ACT.2 新桜花版ロミオとジュリエット

 ひき逃げ事件のあった翌日。
 倉瀬クラウゼル(くらせ・くらうぜる)は、南町にある小さな雑居ビルの屋上で、仕事の合間のささやかな休憩を取っていた。お気に入りの椅子に座り、初夏のさわやかな日差しを浴びながら物思いにふけっている。
 「いい天気だ」
 「クラウゼル、珈琲が入ったぞ」
 と、一体の少女がティーセットとアップルパイを乗せた銀の盆を手に近づいてきた。紫がかった青い髪がそよ風になみうち、やや場違いなほど繊細な装飾が施された額飾りが陽光にきらめく。
 「今度のは自信作だ。食べてみるがよいぞ」
 やけに尊大な口調でそう宣言する少女。その髪の横から、普通の人間ではありえない、長く尖った耳が見え隠れしている―彼女はサーバントドロイドだ。
 「そうか…ならば早速いただこうか、なしの」
 しかし、倉瀬はSDの尊大な態度に気を止める様子もなく、ごく当たり前のように彼女に頷いてみせた。なしの、と呼ばれたSDは、倉瀬の前にあるテーブルにコーヒーカップや皿を並べ、どことなく危なっかしい手つきでポットからカップに香りよい黒色の液体を注ぐ。
 「あ」
 勢い余って珈琲をこぼすなしの。倉瀬の冷ややかな視線が突き刺さるが、なしのはそれをあえて無視し、何事も無かったかのように零れた珈琲を拭いて倉瀬の前に差し出す。
 「ふむ」
 倉瀬はまず珈琲をひとくち含む。ついで、アッブルパイを一切れ。
 「……」
 なしのが期待のこもった眼差しで見守る中、倉瀬はフォークを置いた。
 「珈琲は酸味と苦味が強すぎる。これでは舌が痺れてしまうではないか。それとこのアップルパイは塩辛い。私はしょっぱいアップルパイなど今まで聞いた事がないぞ」
 「そ…そうか…」辛辣な批評に、なしのはあからさまに落ち込む。「これもダメだったか…」
 「まあ、しかし」ハンカチで口元を拭きながら倉瀬は言う。「努力の跡は窺えるな。お前がここに来たばかりの時よりははるかに美味くはなっている」
 「…うん」
 うなずくなしの。しかしながらやはり落胆の色は隠せない。
 「ところで、私に何か用ではなかったのか?」
 「そうだった」
 倉瀬の問い掛けに、なしのは姿勢を改めた。
 「クラウゼル…いや所長、実はさっき依頼の電話があった。北町の商店会会長で深大寺(じんだいじ)という人だけど、所長はご存知か?」
 「ああ、知っているぞ」
 クラウゼルは答えた。「呉服屋『深大寺』の大旦那だ。地元の名士で人望も厚い。だが…」
 「だが?」
 首をちょこんとかしげるなしの。倉瀬は腕組みをして考え込んだ。
 「彼は南町とそこに住む人間をとことん嫌っていると公言している人間でもある…それがなぜ私のところに依頼にくるというのだ?…まったく妙な話だな」
 「とにかく緊急に依頼したいことがあると言っていたぞ」
 なしのはそう言うと、ほとんど手の付けられていないティーセットを片付け始めた。「もうすぐ来るらしいから、そろそろ事務所に下りたほうがいいんじゃないか?」
 「そうだな」
 倉瀬は地上を眺めながら気だるげに答えた。そこには、1台の高級そうなセダンが止まっているのが見える。
 「どうやら深大寺氏がお見えになられたようだからな…」
 
 「『ノーススター探偵事務所』へようこそ。私が所長の倉瀬です」
 完璧な業務用スマイルで出迎える倉瀬を見て、依頼人の深大寺は2つの点で面食らった。ひとつは、所長の倉瀬をはじめ、何人かいる職員が男女を問わず『猫耳』のカチューシャをつけているという事。そしてもうひとつが、その所長と名乗る倉瀬本人が、どうみても一〇代前半の少女にしか見えないということである。
