ACT.4 忍び寄る脅威 〜m.s.s.s.

 その頃。
 遠野と別れたアスカは、その足で近くの停留所から路面電車環状線に乗り込んだ。目的地は南町。ごく最近出来た友人と待ち合わせの場所に向かうためである。
 サクラモール前の停留所で下車し、モール内のフードコートに入る。家族連れの買い物客でにぎわっているのを見て、今の北町商店街の様子とはまったく大違いだななどと思いながらきょろきょろと見回していると、こちらの方に手を振っているメイド服姿の女性が見えた。
 「なしの」
 手を振っていたのはなしの(なしの)だった。南町に事務所を構える『ノーススター探偵事務所』のSDである。
 「待たせてしまいました?」
 「いや、たいした時間待っていた訳じゃない」
 アスカに席を勧めながら、なしのが答える。「人間にはわたしたちと違って正確な時計が内蔵されているわけではないからな。たしょうの時間の遅れは許容できる」
 「それはありがたいことです」
 アスカが椅子に座る。メイド服姿の美少女ふたり。目立つことこの上ない。
 「ところで―」しかし周囲の視線などまったく気にすることなく、なしのは切り出した。
 「ゆかりと宮川の行方について、そなたなにか新しい情報は掴んだか?」
 「いえ…」
 アスカは首を横に振った。
 「残念ながら。南町のどこかに潜伏してるとは私も思っているのですが…」
 「そうか…」
 「しかし、南町は広すぎます。わたしとなしのさんだけで探すにはちょっと無理がありますよね…」
 「それなんだが…」なしのの目が光った。「実は探すあてがないわけでもない」
 「?」
 小首をかしげるアスカに、なしのは説明をはじめた。いかに潜伏生活をしているとはいえ、ゆかりと宮川も生きていくためには食べ物なりなんなりを調達しなければならない。まして彼らはまだ若い。家出する以前と同程度の文明的な生活を求めるなら、食料以外にもいろいろと買い物をする必要が出てくるだろう。
 「ですが」アスカが口を挟んだ。「その線ではすでに警察か宮川家の方でお調べになっているのでは? 電子マネーを使用状況を追跡するのは彼らにとっては難しくないでしょうし…」
 「まあ、話は最後まで聞くがよい」なしのは笑って、「確かに、今の新桜花市では買い物の決済や支払いはディジタルウェブを利用した電子マネーで済ます店が殆どだ。実際現金を扱うのは市外からの旅行者くらいなものであろ」
 「でしたら…」
 「つまりだ、警察やMeグループ社の捜索に引っかからないということは、彼女たちは電子マネーを利用していないということなのだ。つまり買い物を現金で済ませているのだ」
 そこで、先日ゆかりを見失った地点を中心に、食料品や生活雑貨を売っている店で現金払いを行った客がいなかったかどうか、あるいは現金払いを主としている店を探せば、ゆかりたちの足取りが掴めるのではないか。
 「なるほど…それはいい考えです」
 「まあ、これはクラウゼル、いや所長のアドバイスなのだがな」
 なしのは、他人のいる場所ではマスターを『所長』と呼ぶことにしている。
 「…そういえば、なしのは私とこうやって会っていることで、所長に怒られたりはしないのですか?」
 「所長のことだ、すでに感づいているであろ」
 心配そうなアスカを安心させるように、なしのは笑って見せた。
 「それで黙っているのであれば問題はない。それに、実は所長は今ちょっと入院しているのだ」
 「入院?…どこか身体の具合でも悪いのですか?」
 「うん…」
 さすがになしのの表情は曇った。「この間のホテル爆発に、所長も巻き込まれてな…」
 爆風に吹き飛ばされ、気を失った倉瀬は駆けつけた病院関係者の手によってすぐに総合病院に運ばれたが、幸いなことにその時にはたいしたケガもなくすぐに退院することが出来た。しかし、今朝になって倉瀬は、頭が痛いと言い出したのだ。
 なにしろホテルの建物が完全に崩壊するほどの激しい爆発である。あるいは爆風に吹き飛ばされた時に頭を強打していたのかもしれない。そこで倉瀬は、大事をとって今日1日仕事を休み、総合病院で検査を受けることにしたのだ
 「それで、検査はどうだったのですか?」
 「精密検査のために入院することになったから、事務所のほうを頼むという連絡がさっきあった」となしの。「わたしが行って世話してやろうかと聞いたら、それはいいからゆかりの捜索を続けろということだった」
