…今から30年前に開発された完全自律型生活支援ユニット「サーバントドロイド」は、我々の生活に劇的な変化をもたらした。
 5本の指で人間並みの繊細な作業が可能なマニピュレータと、二足歩行が可能な脚部ユニットを備え、全身を生体人工皮膚で覆った「人間への奉仕機械」は、その外見だけではなく、声や仕草、それに感情や精神といったメンタルな部分までもが人間と酷似していたのである。人に褒められれば喜び、悲しい時には涙を流し、理不尽なことには怒る―サーバントドロイドは、初めて「心」を与えられた機械であると言えよう。
 しかし、実を言うと、サーバントドロイド開発計画の当初は、そのような感情プログラムは必要ないという意見が開発チームでは大半を占めていた。コストの問題もあるし、何より、それだけの膨大なプログラムデータを収められて、なおかつ人間サイズのサーバントドロイドに内蔵できるほどの小型のRAMなど当時は存在していなかったのある。実際、初期のサーバントドロイドのコンセプトは、強化プラスティックの外装と車輪式の脚部を備え、あらかじめプログラムされた行動のみを命令通りに行うもっとロボット然としたものだった。会話能力もせいぜい主人の命令に対し「イエス」「ノー」と答える程度しか想定されていなかった。家事サポートユニットとしてはそれで充分と考えられていたのだ。
 だが、技術開発部のバイオコンピュータ群がひとつの技術的提案を提示してきたことで、その初期コンセプトは大きく変化することになる。サーバントドロイドそのものに人工知能ユニットを搭載するのではなく、巨大なハイパーバイオコンピュータ『マザー』が、コンピュータ無線通信回線を通じて個々のサーバントドロイドを遠隔操作する。また、サーバントドロイドが日々の生活で入手した行動や情報は、同じ通信回線でマザーに送られ、すべてのサーバントドロイドの行動プログラムにフィードバックされる―もちろん、このシステムを完成させるには、相当な数の技術的課題があった。しかし、「自律した意識をもつロボットを創りたい」という開発者たちの共通化した執念が、それらを一つ一つ解決していったのである。
 そして、外見や動きも人間そっくりなものに仕様変更された。各関節にセラミックス骨格と人工筋肉を使用することで、以前のモーター式とは比べ物にならない滑らかで自然な動きを実現し、ボディ表面は生体培養人工皮膚で覆われた。これは元は人体への使用を前提に開発されたもので、本物の皮膚とほぼ同じ質感を有している。これらの仕様変更もすべて技術開発コンピュータ群の提案で行われた。サーバントドロイドは人間の「道具」ではなく、「パートナー」として開発するのが望ましいというのが、コンピュータの提案の理由であった。そしてそれはまさにロボット技術者たちの念願でもあり、反対する積極的な理由はどこにもなかった。
 むろん、この時点においても、サーバントドロイドに自律意識は必要ないと主張する声はあるにはあった。外見も人間とそっくりなものにする必要はないとする意見もあった。それらは、コスト面というよりは倫理的な判断からのものではあったが、圧倒的少数意見ゆえに、それらの声は次第に消滅していった。
 やがて、3年の開発期間を経て、サーバントドロイドYSVD-003M/Fは完成する。しかし、その完成の裏に、あるひとつの『目的』が隠されていることを知りうるものは、人間の中にはまだいなかったのである…
[ゴードン・G・グレン著『機械文明の黙示録』(205X年初版発行)より抜粋]
 
ACT.1  ふたつの事件
 
 「ひぃ〜、遅くなっちゃったぁ!」
 深夜、人通りがなく静まり返った北町商店街を、一人の若い女性が慌てた様子で走っている。年の頃は20代半ばくらいか。ジーンズ姿に大きなバックを抱え、全力疾走の衝撃で時折ずり落ちそうになるメガネを手で押さえている。後で無造作に束ねられた黒髪は、ぴょんぴょんはねていてかなり乱れているが、彼女はそれを気にも留めようとしない。