 「ん、ああ、これか」倉瀬は自分の猫耳をひと撫ですると深大寺に説明した。「これは我が探偵事務所の制服です。無線機やカメラ、レコーダーなどの機能を備えているのです。何しろ私たちのような仕事の人間には必要なものですからね」
 でも、だからって猫耳にするのいかがなものか。それよりその格好じゃ目立って尾行や潜入調査はめちゃくちゃやりにくいんじゃないか?―倉瀬の説明を聞いてそう思った深大寺は、次の瞬間、もしかして自分はからかわれているのではないかと思い、怒りを覚える。
 「…しかし君…いくらなんでも…」
 しかし、深大寺はそこで倉瀬の表情が真剣そのものであることに気がつく。どうやら、彼女は深大寺をからかっているのではないらしい。
 「……」
 「で、緊急のご依頼らしいが、いったいどの様な内容なのか教えていただけませんか」
 「その前に」
 深大寺は倉瀬を遮って、「君もご存知とは思うが、わたしは南町に住む連中が大嫌いだ。小さいながらつつましくやっていたわたしたちの前にいきなりやってきたかと思うと、勝手に町を改造し、挙句の果てにまるで自分たちがこの町の支配者みたいな態度をとりおる」
 「はあ」
 「だが、どうしても南町にいる人間の手を借りなければならない重大な問題が起きているのだ。そこで、仕方なく君たちのところへ来たのだという事を理解して欲しい」
 「…それで、その問題とは?」
 しかし、倉瀬はあくまで冷静である。あるいはそう装っているだけかもしれないが。
 「これだ」
 一枚のスナップ写真を見せる。映っているのは、十代後半の少女。愛嬌があってなかなか可愛い。制服姿をしているところから、おそらくは高校生だと見て取れる。
 「誰です?」
 「わたしの娘だ。名前は『ゆかり』」
 そこまで言って、深大寺は急にしょぼくれる。「実は、先月いきなり家を出ていってしまったのだ…」
 「家出ですか」
 「そうだ。あれは姉と違って素直でいい子だったんだが…」
 おいおいと泣き出す深大寺。なんとなくこの親なら娘の家出もさもありなん、という気もした倉瀬であったが、彼女の口をついたのは、それとは別の事柄だった。
 「それは分かりましたが…娘さんの家出と南町とどのような関係があるのです?」
 北町にも興信所はあるだろうに、わざわざ嫌いな南町の探偵に依頼するその理由が、倉瀬にはいまひとつ判らない。
 「それは簡単なことだ」
 深大寺の様子がまたも急変する。今度は憎悪に満ちた顔。
 「『サクラモール』の…宮川の野郎の息子が、うちのゆかりに手を出していたのだ」
 『サクラモール』。新桜花市建設とほぼ同時期に、南町の郊外に開店した、Meグループ社傘下の巨大ショッピングモールである。品揃えは非常に豊富で、新桜花で生活するために必要なものは、たいがいサクラモールで揃える事が出来ると言われている。
 しかし、『サクラモール』の開店は、新桜花市に古くからある商店、とりわけ北町の駅前通り商店街に深刻な売上の減少をもたらした。あまりの売上減に経営が立ち行かず、廃業してしまった店もひとつやふたつではない。商店会の会長で自らも北町で店を営む深大寺にとっては、サクラモールは目の上のたんこぶもいい所だろう。
 そのサクラモールの最高経営責任者である宮川氏の一人息子が、ゆかりと恋仲におちたというのが、どうやらゆかり嬢の家出の原因らしい…倉瀬はそう推察した。なるほど、彼が憎悪に満ちた顔になるのも分からないでもない。
 「ゆかりはとても素直ないい子だが、世間知らずでのう。ヤツはきっとゆかりを騙して家出させたに違いないのだ。今頃ゆかりはどんな思いで過ごしているのやら…」
 またまたおいおいと泣き出す深大寺氏。そしてやおら倉瀬の手を掴み、涙目で懇願する。
 「お願いだ、娘を、ゆかりを助け出してやってくれ!! 金はいくらでも出すから!!」