 そういってむくれたなしのを見て、アスカはくすりと笑った。きっとなしのは、マスターの傍にいて奉仕できないのが不満なのだろう。こういうと語弊があるが、それはきっとSDの『本能』に違いない。
 「…まあ、たしょう物忘れをするようになったみたいだが、所長のことだ。大丈夫であろ」
 「信頼してるんですね」
 「ん、まあそうだな」柄にもなく頬を赤くするなしの。「わたしのマスターであり上司でもあるし、わたしの下手な料理も何だかんだいってもちゃんと食べてくれるし…それに」
 「それに?」
 「…いや、なんでもない」
 なしのはかぶりを振った。SDであるなしのの思考プログラムには、無条件にマスターを敬い奉仕するという行動がプログラミングされている。これはすべてのSDに共通していることで、SDの思考・行動パターンのもっとも基本となる重要な部分である。だからなしのは倉瀬のことを無条件で信頼し、いやな顔一つ見せずに精一杯奉仕をするのだ。
 しかし、アスカに向かってそのことを口にするのは、なぜかなしのには躊躇われた。なしのにも理由が分からなかったが、とにかく、マスターを信頼するのはそういうプログラムがあるからだという風には、他人には見られたくなかったのだ。
 「…それより、アスカはまだ昼ごはんはまだなのであろ?」
 なしのは話題を変えた。
 「ええ、まあ」
 アスカはうなずく。とりたてて空腹なわけではないが、今日はまだ遠野のところでご馳走になったアイスティーくらいしか口にしていない。
 「それでは仕事に取り掛かる前に腹ごしらえといこう」なしのはそういうとアスカにウインクして見せた。「腹が減っては戦はできぬ、と人間たちの間では言うのであろ?」
 「でも…なしのは…」
 「わたしも所長と長く付き合っている内に、人間のように空腹を覚えるようになったのだ」
 そういってなしのは笑った。どうやらジョークのつもりらしい。
 「では、なにを食べようか…わたしはあそこのカレー屋『ぐうてり庵』がいいと思うけど」
 「そうですか? 私はあの店の『納豆苺クレープ』に目をつけていたのですが…」
 「ほう、そなたなかなか目の付けどころがよいな」
 こうして、仲良く昼ご飯のメニューを物色しはじめた二人であった。

 

 同時刻。
 「家を出てからずいぶん走っているけど…」ゆれる車内の中で、前園は不安そうに言った。「いったいどこに向かっているんだろうか…?」
 「見当もつかんですね」
 下田が答える。
 彼らは今、前園の子供と機能停止したまつと共に、1台のワゴン車に乗せられていた。運転しているのは、『S』の使いだと名乗る女性。真夏の暑いさなかだというのにトレンチコートを羽織り、黒いサングラスをかけているという妙な格好の女だった。
 「おい、いったいいつになったら目的地に着くんだ?」
 下田が運転席の女性に叫ぶ。
 「モウ少シデス」女性は下田の方を向くことなく答えた。「モウ少シデスノデ我慢シテクダサイ」
 「これだ」
 下田は前園に肩をすくめて見せた。前園の家を出発してからもう5時間近く走り続けている。下田たちはさっきからずっと同じ質問をしていたのだが、返ってくる来る答えもまったく同じだった。時折別のこと―例えば、彼女の名前などを聞いたりもしてみたのだが、それにはまったく反応を示さない。返事すらしない。たぶんSとやらに緘口令を敷かれているのだろうが、これではまるで護送される捕虜かなにかのようで胸くそが悪かった。
 しかも、この女性の口調には感情がまったく感じられず、それがただでさえ緊張している下田と前園の精神をさらに逆なでするのである。あるいは自分たちはSに騙されているのではないかとも疑い始める下田だった。たとえばSというのがいわゆる反政府組織のリーダーかなにかで、自分たちは政府なりなんなりに要求を突きつけるための人質として扱われるのではないかと。下田は無意識に背広の裏側のホルスターに差してあるピストルを探っていた。もしここから逃げ出す必要にかられた場合、こいつを使う必要が出てくるかもしれない…
 「たぶん、自分たちにこれから行く場所を悟られないために走っているんだろう」
 「ああ、たぶんそうでしょう」
 下田の意見に前園はうなずいた。窓ガラスはすべてふさがれていて外の様子は見られないが、先ほどからあちこち曲がったり、短時間停止したりしている。おそらく新桜花市をぐるぐる回っているのだろう。
 「腹減りましたね…」
 「そうですね…お、どうやら着いたみたいです」」