 「えーと…今の時間は…」
 走りながら腕時計を見る。男物のごついダイバーズウオッチの針は、10時54分を差している。ちなみに、帰宅のために彼女が乗る路面電車の終電の、停留所通過予定時刻は11時ちょうど。
 「わあ、待て待てーっ!」
 商店街の入口―そこに路面電車の停留所がある―まであと100メートルほどまで近づいたところで、無人運転の路面電車が横切っていくのが見えた。環状線の最終便。これに乗り遅れたら、彼女は家に帰る事が出来ない。
 「間に合えーっ!」
 とにかく全力疾走。
 しかし、商店街を飛び出した彼女の目前で、路面電車は無情にも停留所を通り過ぎていった。
 「あーあ、乗り遅れちゃった…」
 肩を落とす若い女性。路面電車はそのまま加速し、近くの角を右折して彼女の視界から消える。
 「…どうしよっかなー」
 息を整えた若い女性は、天を見上げて考え込む。タクシーを捕まえて帰るという手もあるが、財布の中身が心もとない。さりとて、この周辺に彼女を泊めてくれるような友人の家は、運が悪いことに一軒もない。
 「しゃあない、会社に泊まるか…」
 幸いにして、というべきか、彼女の職場は夜遅くまで事務所が開いている。今も誰かしか同僚が残っているだろう。職場に泊まるのは気が進まないが、この際背に腹は代えられない。路上で野宿よりはマシである。
 「最近、北町もかなり治安が悪くなってるしね…」
 若い女性は、今来た道をとぼとぼと戻りはじめる。
 「……」
 その後姿を、止めた車の中からじっと見つめる目があった。
 彼女を見つめていたその男は、吸っていた煙草を灰皿に押し付け、エンジンキーをまわす。この街では珍しいガソリンエンジンの爆音が、静かな夜の商店街に響き渡る。ヘッドライトをハイビームでオン。ギアをローに入れ、アクセルを思い切り踏む。
 「なんなのよこんな時間に…ええ!?」
 エンジン音は当然女性にも聞こえていた。煌々と輝くヘッドライトに照らされて思わず振り向いた彼女が見たものは、次々とギアをかき上げて猛スピードで迫る乗用車の姿だった。
 どん。
 激しい衝撃に跳ね飛ばされ、アスファルトの地面に叩きつけられる女性の華奢な身体。なにかが潰れるような、致命的な音―自分の頭蓋が砕ける音が、彼女の聞いた最後の音となった。
 女性をはねた乗用車は急ブレーキで停止すると、今度はバックで戻ってきた。運転していた男はドアを開いて降りて来ると、たったいま自分が轢き殺した女性の元に歩み寄る。
 「……」
 女性の頭部から流れ出した血が、アスファルトに広がっている。男はそれを避けるように慎重に女性の死体に近づくと、彼女のバッグの中身を探り出した。
 やがて、バッグの中から一枚の光ディスクを見つけ出した男は、それを慎重に調べると自分の懐にしまいこんだ。そして何事もなかったかのように再び車に乗り込み、静かにその場を去っていった…
 
 『北町商店街にてひき逃げ事件発生』の報が新桜花警察署に入ったのは、事件発生から15分後のことだった。
 「そんじゃ下田さん、留守番頼みます!」
 「おう、頑張れよー」
 若い刑事が鑑識と一緒に署を出ていく。その背中を見送った下田中将(しもだ・なかまさ)は、湯のみのお茶を一口すすると、スポーツ新聞を開いて読み始めた。
 「…マスター、のんびりしていてよろしいのですか?」
 お盆を手にしたメイド服の女性が下田に近づく。下田はスポーツ新聞から視線を上げると女性の顔を向いた。
 「現場は若いモンに任せて、年寄は留守番でもしてればいいのさ」
 そういってニヤリと笑う。「そうだろう、鬼杏?」
 鬼杏(ききょう)と呼ばれたメイド服の女性は、金色の瞳を伏せて、呆れたように溜息をついた。
 「マスターはまだ年寄りという年齢ではないでしょう…」
 痩せ型で一見貧相に見える下田だが、それほど歳をとっているわけではない。むしろ38歳という彼の年齢は、刑事としてはまだまだ現役として活躍できるはずである。しかし、現場に自ら出向こうとしない今の下田の様子は、どう見ても閑職にまわされた窓際族としか思えないものだった。しかも彼はその境遇を平然と受け入れている。