 「…とりあえず落ち着いて」
 そういって倉瀬はなしのに目配せをする。なしのは頷くと、泣きじゃくる深大寺の肩を抱きかかえ、奥の仮眠室まで連れて行った。
 「さて、どうしたものやら…」
 その後ろ姿を見送った倉瀬は、頭の後で両腕を組み、ソファに深く背もたれた。
 「まあ、難しい仕事ではなさそうだが…」
 やがて、なしのが戻ってきて報告する。
 「所長、彼は奥で休ませておいた。しばらくすれば落ち着くであろ」
 「ああ、ありがとう」
 そう言って倉瀬はしばし黙考し、再び口を開いた。「なしの、今回の件をお前はどう思う?」
 「わたしが、か?」
 意表をつかれたような表情で、なしのが聞き返す。
 「そうだ、お前の意見を聞きたい」
 「そうだな」腕を組み、顎に手をやるなしの。「クラウゼルとあの者の話はわたしも聞いていたが、どうもそのゆかりという人物が男に騙されているとは思えない」
 「…根拠は?」
 「騙されているなら、それと分かった時点で逃げ出すなり、助けを求めたりするのではないか。遠い外国にいるのならともかく、川ひとつはさんだ向こうが自分の家なのであろ。脱出はそれほど難しいことではないと思うけど…それに」
 「それに?」
 倉瀬はなしのに続きを促す。
 「それに、機械のわたしがこんなこと言うのも変な話だけど、もしゆかりと宮川って男が本当に好き合っているのであれば、正直な話、あまり二人の仲を裂くような真似はしたくない」
 「そうか…」
 倉瀬はそう答えて目を伏せた。「分かった。ありがとう」
 「クラウゼルは、この依頼を受けるつもりなのか?」
 今度は逆になしのの方から尋ねてくる。倉瀬は、その問いに冷徹な瞳でなしのを見返した。
 「だとしたら、どうだというのだ?」
 「―…別に。ただ何となく聞いただけだ」
 ついと目を背けるなしの。しかし、その態度には明らかに非難のニュアンスが含まれていた。
 倉瀬は仕事に私情を挟まない主義だ。今回の件を受けるかどうかはまだ決めていないが、もし受けるならば確実に頼まれた事を遂行するだろう。依頼人が二人の仲を切り裂けというのならば迷わずそうする。ゆかりと相手の男性の心情など一切関係ない。仕事とはそういうものだ。
 しかし、と倉瀬は思う。なしのはきっとそうは考えないだろう。クライアントの考えが間違っていると確信したら、二人をどうにかして守ろうとするに違いない。
 私情を挟まず、依頼の完遂のみを考える機械のような人間である倉瀬。
 そして機械であるにもかかわらず、まるで人間のように情にあつい機械のなしの。
 「まったく、皮肉な組み合わせだ」
 「何かいったか?」
 苦笑する倉瀬になしのが冷ややかな視線を送る。倉瀬は軽く首をふって答えた。
 「いや、お前の淹れた珈琲がまた飲みたくなってな―淹れてくれるか?」
 「…わかった。待つがよい」
 修好を求めるサインと受け取ったのだろう。なしのはそれだけ言うと給湯室に消えていった。しばらくして、珈琲の香りが給湯室から漂ってくる。
 「所長、お電話です」
 目を閉じて思索にふける倉瀬に、事務員が声をかけた。倉瀬は「分かった」と返事をすると、頭の猫耳からマイクを伸ばし、内線通話のボタンを押す。
 「もしもし、所長の倉瀬ですが…え、Meグループ社だって?」
 
 その頃。
 「あのさあ、希ちゃん」
 「なんだよ?」
 ゆ〜にぃは自分の主人である深大寺希(じんだいじ・のぞみ)に声をかけた。
 「希ちゃんが男のコの振りをしなきゃならないってのはわかるんだけどさ」
 「しかたないだろ、ルームメイトの条件が『男性のみ』だったんだから」
 「うん、でもさ…」
 「だから、なんだよ?」
 「下着まで男物にする必要は、ないんじゃない?」
