ACT.3 アベニュー・モザイク 〜再開発計画

 自室の扉をノックされる音に、遠野賢治(とおの・けんじ)はディジタルウェブ端末のモニタから目を上げた。
 「どうぞ。鍵は掛かっていませんよ」
 ゆっくりと扉が開けられる。訪問者はルームメイトの深大寺希(じんだいじ・のぞみ)だった。
 「なんだ、希君ですか…!」
 笑顔で希を迎えかけて―遠野の表情は凍りついた。
 「賢治ちゃん…」
 思いつめたような表情の希。しかし、遠野が声を失ったのは、彼女の格好だった。シンプルな薄緑色のワンピース。明らかに男性の格好ではない。髪の毛もきちんと整えられており、唇には薄いルージュが引かれていた。
 「………」
 「ごめん、賢治ちゃん」
 凍りついたまま動けない遠野に、希が頭を下げる。
 「ボク、本当は女の子だったんだ…今まで賢治ちゃんのこと騙していて…ゴメン」
 「…そう、そうだったのですね」
 ようやくショックから立ち直った遠野が、ややぎこちない笑顔を浮かべる。「最初からどうも変だと思っていたのですよ。男の子にしては立ち振る舞いが繊細なような感じがしていましてね…でも」
 そこでくっくっと笑う遠野。「まさか本当に女の子だったとは」
 「ボク…家を飛び出したんだけど…貯金もあまりなかったし…泊まるところもなくて…」
 希がとつとつと話し始める。
 「困っていたときに見つけたのが…賢治ちゃんのルームメイトの募集の広告で…喫茶店のマスターに、男物の着替えまで用意してもらって…」
 遠野が行きつけにしている北町の喫茶店のことだろう。あのマスターの差し金でしたか…遠野は苦笑いをする。
 「だけど…ボク、ゆかりが駆け落ちして…お父様も倒れてしまって…もう、どうしていいかわからなくて…」
 ついに涙を流し始める希。遠野は立ち上がり、そっと希の肩を抱いてやった。
 「よく打ち明けてくれましたね…」
 しゃくりあげる希の耳元に、遠野が優しくささやく。「大丈夫、私は希君を追い出したりはしませんよ。今まで通りでいいのです。だから…もう泣かないでください」
 遠野の胸に顔を埋めて泣きじゃくる希の頭を、そっと撫でてやる。小さな頭、華奢な肩−こんな細い体で、希は辛い現実に悩み苦しみながら、女であることを欺いて生きてきたのだ。その苦労たるや遠野には知る由もない。
 「…もう大丈夫です。心配しないで」
 …―というのが、夕べ遠野のアパートであったささやかな出来事だった。その後、北町商店街のビジネスホテルの爆発事故の衝撃で部屋の窓ガラスがすべて吹き飛ばされ、その後始末に大わらわになってしまい、甘い時間はあっさり打ち切りになってしまったのだが。
 「賢治ちゃん、いる?」
 夕べのことを思い出し、我ながら恥ずかしい台詞を言ったもんだと遠野がひとり自室で赤面していると、扉の外から希の声が聞こえてきた。無理に低くないごく普通の女の子の声。それがかえって新鮮に感じる。
 「どうぞ、あいてますよ」
 自室の扉が開いて希が入ってくる。外出着だ。これからどこかに出かけるのだろう。扉の向こうには同じく外出の格好をしたゆ〜にぃ(ゆーにぃ)が、所在無げに立っている。
 「ちょっと、総合病院まで出かけてくるよ」
 「はあ…しかしなんで病院へ? どこか具合が悪いのですか?」
 「お父様に会いに行こうと思って」
 「それは…」遠野は驚きの表情を浮かべて聞く。「いいのですか? せっかく家を飛び出してきたというのに。連れ戻されるかもしれませんよ」
 「わかってる…けど」曖昧な表情でうなずく希。「ボクにとってたった一人のお父様だからね。放っとけないよ、やっぱり」
 それを聞いた遠野はうなずいた。彼女の決めたことだ、遠野がとやかく言う筋のものではない。
 「それと…例のことは…」
 「ああ、私の方で手配しておきます。任せてください」
 希の言う「例のこと」というのは、新桜花大学の学生と駆け落ちして行方をくらました妹のゆかりの処遇である。遠野と希は、ゆかりたちをこの街から逃がそうと考えていたのだ。
 最新の技術が組み込まれた新都市として国内外に知られる新桜花市だが、意外なことに市外へのアクセスは驚くほど悪い。新桜花建設開始とほぼ同時期に、JRの新路線として新桜花駅を始点とする『ニューさくら線』の建設が始まったが、険しい山間部を貫くという難工事―新桜花市は山間の盆地に位置している―に用地買収の失敗が重なり、肝心の路線が隣の村までしか完成していないという有様であった。さりとて道路はといえば、古びた狭い国道が1本あるだけで、これが、街の消費を支える唯一の生命線となっているのである。高速道路の建設予定もあったのだが、今世紀初頭の不況と道路公団の民営化問題が重なって、いつのまにか計画は立ち消えになっていた。むろん空港もない。
