ACT.3  錯綜


 「行方不明の技術者の捜索、ですか?」
 倉瀬は、依頼人の顔を見て言った。Meグループ社の制服を着たその依頼人は、明らかな営業用スマイルを浮かべて頷く。
 深大寺氏の依頼に関しては、途中で肝心の深大寺氏がまともに話せるような状態ではなくなったので、依頼を受けるかどうかも含めて、後ほどこちらから連絡するということでご退散願った。しかし、その後すぐに人探しの依頼をしたいという依頼人がアポイントを求めてきたのだった。
 依頼人の名前は渡邊克樹(わたなべ・かつき)。Meグループ日本支社の営業担当と名乗った。
 「実は、わが社の技術部に所属していた村上竜三(むらかみ・りゅうぞう)という技術者が、三ヶ月ほど前から会社に出てこなくなりましてね」
 渡邊が説明する。
 「彼はひとり暮らしでしたから、もしかしたら病気か何かで倒れたのではないかと心配した上司が、自宅を訪ねたのですが、そちらももぬけの殻だったのです。近所の方も最近姿を見ていなかったそうですから」
 「警察には?」
 「いえまだ」
 渡邊は首を横に振る。「正直、あまり警察沙汰にはしたくないのです。実を申しますと、渡邊はわが社のサーバントドロイド開発で中心的な役割を占めていた人物でありまして、それで…」
 「できることなら内密に事を進めたい、か?」
 倉瀬が渡邊の言葉を継ぐ。サーバントドロイドにはMeグループ社が持てる最高最新の技術が投入されている。当然それらの技術の多くは企業秘密であり、できることならば余計な探りを入れられたくない、というのが本音なのだろう。
 「もちろん、報酬はこちらが用意できる限り、あなたのご要望に添えるだけの額をお支払いいたしますが…」
 「ふぅむ」
 倉瀬は天井を見上げた。どうも嫌な感じがする。
 「私はこう見えても色々と仕事を抱えている身でね。少々お時間をいただくことになるかもしれないけど」
 「それなのですが」
 渡邊の目が、奇妙な光をはなつ。「倉瀬さんには、私どもの依頼だけを優先していただき、他の仕事はすべてキャンセルしていただきたいのです。むろん、それによって生じる損失は、報酬とは別にすべてこちらで保障させていただきます」
 ますます嫌な感じが強まる。「なぜ私のところに依頼を持ってきたのだ?」
 「倉瀬さんは大変優秀な探偵と聞き及んでおります。実は、この依頼は葛原支社長の指示なんですよ」
 Meグループ日本支社の支社長であり、新桜花市建設プロジェクトの総責任者でもあるミーシャ・葛原。新桜花市の事実上の支配者と目される人物からのじきじきの依頼だというのだ。さすがに倉瀬も驚きを禁じえない。
 (さて、どうするか…?)
 倉瀬は考え込む。
 「少し…考えさせてくれないか?」
 「構いません。もしお心が決まりましたら、名刺に書かれてある番号までご連絡ください」
 そういうと、渡邊は立ち上がった。「それでは、よい返事をお待ちしておりますよ」
 「ああ…」
 倉瀬はうなずく。渡邊は一礼すると、ノーススター探偵事務所の事務室を立ち去っていった。
 「変な感じだな、所長」
 渡邊を見送りにいったなしのが、戻ってきてそう言う。倉瀬はそれに頷きながら、渡邊が、事務所を立ち去る間際に倉瀬に見せた表情を思い出していた。
 (あの表情は、明らかに私を恫喝していたものだった…)
 (もし従わないのであれば、こちらにも考えがあるぞということか。この依頼は、かなり危険な感じがするな)

 