 南町の繁華街。希とゆ〜にぃは、生活に必要なものを『サクラモール』へ買出しにいっていた。その帰り道での二人の会話である。
 特に希が買わなければならなかったのは、男物の服だった。厳格な父に反発して家出したものの、たちまちお金を使い果たしてしまった希は、節約も兼ねてある男性と家賃を分け合って同じ部屋に住む―いわゆるルームメイト―ことになった。
 しかし、その男性が提示したルームメイトの条件は「男性であること」。背に腹は代えられなかった希は、やむなく男装してルームメイトになることになったのだ。幸いというか、女性であることはばれずに済んだのだが、今度は別の問題が発生した。衣服である。
 希は女性なので、家出の際に持ち出した服も当然ながら女物の服ばかりだった。パンツ系の服もあるにはあったが、さすがに数が足りない。これではまずいだろうという事で、仕事が休みの今日、男物の衣服を調達のためにSDのゆ〜にぃとサクラモールに出かけたのである。
 「う…」
 さすがに声がつまる希。「それは、やはり男のコになり切るんなら、完璧を期さなきゃとボクは思うし…」
 「そうかな?…いくら賢治ちゃんでも、希ちゃんの下着まで気にすることはないと思うけどねぇ」
 賢治ちゃん、とはルームメイトの名前である。
 「い、いいじゃないか別に!」
 ムキになる希。「ボクだって買いたくて買ったわけじゃ…」
 「ちょっと待った!」
 ゆ〜にぃが希を遮る。「なんだよう」と言いかけた希も、ゆ〜にぃが指差した方向を見て息を呑む。
 「あれは…お父さんの車!?」
 『ノーススター探偵事務所』という看板が掲げられた小さなビルの前に、見覚えのあるセダンが止まっていたのだ。それは、希が家出する原因となった父親が、仕事で使っている車だった。
 「や、やば!」
 希はあわててゆ〜にぃを引っ張り込んで物陰に隠れる。
 「ちょっと、なんでお父さんがこんなところにいるんだよ!?」
 「あたしに聞かないで!」
 そっと顔だけ出して様子を窺う希。南町に足を踏み入れるのを嫌がるほど南町が嫌いな父が、なぜ?…と思っていると、やがてビルから青髪のメイド少女に抱えられるようにして父親が出てくるのが見えた。
 「お父さん…」
 がっくりと肩を落とした様子の父親は、かつて希のことを叱ってばかりいたころのものとは随分違って見えた。希の記憶の中にある父親は、自分の前に立ちはだかる壁の様な存在だった。やれ世間体だのおまえの将来ためだのなんだのと言っては、彼女のやることなすことすべてにいちいち反対していたのだ。しかし、今の父親にはそんな威厳は微塵も感じられない。
 父親はおぼつかない足取りでようやく車に乗り込むと、静かに北町へ走り去った。
 「しっかし、探偵事務所なんかになんの用だったのかねぇ?」
 身を隠していた物陰から出てきたゆ〜にぃが、ビルの看板を見上げて呟いた。
 「もしかして、希ちゃんを探しにきたのかもね?」
 「お父さんが? そんなことないよォ」
 しかし、そう返す希の口調は、言葉ほど明るいものではなかった。「お父さんにはゆかりがいるんだもん…」
 希の妹のゆかりは、姉と違って優秀で素直だった。父親も、妹の方を可愛がっていたふしがある。それも、家を飛び出した理由のひとつであった。
 「…そうか」
 ちょっと気まずい雰囲気に、ゆ〜にぃも沈黙する。
 「おまえたち、深大寺ゆかりを知っているのか?」
 いきなり背後から声をかけられる。
 「んー…あんた誰よ?」
 二人が振り向くと、そこにはメイド服を着てメガネをかけた妙齢の女性が、腕組みをして立っていた。希の知らない人物だ。