 そんなわけで、手っ取り早く街から逃げ出すには車しかないのだが、あいにくと自動車運転免許を持っているのは遠野しかいなかった。ゆかりも希も免許はなく、SDは自動車運転が禁止事項となっている。あるいはゆかりの相手である宮川が免許を持っている可能性もあったが、かといってその可能性に賭けて作戦を立てるのはいささか危険すぎた。
 「希君が二人を探し出し、私が深夜に二人を街から送り出す、でしたね」
 希がうなずく。
 「ですが、本当に二人を見つけ出せるあてがあるのですか?」
 「大丈夫、何とかして見つけ出すよ」
 希はそう言ったが、実はそれが一番の難問題だということは、希も遠野も十分すぎるほど承知していた。
 ゆかりたちの行方は、必死の捜索にもかかわらず今もって遙と知れない。ゆ〜にぃや遠野のSDみるふぁ(みるふぁ)にも捜索に協力してもらっていたのだが、正直なところ行き詰まりを感じていた遠野であった。
 「…ところで、賢治ちゃんは何を調べているの?」
 「ん、ああそうだ、貴方に話しておかなければならなかったんだ」
 遠野はそう答えると、希にデスクの近くまで寄るように手招きした。希がデスクのディジタルウェブ端末のモニタを覗き込むと、そこには相変わらず意味不明の文章やデータが流れている。
 「実はね、貴方の父親―深大寺氏が南町の総合病院に入院したというニュースを聞いて、ちょっと疑問に思ったのですよ」
 遠野はキーボードを操作する。「確か貴方の父親は大の南町嫌いだと聞いていましたが、そうでしたよね?」
 「うん」
 「その南町嫌いの希君の父親が、どうして南町にある総合病院に入院したのか、そこが引っかかったのですよ」
 「…そういえば…確かに」
 希の父親は北町商店会の会長でもある。北町商店会は南町に出来たショッピングモール『サクラモール』に客を奪われてしまい、いま存続の危機に晒されていた。それゆえに、深大寺氏は南町とその住人をひどく毛嫌いしているのである。
 「そこで、貴方の父親についてちょっと調べてみたのですが…」
 「何か分かったの?」
 「いえ、何にも」遠野は苦笑した。「ですが、北町商店街の絡みでこんなものを見つけたのですよ」
 遠野がそういってモニタに表示したのは、何かの区画整理図だった。
 「これは?」
 「北町商店街再開発計画の計画書です。まだ外部には発表していないんですが…」
 遠野が説明する。『サクラモール』の登場で苦戦を強いられる北町商店街を再び活性化させるため、新桜花市が音頭をとって大規模な区画整理を行うというものらしい。再開発の主な内容は3つ。道路の拡張・整理と、駅前大駐車場の建設、そしてメインストリートに巨大なアーケードを作り、その中に既存店を入れることでテナント化し、駅前を一種のショッピングモールにしてしまおうというものだった。
 「ふーん」しかし希の反応は薄い。「でも、これがどうかしたの?」
 「実はですね…」
 遠野はさらにいくつかの画面を切り替えてみせる。「どうも、この再開発計画の裏にはMeグループ社が絡んでいるみたいなのですよ」
 「え?」
 「再開発工事を請け負う業者はすでに決定しているのですが、それらはどうもみんなMeグループ社の息が掛かった業者ばかりなんですよね」
 遠野が見つけたのはそれだけではなかった。ハイパーコンピュータ『マザー』の市役所使用領域に侵入した彼は、再開発計画が市主導というのが実は表向きのことで、実際にはかなりの額の資金がMeグループ社と傘下企業のサクラモール社から出ているらしいことを掴んでいた。何のことはない、既存の商店街を利用してサクラモールの2号店を造るのがどうやら真の目的のようなのだ。
 「貴方の父親がどこまで真相を知っているのかは定かではありませんがね」
 遠野は最後に肩をすくめてみせた。だが、もしすべて知っているのなら、当然、深大寺氏は猛反対するだろう。場合によっては再開発計画の全容を世間に暴露した上で、Meグループ社との癒着があった門間市長を糾弾するといった過激な手段をとるかもしれない―という遠野の意見に、希も同感だった。父の性格なら、死んでもMeグループ社に与することはしないだろう。