 「そんな事を言っていますと、本当に老け込んでしまいますよ」
 「余計なお世話だ」
 鬼杏の余計な一言に、顔をしかめる下田。それを見た鬼杏は、くすりと笑うと「お茶のお代わりはいかがですか?」と問い掛けてきた。
 「…ああ、貰う」
 「かしこまりました」
 鬼杏は一礼すると、空の湯飲みをもって給湯室に消えていく。やがて、給湯室から薬缶から吹き出る蒸気の音と鬼杏自身が歌う鼻歌の声が聞こえてきた。
 「それにしても…」
 その様子を聞くとはなしに聞いていた下田は、驚嘆の溜息をついて呟いた。
 「たった一ヶ月であれだけ豊かな感情を示すようになるとはな…Meグループ社の技術には本当に驚かされる」
 鬼杏は、Meグループ社が開発した自立型生活支援ユニット『サーバントドロイド(SD)』の運用評価試験機である。5本の指で人間並みの繊細な作業が可能なマニピュレータと、二足歩行が可能な脚部ユニットを備え、全身を人工皮膚で覆われた人間そっくりの人型ロボット。その外見もさることながら、機械であるはずの彼女が示す『感情』の豊かさに、下田は改めて驚いていたのだ。
 モニタ開始直後はほとんど表情も表さず、口調も棒読みだった鬼杏は、共に生活しはじめてわずか一ヶ月で、ユーザーである下田に軽口を叩けるほどに成長していた。聞けば、この街で稼動しているすべてのSDは、同じMe社が開発したコンピュータネットワークシステム『ディジタルウェブ』で管理コンピュータと接続されており、SDが学んだ知識や経験がすべてのSDの行動プログラムにフィードバックされているのだという。ゆえに、鬼杏は下田が教えていないはずの事柄も他のSDを通じてどんどん覚え、より人間に近い行動を取れるようになるのだと。
 「そういえば…昨日はビールを飲ませたら酔っ払うようになっていたんだよなぁ。しかも相当へべれけになっていたか…という事は、どこかのユーザーがぐてんぐてんに酔っ払った所をSDが見て、それを学習したという訳なんだよな…」
 「何をぶつぶつおっしゃっているのです?」
 ぼんやりと考え込んでいた下田に、新しいお茶を汲んできた鬼杏が声をかける。下田は、ばつの悪そうな表情で鬼杏の顔を見上げると、彼女が差し出した湯飲みを受け取った。
 「ありがとう」
 「どういたしまして」
 鬼杏が幸せそうな表情で見守る中、下田がお茶を一口すすり、改めてスポーツ新聞を開こうとしたその時、彼のディジタルウェブ携帯端末―携帯電話とほぼ同じ機能を持つ―が音声着信を知らせた。
 「あら、お電話ですね」
 「ん…現場に向かった連中からか。珍しいな」
 発信者の名前を確認した下田は、今更自分に何の用だろうかと首をかしげながらも、とりあえず端末に出ることにした。
 「下田だが、どうした?…うん、何?……わかった」
 「いかがされました?」
 端末を切った下田に鬼杏が尋ねる。
 「いや、現場のほうで何かあったらしいな。至急来て欲しいそうだ」
 下田は席を立ちながら答えた。背広の上着を右手に抱え、鬼杏を促す。
 「これから現場だ。鬼杏も一緒にきてくれ」
 「はい」
 連絡が着てから10分後、下田と鬼杏は、ひき逃げ事件が起きたという北町商店街の現場に駆けつけていた。
 「ああ、下田さん、お待ちしてました」
 若い刑事が出迎える。下田とその若い刑事は、肩を並べて歩きながら事件現場へと向かった。
 「被害者は若い女性だそうだな」
 「はい」刑事が答える「名前は澤井愛(さわい・あい)、25歳、週刊チェリーブロッサムの記者です。所持品から身元が割れました」
 立ち入り禁止の黄色いテープが貼られた現場に到着する。すでに鑑識の調査は終了したのか、遺体は運び去られた後だった。アスファルトの地面には生々しい血だまりの跡と、散乱していた所持品の場所を示すマーカー、それと遺体の位置を示すチョークの跡が残っている。周りの刑事たちも引き揚げの準備をしていた。これから目撃者探しと聞き込みに向かうのだろう。
