なしのが倉瀬の方を向いて笑顔を見せる。身体を起こした渡邊が、人工皮膚が半ば剥がされ、セラミック骨格がむき出しになった顔でなしのを睨みつける。
 「貴様…なぜ…?」
 「決まっているであろ、クラウゼルはわたしのマスターだからだ」
 そう答えるとなしのは、体勢が整っていない渡邊に組み付いた。そして背後の倉瀬に叫ぶ。
 「早く、例の機械を!」
 例の機械とは、倉瀬が護身用に開発した対SD用妨害電波発信機のことである。倉瀬はウエストポーチ型にして肌身離さず持っていたその発信機をなしのと渡邊に向け、スイッチを入れた。
 指向性の強力な電波が発信される。ディジタルウェブとの接続が途切れたことで安全装置が作動、なしのと渡邊は機能停止する。あとは簡単だった。日本刀を構えなおしたロベルタが、渡邊の首をはね飛ばす。
 「しっかし…なんでSDが人間を襲ったりするんだ?」そういって秋間が床に転がった渡邊の首をけり飛ばす。「しかも見たことのないタイプだし…」
 「殺人人形」それに応じたのは意外にもロベルタだった。「私の故郷アグジェリアではそう呼ばれていた。こいつのために、私は多くの戦友を失ったのです…」
 「戦友ねぇ…」
 一方、伊吹の手で再起動されたなしのは、マスターの元に駆け寄っていた。
 「大丈夫か、クラウゼル」
 「…なしの、どうしてお前がここにいる?」
 「それなのだが…」
 と、なしのは今までの経緯を簡単に説明した後、不思議そうな表情で言った。
 「宮川たちと病院に到着したとき、わたしのメモリーにクラウゼルがMe社の暗殺者の襲撃を受けているとの情報がいきなり流れ込んできたのだ。だからわたしは、アスカの事を宮川たちに任せてこちらに駆けつけたきたのだけど」
 「……」
 倉瀬は無言。その時、院長の坂井があわてた様子で駆けつけてきた。その後ろには、ナースドロイドたちの姿もある。
 「ど、どうやら無事だったようだな…」
 倉瀬の姿を見た坂井が、胸をなでおろす。なしのがあわてた様子で尋ねた。
 「アスカはどうなんだ、助かるのか?」
 「なんとか山は切り抜けた」坂井は笑顔を浮かべる。「万景寺先生の執刀は見事なものだったよ」
 「よかった…」
 胸をなでおろすなしの。
 「ところで」
 坂井が、その場にいる全員を見回す。
 「君たちに会いたがっている人がいるのだが、すまんがちょっと一緒についてきてくれんか?」
 「どういうことだ、院長?」なしのの手助けを受けながら立ち上がった倉瀬が尋ねる。「それはSDたちも含めてということか?」
 「そうだ。状況に少し変化が現れたようだ」
 坂井がうなずく。
 「詳しくはその人が説明してくれる。君たちもついてきてくれないか?」
 「はあ…」
 真剣な表情で坂井にそう言われて、秋間やロベルタ、伊吹たちは顔を見合わせた。

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