ACT.3 Bodyguard

 「…はあ」
 前園家の台所。夕食の準備をしていたまつは、包丁を動かしていた手を止めて溜息をついた。
 「いかがされました?」
 その隣で、火にかけた鍋の様子を見ていた鬼杏(ききょう)が、溜息に気づいて声をかける。心配そうな表情を向けられていることに気づいたまつは、あわてて表情を取り繕うと、「なんでもないですわ」と答えた。再び包丁を動かし始める。
 「…そうですか。それならばよいのですが」
 「なんでもない」様にはとても思えなかったが、それでも鬼杏はあえてまつを追及しようとはしなかった。ふと、彼女が包丁で切っているものに視線を落とす。
 (…石鹸…ですよね?)
 今まつが千切りにしているもの、それはどう見ても手洗い用の石鹸だった。その横には短冊切りにされた食器洗い用スポンジや輪切りにされたゴムホースが山をなしている。
 (よっぽど、ショックだったのでしょうね…)
 うわの空で包丁を動かし続けるまつを見て、鬼杏はそっと溜息をついた。
 先日起こった澤井愛のひき逃げ事件。その唯一の目撃者が、前園に仕えるサーバントドロイド・まつだった。当然、警察による事情聴取がマスターの立会いのもと行われたが、不思議な事にまつは事件の起きた瞬間のことをまったく思い出せなかったのだ。
 それはサーバントドロイドにとってはありえない事であった。SDにとって過去の事を思い出すということは、マザーの記憶領域にある過去のデータへのアクセスということに他ならない。記憶領域にある大元のデータがなんらかの原因で失われない限りは、SDは過去の経験を『忘れる』ということは絶対にしないのだ。人間らしさを出すために、一部のデータにわざと接続しないようにする『物忘れ』を表現するプログラムも内蔵されているが、それでも今回の様な緊急時には『物忘れ』プログラムを強制解除して、すべての記憶データを閲覧することができるはずなのである。
 それが、どういうわけか、今回のひき逃げ事件に関する記憶データにどうしてもアクセスすることができない。その事実がまつにとっては不安でたまらなかったのだ。
 何者かによって記憶情報へのアクセスの妨害がされているというのならば、それを行っているのは事故の真相を知られたくない人物であろう。まあ、犯人であるという考え方がいちばん合理的だ。それはまつにも分析できる。しかし、マザーがハッキングされているという脅威もさることながら、まつにとっていちばんの心配の種は、その犯人の手が、実際に自分の大切なマスターやその子供に延びてくるのではないか、という点だった。
 「…まつ、大丈夫か?」
 台所に入ってきた前園薫(まえぞの・かおる)が、ぼんやりしているまつに声をかける。
 まつのマスターである前園も、同様にまつのことを心配していた。なにしろまつは事件の目撃者である。犯人が目撃者を消そうとする、あるいはそこまで行かなくとも、たとえば警察に協力しないように何らかの脅迫をしてくるなどというのはありそうな話だし、実際、彼も自分の小説の中で、そのようなシチュエーションを書いた事があった。SD連続破壊事件の犯人がまだ捕まっていないということだけでも、前園の不安の種は尽きないというのに、さらにそれに今回の事件である。前園にとって、気が気でない状態になるのもいたしかたのないことであろう。
 なにしろ、前園は自分でも気づいていないが、まつに亡くなった妻の面影を重ねて見ているのだから。
 そこで、前園は自分と同じ町内の住人であり、事件の時に世話にもなった下田中将(しもた・なかまさ)に相談を持ちかけることにした。
 「ボディガード…ですか?」
 突然の申し出に面食らった下田であったが、よく考えてみれば、彼のこの申し出は下田にとっても好都合なものだった。例のひき逃げ事件の後、下田は上司から、事件の目撃者であるまつとその周辺を普段から気をつけておくように、と命じられていたからだ。はじめは当人たちに気づかれないようにこっそりと護衛するつもりだったが、これなら、大手を振って守る事が出来る。