 「で、自分に用ってなんなのだ?」
 それらを横目で見ながら、下田は改めて若い刑事に問いただした。
 確かにひき逃げは重大事件だが、それでも窓際昼行灯の下田まで引っ張り出さなければならない程難しい事件という訳でもない。ここの若い連中だけでも充分捜査は出来るはずである。
 「実は…その…」
 若い刑事は言いにくそうに、「遺体の第一発見者が下田さんをご存知の様なんで…」
 「それだけか?」
 「いえ…それがその…」
 若い刑事はそう言うと、道端に座り込んでいる和装姿の女性を指差した。何人かの刑事が寄り添っていろいろと事情を聞いている。女性は刑事の質問には答えている様子だったが、ショックが大きかったのか、顔が青ざめているのがここからでも分かった。
 「うむ…確かに、どこかであったような気がするな」
 首を捻る下田を、傍らの鬼杏がつついた。
 「マスター、彼女はサーバントドロイドですよ」
 「何ぃ!?」
 
 「ううむ…」
 前園薫(まえぞの・かおる)は、パソコンのキーボードを前にして悩んでいた。
 「アイデアが浮かばない…」
 そう呟いた前園は、咥えていた煙草を灰皿に押し付けようとして―すでに灰皿が煙草の吸殻でいっぱいになっていることに気がついた。仕方なく吸殻の山が崩れないように慎重にねじ込むと、今度は傍らのマグカップに手を伸ばす。
 「ありゃ」
 しかし、マグカップの中はすでに空っぽだった。
 「ふう…」
 溜息をつき、時計を見る。深夜0時まであと12分。
 作家である前園は、ある出版社から依頼されていた書下ろし小説の原稿を書いている最中であった。しかしながら、締め切りが迫っているというのに一向に筆が進まない。まるでアイディアの泉が完全に枯渇したようである。
 デビュー直後の頃はかなり人気があり、大きな文学賞の候補に上がったこともあった。特にティーン向けに書いたファンタジー小説―現代日本から異世界に「勇者」として召喚されたひ弱な高校生と、彼と共に戦ったエルフ少女の成長と恋愛を描いた物語―は、アニメ化までされるほどの大ヒットとなった。
 しかし、この頃はどうもヒット作がでない。
 「…そう言えば、まつが帰ってこないな」
 コーヒー豆を切らしたから、近くのコンビニで買ってくると言って彼のサーバントドロイドであるまつが出掛けてから、30分経っていた。まつが向かったコンビニは、前園の家からは歩いても5分とかからない場所にある。これはいくらなんでも遅すぎる。
 「まあ、SDのボディは頑丈だから、大丈夫だとは思うが…」
 言いながら、前園は外出の準備を進める。「散歩がてらに、迎えにいってやるか」
 すでに彼の幼い息子は自室で寝息を立てている。前園は息子を起こさないように足音を忍ばせながら玄関に向かった。靴をはき、玄関のドアノブに手をかける。
 「…おや?」
 彼の携帯端末がメール着信を知らせたのはその時だった。送信者は『まつ』となっている。
 「いったいまつは何をしているんだ…?」
 何となく拍子抜けした気分でメールの主文を呼び出した前園だったが、呼び出された主文に目を通すと、彼は再び表情を曇らせた。
 「『警察署にいます』って…おいおい、何をやらかしたんだよ」
 とにかくこうしていても始まらない。前園はあわてて玄関を飛び出すと、タクシーを呼ぶために携帯端末にタクシー会社の番号を打ち込み始めた。
 それから15分後、新桜花警察署前に急停止したタクシーから飛び降りた前園は、警察署の入口で待っていたらしい刑事に迎えられた。
 「あの、あなたが前園さんですか?」
 「そうですが…」
 前園が頷くと、刑事はほっとした表情を浮かべた。
 「お待ちしておりました。自分は捜査課の下田です」
 「まつは…まつがどうかしたんですか!?」
 そう詰め寄る前園を、下田はなだめるように言った。
 「ご安心ください、あなたのSDは無事ですよ」