 ワゴン車が停車する。エンジンを止めた女性は、このときになってはじめて一同のほうを振り向いた。
 「目的地ニ着キマシタ。車カラ降リテ下サイ」
 「はいよ」
 前園がワゴン車のスライドドアを開ける。外は暗い。気温も思ったほど高くない。車から降りてみると足元は硬かった。たぶんコンクリートがアスファルトか。いずれにしても人工建造物には違いない。
 暗闇に目が慣れてくるにつれて、そこがどうやら駐車場らしいというのが分かった。ビルの地下などにある半地下式のタイプである。照明が点いてないところを見ると、おそらく閉鎖された駐車場なのだろう。車は1台も止められていない。
 「まったく、秘密のアジトにゃもってこいの場所ですな」続いて降りてきた下田が感想を述べる。「使われていない地下駐車場とは…あ、おい」
 見れば運転してきた女性がすたすたと歩いてゆく。見失わないうちに追いかけようとした下田を、前園は止めた。
 「たぶんすぐに戻ってきますよ」
 前園の言うとおり、女性はすぐに戻ってきた。空の車椅子を押している。前園たちの前までくると、ワゴン車の中に横たわっているまつの身体を両腕で抱え上げ、車椅子に座らせた。見かけによらず、この女性には腕力があるらしい。まるでボディガード型のSDみたいだな―実際に鬼杏のことを間近で見ている下田などはそう思った。
 「デハ、コチラヘ」
 相変わらず感情のない声で、女性が一同を促す。一同は車椅子を押す女性を先頭に、駐車場のさらに奥に向かって歩き出した。
 駐車場の奥にある古びたエレベータに乗り、さらに地下へ向かう。エレベータを降りると、そこは病院を思わせるような無機質な感じの廊下だった。天井の蛍光灯が音もなく青白い光を放っている。
 「…ずいぶんと凝ったつくりのアジトだな」
 下田があたりを見回しながら呟く。
 「これを造ったSってヤツは、いったい何者だ?」
 女性はそれには答えず、一行を先導するように歩き出す。しばらくして、ひとつのドアの前で立ち止まった女性は、前園たちにちょっと待つようにと手で合図をすると、ドアをノックした。
 「誰だ?」
 ドアの向こうから聞こえてきたのは、意外にも若い男性の声だった。
 「前園サンタチヲ連レテマイリマシタ」
 「よし、入ってくれ」
 女性がドアを開け、前園たちに入るように促す。
 そこは、大学の研究室を思わせるような部屋だった。部屋の片隅にベッドがあり、その反対側に机がある。前園たちが部屋に入ると、机に向かっていた若い男が立ち上がり、笑顔を浮かべて一行を迎え入れた。
 「ようこそ、お待ちしておりました」
 「あなたが…その、手紙をくれたSさんですか?」
 前園が聞くと、その男は首を振った。「いいえ、僕はS…村上博士の代理の者です」
 「村上って…SDを開発したあの村上竜三(むらかみ・りゅうぞう)博士のことか!?」
 下田が驚愕の声を上げる。
 「その通りです」若い男はうなずいた。「本来ならば博士自身がお迎えするのが筋なのですが、今博士は所用があってここを空けております。そこで、私が代理としてお出迎えしたわけなのです」
 「ふぅむ…」と下田。「して、貴方の名前は?」
 「宮川みづきです」
 若い男は答えた。下田と前園は顔を見合わせる。どちらも聞いたことのない名前だった。
 「それより宮川さん」前園が一歩前に進み出た。「まつ…まつは治るのですか?」
 「ええ、僕たちにお任せください」
 宮川はにっこりと笑った。
 「手紙にも書いたとおり、きちんと調整してさしあげますよ」
 「そうですか…よかった」
 ほっと胸をなでおろす前園。しかし、下田はまだ宮川を信用したわけではなかった。
 「具体的に何をするんだ。それを教えて欲しい」そして意味ありげにニヤリと笑う。「インフォームド・コンセントというヤツだ、そうだろう宮川さん?」
 「なるほど、一理ありますね」
 宮川はうなずくと、机の上に乗せてあった小さな機械を手にした。
 「具体的に言うと、これをまつさんの首筋に埋め込むのです」
 「なんなのだ、それは?」
 「一種のバイパス装置ですね。簡単に言えばSDが許容量以上の精神的ショックをうけた際に、それをうまく逃がしてやる装置なのです」
 「なるほど…」
 「信用していただけましたか?」
 宮川が苦笑しながら下田に聞く。「それに、これをつければ、SDが悪用されることも防げるはずです」
 「そういえば、手紙にはMe社がSDを使ってとんでもないことをしようとしていると書かれてたけど…」前園は思い出したように言った。「いったいMe社はなにをしようとしているんだ? オレたちにも危険が及ぶってどういうことなんだ?」