 「わかりました。お引き受けしますよ」
 「助かります」
 そういう訳で、下田は前園の自宅に自分のサーバントドロイドである鬼杏を配し、自分は主に家の周りを見張る事にしたのである。下田自身が外の見張りをうけもったのは、いくら護衛とはいえ、人様の家庭に上がりこむのはさすがに気がひけたというのもあるが、それとは別に、鬼杏に、家事サポートタイプのまつから料理の手ほどきを受けて欲しかったというのもある。なにしろ鬼杏は、もともとボディガードタイプだから仕方のないこととはいえ、家事全般、特に料理が物凄く下手だったのである。
 しかし―
 (マスターからまつさんに料理の手ほどきを受けろと命じられましたが…)
 切った石鹸をそのまま鍋に入れて、煮物を泡だらけにしてもなお気づかないでいるまつの様子を見て、鬼杏は溜息をついた。
 (これではちょっと難しいですね…)

 

 その頃。
 前園家のすぐ前に止めてある自動車の中、下田は暇をもてあましていた。座席の背もたれを後に傾け、スポーツ新聞を日よけ代わりに顔にかぶせて昼寝としゃれ込んでいる。なんとも緊張感のない様子だった。
 「天気がいいのぅ…」
 と、背広の上着のポケットに入れていた携帯端末が着信を告げる。下田は顔から新聞を払うと携帯端末を取り出した。
 「下田だ」
 『あ、どうも半田です』電話の発信主は後輩の若い刑事だった。澤井愛のひき逃げ事件を担当している。
 「おう、ごくろうさん…ところで捜査のほうはどうなっている?」
 『それがですね…』
 半田は少し困った様子で、『今、被害者の取材内容の線で調べてるンですが、これがどうも様子がおかしいンですよ』
 「どういうことだ?」
 下田がシートの背もたれを起こす。
 『それがですね…』
 半田の説明によると、澤井が事件の直前に担当していたのは、サーバントドロイドに関する特集記事だった。最新技術の粋を集めた夢の人型ロボット・サーバントドロイドは、言うまでもなく新桜花市民の注目の的であり、彼女の勤め先の出版社が発行している地方情報誌『週刊チェリーブロッサム』でも、大きくページを使って特集記事を掲載していた。澤井はその特集記事の担当だったのだという。
 『それで、取材内容を見せてもらおうと編集部に行ってみたンですがね…』
 「見れたのか?」
 『それが、記事や取材メモの類はすべて破棄したの一点張りなンですよ』
 半田はほとほと困っている様子だった。『被害者のオフィス端末のデータなンかも全部消去されてるみたいでして…』
 「ふぅむ…」下田は唸った。「それで、周囲の評判は?」
 『まあ、悪くはないみたいですね。性格も明るくて、編集部のムードメーカーだったらしいですよ』
 「…うむ」
 『ただ、なんていうか、無鉄砲なところがあるそうで、かなり危ない取材にも平気で飛び込んでいったみたいですよ。あと正義感も強くて、理不尽な事に対しては上司だろう警察だろうがヤクザの組長だろうが躊躇なく食ってかかったそうです。周りじゃ鉄火娘なんて渾名で呼んでたようですが』
 「spitfire…か」
 がみがみ口うるさい女性、という意味の英語だ。第2次大戦中のイギリスの有名な戦闘機にもこの名前が冠せられている。
 『それと、どうやら自分たち以外にも被害者を探っている人間がいるみたいですね』
 「ほう、どんなヤツだ?」
 『それが、ネコミミをつけた娘っこらしいですよ』
 「ネコミミ? なんじゃそりゃ?」
 『さあ、コスプレかなんかじゃないンですか?』半田の口調は半ば投げやりだった。『編集部に聞いた話じゃ、けっこう可愛かったらしいですよ』
 「そうか…わかった。引き続き捜査をすすめてくれ」
 『了解』
 電話が切れる。携帯端末を上着のポケットに戻した下田は、再び背もたれを倒してスポーツ新聞を顔にかぶせた。
 「やはり、取材の絡みで殺されたと見るべきだな…」