 「そうか…それはよかった」
 安堵の表情を浮かべる前園。しかし、すぐに次の疑問が浮かんだ。「…でも、なんでまつが警察にいるんです? SDは犯罪やそれに類する行為は出来ないようにプログラムされているはずですが」
 「はあ、それなんですが…実は前園さんとまつさんに捜査の協力をお願いしたいんですよ」
 「捜査協力?」
 下田は、警察署の中を先にたって歩きながら、先ほど起きたひき逃げ事件の簡単な経緯と、まつがそのひき逃げ事件の被害者の第一発見者であることを前園に簡単に説明した。
 「それで、一応お話を伺おうと思いましてね…」応接室のドアの前で立ち止まった下田が、前園を振り返る。「ご協力願えませんかね」
 「それは構わないのですが…」
 前園は頷いたが、なぜかその表情には釈然としないものが残っていた。
 「助かります」下田は感謝の意を述べると、ドアをあけた。「まつさんはここにいますよ」
 下田に促されて前園が応接室に入る。応接室のソファに座っていた和装姿のSDが、前園の姿に気がついて立ち上がった。
 「旦那様!」
 和装姿のSD―まつが、前園の胸に飛び込んでくる。バランスを崩しそうになりながらも何とかまつの身体を支える前園。豊かなまつの黒髪から匂う、石鹸の香りが前園の鼻をくすぐる。
 「旦那様、私は…私は寂しゅうございました」
 「まつ…」
 泣きじゃくるまつの頭を優しくなでる前園。それを見ていた下田は、近づいてきた鬼杏にそっと耳打ちした。
 「おまえたちは…SDはこんな芸当まで出来るんだな。驚きだよ」
 「芸当…ですか」それを聞いた鬼杏は、ちょっと寂しそうに俯いた。「はい。わたくしたちの中枢である『マザー』には、あらゆる状況に対する反応パターンがプログラムされていますから」
 「ふむ…」
 「でも、その反応パターンを増やし、発展させているのはマスターたちなのですよ。それに…わたくしだって…」
 最後は消え入りそうな声だった。
 「…おい、よく聞こえなかったが?」
 「なんでもありません!」
 急に怒ったような口調になって、鬼杏は下田から離れてゆく。突然の態度の変化に「なんだかなぁ…」と首を捻りながらも、下田は部下の刑事を呼んで話を聞く準備に取り掛かった。
 数分後、まつが落ち着いたところを見計らって調査は始まった。現場の状況、遺体の様子、まつがその場に居合わせた経緯、他に目撃者などはいなかったか、なにか不審な点はなかったか…。下田の質問に対し、まつは非常に要領よく答えていった。同席した若い刑事などは、まるでヴィデオカメラで録画した現場を見ながら話している様だと感じたものである。
 下田の質問が一通り終わった所で、前園がひとつの質問をした。
 「ひとつ質問していいですか」
 「自分に答えられることならなんなりと」部下に調書を手渡しながら下田は答えた。
 「さっきから気になっていた事があるんだが…何故、オレがここに呼ばれたんだ? 調書を取るだけならまつだけでもいいんじゃないかな」
 「ああ、そのことですか」
 鬼杏が持ってきたお茶をすすりながら、下田は笑った。「いやね、実は正直困っていたんですよ」
 「困っていた?」
 下田が頷く。
 当然といえばそうだが、SDは法律上人間ではない。それゆえに警察の、特に現場ではいろいろと問題が発生しているのである。たとえば、SDそのものが犯罪に巻き込まれた場合である。SDが危害を加えられた場合、それは「殺人未遂」や「傷害」ではなく、「器物破損」という扱いになる。SDがさらわれた場合でもそれは「誘拐」ではなく「盗難」である。しかしながらSDは限りなく人間に近い存在なためにトラブルが起きているのだ。
 「そんなわけでですね、まつさんにお話を伺って調書を取るにしても、後でそれが問題になる可能性があるんですよ。見方によっては、ビデオカメラ相手に話をしているようなもんですから」
 「なるほど」
 「そこで、今のユーザーである前園さんにご足労を願ったわけです」と、下田。「それに、まつさんは自分と鬼杏のことをご存知のようでしたし…」
