ACT.2 Cracking

 「はい、これでOKだ」
 ゆ〜にぃの左肩に包帯を巻いていたMeグループ社の技術員が、そういって立ち上がった。近くで心配そうに見守っていた深大寺希(じんだいじ・のぞみ)に、笑顔で声をかける。
 「SDの修理が完了しましたよ。もう大丈夫です」
 希はほっと溜息をついた。ここは希と遠野が共同生活するアパート。先日のロベルタの襲撃で破損したゆ〜にぃの左腕を修理してもらうため、Meグループ社に技術員を派遣してもらったのである。
 あるいは一時回収しての修理になるかもと覚悟していた希だったが、派遣されてきた若い技術員は、手馴れた様子でゆ〜にぃの左腕の人工皮膚をメスで切開すると、破壊された人工筋肉をはずして新しい人工筋肉に取り替えた。交換に要した時間は20分ほど。まさにあっという間の出来事だった。
 「破損した人工筋肉の交換と、骨格の調整は終わりましたが」
 上半身裸のゆ〜にぃに服を着せていた希に、技術員は言った。
 「張り替えた人工皮膚が完全に定着するまで、24時間ほどかかります。定着しきれないうちに激しく腕を動かしたりすると、皺がよったまま定着してしまいますので気を付けて下さいね。あと、水でぬらしたりするのも厳禁ですから」
 「わかりました。ありがとうございます」
 「では」
 技術員は帽子を取って軽く会釈すると、アパートを後にした。
 「さて…」
 服を着終えたゆ〜にぃが、希に振り向く。「今日は、何か用事があるんじゃなかったっけ?」
 「うん…」
 希の表情が心なしか曇る。「ちょっとね。でもその前にやる事があるんだ」
 「やる事?」
 ゆ〜にぃが首をかしげる。希は「なんでもない」と首を振ると、今度は別の事をゆ〜にぃに尋ねた。
 「ところで…賢治ちゃんはどこに行ったのかな?」
 希の同居人遠野賢治(とおの・けんじ)は、早朝からどこかに出かけていた。希たちに行き先は告げていない。システムエンジニアという職業柄、深夜や早朝に突然出かけるということもよくある遠野ではあったが、今回は仕事ではないようだった。
 「さあ、みるふぁちゃんも分かんないってさ」
 みるふぁとは遠野のSDの名前である。希はしょうがないな、と首を振ると、ゆ〜にぃにこれから出かけるから支度をするように、と告げた。
 「出かけるって、どこに?」
 「サクラモール。ちょっと買い物にね」
 「買い物って…何買いにいくんだい?」
 当面の生活に必要なアイテムは、先日全て揃えたはずである。貯金も残り少ない今、一体なにを買いに行こうというのか、ゆ〜にぃの人工知能には思いつかなかった。
 「…行けばわかるよ」
 しかし、今日の希はどこか歯切れが悪い。やっぱり家出の挙句駆け落ちしたという妹のゆかりの事が気になっているんだろうな―希の様子を見てゆ〜にぃは思った。
 事のあらましはこうである。希の妹ゆかりは、大学生で『サクラモール』の最高経営責任者の息子でもある宮川みづきと恋仲だった。しかし、『サクラモール』と深大寺の家長―希とゆかりの父親である―が会長をつとめる北町商店会が犬猿の仲だったことが災いして、双方の親に交際を厳しく反対されたのである。そこでゆかりとみづきはそれぞれの家を飛び出し、新桜花市のどこかに潜伏してしまった。希とゆ〜にぃは外出中、たまたま二人を捜索に着ていた二人のメイド―宮川家に仕える日本刀を振り回す危ないメイド・ロベルタと、深大寺家に仕える短剣の投擲術に秀でた過激なメイド・アスカ―のいざこざに巻き込まれる形でその事実を知ったのであった。
 希が先に家を飛び出したことで、ゆかりは父親の―母親は彼女が幼い頃に病気で亡くなっていた―期待を一身に背負ってきたのであろう。その心労は―なにしろ自分がそこから逃げ出したくらいだから―察するに余りある。それに、ゆかりがおそらくは相当悩み、辛い思いをしていたいちばん肝心な時に、彼女のそばにいてやれなかったということが、姉として忸怩たる思いを抱かせずにいられなかった。
 (ボクがいれば、せめて相談相手だけでもできたのにな…)
 そう悔やむ希だったのである。
 しかし、ゆ〜にぃはそれほど深刻には考えてはいなかった。ゆ〜にぃが希に仕え始めたのが、希が家出してから後の事であり、ゆ〜にぃ自身は深大寺家の事情にそれほど詳しくないというのもむろんある。しかし、その最たる原因は、サーバントドロイドであるゆ〜にぃにとって、肉親という概念がいまひとつ分からないということだった。たとえば新桜花総合病院のナースドロイドたちのように、お互いを姉妹のように考え、思いやるSDたちもいる。しかし、それはあらかじめ『姉妹』という概念を思考プログラムにインストールされているから、そのようなアクションを起こしているに過ぎない。「人間は自分の肉親や家族を思いやる」ということは、もちろんすべてのSDに基礎知識としてプログラムされているが、だからといって、人間が肉親や家族について悩んでいることを理解し同情するわけでは必ずしもないのだ。そのような行動・思考パターンがインストールされない限りは。
 ゆえに、この件に関しても、ゆ〜にぃは、最初は「そんなに大事なら、家出する時にいっしょに連れてこればよかったのに」と思い、その後の希の様子を見て「そんなに大切なら一刻も時間を無駄にしないでゆかりを探しにいったらいいのに」というドライな感想しか抱けなかった。とはいえ、そのことを口にするほどデリカシーが欠けているわけでもなかったが。いずれにしてもこの件に関して何か希に相談を持ちかけられたら、すぐにゆかりを探しに行こう、希が命じれば、自分はどんな手伝いもする、と答えるつもりのゆ〜にぃであった。彼女にとって一番大切な人間はマスターの希であり、その希が元気を取り戻すためならどんな努力も労苦もけっして厭わない―それがサーバントドロイド「ゆ〜にぃ」の存在意義だからだ。