 「ゆ〜にぃちゃんの友達?」「いや、あたしは知らないけど」「でもメイド服だし、そっち系の人かな?」「…イベント帰り? 今日どこかで同人誌即売会とかやってたかなぁ?」
 「なにをごちゃごちゃ言っている!」
 メイド服の女性はしびれを切らしたように怒鳴った。「おまえたちは深大寺ゆかりを知っているかと聞いているのだ! 答えろ!!」
 「ゆかりはボクの妹だけど…」
 「ならば聞く!」メイド女性はぎろりと希を睨みつける。「ゆかりは今どこにいる?」
 「北町の実家じゃないかな…?」
 「貴様もとぼけるかぁ!!」
 とうとう怒り出すメイド女性。しかしながら、希も厳格な父親に反発して家出するだけの気概と反骨心の持ち主である。さすがにここまで頭ごなしにどなられると、頭に来る。
 「…人に物を尋ねるなら、それなりの聞き方があるってもんじゃないの!?」
 「なに…!」
 「大体、キミは誰よ! なんで名前もしらないヤツに妹の居場所を教えてやらなきゃなんならないんだよ!!」
 「くっ…」思わぬ反撃を受け、怒りで顔面蒼白になるメイド女性。「泥棒猫の一族がなにを小生意気な…」
 「泥棒猫とはどーゆー意味よ!」
 「あんた失礼だよ!」
 希の後を継いでゆ〜にぃも叫ぶ。「それに、だいいちあたしも希ちゃんも猫じゃなくて人間だ!」
 「いや、そうじゃなくて…」
 多分に論点のずれたゆ〜にぃの発言にくじけそうになりつつも、希はメイド女性に指を突きつける。
 「と、とにかく、キミにゆかりのことを教えるつもりはないよ!」
 「そうか…」
 メイド女性は、不気味な笑みを浮かべた。「我が主君宮川みづきを淫乱な泥棒猫から取り戻すためだ。いたしかたあるまい…」
 「だから猫じゃないってば…」
 「うるさい! どうしてもゆかりの居場所を喋らぬというのなら…」スカートの中にに隠し持っていた日本刀を抜くメイド女性。「おまえたちを、斬る!」
 「ちょっ…」
 さすがに後ずさる二人。
 「キミ正気!?」
 「死にたくなかったら、ゆかりの居場所を白状することだ…」
 日本刀を正眼に構え、じりじりと迫るメイド女性。「さあ、話せ!」
 「希ちゃん、ここはあたしが引き受ける」
 ゆ〜にぃが希の耳に囁く。「合図したら全力で逃げて」
 「でも…!?」
 「あたしはSDだ。人間ごときに壊されるほどヤワな身体じゃないよ」
 心配そうな表情の希に、にやりと笑うゆ〜にぃ。そのまま、希の身体を力いっぱい突き飛ばす。「今だ!」
 「逃すかぁ!」
 刀を振り上げ、突進するメイド女性。その前にゆ〜にぃが立ちはだかる。「あんたの相手はあたしだよ!」
 「邪魔をするな!」
 メイド女性がゆ〜にぃの頭に日本刀を振り下ろす。ゆ〜にぃはそれを避けようとせず、両腕をクロスして受け止めた。予想以上の衝撃が、ゆ〜にぃのセラミックス骨格を軋ませる。
 「ちっ…左腕がいかれたか?」
 舌打ちするゆ〜にぃ。腕部を稼動させる人工筋肉が、負荷に耐え切れずに破損らしい。左腕がだらりと垂れ下がったまま動かない。
 それを見抜いたメイド女性が、今度は右からゆ〜にぃの首筋を狙って薙ぎ払う。
 「もらった!」
 「くっ…」
 避け切れない、そう悟ったゆ〜にぃは目を閉じた。おそらくこの一撃で、ゆ〜にぃの頸部セラミックス骨格に重大な破損が生じるだろう。そうなればもはや修理は不可能で、機体は廃棄するしかない。
 (希ちゃんともお別れか…)
 そして、ゆ〜にぃが全損したとなれば、たぶんモニタも中止となり、二度と希に会えなくなる。身体が破壊されることにはいささかの恐怖も感じないゆ〜にぃであったが、希と別れるのは、機械といえどやはり残念でならなかった、
 「……」