 「ですから、再開発の肯定派からすれば貴方の父親は目の上のたんこぶな訳です。当然、有形無形の嫌がらせや脅迫もなかったとは言い切れません…」
 「じゃあ、お父様の入院は…」
 「あるいは身の危険を感じたので、病気を装って病院に逃げ込んだとも考えられるんです」
 遠野の声は沈んでいた。
 「もしそれが事実なのであれば、その脅迫や嫌がらせはかなり具体的なものだったに違いありません。だから、希君にひとこと注意するように言っておきたかったのですよ」
 ひとたび希が深大寺家の関係者と分かれば、当然彼女も嫌がらせの標的になるだろう。命を狙われることすらあるかもしれない。遠野にはそれが心配だった。彼が付きっ切りで守ってやれればよいのだが、遠野には彼自身やらなければならないことがある。彼に出来ることは、希に自分の身の安全を守るように言い聞かすことくらいだった。
 「さて」
 遠野はウェブ端末の電源を切ると、ノートタイプの端末を小脇に抱えた。
 「この件に関しては私もちょっと気になりますので調べてみますよ」
 一緒に部屋を出ましょう、と遠野は希を促す。マンションの扉を閉め、鍵をかけると希の方をむいた。
 「私はアスカさんに会って詳しい話を聞いてみます。夜は遅くなるかもしれませんので、帰ったら先に休んでいても結構ですよ」
 「わかったよ」
 希がうなずく。それを見た遠野は、今度は希の脇に控えるゆ〜にぃの方を向いた。
 「あと、ゆ〜にぃさんも希君のことを注意してあげてください。いざというときには貴方だけが頼りなのですから」
 遠野にぽんと肩を叩かれ、ゆ〜にぃはこくんとうなずく。
 「それでは、気をつけて」
 「賢治ちゃんも」

 

 30分後、行きつけの喫茶店で遠野は深大寺家のメイド・アスカと会っていた。
 「何か頼みますか?」
 遠野は打ち解けたような笑顔でアスカに尋ねる。
 「お任せいたします」
 「では、アイスティーを二つ」
 傍らに控えるウェイトレスに注文を伝えて下がらせると、遠野は改まってアスカのほうを向いた。
 「改めて自己紹介させていただきます。私、深大寺希君のルームメイトで遠野賢治と申します」
 「私は深大寺家にお仕えさせていただいてますメイドのアスカと申します」アスカが深々と頭を下げる。「希お嬢様がお世話になっているようで…旦那様になり代わりお礼申し上げます」
 「いや、お世話なんて…」手をぷるぷると振る遠野。「そんなたいした事はしていませんよ」
 ウェイトレスが冷たいアイスティーを運んでくる。テーブルにグラスを置いて一礼する時に、その目が一瞬だけアスカの方を向いたのが遠野には分かった。
 (多分、メイド服が珍しいんでしょうねぇ…)
 アスカの出で立ちは肩の部分にふくらみのついた黒の毛織の長袖ワンピースに、胸に細かい刺繍のされたモスリン地の白のエプロンドレス、襟と袖口には「のり」の効いたカフスがつけられている。長い黒髪は後ろで軽くまとめられ、頭には細かいフリルのついたヘッドドレス、長めのスカートから覗く足には黒色のストッキングを履いている。最近SDが街中を歩くようになったせいで、街でメイド服を見る機会がけっこう増えたのだが、大抵はいわゆるコスプレの域を出ないものやウェイトレス風なのがほとんどで、ここまで本格的なものは滅多になかった。
 「…それにしても、暑くありませんか?」
 店内は冷房が効いているからまだいいものの、外の気温は30度を超えているのだ。正直な話、見ているこちらが暑苦しく感じる。
 しかしアスカは、
 「もう慣れましたからね」
 とこともなげに言う。実際この店に入るまでも、汗ひとつかいている様には見えなかった。
 「そうですか…」
 「ところで」
 くるくるとストローでアイスティーをかき混ぜる遠野に、今度はアスカが尋ねてきた。
 「この私になんの御用なのでしょうか?」
 「実はですね…」
 と、遠野はさきほど希に話した再開発計画の内容を、ウェブ端末の画面を見せながら説明する。
 「再開発計画、ですか…」
 「はい、表向きは駅前の活性化を目的に市が行うことになっていますが、実際は『サクラモール2号店』の建設計画といっても過言ではありません」
 まだ外部には発表していないはずの区画整理図をアスカに見せながら、遠野は言った。
 「そこでちょっとお聞きしたいのですが…深大寺氏、あなたのご主人様はこの事実をご存知なのでしょうか?」
 「ええ」
 アスカはうなずく。
 「旦那様から直接聞いたわけではありませんが、従業員の方々が噂しておりました」