 一方、下田も、上司である署長から奇妙な指示を受けていた。
 「は、前園さんとそのSDの周辺を注意しろですか?」
 「そうだ」署長はうなずく。「取り立てて最優先にしろというわけではないが、何か特別なことが起きないか普段から注意しておいてほしい」
 「特別って…?」
 「お前に頼むのだ。分かるだろう?」
 「はあ…」
 貧相な体格に見えるが、実は下田は、野門流古流柔術の使い手であった。その技術をかわれて、時折VIPの護衛など秘密裏に特殊な任務に駆り出される事もある。なにしろ、前の任地では、同僚刑事の中でも検挙率はナンバーワンだったが、検挙した犯人の負傷率もナンバーワンという逸話が残っているのだ。それが問題になり、今は昼行灯という生活を強いられているわけではあるが。
 「つまり、何者かに襲撃される危険があると」
 「そうだ」
 「ひき逃げ犯にですかね。それにしたって、目撃者のまつさんは、被害者を轢いた車のことなどほとんど覚えていないというんですからねぇ…」
 「だからなんだ」
 署長はあたりを窺うように視線を走らせたあと、小声で呟いた。「だから、君に護衛してもらいたいというんだ!!」
 「…意味がよくわかりませんが」
 「とにかく」署長は咳払いをする。「この件は君に任せる。なにかあったら私に報告してほしい」
 「は、了解しました」
 下田は敬礼する。 

 

 まつは悩んでいた。
 あの夜、コーヒー豆を買ってコンビニエンスストアを出たまつは、確かにひき逃げの現場を見ていたはずだった。しかし…
 「なぜ、その事が思い出せないのでしょうか…?」
 事件後のことなら、周囲の店の看板のことまで正確に思い出せたまつだったが、澤井が轢かれた瞬間から、轢いた車がその場を立ち去るまでの数分間に関する記憶だけが、どうしても思い出せなかったのだ。
 「記憶プログラムのエラーでしょうか…」
 「気にするなよ」
 思い悩むまつの肩を、前園がぽんと叩く。「さっき調べたんだけど、SDにはより行動を人間らしくするために、わざと記憶を忘れさせるというプログラムがされているんだろう」
 「はい、それはそうですが…」
 「ならば、たまたまそのプログラムが作動しただけじゃないか? いずれにしたって、後は警察の仕事だ。まつが思い悩む必要はないよ」
 「はい…」
 肩に乗せられた前園の手に、そっと自分の手のひらを重ねながらまつはうなずく。
 「そう、そうでございますよね」
 しかし、まつは前園には言っていないことがあった。確かに「忘れる」という行為は思考プログラムの中に存在しているが、それはマザーにある記憶データを消去するのではなく、一時的にアクセスできなくさせるものなのだ。そして今回のような緊急時にはそのプログラムを一時解除し、今まで体験し、吸収してきたすべての記憶にアクセスすることも可能な仕様になっている。
 しかし―。
 「忘却プログラムを一時解除しても、あの時間帯へのアクセスができない…」
 つまり、ひき逃げ事件の事が、何者かの手によって意図的に隠されているようなのだ。
 「もしかして、私は、見てはいけないものを見てしまったのでございましょうか…」
 そしてこの事が、あるいは大切な旦那様を危険な状況に陥れるかもしれない―まつは、ただそのことだけが心配でならなかった。 

 

 「なんじゃと、優香を回収?」
 新桜花総合病院では、万景寺が素っ頓狂な声をあげた。「ヌシは、ついさっき人工筋肉の交換と人工皮膚の張替えだけですむから、この場で修理すると言ったではないか!?」
 「はあ」
 万景寺からの連絡を受け、Meグループ社から派遣されてきた技術者は、額の汗を拭きながら答えた。
 「たしかにそうでしたが、実は先ほど社から連絡がありまして…その、破壊されたナースドロイドを即時回収せよと…」
 「なぜじゃ?」
 「わ、私にはわかりかねます」技術者は顔の前で両手をふった。「社のほうでも、理由は教えてくれませんでした」
 「それでは、いつになったら修理が終わって戻ってくるんだい?」
 今度は弓音が問い詰める。彼女の背後では、同僚のナースドロイドたちが心配そうな表情で成り行きを見守っている。
 「そ、それも私には…」
 「分からないじゃ困るんだよ!!」
 技術者の襟首を掴み上げ、揺さぶる弓音。「あんたにはただの機械かもしれないけどさ、こいつらナースドロイドにとっちゃ優香は大切な仲間なんだよ? わかるか? こいつらは心配してるんだよ!?」
 「ひ、ひいい…」
 「それくらいにしておけ、弓音」
 万景寺が弓音の手を押さえて制する。
 「でも…」
 「弓音!」
 万景寺の険しい眼差しに、弓音はしぶしぶと技術者の襟から手を離す。「わかったよ」
 「弓音が失礼なことをしてしまった。申し訳ない」
 万景寺は技術者に頭を下げる。「しかし、弓音のいう事ももっともなのじゃ。ナースドロイドたちの不安をなくすためにも、修理が完了したら直ちにワシらにおしえてくれんかね?」
 「はい…」
 締め付けられた首をさすりながら、技術者はうなずく。
 「それでは、優香のことを頼むぞ」
 「お願いします!」「優香のこと、ちゃんと直してあげてください!」
 頭をいっせいに下げるナースドロイド。
 「もし直せなかったら、あたしが許さないからね!」
 そして締めくくりに凄む弓音。技術者はひっと首をすくめると、そそくさと優香を回収して新桜花総合病院を後にした。