 しかし、致命的なダメージを与えるはずの衝撃は、いつまでたってもこなかった。おそるおそる目をあけたゆ〜にぃが見たものは、刀を取り落とし、片膝をついて苦痛に顔をゆがめているメイド女性の姿だった。その右手には、見覚えのある投擲用の短剣が突き刺さっている。
 「くっ…貴様は…」
 メイド女性が、車道を挟んで道路の反対側を睨みつける。そこに立っていたのは、やはりメイド服を身にまとい、長い黒髪を後に束ねたりりしい感じの女性。そして、ゆ〜にぃと希がよく知る人物であった。
 「アスカさん!」
 アスカと呼ばれたその女性は、ゆ〜にぃににっこりと笑いかけた。
 
 「お久しぶりです、お嬢様」
 アスカはそう言うと希に深々と頭を下げた。
 彼女は、深大寺家に仕える使用人であり、ゆ〜にぃを除けば希の唯一の理解者であった。その彼女との突然の、そして劇的な再開に、二人は喜びと驚きを隠しきれなかった。
 「アスカさんこそ…元気そうでなによりだよ」
 嬉しそうにアスカに抱きつく希。
 「でも、何でこんな所に?」
 「それは…」希にそう問い掛けられると、途端にアスカの顔が曇った。「実は私が南町に足を運んだのは、先月家を飛び出されたゆかりお嬢様を探すためなのです」
 「ゆかりが家を…?」
 「はい…」
 アスカはうなずくと、事の次第を話し始めた。
 「ゆかりお嬢様は、半年ほど前からある男性と交際されていたのです」
 彼氏の名前は宮川みづき。新桜花大学の2回生である。実の姉にも彼氏のことは話さなかったゆかりであるが、アスカにだけはこのことを話していたらしく、アスカも、何かと相談にのっていたのだという。
 「宮川さんは多少感情的なところもありますが、けっして悪い人ではありません。ただ…」
 「ただ?」
 「宮川さんは、あの、サクラモールの最高経営責任者宮川氏の一人息子なのです」
 「あれま…」
 当然ながら、ゆかりとみづきの仲は双方の親には秘密であった。しかし、一ヶ月ほど前、ついに二人の交際が互いの父親に知られてしまったのである。
 「旦那様はそれはもう大変お怒りになって、すぐに交際を止めるようゆかりお嬢様に迫りました。でも、普段は素直なゆかりお嬢様も、ことみづき様の事に関しては断固として旦那様のいう事に従おうとはなさらなかったのです」
 「それで家を飛び出したって訳かい」ゆ〜にぃが感心したようにうなずく。「やるなあ」
 「ゆかりお嬢様は同じく家を飛び出した宮川さんと、南町のどこかに潜伏しているらしい、というのは分かりました。そこで、旦那様は探偵に娘の探索を依頼するために、わざわざ南町までおいでになったのです」
 「アスカさんは、探偵が見つけ出す前に二人を見つけようとしてるんだ?」
 「はい、それに、ロベルタのこともありますし…」
 ロベルタとは、最初に希たちを襲った日本刀メイドである。彼女もみづきを連れ戻すようにに命じられて南町を探索しているとのこと。目的のためには手段を選ばない危険な性格の持ち主で、むろんアスカとも何度か刃を交えている。
 「そうだったのか…」
 希は唸った。まさかあのゆかりが、家出して駆け落ちをするとは。しかもその二人を、街中で日本刀を振り回すアブないメイドが追っているという。
 「なんと言うか…大変だなあ」
 「でも、希ちゃんが家を飛び出したときは、特に誰も追ってこなかったよねぇ?」
 ゆ〜にぃが首を捻る。「なんでだろう?」
 無邪気な疑問であったが、それは希の胸に深々と突き刺さった。
 「そりゃ、お父さんはゆかりの方が大事だったから…」
 「それは違いますよ」アスカがやんわりと訂正する。「希お嬢様が家出された時も、旦那様はそれはもう心配なされて、幾人か人を雇って探させようとしたのです」
 「でも、そんな感じは全然なかったけどな…」
 「もちろんですよ」アスカはにっこりと笑った。「私はいつでもお嬢様の味方です。希お嬢様の追手は、きっちり、全員を病院送りにして差し上げました」