 「それは…今はまだお答えすることはできません」
 宮川は苦しそうに答える。「ですが、これだけは言えます。Meグループ社は決して皆さんの考えているような企業ではないのです」
 「それは…そうだろう」さも当然といった風に下田がうなずく。どんな企業にも多かれ少なかれ裏の顔、あまり人に知られたくない面というものは持っているものだ。ましてMe社は超巨大多国籍企業だ。裏では非合法なことを相当やっていたとしても、別に驚くに当たらない。
 「いや、Me社の行っていることは、おそらく下田さんの想像を遥かに上回っているでしょう…」
 宮川の口調は静かなものだった。「それほど、恐ろしい事態が進行しているのです」
 「それは非合法なことなのか」下田が聞く。「ならば何故警察に通報しない? 警察が動けば…」
 「下田さんには申し訳ありませんが、警察は信用できません」
 宮川はきっぱりといった。
 「新桜花警察署はディジタルウェブシステムを導入しています。内情はすでにMe社に筒抜けでしょう。それに…警察内部にもMe社と内通している人間がいるのです」
 「なんてこった…」
 下田は額を押さえて天井を見上げる。彼はこの件が外部に漏れるのを防ぐために、今日の行動を直属の上司にすら報告していなかったのだが、実はそれが杞憂に終わることも願っていたのである。最悪の形で、下田の取った行動が正しかったことが証明されてしまった。
 「さて、時間があまりありません」
 腕時計を見た宮川が、一同を見回す。
 「僕はこれからまつさんの調整作業に入ります。それが終わるまでの間、皆さんは別室でお待ちになってください。案内はこのもえがいたしますので」そしてトレンチコートの女をちらりと見やり、「もえ、皆さんを頼みます」
 「ワカッタ」
 もえ、と呼ばれた女性はうなずくと、部屋の扉を開けて前園たちに退室を促した。
 「コチラヘドウゾ」
 「…仕方ない、出ましょうか」
 「うむ…」
 前園も下田も、今の説明で完全に納得したわけではなかったが、ここまできた以上は、もう宮川を信じるほかなかった。
 「それでは、まつのことをお願いします」
 そう言って、前園は部屋を出た。

 

 一方、アスカとなしののメイド娘コンビは、南町で聞き込み捜査を続けていた。
 「…しかし、いくらなんでもそれは買いすぎではないか?」
 「なしのこそ!」
 そう言う二人の両腕には、日用雑貨や食料品で一杯の紙袋が抱えられている。最初は、情報提供の見返りにひとつふたつと商品を買っていたのだが、いつのまにか二人ともメイドとしての本領を発揮し、普段の生活に必要なものでなおかつ安売りされているものを買うようになっていたのだ。
 「…しかし、トイレットペーパー12ロール入りが168円というのは安いからな。これを見逃す手はないであろ」
 「私だって、『山口農場の朝摘み卵』ひとパック98円というのは安いですし…ここの卵は美味しいんですよ」
 「…まったく、わたしたちは」
 「根っからのメイドですねぇ…」
 二人は顔を見合わせ、笑い出した。
 しかし、まったく収穫がなかったわけでもなかった。いくつかの店を回っていくうちに、大量の缶詰やレトルト食品を現金で買い込む客がいたという情報を得ることが出来たのだ。
 聞けば宮川は金持ちの御曹司で、ゆかりはまだ高校生だ。二人ともろくに料理など出来ないだろう。日々の食事をレトルト食品など最低限の調理ですむようなもので済ませている公算は高い。それに、なにより決定的なのは、買っていた人物が真夏だというのにトレンチコートを着込んだ妙な女だったということだった。先日、なしのの右腕を切断した謎の軍用SDと同一人物であることはまず間違いない。
 「それにしても―」
 アスカの表情がふと曇った。
 「あの軍用SDのことをすっかり忘れていましたね。何者なんでしょう?」
 「それについての情報も集めるよう所長から頼まれているのだ」
 倉瀬によれば、軍用SDがゆかりを守るような行動をしたのかも謎であるが、それよりももっと興味深いのが、その軍用SDがなしののことを「Me社の者」と疑っていたことだという。普通であれば身内の者―すなわち深大寺家の人間を疑うのが普通ではないか。それを真っ先にMe社の人間だと疑ったということは、あるいは家出以外の理由でMe社に追われているのではないか?