 「深大寺氏は反対しておられましたか?」
 「いいえ」
 アスカがかぶりをふった。「旦那様はこの再開発計画に賛成しておいででした」
 予想外の答えに遠野は戸惑った。希の父親は計画をすでに知っていて、しかもそれに賛成だったのだという。
 「…その、深大寺氏はMeグループ社が出資しているということを知っていたのでしょうか」
 「おそらくご承知のはずです。商店会の店主たちを集めて行われた説明会では、市役所の担当の他にもMeグループ社の幹部が訪れていたはずですから」
 「ふぅむ…」
 「南町に『サクラモール』が出来て以来、北町の駅前商店街は客足が遠のき、どの店も非常に厳しい経営が続いています。それは我が店でも同じこと。ですが…」
 アスカは小さくため息をついた。どこか疲れているような、投げやりな感じだった。「再開発計画でお客が戻ってくれば、店は―いえ、駅前商店街はつぶれずにすみます」
 「…そうなのですか…」
 遠野の予想は完全に当てが外れていた。てっきり深大寺氏は再開発計画に反対していると思っていたのだが、実際にはまったく逆だったのである。と、なれば、その後の推理も当然違ってくるだろう。しかし、相手は商店街衰退の現況であるサクラモールとその親玉のMeグループ社である。いかに向こうが好条件を並べ立てたのだとしても、大の南町嫌いの深大寺氏がそう簡単に計画に乗ってしまうというのは考えられないことでもあった。これでは負けを認めたも当然である。
 「…いや、そうか…」
 しかし、アスカのどことなく投げやりな口調や態度を見て、遠野は唐突に気づいた。深大寺氏は負けを認めたのだ。サクラモールの進出で、店の業績はかなり悪化していたのではないか。おそらく商店街の店舗もみなそうに違いない。もはや自分たちの力ではMeグループ社には対抗しえないことを、この1年間で彼らは思い知らされたのであろう。だから、彼らの軍門に下る選択を―おそらくは苦渋の選択であっただろうが―をしたのではなかろうか。
 「…アスカさんは、反対なのですね」
 「ええ」
 苦笑交じりにアスカがうなずく。
 「本当なら、使用人である私がこのような出すぎた意見をもってはいけないのでしょうけど」
 「わかります」
 「さきほどの図をもう一度見せてもらえませんか?」
 遠野はウェブ端末を操作し、北町商店街の再開発計画図を表示してアスカの方に示した。
 「この計画書では、アーケードに入るテナントの数は15になっていますよね」
 遠野が計画図のテナントを数えてみる。確かに15区画あった。
 「おっしゃるとおりですが…それが?」
 「ですが、現在この通りにある商店は、サクラモールの影響で閉店した店も多いのですが、それでもまだ28軒残っているのです」
 「…と、いうことは…」
 「そうです」アスカは暗い表情でうなずいた。「再開発計画で13軒の店が閉店を余儀なくされてしまうのです」
 そしてそれは、今まで一致団結してサクラモールに対抗してきた商店会に、深刻な影響を与え始めていた。誰がテナントに選ばれるのか、誰の店がつぶされるのか?―憶測が不信を生み、お互いに疑心暗鬼になっているのだ。今や商店会はその機能を完全に失っており、会合は皮肉と中傷が飛び交う場と化しているという。そして、その悪意と中傷がもっとも集中しているのが―
 「…先陣を切って計画に賛成した呉服屋『深大寺』と、そういうわけですね…」
 「…自分の店を守るために商店街をMe社に売ったと、皆さんそう思われています」
 アスカの顔はどこかさびしそうなものだった。無理もない、と遠野は思う。商店街の生き残りのために苦渋の選択肢を選び、そいてそれが故に、商店街の他の店主に悪役にさせられてしまっているのだ。深大寺氏の心労たるや計り知れないものがあるだろう。
 「それで深大寺氏は体調を崩されたのですね」
 「はい…それに希お嬢様とゆかりお嬢様のこともありますし…」
 「なるほどね…」遠野は深くうなずきかけて、ふと思い出したように言った。「でも、南町嫌いの深大寺氏が、よく南町の総合病院に入院することを了承されたものですね。あれほどの大病院でなくとも、北町に掛かりつけの開業医くらいいたでしょうに」
 「ああ、それはですね…」アスカは苦笑して、「実は行方不明のゆかりお嬢様からお手紙がありましてね」