 「…アスカさんも、目的のためには手段を選ばない人だよね…」
 「うん…」
 
 「ああ、おかえり希君」
 アパートに入ってきた希とゆ〜にぃを見て、遠野賢治(とおの・けんじ)が声をかけた。
 「ただいま…」
 「…どうしました、元気がありませんね?」
 妙に沈んだ口調が気になって、遠野は仕事用のデスクから立ち上がった。「何かあったのですか?」
 「なんでもないよ…」
 希はそう言うと、ゆ〜にぃと共に自分の部屋に入った。ぱたんとしまるドアを眺めた遠野は、傍らのSDに顔を向けた。
 「何かあったのですかねえ、みるふぁ?」
 「おそらくは…」
 みるふぁと呼ばれたSDは、翠色の瞳に穏やかな笑みを浮かべた。「でも、私たちにそれを話そうとしないのは、それなりに理由があるのではないでしょうか」
 「そうだねぇ」
 「それなら、今はそっとしておくのが一番かと思いますが」
 「ふむ」
 遠野は顎に手をやって考え込む。
 一方、自室に入った希は、別れ際にアスカがいった言葉を思い出していた。
 「ゆかりさんとみづきさんを見つけ出したら、私に教えて下さい。私は、二人に幸せになってほしいのです…」
 「幸せっていってもね」希はひとりごちた。「そんなに簡単なものじゃないよね」
 それは、家という庇護を離れた希が、現実に直面して初めてわかったことだった。『深大寺家の娘』というステイタスは、それなりに大きなものだったというのが、今になってはとてもよく実感できる。まして、ゆかりはまだ高校生、相手のみづきも大学生である。二人だけで生きてゆくのは相当な苦労を伴うだろう。
 「どうしたもんかなぁ…」
 頭の後で手を組んで考え込む。と、ドアがノックされた。
 「あの、みるふぁですが…よろしいですか?」
 「あ、はいどうぞ」
 みるふぁがドアをあけて部屋に入ってくる。「じつはマスターが、これをと…」
 みるふぁが差し出したのは、新桜花市営プールの割引券だった。システムエンジニアである遠野が、得意先から貰ったものである。
 「今度、市営プールでSD同伴の方に限り入場料を半額にするというキャンペーンが行われるのだそうです」穏やかな表情を浮かべてみるふぁが説明する。
 「そこで、もしよろしかったら行ってみたらとマスターが申しておるのですが…」
 「気持ちはありがたいけど…」
 男装している以上、気軽に人前で水着姿になるわけにはならない希である。せっかくの申し出だが断るしかない。
 「それよりも、みるふぁちゃんこそ賢治ちゃんといっしょにいったら?」
 「マスターは…その、お仕事がお忙しいですから」どこか困ったように、みるふぁ。「時には、気分転換も必要ですよ」
 「うん、ありがと…」
 「それでは」
 みるふぁは、割引券を希に渡すと、一礼して部屋を出た。後ろでに扉を閉めると、ディジタルウェブのデスクトップ端末に向かう遠野の方を向く。
 「本当に、差し上げてよろしかったのですか?」
 「ああ」遠野は、ディスプレイから目を離さないまま答える。「どうせ、一緒に行くような相手は私にはいませんですしね」
 もともと先の割引券は、遠野が彼女と一緒に遊びに行こうと調達したものだった。
 しかし、その彼女はもういない。つい最近、別れてしまった。それからというもの、遠野はいつも寂しげな表情を浮かべているように、みるふぁには思える。
 (息抜きが本当に必要なのは、マスターのような気がいたしますね…)
 みるふぁは、一心不乱にキーボードを叩き続ける遠野の後ろ姿を見て、溜息をついた。
 

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