 「仕返しなどは考えず、戦闘になりそうになったら逃げ出せと言われているけど」
 「それはそうですよ。相手は軍用なのですから」
 「まあ、それはそうとして」
 なしのはアスカの方を向いた。
 「例の軍用SDの目撃情報からすると、たぶんこの周辺にゆかりたちの隠れ家があると思うのだが…問題はどうやってそこを特定するかだな」
 「あら、それは簡単ですよ」意外にもアスカはあっさりと答えた。
 「昔からお姫様をさらった魔王は、お城のてっぺんか地下迷宮の奥深くで勇者を待ち構えていると相場は決まっているんです」
 「…南町には城も地下迷宮もないであろ」
 「だから、まずは怪しそうな地下をあたってみるんですよ―なしのはこの周辺について詳しいでしょう?」
 「まあ、わたしに限らず、この街のすべてのSDには新桜花市のマップが標準でインストールされているが…」
 「では、まずあまり人が立ち入ることのなさそうな地下の施設から行きましょう」
 「わかった…しかし」いくつかの候補地をサーチしながら、しかしなしのは懐疑的な口調で言った。「そううまくいくものかな…」

 

 再び宮川たちの地下アジト。
 「どうぞ、お茶です」
 「ああ、どうもこいつはすみません」
 前園とその子供、それに下田の3人は、応接室として使われているという部屋にいる。宮川によれば作業そのものは2時間ほどで終わるので、それまでここで待っていて欲しいとの事だった。言うなれば手術が終わるのを待っているようなものだったが、施設の中を歩き回るのは厳しく禁じられた。もえが見張りよろしく部屋の外に立っていることを見ても、事実上の軟禁状態であることは間違いなかった。
 応接室に娯楽の類はなかったが、その代わりに、ゆかりという少女が3人の応対をつとめていた。聞けば、彼女は宮川の手伝いのためにここにいるという。
 「えーと、ゆかりさん?」
 湯飲みを受け取った下田は、ゆかりの方を向いた。
 「ゆかりさんも、Me社がやっていることについて知っているんだね?」
 「ええ」ゆかりは曖昧にうなずいた。「でも、そのことは喋ってはいけないことになってます」
 「ふむ…」
 「それにしても…ずいぶんお若いようだけど」
 前園が言う。「失礼ですが、何歳ですか?」
 「17歳です」
 「…高校生か」
 下田が驚きの表情を浮かべる。宮川もずいぶん若く見えたものだが、まさか未成年がこの件に絡んでるとは思いもよらなかったのだ。
 「ご両親が心配しているのではないか?」
 「母は…小さいときに亡くなりました」茶を運んできたお盆を胸に抱きしめながら、ゆかりが答える。「父は…あたしのことを心配はしているでしょうけど…」
 「?」
 「それは多分、店のことを考えてのことですわ」
 ゆかりの話では、彼女の家はこの地に代々店を構えてきた老舗の呉服屋で、ゆかりは店の後継者として少なからぬ期待をかけられてきたのだという。ゆかりもそれが運命だと半ば諦めてきたのだが、ここにきてそれを一変させるような出来事がおこった。
 「ひとつは、姉の家出です」
 ゆかりはゆっくりと語りだした。
 「姉と父は前々から反りがあわなかったみたいで、顔をあわせるたびに喧嘩をしていた様でした。家出した直後は父も人を雇って探したのですが、みんな何者かに襲撃を受けて重傷を負ってしまって…それで、父は姉のことを諦めることにしたのです」
 追っ手を襲撃した張本人であるアスカがくしゃみを連発していたが、無論前園たちはそれを知る由もない。
 「それで、ゆかりさんへの期待にますます拍車が掛かったわけだ…」前園はしみじみとうなずいた。「でも、キミはいま『ひとつは』と言ったね。ということはまだ理由があるのかい?」
 「はい…それは…」
 ゆかりはぽっと頬を赤らめた。
 「宮川さんと出会ったことです」
 「あ、自分こういう話苦手」
 下田がすかさずそういって逃げ出そうとするのを、前園は無理やり引き止めた。いずれにしろこの部屋からは出られない。
 「まあ、そんなところだろうと思っていました。でもどうして?」
 「あたしの家は北町商店街の老舗、宮川さんの家は南町の『サクラモール』の関係者です。当然両家は犬猿の仲で…」
 「そこで双方の両親に交際を猛反対された二人は、駆け落ちを決行したというわけか」
 前園がゆかりの後を継ぐように言った。「まさにロミオとジュリエットですね」