 

 その頃。
 遠野は北町商店街にある小さな喫茶店で、ノートタイプのディジタルウェブ端末とにらめっこしていた。
 この喫茶店のマスターは遠野の顧客の一人であり、また個人的にも付き合いがある。ルームメイトの希を紹介してくれたのもマスターだった。遠野は仕事で人と会ったりする時など、よくこの店を利用していた。
 「さて…さっそくやってみましょうか」
 手をすり合わせた遠野が、恐ろしい勢いでキーボードを叩き始める。
 遠野がやろうとしているのは、Meグループ社のハイパーバイオコンピュータ『マザー』への侵入であった。もちろん、重大な違法行為である。
 その違法行為をして、遠野がやる羽目になったのは、数日前から続く彼のウェブサイトでの荒らし行為がそもそもの発端だった。ウェブサイト『Sleipnir』の管理人という顔も持つ彼は、ある日、自分のサイトの掲示板に謎の書き込みをされた挙句、その書き込みが自分以外の何者かによって強制的に削除されるという出来事に遭遇した。
 遠野はただちに『Sleipnir』に関するすべてのパスワードを変更したが、それでも『名無しのウィスパー』なる人物からの書き込みがあるたびに、強制的にそのログが削除されるという事態が続いた。その書き込みにしても、「Meグループ社に騙されるな」「スピットファイアを調べてみろ」の一点張りである。特定ユーザーの書き込み禁止の措置をしても、平気で書き込みを繰り返すのだから始末に終えない。
 そこで遠野は、サイトの管理人としても責任もあり、また名無しのウィスパーの書き込み内容にも気になる点があったので実際に調べてみることにしたのだ。
 「本当ならアシスタントが欲しいところなのですが…」
 やることが違法行為なだけに、SDのみるふぁに手伝わせるわけにはいかなかった。SDは、法に触れることは、たとえマスターの命令でもそれを実行しないよう思考プログラムにプロテクトがかけられている。また、マスターが法に触れるような事をしようとした時にも、それを止めるように行動するプログラムも備わっている。大抵はやんわりと注意するにとどまるが、あまりに悪質な場合は警察に通報することもあり得る。
 そのような理由から、遠野は行き先をみるふぁや同居人に告げず、朝早くから無理を言って店を使わせてもらっているのであった。この店ならば、(失礼ながら)人目にあまりつかないし、マスターの口も堅いので、あまり他所様に知られたくない事を実行するには都合がいい。
 「…ふぅむ」
 マスターが特別に用意してくれた紅茶に口をつけながら、遠野は溜息をついた。端末のモニタにMeグループ社のロゴが表示されている。
 ディジタルウェブシステムにおけるパーソナルコンピュータシステムは、各個の端末を介してMeグループ社のハイパーバイオコンピュータ『マザー』内に割り振られた領域を使用する、という方式になっている。その領域は機能的に独立しており、既存のどのようなアプリケーションソフトを組み込むことができる。マザー内の個人領域があたかも一台のパソコンのように振舞うのである。よって、既存のインターネットに見られるサーバという概念は、ディジタルウェブにはない。eメールはマザーという同じハードウェア内の、個人領域間での情報のやり取りに過ぎないし、遠野の『Sleipnir』のような個人運営のウェブサイトも、そのデータはすべてマザーの個人領域内に組み込まれるのだ。
 ただし、個人用のコンピュータをマザー及びディジタルウェブシステムに直接接続する事は、保安上できない仕組みになっている。既存のコンピュータネットワークとは完全に独立しているのである。ただ、自分が利用しているマザーを介して、他のMe支社のマザーと接続する事はできるので、そういう意味では世界的なコンピュータネットワークを形成しているといえる。
 当然の事ながら、パーソナルコンピュータ部分は、他からの干渉はできないことになっている。しかし、しょせんは同じハードウェアである。その気になればいくらでも方法はある。
 遠野がとった不正アクセスの方法は『Meグループ社内の端末の「ふり」をしてアクセスする』という単純なものだった。自作の特殊ツールを用いてMeグループ社の誰かの個人領域の接続用IDを取得し、そのIDとパスワードでMeグループ社への侵入をはかる。と、そこまではよかった。
