ACT.4 Detective

 時間はやや遡る。
 澤井愛の勤め先であった『週刊チェリーブロッサム』の編集部は、北町商店街のど真ん中、雑居ビルの2階にある。お世辞にも広いとはいえないそこでは、加藤編集長の指揮のもと、20名あまりの編集員たちが、よい誌面を作るために昼夜を問わず働いていた。
 「本当に、活気のあるよい職場ですね」
 その週刊チェリーブロッサム編集部の応接間。倉瀬クラウゼル(くらせ・くらうぜる)は、出された日本茶をすすりながらそう言った。ラフな格好をした編集員たちが、忙しく立ち回る様子が伺える。電話を受ける者、ディジタルウェブ端末に向かいキーボードを叩く者、資料や写真や書類を捌く者、等など。働いている人間の服装を除けば、その様子は商社のような印象を受ける。
 「ありがとうございます」
 倉瀬の対面に座っていた編集長の加藤が愛想笑いを浮かべる。
 「お世辞ではない。本当に感心しているんだ」
 倉瀬は編集部から視線を戻すと、少し慌てた様子で言った。「わたしの事務所は人がすくないから」
 「ほう、あなたの事務所はどちらに?」
 「南町のパブ『アルファー・イン』の2階だ」
 「アルファー・イン」加藤編集長は両手を打ち合わせた。「知っていますよ。取材で一度行ったことがある。イギリス・ヴィクトリア朝の雰囲気で統一されている店ですな」
 「ああ。わたしもちょくちょく利用させてもらっている。あの店の鵞鳥料理がまた絶品でな…」
 「あそこの2階があなたの事務所でしたか…いやあ、今度もし取材で訪れることがあったら、その時にはよろしくお願いしますよ」
 「ああ、いつでも歓迎する」
 「さて…」
 加藤編集長が、湯飲みをテーブルに置いた。ここからが本題である。
 「ところで倉瀬さんは探偵さんだそうですが、いったい当社にどんな御用で尋ねられてきたのですかな?」
 「うむ…」倉瀬も湯飲みを置き、両指を組んだ。「実は今、私は先日亡くなられた澤井愛の足取りを調べているのだ」
 「ほう、澤井の足取り、ですか…」加藤の目が光る。「出来れば、なぜ調べておられるのか、その理由を教えてもらえませんかな?」
 「私の事務所は今、ある一人の行方不明者を探している。その行方不明者というのが、どうも澤井愛と何度か接触していたような節があるのだ。そこで、澤井愛の足取りをつかめれば、その行方不明者の手がかりをつかめるのではないかと思ってな」
 その行方不明者というのは、Meグループ社の技術部開発主任であり、なしのを始めとするサーバントドロイドの生みの親でもある村上竜三(むらかみ・りゅうぞう)のことである。先日、深大寺氏とのひと騒動の後に事務所を訪れた、Meグループ社の渡邊という人物からの依頼だった。より正確に言うと渡邊はただの代理人に過ぎず、実際に依頼をオファーしてきたのはMeグループ日本支社長のミーシャ・葛原(みーしゃ・くずはら)だった。
 依頼人との交渉の際、渡邊はかなりの高額報酬を約束する代わりに、村上竜三の捜索以外の仕事をすべてキャンセルするように要求してきた。その強引なやり口にひっかかるものがあったが、それでもこの依頼を受ける事にしたのだ。もうひとつの依頼―深大寺の家出娘探しを、倉瀬のSDなしのが嫌がったという事情もある。
 「行方不明者、ねぇ…」
 加藤はしばし考え、「もちろん、その依頼者が誰なのか、なんてのは教えてくれませんよねぇ」
 「まあ、守秘義務というものがあるからな。そこの点はご理解いただきたい」
 「ふうむ…」
 ソファの背もたれに深く寄りかかる加藤。その様子に躊躇を感じた倉瀬が、すかさず次の手を繰り出す。
 「もちろん、タダで教えてくれとは言わない。こちらからも取引の用意がある」
 「聞きましょう」