 「ええ」ゆかりがうなずく。「その後、宮川さんのお知り合いの村上博士にお世話になったのですが…まさかこんなことになるとはあたしも思いもよりませんでした」
 「事実は小説より奇なり、か…」むう、と前園が唸った。「うーむ…次の小説のネタになるかな?」
 「…ネタにするのはどうかと思うぞ」と下田。「展開があまりに安直すぎる。パターンもいいところだ」
 「パターンこそが、永遠の真理ですよ」
 「では小説家大先生の前園さんに聞くけど、貴方だったらこの後どのような展開になると思う?」
 「そうですねぇ…」下田の質問に、前園はあごに手をやりながら答えた。
 「オレだったら、まつの調整が終わるか終わらないかの内にMe社のエージェントの襲撃があって、オレたちは危機一髪脱出するっていう展開にもっていきますね」
 「…だめだこりゃ」
 どうだ、面白いだろうといわんばかりの前園の表情に、下田が顔をしかめる。と、ちょうどその時インターホンが鳴った。受話器をとったゆかりが、一同を振り返る。
 「まつさんの調整が終わりました。さっきの部屋に皆様をご案内するようにとのことです」
 「まつは無事なのですか!?」
 前園がソファから立ち上がる。ゆかりはにっこりと笑ってうなずいた。
 「よかった…」安堵の表情をうかべる前園。「そうか…無事だったんだな…」
 「では、さっそく行きましょう」
 前園たちはゆかりの案内でぞろぞろと移動する。途中、下田は部屋の外で見張りをしていたもえがいないことに気づいた。
 「そういえば、もえさんは?」
 「今、別の用事があるとかで、上の駐車場で待機しています」
 一行が宮川の部屋に入ると、ちょうど手を洗っていた宮川が笑顔で迎え入れた。
 「まつは!?」
 「そこのベッドに横になっていますよ」
 宮川がベッドを指し示す。そこには術着のようなシンプルな服を着せられたまつがうつ伏せに寝かされていた。前園はそっと近寄り、例の機械が埋め込まれた首筋をそっと撫でてみる。
 「大丈夫、傷跡なんてありませんよ」宮川が笑った。「人工皮膚をまるごと張り替えたのです。触った感じも前のままですから安心してください」
 「そうですか…ありがとうございます!」
 前園は感激した体で宮川の手をぎゅっと握り締めた。
 「いや、礼を言わなければならないのはこちらの方です」
 力いっぱい握られた手を痛そうにしながらも、宮川が答える。
 「僕たちのことを信じてくれたおかげで、Me社の陰謀をひとつ阻止できたし、まつさんも救うことができたのです。本当に感謝しますよ」
 「そんな…」
 「それでは、さっそく再起動してください」宮川は前園の肩を抱き、ベッドの方へ近寄った。「再起動の方法は、わかりますよね?」
 「はい」
 機能停止したSDは、首筋の再起動スイッチを押せば再起動する。前園はまつの首筋を指先で探り、ボタンと思しき突起物を見つけると、それを軽くつまむように押した。
 ブン、という音が一瞬鳴る。まつの全身にバッテリーからの電気が供給される。バッテリー残量チェック。人工筋肉作動チェック。各種センサ機能チェック…オールクリア。ディジタルウェブシステムに回線接続。ハイパーコンピュータ『マザー』内のまつの記憶・思考領域と自動接続。ゆっくりとまぶたが開き、まつが目を覚ます。
 まつの視覚センサーにが最初に認識したのは、彼女のマスター・前園の顔だった。
 「…旦那様…?」
 「まつ!」
 前園はまつを抱きしめる。最初は状況が飲み込めない様子だったまつであったが、急に顔をこわばらせると、前園の身体を両手で突き飛ばした。
 「なぜ、なぜ私を再起動したのです!!」
 「…な、なにを言い出すんだまつ」
 床に尻餅をついたままの前園に、まつは必死の形相で叫んだ。。
 「Me社が、マザーが私の場所をずっとサーチしていたのです。ディジタルウェブ回線に私が接続したことで、もうこの場所は敵に知られてしまいました!!」
 「な…」前園が声を失う。
 「Me社はこのような展開を予測していたのです」まつはベッドから起き上がり、前園の手を掴んで立ち上がらせる。「機能停止した私を、旦那様が反Me社勢力の元にお連れになって調整してもらうだろうと。マザーはそれを逆手に利用して、反Me社勢力の拠点を見つけ出そうとしていたのです」