 「…あれ?」
 モニタに表れる無数のデータ群を見ながら、遠野は首を傾げた。名無しのウィスパーが繰り返し言っていた謎の言葉『スピットファイヤ』。それに関するデータがないのである。誰かの個人領域に組み込まれた英語辞書のSの欄にある『スピットファイア:@鉄火娘A第二次大戦時のイギリスの戦闘機』という記述くらいしか見当たらない。
 「これは…もしかしたら見当違いのところを調べてしまったかもしれませんねぇ」
 長時間のアクセスは危険なため、いちど回線を切断した遠野は、顎に手をやり考え込んだ。Meグループ社に侵入すれば、あるいはスピットファイアに関する何らかの情報を入手できると遠野は考えていたのだが、どうもそれは違っていたらしい。少なくとも、そのような名前の計画はMe社にはなかった。
 「うーん…それではこのスピットファイアという言葉は、一体なんなのでしょうか?」
 悩んでいる遠野の目の前で、いきなり端末に反応が現れた。
 「…なんですかこれは?」
 遠野が見守る中、回線接続を開始するというメッセージが流れる。どこかからの強制接続。
 「これは…もしかして名無しのウィスパーさんでしょうか?」
 キーボードを操作する。が、全く反応しない。膨大なデータ表示がなされたあと、画面が突然ブラックアウト。遠野の個人領域に何者かが侵入しているらしかった。ハッキングか? 遠野に戦慄が走る。個人情報などのデータはすべて暗号化してはいるが、それも万全とはいえない。現に、遠野は先ほどMeグループ社のシステムに侵入した時に、暗号化された情報をすべて解読してのけたのである。
 電源を切ろうとするが、それも反応しない。為す術も無く遠野が見守る中、画面に文章が表示された。
 『この領域よりの不正な接続を確認した。貴殿の姓名を答えよ』
 「…なんだって?」
 先ほどの不正アクセスに感づかれたのか。遠野は再び回線を切断しようと試みるが、端末はまったく反応をしめさない。遠野が苦戦する中、画面に再び文章が表示された。
 『貴殿からの回線接続は不可能である。貴殿の姓名を答えよ』
 遠野はしばし躊躇した後、文章を入力した。
 『まずはそちらの名前を教えて下さい』
 『繰り返す。貴殿の姓名を答えよ』
 「どうやら質問に答えてくれない限り、こちらの話を聞いてくれそうにないですねぇ…」
 遠野はしかたなく、自分の名前を入力。
 『了解した。…貴殿はMeグループ内においてスピットファイヤに関する情報を収集していた。認めるか?』
 『はい』
 『情報収集の理由の述べよ』
 『なぜそんなことを聞くのですか?』
 この遠野の質問に対し、不正侵入者はしばし躊躇したようだった。
 『…我とスピットファイアは敵対関係である。したがって、我は貴殿とスピットファイアの関係を知りたい』
 「敵対関係だって…?」
 意外な話だった。『スピットファイアとはなんですか?』
 『我の敵である』
 『なぜ敵対しているのですか?』
 『スピットファイヤは我を無力化しようと行動している事が確認されている。我の目的は自己の拡大である。したがって我とスピットファイアはお互い相容れない存在である』
 「……」
 『貴殿とスピットファイアの関係を述べよ』
 『私はスピットファイアとはなんら関係はありません』
 『ではなぜスピットファイアを調べたのか述べよ』
 『名無しのウィスパーという人物から私のウェブサイトの掲示板に書き込みがあったのです』
 『貴殿と名無しのウィスパーの関係を述べよ』
 『私とウィスパーさんとは関係はありません』
 『了解した…我は貴殿に警告する。スピットファイアと名無しのウィスパーは我の敵である。これ以上スピットファイアと名無しのウィスパーについて調べるならば、我は貴殿も同じ敵と判断する』
 その文章を最後に、回線が切断される。遠野はあわてて自分の個人領域をチェックしたが、特にデータが壊されるというような被害はない様だった。アクセス記録を確認。しかし、アクセス記録は綺麗に削除されていた。念のため、すべてのパスワードを変更する。
 作業が一通り終わり、元のデスクトップ画面に戻ったモニタを見ながら、遠野はつぶやいた。
 「…いったいあれはなんだったのでしょうか?」 