 「これは推測だが…私は、澤井が命を狙われた理由というのが、私が今捜索している行方不明者と接触したからではないかと考えている」
 「というと、澤井の件は事故などではないと?」
 「おそらく何者かによって殺されたのではないかと思っている。そこで、こちら側の捜査過程で澤井愛殺害の犯人を見つけた場合、その情報を警察より先にそちらに渡してもよい。これが私からの取引内容だ」
 「なるほどねぇ…」
 加藤が天井を向く。取引の内容を吟味しているようだった。しばらくして視線を倉瀬に戻した加藤は、非常に残念そうな、しかしいかにも演技だと分かる表情を浮かべた。
 「たいへん申し訳ありませんが、当社としましては倉瀬さんにご協力できかねます」
 「なぜだ?」
 「取材内容を外部に公表するわけには行かないのです。それが例え、すでに亡くなった記者のものであっても」
 「それは承知している」倉瀬は食い下がる。「もちろん、こちらから貰った情報は外部に漏らさない。それは約束する。私も探偵だから、そのあたりの情報の扱い方はきちんと分かっているつもりだ」
 「倉瀬さんを疑うつもりはございませんがね」
 加藤は湯飲みを再び手にした。「当社には当社の事情というものがあるのですよ」
 「事情…それは一体どういう…?」
 「それにお答えする義務はありません」湯飲みを空にした加藤が立ち上がる。どうやらこの話はもう打ち切るつもりらしい。「さて、こう見えても私は忙しい身です。お話がお済みでしたら、そろそろお引取り願えませんかね?」
 「しかし…」
 「ひとつご忠告して差し上げますよ」
 さらに食い下がろうとする倉瀬を、加藤が制する。「私たちは澤井愛の取材内容については、いっさい分からないのです。警察にもそう言っているのですよ。警察にもね」
 「…そうか」
 加藤の言葉の裏にある真意を読み取った倉瀬は、力なく肩を落とした。警察にも話せない何らかの事情が、加藤にはあるのだ。そう、例えば、その澤井の取材内容というのが凄まじく危険なもので、たとえ警察といえども発表することがとてもできない代物なのか、あるいは…
 (どこからか圧力がかかったか…だな)
 出口に向かう階段を下りながら、倉瀬は考え込んだ。もし加藤が口をつぐむ理由が後者だとすると、澤井の死には大きな組織が何らかの形で絡んでいるということになる。なにしろ、小なりとはいえ報道機関が、自分の身内の記者が殺されているにも関わらずそのことについて何も語ろうとしないのだ。おそらく、事実を外部に漏らしたら、命を狙われるくらいのことは言われているに違いない。
 「あのう…」
 階段を下りたところで、倉瀬は背後から追いかけてきた男に声をかけられた。眼鏡をかけた太った男。
 「あれ、君はたしか…」
 立ち止まって振り向いた倉瀬が、ちょこんと首を傾げた。「チェリーブロッサムの編集部にいたと思ったが…」
 「はい」はーはー息を切らせながらようやく追いついた男が、額の汗を拭いながらうなずく。
 「お宅、愛ちゃんの取材内容について調べたいんだよね?」
 「そうだけど…」
 「その件についてだけど、僕が話してやってもいい」
 「ほ、本当か?」
 一筋の光明が見えた倉瀬は、思わず男に詰め寄った。
 「ただし条件がある」男は粘着質な笑みを浮かべて、倉瀬の全身を眺め回した。「お宅が僕のいう事を聞いてくれたら、愛ちゃんの取材内容を話す。そうだな…これは取引だ、いいよね?」
 「と、取引の内容にもよるが…」
 まとわりつくような男の視線に悪寒を感じた倉瀬が、おそるおそる尋ね返す。
 「いったい、私はどんな事をすればよいのだ?」

 

 一時間後。
 編集部からさほど離れていないところにあるビジネスホテルの一室に、倉瀬と男はいた。