 「なんてこった!」下田は自分の迂闊さに舌打ちした。「こんなこと予測できたのに…自分としたことが、すっかりボケていた!」
 「早く、早くここから逃げ出さなければ…」
 前園の手を引いたまつが部屋の扉に駆け寄る。その時、一行の頭上から不気味な衝撃音が聞こえてきた。

 

 『こちらジャンカー・リーダー、スカイマーク01がターゲットの位置を確認した。ポイントS-12-28だ』
 『了解。ただちに急行する』 

 

 「アスカ…これで3件めだぞ」
 「大丈夫、私の推理に間違いはありませんわ」
 根拠のない自信にあふれているアスカの顔を見たなしのは、なんとなくげんなりした表情で目の前の建物を見上げた。
 なしのとアスカの二人は、南町の裏通りに面した小さな雑居ビルの前にいる。
 南町で現在使われていない地下の施設は、なしののサーチによって現在22件存在すること判明していた。二人は聞き込みで得た情報からさらに範囲を絞り、その中で最も可能性の高い5件からまず当たってみることにしたのだ。
 1件目のビルでは入った途端にネズミの群れの襲撃に遭いやむなく撤退、2件目ではたまたま巡回にきていた管理会社の職員に見つかり、危うく警察に通報されるところをほうほうの体で逃げ出してきた。
 で、3件目である。
 「このビルは5年前にビルのオーナーが破産して以来、管理する者もなく放置されていたんだ」
 なしのはビルを見上げながら説明する。それを聞いたアスカが感心したようになしのの顔を見た。
 「よく知ってますね、なしの」
 「わたしにインストールされているマップの情報なんだ」となしの。「…でもまさか、こんな風に役に立つとは思わなかったけれど」
 「とにかく調べてみましょう」
 「うん」
 ふたりはビルの裏手に回り、半地下式駐車場の入り口とおぼしきスロープを下りていった。
 「シャッターが閉まっているぞ」
 なしのは固く閉ざされたままのシャッターを軽く叩いた。人間やSDの力ではとても開きそうにない。
 「どうする?」
 「どこかに通用口があると思うけど…あれ?」
 辺りを探し回っていたアスカが声を上げた。「なしの、これを見て」
 「なんだ?」
 ひざを地面についたアスカが指差したのは、コンクリートのスロープについた自動車のタイヤの跡だった。
 「これは…最近ついた跡のようだな」
 「これってもしかすると…」
 期待を込めた目でなしのをみるアスカ。
 「喜ぶのはまだ早い。とにかく中を調べてみないと…」
 そう言って立ち上がるなしのの背中に、何か固いものが押し付けられた。
 「動くな!」
 耳元で警告される。見ると、いつの間にか二人の周りを完全武装の黒ずくめの男たちが取り囲んでいた。アスカも銃を突きつけられ、両腕を上げている。
 「そなたたち、いったい何者だ?」
 「……」
 「警察か?」
 「……」
 男たちは答えない。しかし、なしのは何故か唐突に、男たちの正体が『分かって』しまった。
 「…マイクロエレクトロニクス・スペシャル・セキュリティ・サービスだな?」
 「喋るな」
 「…なんなのそのまいくろ何とかって?」
 アスカが尋ねる。
 「…わたしにも分からない」となしの。「何だか分からないけど、急にそんな情報がわたしの思考プログラムに送られてきたのだ」
 「喋るなと言って…」
 「うるさい!」
 なしのは不意に振り向くと、銃を突きつけていた男の腕を取った。そのまま背負い投げよろしくコンクリートの地面に叩きつける。
 「!」
 なしののいきなりの反撃に、その場にいた男たちが一瞬動揺する。アスカはそれを見逃さなかった。メイド服の袖口に隠し持っていた短剣を抜き、背後の男の腕に突き立てる。悲鳴を上げ、銃を取り落とす男。さらにアスカは、身体をひねるようにして2本の短剣を投擲した。ふたりの男が短剣を身体に受け、もんどりうって倒れる。
 「今だ、逃げろ!」
 アスカが叫ぶ。二人は倒れた男たちを踏み越えて脱兎のごとく逃げ出した。体勢を立て直した男たちが二人に向かって発砲するが、アスカをかばうように走るなしのの身体にすべて弾かれてしまう。
 「SDのわたしには、その程度の銃は通用しない」
 「なしの、あれ!」
 アスカが急に立ち止まる。爆音と共に二人の目の前に現れたのは戦闘用のヘリコプターだった。超低空でホバリングし、なしのとアスカの行く手を阻んでいる。ローターが叩きつける風がふたりの髪とスカートを派手になびかせる。生身の人間であるアスカは目を開けているのも困難なほどだ。本来コクピットのある場所に備え付けられたセンサーが不気味に光るのをみたなしのは、驚愕の声を上げた。