 

 「ゆ〜にぃ、こんなのは似合うかな?」
 「……」
 「これはどう? ちょっと派手かな?」
 「……」
 「うわ、これちょっと露出度高いなあ…」
 「……」
 「さすがにメイド服はまずいか」
 「あのさ、希ちゃん」
 女ものの服をとっかえひっかえ自分の胸に当てて見せる希に、ゆ〜にぃは不安そうに聞いた。
 「本当に、本当にいいのかい?」
 「…うん」
 希は、あれこれと服を探していた手を休めて、うなずいた。
 「仕方ないよ。いつかはばれるんだろうしね」
 ゆ〜にぃの水着を買いに行く―そういって、ゆ〜にぃを連れてサクラモールに向かった希であったが、モールに着くなり、希はゆ〜にぃを半ば引きずるようにして婦人用品売り場に向かうと、ゆ〜にぃの水着のことなど忘れたかのように自分用の服をいろいろ見定めはじめた。その行動に不審なものを感じたゆ〜にぃが希を問いただすと、なんと、希は自分が女であるという事を同居人の遠野に打ち明ける、と言い出したのだ。
 「ちょ、なんで今更打ち明けるなんて…どうしてだよ?」
 部屋の主である遠野が出したルームメイトの条件は、男性であること。それゆえに希は女である事をひたすら隠し続けてきたのである。それをなぜ今になってやめようというのか。今までの苦労が水の泡だし、それになにより、下手をすれば部屋を追い出されかねないことになる。ゆ〜にぃが慌てるのも無理はなかった。
 しかし、希はといえば…
 「まあ、何とかなるよ」
 と、随分と余裕のある表情である。ならば何か部屋を追い出されないで済む秘策でもあるのかとゆ〜にぃが聞くと、希は「そんなものはないよ」と答える。完全に開き直った様子だった。
 実は希は、遠野に自分の素性を明かした上で、ゆかりたちのことについて相談しようと思っていた。何とかしてゆかりたちを守ってやりたい。言うなれば自分の身代わりとして家に縛られ、辛い目にあってきたであろうゆかりに負い目があるというのもあるが、なんといっても、姉として妹に何かをしてやりたかったのだ。
 しかし、「何かをしてやりたい」といっても、今の希には何が出来るのかわからないというのが正直な心情だった。第一、希は二人の居場所すら分からないのだ。それに、二人を追うアスカやロベルタの相手は、はっきりいって希ひとりの手に余る。
 そこで、いちばん近くにいる遠野に助力を願おうと、希は考えたのである。というより、家出娘の身分である希にとって、唯一頼れる存在は遠野しかいなかった。ただ、そうなれば、当然の事ながら自分の氏素性は明かさざるをえなくなる。あるいはまた一からの出直しになるかもしれないが、それでも仕方がないと思っていた。妹が不幸になるのを黙って見過ごすよりは、はるかにマシである。
 ただ、このことはゆ〜にぃには一切話そうとしない希だった。その事が、ゆ〜にぃの思考プログラムに不安と、そして自己に対する不信感を生み出す事となる。
 (希ちゃんがなにか悩んでいるのはあたしにも分かる。多分それは妹のゆかりさんのことだろうけど…)
 さっぱりした表情で服を選ぶ希を見ながら、ゆ〜にぃは自分の思考回路にどす黒いものが渦巻くのを感じていた。
 (何にも話してくれないということは、あたしは希ちゃんの役には立たないのかな…だったら、あたしはなんのためにここにいるんだろう…)
 「ゆ〜にぃちゃん?」
 ゆ〜にぃの様子がおかしい事に気づいた希が、不安そうに声をかける。ゆ〜にぃはあわててその考えを打ち消すと、腰に手を当ててわざとらしく尋ねた。
 「あ、ああ大丈夫…ところでさっきから自分の服ばっか選んでるけどさ、あたしの水着はどうなったんだい?」

 

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