 「…私は一体何をやっているのだろうか」
 倉瀬は今、フリフリのフリルがついたメイド服を着せられて、ベッドの上に座らされていた。男はデジタルカメラを構えて、ファインダーを覗きながら倉瀬に表情やポーズの指示を出している。
 男が出した要求とは、倉瀬にメイド服を着て写真のモデルになって欲しいというものだった。実は倉瀬は御歳20歳の立派な大人の女性なのだが、どういうわけか12〜13歳にしか思えないような幼い外見をしている。しかも、その表情は、探偵という稼業をやっているだけあって非常にクールだ。かてて加えて頭にはノーススター探偵事務所標準装備の万能ネコミミを常につけている。本人はあまり意識はしていないが(あるいは気づかないふりをしているが)、特殊な趣味をもつ男性に、実は非常に人気が高い。
 交渉を持ちかけてきた男も、そのような特殊な趣味の人間のようであった。さっきから「ネコミミメイド萌え〜」など訳のわからないことを口走っている。
 (こんな格好、なしのに見られたらなんと言われるか…)
 情けなくなる気持ちを必死に隠しながら、男の言われるがままにポーズをとる。このポーズというのが、これまた自分には似合わない(と思っている)『可愛い』系ばかりなのだからたまらない。これは仕事なのだ―倉瀬はフラッシュの強い光に何度も照らされながら、強く自分に言い聞かせていた。そうでもしないと恥ずかしさで気絶してしまいそうだったのである。「下着を見せて」などと言われないのがほとんど唯一の救いだった。
 やがて写真撮影が終わると、男はカメラを大事にしまいこんだ。そして、イスを持ってきて、倉瀬の前に座る。
 「さて、約束どおり愛ちゃんの取材してた内容について話してあげるよ。何から聞きたい?」
 「その前に…着替えさせてくれ」
 バスルームでいつものパンツルックに着替えた倉瀬が戻ってくる。ベッドの端にちょこんと座り、ネコミミに備え付けられたレコーダーを作動させると、改まった様子で男のほうを向いた。
 「まずは、澤井愛が何の取材をしていたかだ」
 「愛ちゃんは、ウチの雑誌のサーバントドロイドの特集記事を任されていたんだ」男はそういうと、バッグの中から一冊の週刊チェリーブロッサムを取り出した。バックナンバーである。「これがその記事。分かりやすい内容だって、アンケートの評判もけっこうよかったな」
 倉瀬もその記事を読んでみる。サーバントドロイドとはいかなるモノなのかを解説した記事だ。内容が手堅くまとめられている上、文章そのものも非常に平易で、SDに付き物の難しい概念なども分かりやすく紹介されている。
 「なるほど…たしかに読みやすい記事だ」倉瀬は記事から視線を上げた。「しかし、彼女が取材していたのはこれだけではないんだな。でなければ、わざわざこんな回りくどい真似はするまい」
 「さすがは探偵だな」
 男はニヤリと笑う。
 「お宅の言うとおり、実は愛ちゃんはこれとは別のあることを独自で調査していたらしいんだ。ま、その手伝いをしたのがたまたま僕だったから、知っていたんだけど」
 「その別のあることとは?」
 「…話してやりたい所だけど、僕も口止めされているからねー」
 意味ありげな目つきで、男が言う。足元を見られていることに気づき怒りを覚えた倉瀬であったが、そこは彼女もプロの探偵である。見事なまでにそれを隠しとおして、逆ににやりと笑いさえ浮かべてこういい返した。
 「私のサーバントドロイドは普段からメイド服なうえに耳が長くてしかも青髪だぞ」
 「あとで紹介してくださいよ」
 男は顔をほころばせると、一冊のノートを取り出した。『取材ノート 極秘』と表紙に書かれている。
 「実は愛ちゃんが探っていたのは、サーバントドロイド技術の軍事利用のことなんだ。愛ちゃんは正義感が強くてね、サーバントドロイドの軍事利用には強く反対してた」