 下田は呟く。被害者の澤井が、正義感が強くまた取材のためには相当な無茶も厭わないという、半田の報告が正しければ、当然ながら、彼女の存在を快く思っていない人間も相当いるだろう。たとえば、裏で不正を行っている企業や団体、政治家、あるいはヤクザなどだ。取材の過程で、そういった連中の大きな不正、あるいはそれに繋がる証拠か何かを偶然見つけた澤井が、それを告発しようとして逆に消された、という可能性は充分ある。
 「しかし…そうなると一番怪しいのはMeグループ社ということになるが…」
 殺される直前まで澤井が取材していたのは、Me社のサーバントドロイドであった。先ほどの仮定がもし正しいとすると、「そういった連中」の部分に置き換えられる固有名詞は「Meグループ社」ということになる。別にMeグループ社の人間が直接手を下さなくても、彼らが金を出して鉄砲玉を雇えばいい話だ。さらにいえば、下田の上司が密かに目撃者の身の安全を守るよう彼に依頼したことにも合点はゆく。事実上Meグループ社の企業城下町である新桜花市で、おおっぴらにMeグループ社を疑うような真似はなかなか出来ないものなのだ。それほどこの街ではMeグループ社の力は強いものだった。「影の市長」「新桜花の真の支配者」などと陰口を叩く者もいるくらいだ。
 また、もうひとつ気になる点として、彼らのほかにも澤井を調べている人間がいるというのもあった。ネコミミをつけた可愛い女性という話だったが。外見はともかく、死んだ澤井を調べたいと思っている人間が他にもいるということは注目すべき点だろう。ひき逃げ事件に何らかの関係があるのかもしれない。
 「意外にでかい魚かもしれんなぁ…」
 事件の背後に潜む強敵の気配を感じ、下田は口の端に笑みを浮かべる。野門流古武術の使い手としての血が騒ぐのだ。若い頃を思い出すのも、また悪くない。
 「久しぶりに、燃えてみるか」
 再び携帯端末が着信をしらせる。下田は思索を止めて端末を取り出した。鬼杏からだった。
 「なんだ、どうした?」
 『マスター、大変です!』電話の向こうの声は相当に切羽詰っていた。『今すぐきてください!』
 「わかった!」
 下田は叫ぶなり、車を飛び出して前園邸の玄関へと走った。

 

 「…まったく、つまらないことでびっくりさせないで欲しいものだ」
 「…申し訳ございません」
 下田の呟きを耳にしたまつが、申し訳なさそうに頭を下げる。
 前園家の近くにあるスーパーマーケットである。
 鬼杏からの緊急連絡で家に飛び込んだ下田が見たものは、床一面が泡で覆われた台所と、そこに呆然と立ちすくむまつ、鬼杏、前園の3人の姿だった。まつが鍋の中に誤って入れた石鹸が、惨状の原因だった。
 結局、用意していた料理はすべておじゃんとなり、また作り直す時間もなかったので、仕方なくスーパーで出来合いの惣菜を買うことに決めたのである。最初はまつが一人でいくつもりだったが、まつの護衛のために下田が彼女から離れるわけにいかず、また前園も心配でたまらないからといってついて行くと言い出し、その前園の護衛を下田から命じられている鬼杏も同行する羽目になり、さらに襲撃を受ける危険性を考えると前園の子供を一人で留守番させるわけにも行かず、結局5人全員が一緒に行くことになってしまった。
 「あ、いえ、まつさんのことを言っているのではありませんよ」
 申し訳なさそうなまつの様子を見て下田があわてて弁解する。
 「それではわたくしのことをおっしゃっているのですか?」
 鬼杏がぷうと頬を膨らませる。クールな外見に似合わず、意外に表情が豊かだ。
 「いや、そうじゃなくてだな…」
 「まあまあ…」
 前園が間に割ってはいる。「別にけが人が出たわけでもないし」
 「そりゃまあ…そうですがね」
 困ったように頭を掻きむしる下田。