 「戦闘ヘリ…しかも無人機!?」
 機首のターレットが回転し、機関砲の銃口が二人に向けられる。
 「危ない!」
 機関砲が火を噴く。砕け散るアスファルト。二人は衝撃で地面に叩きつけられる。なしのは自分の身体を自動チェック。直撃弾はなかったらしい。人工筋肉、骨格共に損傷のないことを確認した後、アスカの状況を確認しようとして―なしのは我が目を疑った。
 「アスカ!!」
 アスカの白いエプロンドレスは、鮮血で真っ赤に染まっていた。なしのはあわててアスカに駆け寄り、上体を抱え起こす。アスカは苦しそうな息の中、無理に笑顔を作って見せた。
 「お腹に…一発当たっちゃったみたい…」
 「喋っちゃだめだ!」
 アスカの腹部からは鮮血があふれ出ている。アスカはそれを見下ろすと、観念したように呟いた。
 「なしの…私のことはいいから、あなただけでも逃げて頂戴」
 「ばかなことを言うな!」
 なしのはそう言うと、アスカの身体を抱えあげようと肩に手を回した。「必ず連れて帰るからな!」
 しかし、そんなふたりをあざ笑うかのように、戦闘ヘリはわずかに姿勢を変え、二人を機体の正面に捕らえた。銃口が再び向けられる。なしのは咄嗟にアスカの身体をかばうように抱きしめた。
 「…もはやこれまでか…」
 その時、地下駐車場のシャッターがいきなり吹き飛び、中から一台のバンが飛び出してきた。バンは派手にタイヤをきしらせながら黒ずくめの男たちをなぎ倒し、うずくまるなしのたちを守るように急停車する。
 「な…」
 あっけに取られたなしのが見守る中、バンのサンルーフから人影が飛び出した。人間業とは思えないような跳躍でヘリに飛びつくと、黄色く輝く右腕をヘリの複合センサーに突き入れた。
 センサー部分で小さな爆発が起こる。目標を見失った機関砲がでたらめな動きを見せる。やがて『目』を失った戦闘ヘリは、煙を吹きながら上昇していった。おそらく損傷をうけたら自動的に撤退するようプログラムされているのだろう。
 逃げるヘリから地面に降り立った人影を見たなしのは、あっと声を上げた。
 「あのときのトレンチコートの女…」
 「おい、大丈夫か!」
 バンから降りてきた男がなしのに声をかける。なしのは知る由もないが、男は下田だった。
 「わたしは大丈夫だ。でもアスカが…」
 「こいつはひどい!」
 下田は叫んだ。「前園さん、手を貸してくれ。この娘を車の中に運ぶ!」
 「わかった!」
 前園が車から降りてくる。その横を、一発の銃弾が掠めた。
 「前園さん!」
 「旦那様!」
 車の運転席から様子を見ていた宮川が叫ぶ。おもわず尻餅をついた前園を、さらに後から車を飛び出してきたまつが地面に押し倒した。
 「やろう!」応戦のために下田がピストルを抜く。「はやくこの二人を車に乗せるんだ!!」
 前園、まつがふたりでアスカの身体を車に乗せ、下田はなしのを突き飛ばすように車に押し込む。さらに自分も転がるように車に乗り込むと、運転席の宮川にわめいた。
 「車を出せ!」
 「了解!」
 宮川は思い切りアクセルを踏み込んだ。「とにかく表通りに出ます!」
 バンは急加速で裏通りを抜け、商店やオフィスビルが立ち並ぶ表通りに出た。ここまでくれば追っ手の心配はしなくてよい。宮川はアクセルを緩め、後ろの様子を伺った。
 「そのコのケガの様子はどうですか?」
 「出血がひどいよ」
 顔面蒼白のゆかりが答えた。腹部に銃弾を受けたアスカは、なしのとまつの手で応急処置を受けている。しかし、どうしても出血が止まらなかった。このままでは出血多量で死亡する可能性が高い。
 「早く病院に連れていかなきゃ…」
 「新桜花総合病院に向かいます」
 宮川が言った。
 「あそこには味方もいますし、なによりいちばん安全です」
 「なんでもいいから、急ぐがよい!」
 いらだちを隠さぬ様子で、なしのが叫んだ。「このままではアスカが…友達が死んでしまう!」
 「分かりました」
 宮川は再び前を向く。しかしその顔には、驚きと戸惑いがないまぜになった表情が浮かんでいた。

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