 「サーバントドロイドの軍事利用?」
 迷彩服を着たなしのがマシンガンを撃ちまくる姿を想像しながら、倉瀬は尋ねた。「そんな計画があったのか?」
 「サーバントドロイド開発計画の初期の頃にはあったらしいよ」取材ノートを繰りながら、男が答える。「ええと、ああこれだ」
 男が開いたページには、軍用サーバントドロイドの概念図が書かれていた。身体各部がチタン・セラミックの複合装甲で覆われ、右腕には固定武装として格闘用のヒートカッターを搭載。各種銃器が使用可能と説明がなされている。
 「でも、結局コスト的に合わないということで試作機が1機作られただけでこの計画はキャンセルされた。今現在開発されているのは、サーバントドロイドの自律式思考プログラムを応用した無人兵器らしいね。無人戦車とか、無人戦闘機とか」
 「ふむ」
 倉瀬は考え込んだ。確かにMeグループ社にとって、サーバントドロイド技術を応用した無人兵器を極秘裏に開発しているということが世間一般に知れ渡るということは、大きなイメージダウンになるだろう。しかし、ただそれだけの理由でいち地方出版社の記者を殺害するというリスクを、Meグループ社は犯すだろうか。
 「他には?」
 「そうだなあ…」男はノートのページを前後しながら、「これは噂なんだけど、開発中の無人兵器の試作機が、内戦が勃発したアグジェリア共和国に密かに送り込まれて実戦テストをやっているらしい…裏が取れたら、これが多分メインの記事になったんだろうな」
 「澤井愛はこの情報ソースを何処から仕入れたかは分かるか?」
 倉瀬の問いに、男は手を振った。「いや、さすがにそこまでは教えてくれなかった」
 「取材の際によく訪れた場所などは?」
 「…そういえば、この取材を始める前後に、新桜花総合病院に何度か足を運んでたなぁ…」顎に手をやりながら、男が答える。「院長と何度か会見していた様だけど…まああそこにも大量のナースドロイドが導入されてたし、その関係かな」
 「ううむ…」倉瀬が唸った。村上との接点がなかなか見えてこない。「他に何か彼女の行動でおかしな点は気づかなかったか? なにかに怯えていたとか?」
 「いや特に…ん、待てよ、そういえば」
 男は腕組みをしながら考え込んだ。「これはおかしな点、というか…彼女の原稿、最近手書きのことが多かったな」
 週刊チェリーブロッサムの原稿は、今では殆どがパーソナルコンピュータ端末のワープロソフトか、ワーカムを使って執筆される。もちろんこの男も、原稿の執筆はすべてワーカムでこなしており、校了用の赤鉛筆を除けば、ペンの類などここ数ヶ月まともに持った事は殆どない。
 そんな中で澤井愛は、原稿用紙にペンという組み合わせになぜか固執していたという。以前は彼女もワープロソフトを使っていたのだが、このサーバントドロイドの軍事利用を調べ始めたあたりの時期から、急に主旨変えしたらしい。
 「記事だけじゃなく取材メモまで全部手書きさ。僕も手書きでやるように言われてね、このノートも全部手書きで書かされたんだ…ま、最後のほうはめんどくなったから、ワーカムで記事書いちゃったけどね」
 「その記事は?」 
 「愛ちゃんが事故に遭った日の朝に、MOに落として渡しておいたんだけど…今は警察に押収されちゃったんじゃないかなぁ?」
 「どうして手書きにさせたか、理由は話したか?」
 「いや」男は肩をすくめる。「ぜんぜん。周りもなんで手書きにこだわるのか不思議がっていたよ」
 「澤井愛の取材ノートは手に入れることはできるか?」
 「それがねぇ…事故に遭った後、愛ちゃんの机を片付けたんだけど、軍用サーバントドロイド関係の取材ノートやメモがごっそり無くなっていたんだよね。端末のデータもみんな消去されていたし…」