 その様子を横目に見ながら、まつは今日になって何百回と繰り返してきた溜息をまたついた。気分がすぐれない。騒ぎの元が自分のミスだったからというのもあるが、特にこのところぼんやりしていることが多いのは、思考プログラムに過大な負担がかかっているからだと自覚したからだ。
 『事故の記憶が思い出せない』という異常事態は、まつの繊細な思考プログラムに計り知れない負担を与えていた。それだけではない、事故を目撃したことによる不安と、それが前園とその子供に与えるかもしれない危険の事を思うと彼女自身も心配で気が気でないのだ。さらに、今この瞬間もまつはマザーの記憶領域へのアクセスを繰り返している。そのパフォーマンスに彼女がマザーから割り振られた演算能力の半分以上を費やしているため、通常の思考が圧迫されている。つまり、人間でいうところのいろんなことで「頭がいっぱいいっぱい」な状況なのだ。
 「……ん?」
 買い物カートに惣菜を入れていた前園は、心なしか青ざめた表情のまつに気がついた。
 「本当に大丈夫か…?」
 「はい…ご心配かけて申し訳ございません」
 無理に笑顔を作って、まつが言う。それが前園にとってかえって痛々しかった。
 そっと、まつの肩に手を乗せる。
 「まつ、台所での失敗のことはあまり気にするなよ。人間誰でも失敗はするもんだ」
 「…わたくし、人間ではありませんから」
 「あ」
 そばで気づかない振りをしながら耳をそばだてていた下田と鬼杏が、あちゃー、と額に手をあてる。
 「それに、旦那様のお心遣いは大変嬉しいのでございますが、私が心配しているのはそのことではないのです…」
 言いながら、まつは地面が揺れているような感覚を覚えた。いや、正確には自分の身体を支えているオートバランサがうまく機能していないのだ。自己チェック機能スタート。
 「私が心配申し上げているのは…私の記憶を操作しているのが…Meグループの…」
 自己チェック機能が追いつかない。思考プログラムが演算能力の不足により機能低下。思考及び行動の維持が不可能になる。オートバランサ、各種センサ機能停止。安全装置が作動。人工筋肉への動力伝達が強制カット。緊急停止する。
 「ま、まつ!」
 スーパーの床に崩れ落ちたまつの身体を、前園が起こし上げる。ただならぬ事態に下田と鬼杏がかけつける。まつの身体の横にしゃがみこんだ鬼杏が、まつの身体の各部をチェック。
 「…思考プログラムがフリーズした様です。安全装置が働いて、まつさんは緊急停止していますね」
 「フリーズって…」前園が声を上げる。「まつは、まつは大丈夫なのか!?」
 「ええ、身体に損傷は見られませんし、再起動すれば問題はありませんよ」
 安心させるように鬼杏が言う。SDは、何らかの理由で思考プログラムが機能を失った場合、自動的に機体の各部の動力がカットされるようになっている。プログラムの異常による暴走を防ぐためだ。回復するには、首筋にある再起動スイッチを押せばよい。
 「緊急停止前30分くらいの記憶は失われることになるかも知れませんが、特に機能に影響はないと思います」
 「そうか…」
 とりあえず胸をなでおろす前園。その時、胸ポケットに入れておいた携帯端末が着信を告げた。メール着信。Meグループの営業部からである。
 「…なんだろう、こんな時に?」
 首をかしげながら前園はメールの主文を呼び出す。
 「…なんだよこれ…?」
 「いかがしました?」
 メールの主文を読むなり硬直してしまった前園に、下田は怪訝な表情で問い掛けた。
 「まつに…欠陥が見つかったそうです」
 「え?」
 前園の意外な発言に驚いた下田が、立ち上がって前園の携帯端末の画面を覗き込む。
 「…思考プログラムの一部にバグが発生しているというのか…」
 下田が唸る。Me社から送られてきたそのメールによれば、マザーのまつ用領域においてプログラム上のバグが発生し、それが彼女の思考プログラムに過大な負担をかけていたというのだ。どうもそれが今回の記憶障害と何らかの関係があるらしい。