 その手紙には、もし父が病気や怪我などで入院するようなことがあったら、必ず南町の総合病院に入院させるように書かれていた。そこが新桜花市で、数少ない安全な場所だからだと。最初は難色を示した深大寺氏であったが、ゆかりからのたっての願いだと説明されて、ようやく了解したのだという。
 「数少ない安全な場所、ですか…」
 遠野が考えこむ。
 「どういう意味でしょう?」
 「あそこは新桜花市で最も大きい病院ですし、設備も揃っていますからではないでしょうか」
 (いや、違いますね)
 遠野は心の中で呟いた。ゆかりの手紙にある「安全な場所」というのは、まさに文字通りの意味なのだろう。おそらくゆかりと宮川は、駆け落ちという単純な理由以外に、何か別の理由があって行方をくらましているのではないか。そう、例えば知れば命を狙われるような、重大かつ危険な秘密を掴んでしまったといったような。
 もしそうならば、ゆかりの親族にも危険が迫ってもおかしくはない。そこで、身を隠す安全な場所として総合病院の名前を挙げたとも考えられる。あるいは総合病院にゆかりたちの仲間がいるのかもしれない。いずれにしてもわざわざ手紙まで使って病院を指定してきたとなれば、それ相応の理由があるのには違いなかった。
 (…でも、仮にこの仮説が正解だとして…)
 すっかりぬるくなったアイスティーを口にしながら、遠野はさらに考え込む。
 (では、ゆかりさんたちが掴んだ秘密というのはいったいなんなのでしょう…?)

 

 数分後、空のグラスを下げにきたマスターは、顔見知りの遠野に声をかけた。
 「あれ、先ほどのお嬢さんはどうされました?」
 「なんでも知人と会う約束があるそうで、先に出て行きましたよ」
 「ははぁ、それは残念なことをしました」
 「どういう意味です?」
 意味深な笑みを浮かべるマスターに、遠野は不審そうに聞いた。
 「いえ、別に」
 「あ、そういえば」
 遠野は希の件を思い出し、「マスター、女性である希君を私のところに紹介したのは、貴方の差し金だったのですね」
 「おやおや、もうばれてしまったのですか」
 全然悪びれる様子もなく、マスターが答える。
 「もう少し騙しとおせると思っていたのですがねぇ…」
 「あのですねぇ…」
 遠野は眉間に指を当てながら言った。「仮にも独身男性が独りで暮らしている部屋に、若い女性を男装させて同居させるというのは、いくらなんでもちょっと問題があるのではありませんか?」
 「大丈夫ですよ、私は遠野さんのことを信じていましたから」
 「そうではなくて…」
 「それで」マスターは遠野の抗議を遮った。「女の子と分かった希ちゃんを、遠野さんは追い出すつもりですか?」
 「いや…急に出て行けと言われても希君が困るだろうし…それに別に私も迷惑ではないですしね」
 遠野の答えに、マスターは満足そうにうなずいた。
 「…今度はしっかり捕まえておくんですよ」
 そう言い残してその場を立ち去るマスター。その後ろ姿を何か言いたそうな表情で見ていた遠野は、やがて気を取り直したように伝票を手に取るとレジカウンターに向かった。
 「ありがとうございました」
 会計を済ませ、店を出る。外はうだるように暑い。今年の夏も猛暑なのだろうか。真夏の太陽を恨めしそうに見上げると、遠野はとぼとぼと歩き出した。
 歩きながら、商店街の様子を観察する。シャッターが閉まっている店舗は結構多い。人影もまばらである。
 「アスカさんの言うこともわかりますね…」
 そんなことを考えながら歩いていると、遠野の横を数台のパトカーが派手にサイレンを鳴らしながら通り過ぎていった。
 「…おや、何か事件ですかね?」
 パトカーは商店街のある店舗の前に止まっているようだった。盗難事件かなにかだろうか。すでに人だかりが出来始めている店の前にやってきた遠野は、その店の名前を見て仰天した。
 「ここは…希君の実家じゃないですか!」
 パトカーが集まっていたのは、呉服屋『深大寺』だった。すでに何人もの警官が店に出入りしている。その様子を店員たちはおろおろしながらただ見ているばかりだ。なにやらただならぬ事態が起きていると感じた遠野は、すぐ近くの野次馬に何が起きたのかを尋ねてみた。
 「なんでも、この間のホテル爆発の真犯人が分かったらしい」
 「犯人って…あれは事故だったのではないのですか?」
 「ああ、ミヤカワとかいう大学生が犯人だったらしいよ。ここの店主の娘も事件に関与していたらしい」
 「なんだってぇ!!」

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