 「えっ…あ、じゃあ下田さんって…」ここにいたって、前園はようやく下田の名前に聞き覚えがあるのを思い出した。「町外れの下田道場の…」
 下田が頷く。
 前園の住む北町の外れに一軒の古びた道場があって、最近『野門流』を名乗る謎の格闘家がそこを買い取って住み始めたというのは前園も聞いていた。あんな所に住みたがる上に、滅多に顔を見せないものだから相当な変わり者だな、と町内の人たちは噂していたし、前園本人もそのように感じていた。でも、まさかその人物が刑事だったとは…。
 「そうでしたか、いや驚きました」
 「まア、あまりご存知ないのも仕方ありませんな」苦笑しながら下田が言う。「なにしろこういう商売ですから、勤務時間も不規則でしてね。時には何日もここに泊り込むこともあるし…」
 「そうですか…確かに」
 「とにかく、今回はご協力ありがとうございました」下田が頭を下げる。「今日の所はもう帰ってもらっても結構です。夜遅くまで引き止めてしまって申し訳ありませんでした」
 気づけば時計の針は2時半を差している。前園はソファから立ち上がった。
 「帰るぞ、まつ」
 しかし、まつはソファから立ち上がらない。前園に声をかけられたことにも気づかず、何かをずっと考え込んでいる。  それを見た前園は、怪訝な顔でまつの顔を覗き込んだ。
 「どうかしたのか?」
 「あ、旦那様…」
 前園が心配そうな表情で自分を覗き込んでいることにようやく気づいて、まつは顔を上げた。
 「お前、様子が変だぞ?」
 「はい…」
 前園にそういわれて、しばらく躊躇していた様子のまつだったが、やがて意を決したように口を開いた。「実は…私、あの女の人が車に轢かれたところを、その、見ているようなのでございます…」
 「何だって?」
 まつの声は、応接室を退出しかけた下田の耳にも届いた。
 「轢かれた瞬間を見た、というのですか?」
 「はい…そのはずでございます…」
 「『はず』…?」
 頷くまつ。しかしその表情はどこか自信がなかった。下田はふむ、と頷くと、もう一度応接室に戻り、ゆっくりとまつの前に座った。
 「申し訳ありませんが、その話を聞かせていただきませんかね?」
 
 結局、前園とまつが帰路に着いたのは、翌早朝になってからのことだった。
 「せっかくですから、部下に送らせますよ」
 完全徹夜であるにもかかわらず疲れた様子を見せない下田にそう言われて、最初は遠慮した前園だったが、まつがバッテリー切れでスリープモードに入ってしまったため―SDのボディは乾燥重量で120キロもする。抱えていくにはちと重い―結局好意に甘えることにした。
 下田の部下が運転する乗用車の後席で、まつの肩にもたれてうとうとしかけていた前園は、急ブレーキに驚いて目を覚ました。
 「な、なんだ…?」
 「すみません、ちょっと待ってください!」
 刑事はそう言うと、慌てて車を飛び出した。前園も気になり、まつをそのままにしてややふらつく足で車を降りた。
 「どうしたんですか?」
 歩道に屈みこんでいた刑事は、前園を振り返り、地面に転がっているものを無言で指差す。
 それを見た前園は仰天した。
 「これって…死体!」
 腹を裂かれた若い女性が、地面に横たわっていた。千切れた右手が地面に転がっている。光を失った瞳が、二人の顔を無言で見つめている。
 「いや…死体ではありません」
 刑事が冷静につぶやく。
 「いや、しかし…」反論しかけて、前園は違和感に気がついた。派手に腹を切り裂かれているのに、周辺に血痕が見当たらない。それに、不思議なことに血のにおいもまったくしない。
 「サーバントドロイド…か…」
 前園の言葉に刑事が頷く。
 「随分とひどいな…」
 「しかし…殺人には扱われないんですよ。あくまで器物破損なんです、SDはね」
 刑事の言葉に、前園は車の中で寝ているまつを見た。もし、まつがこんな目にあったとしたら、そして、それが器物破損などと言われてしまったら…