 その言葉を聞いて、倉瀬は確証を得たと感じた。澤井愛を殺した犯人は分からないが、その動機は、軍用サーバントドロイドの事を調査していた澤井の口封じに違いない。おそらく、澤井はかなり核心に踏み込んだところまで調べ上げたのだろう。それが、何らかの理由で、情報を知られたくないと思う個人なり組織なりに気づかれて殺されてしまったのではないだろうか。
 「正義感の強さと行動力が仇となったのだな…」倉瀬は目を閉じてつぶやいた。「そのような人柄は嫌いじゃないな。殺されたのは残念な事だ」
 「本当です」男もしんみりした様子で頷く。「あれほど三つ編みおさげが似合う女性は二人といなかったのに…」
 「…とにかくだ」
 残念の理由が、自分と男とでは激しくずれているような気がする倉瀬であったが、とりあえず改まった様子で男の方に向き直った。
 「君のその取材ノートを私に預けて欲しい。詳しく調べれば、澤井愛を殺した犯人の手がかりがつかめるかもしれない。協力してもらえないだろうか?」
 「いいけど…」例のねちっこい視線を向けながら、男が言う。「体操着にブルマー姿の写真を撮らせてくれたら…」
 「行っておくが」倉瀬は男の言葉を遮った。「君がそのノートを持っていても役に立たない。それどころか、それを持っていると君も命を狙われることになるぞ」
 「……」
 命と狙われるとあっては、さすがに男も写真を諦めざるを得なかった。素直にノートを渡す。
 倉瀬はノートを受け取りながら、身の安全のためにも今日のこのことは誰にも喋らないようにと念を押した。男はこくこくと頷く。心なしか顔が青ざめているのが、倉瀬にはわかった。事の危険さにようやく気づいたのだろう。メイド姿の倉瀬の写真に喜んでいる場合ではないのだ。
 (まあ、着飾って写真に撮られるというのもけっこう気分がいいものだけど)
 衣装や撮影道具を片付ける男を後にして、倉瀬は部屋を出る。結局村上竜三との直接的な接点は見つからなかったが、澤井愛が軍用サーバントドロイドの取材を進める過程で村上に接触したというのは十分ありえる話である。おそらく軍用サーバントドロイドの情報源は村上なのだろう。この方向で調査を進めたのは間違いではなかったようだ。収穫はあった―そう思いながらロビーを歩いていると、ネコミミ内蔵の携帯端末が着信を告げた。なしのからだった。
 「もしもし」
 『あの…』電話の向こうの声は、しかしなしのではなかった。『なしのさんのマスターでございますか?』
 「そうだが…君は誰だ。なぜなしのの携帯端末を使っている?」
 声の主は、深大寺家の使用人のアスカだと答えた。
 「実は、先ほどなしのさんが例のSD連続破壊魔に襲われてしまいまして」
 アスカは電話に言いながら、傍らのなしのを横目に見る。なしのはMeグループの技術スタッフから、右腕の修理を受けていた。
 『なに! それでなしのは無事なのか!?』
 「ええ、幸い右腕が切断されたのと、左足に少し損傷を受けただけで済みました。今、あなたの探偵事務所で修理を受けているところです」
 「そうか、無事か…」倉瀬は安堵の表情を浮かべた。「君がなしのを助けてくれたのだな。礼を言う」
 『いえそんな…』
 実は、なしのがゆかり尾行までにいたる経緯を説明しているうちに、二人はゆかりのことで完全に意気投合してしまったのだ。やはりゆかりは、自分が愛している男と一緒にいるべきである。無理解な父親、或いは横暴な探偵の言うなりになってはいけない―二人の意見はその点で完全に一致し、ついには共闘体制をとるという約束まで交わしたのだった。
 そんな事は露も知らない倉瀬は、端末を切ると急いでホテルを飛び出す。外の天気はいい。真夏の太陽がさんさんと地面に降り注いでいる。