 「…続きがありますね」下田が画面をスクロールさせる。「えーと…『なお、現在技術スタッフによるデバッグ作業が行われておりますが、思考・行動プログラムの異常により、サーバントドロイドの各種センサ及び人工骨格・人工筋肉に影響が出ていると思われます。つきましては、弊社にて緊急メンテナンスを行いたいと思いますので、明日の9時に弊社スタッフが引き取りに伺うまではお持ちのサーバントドロイドを再起動しませんようお願いいたします』…」
 「回収ですか…」鬼杏が信じられないといった表情をうかべる。「随分と大袈裟ですね。チェックだけなら携帯式のセンサーでも十分出来るはずなのですが…」
 下田も鬼杏と同じ思いであった。プログラムのデバッグだけならともかく、いちいちSDそのものを回収するというのが下田にはいまいち納得できない。回収の理由もいかにもとってつけたような感じだ。下田は念のため、Meグループの営業部に電話を入れ、自分の身分を明かした上で、今前園に送ったメールの内容が事実なのかどうかを再確認した。 営業部の答えは、『確かにそのメールは我々が送付したものだし、メールの内容も間違いない』というものだった。感謝の意を伝え、電話を切る。携帯端末をポケットに滑り込ませた下田は、前園の方を見た。
 「…とにかく、今は帰りましょう」
 機能を停止し、ぐったりしているまつの身体を肩で支えながら、前園は言った。「ここにいても始まらない。明日Me社が回収にくるというのだから、そうしてもらいましょう。今のまつが異常とだというのは間違いないのですから」
 「…そうですな」
 下田が反対側の肩を支えてやる。
 まつのマスターは前園である。下田や鬼杏から見れば、このMe社からのメールの内容には色々と不審な点が感じられるのだが、マスターがメンテナンスに出すと決めたならば、下田たちに口出しはできなかった。それに、Meグループ社の言っている内容が嘘だという確証もないのだ。結果はどうあれ、今は従うしかない。
 「しかし…サーバントドロイドっていうのは…」「ずいぶんと重いんですな…」
 スーパーを出て家に向かう一行。普段から身体を鍛えている下田はともかくとして、前園はすでに汗びっしょりである 「運動不足の身体にはきくなぁ…」
 「なんなら、自分が鍛えてあげてもよろしいですよ」
 「いや、結構」
 ようやくのことでまつを家まで運び込む下田と前園。とりあえず布団に寝かしつけた前園は、手で顔を仰いでいる下田の方を向いた。まだちょっと息が荒い。
 「下田さんはこれからどうします?」
 「ああ、ちょっと署の方に報告しにいかなければならないので…」
 腕時計を見ながら下田が答える。「鬼杏をおいてゆきますので、何かあったら彼女に言ってください」
 「はい。ありがとうございます」
 下田は軽く手を挙げて部屋を出て行った。それと入れ違いに鬼杏が部屋に入ってくる。
 「前園様、このようなものが郵便受けに入っておりましたが…」
 鬼杏が差し出したのは1通の手紙だった。表には『前園薫様』とだけ書かれている。ディジタルウェブ回線の導入で、市民の誰もが電子メールのやり取りが出来る新桜花市において、紙の手紙というものは大変珍しいものである(企業向けの郵送やダイレクトメールがあるため、郵便が廃止になっているわけではない)。しかも切手を貼っていない所をみると自主投函らしい。ひっくり返して裏を見てみるが、差出人の名前は書かれていないかった。
 「誰からだろう?」
 封を破り、手紙を取り出す。今時珍しい肉筆の文字だった。
 「……」
 読み進めていくうちに、前園の顔がだんだんと険しくなっていく。それを見ていた鬼杏が、おずおずと尋ねた。
 「あの…どんな内容でございました?」
 「不幸の手紙ですよ」前園は手紙をくしゃくしゃに丸めるとポケットの中に突っ込んだ。
 「不幸の手紙?」
 「ええ、『この手紙と同じ内容を5人の人に送らないと、あなたに不幸が訪れます』ってね。たちの悪い人間のやるしょうもない悪戯ですよ」