 「トラブルが起きるというのも、分かるな…」
 SDの持ち物らしいバッグの中身を調べると、新桜花総合病院に導入されたナースドロイドだと分かった。とりあえず病院に連絡する。
 やがて、一台の黒塗りのベンツが走ってきた。二人の近くに停止し、中から小柄な老人が下りてくる。
 「ヌシらが、先ほど連絡を入れてくれた刑事さんかのう?」
 刑事は頷くと警察手帳を見せて身分を証明して見せた。
 「あの、それで貴方は…院長さんですか?」
 「いや」老人は破壊されたSDを子細に検分しながら答えた。「ワシは新桜花総合病院でボランティアをしとる万景寺秀峰(ばんけいじ・ひでみね)じゃ」
 「ボ、ボランティア、ですか!?」
 刑事が素っ頓狂な声を上げる。乗ってきた車はベンツ。しかもおそらくは防弾仕様の特注品。VIPかヤクザの幹部が乗っていそうなシロモノだ。ボランティアという言葉と全然釣り合ってない。
 「うむ、出勤前に病院から連絡があってのう。それで病院に向かうついでにここに寄ったのじゃ」
 「はあ…」
 「しかし、ずいぶんとひどい事をしおるものよのう…」
 万景寺はそう言いながらSDの傷口をさする。「日本刀か、それに類する刃物でやられたようじゃな…」
 「ええ…これで5件目です」
 刑事が言うと、万景寺は立ち上がり、やれやれと首をふった。
 「例の事件というわけか…」
 ここ半月ほど前から、SDが何者かによって破壊されるという事件が起こるようになっていたのは前園も知っていた。狙われるのは単独で行動しているSD。長い刃物のようなもので切るという共通の手口から、同一犯の仕業と考えられていたが、その動機は今もって分かっていない。
 「とにかく、病院まで連れて行こう。修理はそれからじゃ…弓音!」
 「あいよ!」
 車の脇で待機していたスレンダーな美女が、万景寺に呼ばれて近づいてくる。
 「この娘を車に積むのを手伝え」
 万景寺の指示に、弓音(ゆみね)と呼ばれた美女―万景寺のSDである―はあからさまに嫌な顔をした。
 「あたしゃビジネスサポート型で力仕事は苦手なんだけどねぇ…」
 「ごちゃごちゃ言っとらんと、はようそっちを持て!」
 ぶつくさ文句をいう弓音を急かして、二人はベンツの後部座席に破壊されたSDを積み込んだ。ベンツのドアをバタンと閉めると、改めて刑事と前園の方を向く。
 「被害届はあとで病院から出す。ヌシら朝飯はまだじゃろう、いっしょにどうじゃ?」
 「私はまだ勤務中ですから…」
 「オレも、そろそろ息子が起きてくる時間だし…」
 「そうか、ならば仕方ないのう」
 ちょっと残念そうに、万景寺が呟く。
 「ともかく、助かった。礼を言うぞ」
 そう言って、万景寺はベンツの運転席に乗り込む。弓音も二人にウインクをして助手席に乗り込んだ。
 「あんなボランティアも、ありなんだなぁ…」
 走り去るベンツを見送った前園が、呆然と呟いた。
 さて、新桜花総合病院に到着した万景寺と弓音は、破壊されたSDをとりあえずナースドロイドの待機室に運び込んだ。
 すでに連絡が届いていたのだろう。待機室では、彼女の同僚であるナースドロイドが、心配そうな表情で彼らの到着を待っていた。
 「あの、由香の様子はどうなのですか?」
 ナースドロイドの1体が、万景寺に尋ねてくる。万景寺は彼女の肩を安心させるように叩くと、笑顔を浮かべた。
 「大丈夫じゃ。機能は停止しておるが骨格部に致命的なダメージはうけておらん。すぐに修復できるじゃろう」
 それを聞いたナースドロイドは、安心したように胸をなでおろした。他のナースドロイドたちも一様に安堵の表情を浮かべている。
 「この娘は由香というんじゃな…」
 万景寺がそう言うと、ナースドロイドはうなずいた。
 「由香は、私たちナースドロイドシリーズの中で一番最後にロールアウトした機体なんです。だから、みんなも妹のように可愛がっていたんですよ」
 「妹…か」
 万景寺は呟くと、弓音にそっと耳打ちした。