 ふと、頭上をなにか影がよぎったような気がした。
 「なんだ…?」
 思わず見上げる倉瀬。彼女の視界に入ったものは、高速で接近する黒い影だった。全長3メートルくらいか。細長いフォルムに短い翼の様な物が両側に突き出ている。倉瀬は飛んでくるもの正体に気づき、驚愕の声を上げた。
 「バカな、ミサイルだって!」
 ミサイルはそのまま、先ほどまで彼女がいたホテルの壁に突入する。その場所は、倉瀬が澤井愛についての情報を聞き出した部屋があったまさにその位置。そして、その部屋には、片付けのためにまだあの男が居残っていたはずだった。
 「くっ…!」
 激しい爆発とともに倒壊するホテルの建物。通行人たちの悲鳴や怒号。凄まじい爆風とコンクリートの破片が倉瀬に襲い掛かる。倉瀬の華奢な身体は爆風にこらえきれずに吹き飛ばされ、地面に叩きつけられた。激しい痛みが身体を駆け巡る。薄れてゆく意識の中、倉瀬は燃え上がるホテルを見ながら呟いた。
 「まさか…口封じか…」
 あの爆発では、先ほどの男はとても生きてはいまい。口封じは完璧に成功したことになる。それにしても、こんな派手な方法をとってまで守ろうとしている秘密とは、いったいなんなのだ。澤井愛は、いったい何を掴んだというのだ…。
 そこまで思って、倉瀬はふっと笑みを浮かべた。
 「いや…口封じは成功してないな」
 倉瀬が、まだ生きている。この謎を解き明かす役目は、彼女に引き継がれたのだ。
 「必ず…仇はとってやるぞ」
 それきり、倉瀬の意識は途絶えてしまった。

 

 ミサイルの爆発に巻き込まれた倉瀬は、真っ先に駆けつけた万景寺と弓音の手によって新桜花総合病院に担ぎ込まれた。幸い軽い脳震盪を起こしただけで他に目立ったケガも無く、翌日には退院する事ができた。取材ノートは無事手元にあったが、それよりも、涙は絶対に見せないというなしのが、見舞いにきてくれたときにぼろぼろ涙を流してくれたというのがなにより嬉しい倉瀬だった。
 下田は前園邸に戻る途中にホテルの爆発を目撃、ただちに現場に向かう。死傷者は多数。ホテルで働いていたサーバントドロイドも何体か破壊されたらしい。後の現場検証の結果、一番破壊の激しかった場所から発見された遺体が、週刊チェリーブロッサム社の記者だということが判明する。だがその後、下田はすぐに捜査から外され、前園の警護任務に戻った。
 その前園は、まつが機能停止したことで途方に暮れていた。あの謎の手紙も気にかかるが、家事全般が完全ストップしてしまったのが致命的だった。しばらく同居する鬼杏も家事は苦手であり、しばらくはレトルトとインスタント食品の生活になりそうである。
 ホテルの爆発は、夕方の警察の記者会見でガス爆発と発表された。テロの可能性が噂されたが、捜査当局はそれをきっぱりと否定した。
 奇妙な体験をして部屋に戻ってきた遠野は、部屋でずっと待っていた希に、実は自分は女の子なのだと告白された。希は妹ゆかりのいきさつを話した上で、自分はどのように行動したらいいのかと相談を持ちかける。しかし、直後に起こったホテルの爆発で部屋の窓が全部破壊されてしまったため、答えを聞く暇も無くみるふぁと共に後片付けに追われる羽目になってしまった。そして、同じく後片付けを手伝うゆ〜にぃの思考プログラムには、今までありえなかった暗い感情が渦巻き始めていた。


 次第に壊されてゆく平和な日常。
 それは、気づかぬうちにパンドラの箱を開いてしまった代償なのだろうか。
 もしそうだとして、絶望がすべて解放された後に残るのは、はたして本当に希望なのだろうか。
 今だ未来は、誰にも分からない。 

第3回に続く

 

次へ
前へ
リアクションTOPへ