 

 「うーん…」
 みるふぁに渡された市営プールの割引券を眺めながら、希はうなっていた。
 はっきりいって、妹の事が気になってプールどころの話じゃないというのが、今の正直な心情である。かといって無下に返すのも遠野やみるふぁに悪いような気がする。
 「いいかげん悩むのはよしなって」
 その横でテレビのニュースを見ていたゆ〜にぃが笑う。
 「希ちゃんには『悩む』なんて行動、似合わないよ」
 「どういう意味だよ…」
 ゆ〜にぃを睨みつける希。
 「へえ、ヨーロッパのアグジェリアで内戦だって」
 とぼけるゆ〜にぃ。「希ちゃん、アグジェリアってどこにあるのかな?」
 「知らない!」
 希はぷいとそっぽを向く。

 

 同時刻、遠野は、自分が管理するウェブサイト『Sleipnir』の掲示板を眺めていた。
 「うーむ、SD自警団関連のログが増えてますね…」
 多発するSD破壊事件から自分たちのSDを守るために、ユーザーの有志が自警団を設立したというのは、遠野やみるふぁも知っていた。そのメンバー募集やそれに対する反応のスレッドも多数書き込みされている。
 「けっこうSDのモニタはいるんですねぇ」
 「そうですね」お茶を持ってきたみるふぁが答える。「しかも、みんな私たちSDを大切に思ってくれています」
 「ああ、ありがとう」
 お茶を受け取る遠野。みるふぁはそっと微笑んだ。
 「私も、マスターにお仕えできて嬉しく思ってますよ」
 「よしてください」
 気恥ずかしさから顔を背ける遠野。その時、不思議なログが書き込みされていることに気がついた。


発言者:名無しのウィスパーさん
発言:Meぐるープ社は何かを企んデいルぜ。
    みんな騙されチャ、ダメだゼ?
    SDなんカに浮かれテちゃ、いつかみんな、痛いメみるぜ?
    もし真実が知リたいナらば、スピットファイヤを調べてミな。
    なにカ、わかるかモよ?


 「なんでしょうか、これ…?」
 「荒らし、でしょうか?」
 ディスプレイを覗き込んだみるふぁも首をかしげる。
 「それに、イギリスの戦闘機を調べなさいって…まったく意味がわからないのですが…」
 「ふうむ…あれ?」
 首をかしげる二人がディスプレイを見守る中、いきなりその発言が削除された。この掲示板は、もともとサイトの管理者である遠野しか発言の削除はできないはずである。しかし、今、遠野自身は端末をまったく操作していなかった。それどころか、キーボードにもマウスにも触れていない。
 「外部からの違法アクセス? まさか…」
 遠野は忙しくキーボードを叩き始める。

 

 愛する人、大切なものと過ごす何気ない日常。
 そこに潜んでいた『何か』が、いまゆっくりと頭をもたげ始めている。
 それは、穏やかな生活を崩壊させる予兆なのか。
 それとも、さらなる幸福へと人々を導く福音の鐘の音なのか。
 それを知る人間は、彼らの中にはまだいない…

第2回に続く

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