 「ヌシらSDには姉妹という概念も備えておるのか?」
 「そうねぇ…」弓音はしばし考え、「ユーザーの中には、SDを兄貴とか妹という設定するのもいるから、そういう反応プログラムも当然用意されているんだけど…」
 「そうか」
 「でも、SDどうしで姉妹のように振舞うっていうのは聞いたことないわね」
 「…院長の趣味か?」
 「たぶん」
 二人は同時に溜息をついた。
 「それにしても…」
 由香を簡易ベッドに寝かせ、通常の勤務に戻ったナースドロイドたちの姿を眺めながら、万景寺はつぶやいた。
 「さっき刑事も言っていたが、ずいぶんとひどい事をするヤツもいるもんじゃのう」
 「そうねぇ…しゅーほー、コーヒー飲む?」
 茶にしてくれ、と答えてから、万景寺はイスに座った。「SD破壊魔か…」
 Meグループ社がSDの開発を立ち上げた時、社の内外から反対の声が上がったというのは、万景寺も色々と聞いていた。いわく倫理的に問題はないか、法的環境が整っていない、などなど。しかし、SDの仕様が発表されると、社外、特に様々な労働組合からの反対の声が大きくなったという。
 彼らは、人間の働く場所がSDによって奪われることを不安視したのだ。かくいうこの病院でも、ナースドロイドの導入が決まった時、これで過重気味な看護士の仕事の負担を減らせると歓迎していたのだが、SDが自分たち人間と外見はおろか、性能までもがまったく変わらないということが分かると、今度は看護士の間で猛烈な導入反対運動がおこったのだ。人間とまったく同じ仕事ができ、しかも維持費ははるかに安いとなれば、それも当然であろう。
 散々もめた末に結局ナースドロイドは導入されることになったが、人間たちとの確執はそのまま残ってしまい、両者の間には今も深い溝が残っている。ナースドロイド専用の待機室が用意されているのもそのためである。
 「はいお茶」
 「すまんのう」
 弓音から受け取った茶をすする。
 「おいしいかい?」
 「うむ」
 万景寺がうなずくと、弓音の顔がぱぁっと明るくなる。それを見ながら万景寺は思った。
 (あるいは、ワシと弓音のように良好な関係を築けた人間とSDというのは、稀な存在かもしれんのう)
 「なにぼんやりしてるのさ?」
 「いや、なんでもない」
 弓音に見つめられて年甲斐もなく顔を赤くし、目をそらす万景寺。
 「変なしゅーほー」
 「……」
 それにしても―と万景寺はひとりごちる。優香破壊の犯人は、本当にSDの導入に反対していた人間の仕業なのであろうか。
 弓音をはじめSDの身体は、極めて頑丈に出来ている。人間のように自己回復機能をもたないゆえ、多少のことでは損傷しないようになっているのだ。話に聞いた所では、大の男が全力でナイフを突き刺しても、傷ひとつつかないと言われている。
 しかし、SD破壊の犯人は、それを刃物でやすやすと行っているのだ。とても人間技とは思えない。よほどの剣の達人であるか、あるいは…
 「同じSDの仕業…かのう…」
 「ああ、そういえば」弓音がぽんと手を叩いた。「この間院長が言っていたんだけど、今度SDユーザーの有志で自警団が結成されるんだって。なんでも、頻発するSD破壊事件からSDを守るためらしいけどねー…」
 「ほう…」
 「それでさぁ…」妙に艶っぽい目つきで、弓音が万景寺にしなだれかかる。「もしあたしがSD破壊魔に襲われたら、しゅーほーはあたしを守ってくれるかい?」
 顔にかかる弓音の吐息が熱い。一種の排熱システムだと知識として知っていたが、それでも万景寺は焦った。
 なにしろ、弓音はお弓姐さんにそっくりなのだ。
 「…ふん、ヌシなら返り討ちにするじゃろうが」
 「むう」
 万景寺の憎まれ口に、弓音はむくれた。万景寺の頬を両手でつまみ、きりきりと左右に引っ張り上げる。
 「そんなこと言うのはこの口? この口かい!?」
 「ひたたた、ひゃめんかぁ!!」
 
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