 「はあ…」
 よく分からない、という表情で、鬼杏がうなずく。そんなことをして何が楽しいのか理解できない様子だった。
 「そうなのですか」
 「そうなんです…それにしても、今日は疲れました」
 あくびをした前園が鬼杏に尋ねる。「オレはもう寝ますけど、鬼杏さんはどうします?」
 「多分、夜遅くにはマスターが戻ってくると思いますので、それまで待っております。わたくしのことは、どうかお気遣いなさらないよう」
 「そうか」
 前園がうなずく。
 「それじゃあ、おやすみ」
 「お休みなさいませ」
 鬼杏が深々と頭を下げる。軽く手を挙げて答えた前園は、自分の寝室に入ると、ベッドには向かわずにポケットの中から先ほどの手紙を取り出した。机の上に広げ、皺を伸ばす。
 再び食い入るような目で手紙を読む前園。手紙の内容は以下のようなものだった。


  『前園薫様
 君のサーバントドロイドの調子がおかしくなり、緊急停止したことはこちらも確認している。
 おそらく、Meグループ社からサーバントドロイドの回収指示がきていると思いますが、君はそれには従わないようにお願いしたい。おそらく回収されたら最後、もう君のところに戻ってこないか、今までの記憶が完全にリセットされてしまうだろう。
 今は詳しいことは言えないが、Meグループ社はサーバントドロイドを使ってとんでもない事をしようとしている。サーバントドロイドは、見かけとちがってとても危険な存在なのだ。私たちはMeグループ社の暴走をなんとか止めようと考えている。君にもそれに協力してもらいたい。
 その為にも、まずは君のサーバントドロイドを調整したい。繰り返していうが、サーバントドロイドはとても危険な存在だ。今のままでは君も、君の家族もとても危険なのだ。この状況を理解して欲しい。私たちが調整すれば少なくても当面の危険が回避できる。私たちを信じて、君のサーバントドロイドを私たちに預けて欲しい。
 明日の朝6時、我がほうのスタッフが君の自宅に向かう。調整は夕方まで完了するだろう。
 どうか私たちを信じて欲しい。これは君と君の家族のために言うのだ。

 それと、ひとつ注意してもらいたいことがある。この手紙の内容は誰にも、特にサーバントドロイドには絶対に漏らしてはならない。ディジタルウェブ回線を利用した電子メールや、電話で話す時でも手紙の内容を口にしてはならない。サーバントドロイドと、それを操作するディジタルウェブは、君たちを常時監視するための道具なのだ。Meグループ社は君が思っているような組織ではないのだ。奴らに騙されてはいけない。
                                                              S』


 「いったい何なんだ…悪戯か?」
 怪訝な顔で首を捻る前園。
 しかし、単純な悪戯では片付けられない内容だなと、前園は思う。手紙の主は、まつの調子が悪くなり、機能が停止してしまったことを把握しているのだ。少なくとも手紙の主は、まつの様子をずっと監視していたのだろう。ただの悪戯にしては手が込んでいるように思える。だが、手紙の中の『Meグループ社を信じるな』というくだりは、この町でMeグループ社に反感を持つものなら誰でも思いつくような内容であった。実際、前園もその手の眉唾な説を幾度も聞いた事がある。それも、小学生が思いつきそうな稚拙なものから、新桜花大学のオカルト研究部が文芸部のミステリーマニアと共同で創り上げた、よくぞここまでというような巧妙なものまで、である。Meグループ社が清廉潔白な企業だとは前園も思っていないが、だからといってにわかに信じられるような説でもなかった。
 前園は手紙から視線をあげると、腕組みをして溜息をついた。
 「さて、どうしたもんやら」

 

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